天気は良い。
この道が出来る以前は古部町から銚子の澗集落迄は車が来れた。
松浦武四郎もこの辺りの状況を「蝦夷日誌」に書き留めている。
BBQコーナーを使うときは取れば良いやだった。
天井のテントの受けを作る。
これをビスで固定すれば取り外しは不要になるではないか。
歳と共に思考力も落ちてるな。
夕食は相変わらず安くあげてる。
卵焼きはテレビでマヨネーズと水を加えるとふっくら出来ると放映してたので急遽作った。
膝の痛みも回復してきた。
でも明後日の銚子の澗のへ探訪が有るのでもう少し養生しておきたい。
朝から銚子の澗の資料調べをする。
銚子の澗には現国道228号線が出来る以前は岬を回る国道が有ったのだが、新しい国道が出来たので古平側からも椴法華側からも通行止めになった。
下の赤い線が旧国道228号線である。
この道が出来る以前は古部町から銚子の澗集落迄は車が来れた。
澗の集落から椴法華に行くには山越えの道だった。
松浦武四郎もこの辺りの状況を「蝦夷日誌」に書き留めている。
● ウノトリイワ 岩の頂上に鵜の糞にて白くなりたるが故に号るなり
しかし歴史的な由緒有る名前も今は「かもめ岩」と変えられてしまった。
古文書との整合も取れなくなる。
相変わらず糞で真っ白にはなっている。
● ヒカタトマリ 岩陰に図合船の掛澗あり
銚子の澗は「ヒカタトマリ」であった。
古部から車が通った時代のカムイ隧道は今も健在だ。
他に屏風隧道もあるが、ここは石で塞がれているが人は通れる。
この銚子の澗は椴法華の小学校の学校行事で行ったそうで、その人の話に依ると最後はロープ場が有ったそうだ。
今はどんな状況になっているんだろうか。
この銚子の澗には福井から10隻くらいの船が毎年来て漁をしていたそうだ。
賄いを含めて100人位が来て、鱈やイカ漁をしていた記録が残る。
椴法華の郵便配達は1枚の郵便物が来たときは山を越えて、銚子の澗迄配達していた。
以前海岸線を歩いた時はただ完歩しただけだ。
今回行けば古道のルートや集落の様子が分かるかも知れない。
外に出てふと気がついた。
雨がテントに溜まるのを防止するため、つっかえ棒的な物を取りつけた。
BBQコーナーを使うときは取れば良いやだった。
でも待てよ。
もっと良い方法が有るではないか。
何故こんな簡単な事が浮かばなかったのか。
パイプが弱いので木の棒に変える。
天井のテントの受けを作る。
これをビスで固定すれば取り外しは不要になるではないか。
歳と共に思考力も落ちてるな。
2022年青森ねぶたのミスねぶたが決まった。
彼女らは跳ねても上手だ。
夕食は相変わらず安くあげてる。
今日は肉があるが1枚半額で79円だった。
卵焼きはテレビでマヨネーズと水を加えるとふっくら出来ると放映してたので急遽作った。
ふっくらになったし、量も増えた。
一石二鳥だ。