世の中には様々な産業が存在しますが、事業を進めていく上で必ずジョーカーと云える、「事業者の努力だけでは、どうにもならない」問題が存在します。
バス会社の場合は、バスの遅延防止に関する対策が代表的な例のように感じます
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遅延証明書は、請求されれば発行します。 - Mr.Busーstop(バス運転士の日記)
バスが定刻通りに運行しない場合、しばしば乗客から遅延証明書の発行を請求される場合があります。とはいえ、その請求数はそれほど多くなく、あっても1年に1...
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バスの遅延は、道路状況による場合もあるため、バス停の時刻もある程度の目安となるものしか表示できません。
もちろん、バス会社やバス運転士もなるべく定刻に到着するような配慮は可能な限り行いますが、道路状況への対応や安全運行の確保などを鑑みて、独自の対策には限界があります。
このような事業者が独自の企業努力では、どうにも対策がしづらい問題をジョーカーと云います。
では、このジョーカーを誰が向き合うことになるのでしょうか?
現実的には、市区町村などの地方公共団体や国が今のところ適任と云うことは、云うまでもありません。
道路交通法の改正や、都市計画などにより道路の幅員を拡張したり、信号機の設置や点灯のタイミングの調整など、一事業者には無理なことになります。
もちろん、バス会社やその他運送事業者も、この事に対して要望はしますが、最終的には公的機関の判断になります。
このようにジョーカーをその責任で引く仕事を、私は「底辺職」と呼んでいます。
世の中で云う「勝ち組、負け組」論とは異なり、どんな仕事でも独自の努力では解決しがたい業務の責任を押し付ける先が、「底辺職」です。
要するにこの「底辺職」が無いと、どんな業界も仕事を完結できないのです。
もっと云えば、「仕事が完結したことには出来ない」と云った方が正しいかもしれません。
民主主義、資本主義社会では、民間が輝くように、公的機関は「底辺職」に甘んじるべきなので、正に「公僕とは、世間のどぶさらい」です。
さて、民主主義、資本主義社会で、上下倒錯して国や地方公共団体などの機関が、規制強化などの強権を発動して国民を支配する世の中とは、どう云った世の中でしょうか?
民間の自治が崩壊し、世の中にジョーカーが溢れかえった甘えた国民の世界と云えます。
民間企業が民間がするべき努力を行わず、全て「底辺職」である国や地方公共団体に押し付けたときと云えます。
「底辺職」である国や地方公共団体は、世の中の健全なバランスを整えるため、一時的に上下を倒錯させて、強権的と感じられる対応を行わざるを得なくなります。
そうしないと、社会自体が崩壊してしまうからです。
公共交通サービスであるバス業界は、遅延に対する問題と云うジョーカーがあっても、事業者として可能な限界までの対策は行っています。
ダイヤの調整や時間別の交通量の調査、苦情に対するスムーズな対応スキームの構築など、到着時刻が道路状況の影響もある中で可能な限りの努力はしています。
もしも、バス会社がするべき努力をせず、または、様々な原因で存続が困難になり業務遂行が不可能な場合は、国や地方公共団体はその仕事を公営化して引き継ぐしかなくなります。
こう考えると現状で日本の民間企業は、例えジョーカーと云えども可能な限り向き合う努力をする姿勢があり素晴らしいことと、私は思います。
もしも、国や地方公共団体などの公的機関がジョーカーを手放す場合は、最終的には誰がジョーカーを受け取ることになるのでしょうか?
云うまでもなく、その国の「最底辺」である国民一人一人の課題になります。
社会が崩壊した姿とは、そう云うことで、自分で「どぶさらい」をしなければなりません。
こう考えると、今の企業と国民の双方で、ジョーカーの存在を「お互い様」の観点で、寛容に受け入れられる日本の民度に私は尊敬の念を禁じ得ません。
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