旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

読書について ③

2005年08月14日 23時32分48秒 | Weblog


決して「読まず嫌い」ではないが、わたしと著作や作者との間には、相性の良し悪しというものが歴然としてある。

例えば、わたしは五木寛之と相性が悪い。「さらばモスクワ愚連隊」や「青年は荒野をめざす」を読んで、正直言って呆れた。同じ世代の野坂昭如は積極的に読むというのに、以後、五木は読む気すらしない。特別な理由などない。ただ五木の他の著作のさわりを読むだけで相性が悪いように感じてしまうのだ。

一方でどうやら、柄谷行人とは相性がいい。文庫本で5冊ほど買い込んだ。かなり目にきついので、大きな文字のハードカバーを探している。いまだに見つからない。眼精疲労を覚悟で文庫本で読んでみるかどうかを、思案中である。

なにしろ思想書だから、新本を求めようなどという気は毛頭もない。少々古かろうが、読めればそれでいいのだ。しばらくは古本屋巡りが続きそうだ。古本屋巡り、これがまた楽しくてならないのだ。

読書について ②

2005年08月14日 23時23分20秒 | Weblog
              ニーチェ

朝日新聞の特集で、ナべツネや中曽根元総理の愛読書にふれていた。ナベツネの愛読書はニーチェとカントなんだって・・・。ほー、と放心する、感心するのではない。東大教養主義の成れの果てが中曽根やナベツネであったとは恐れ入る。

「風姿花伝」や「ブッダ 真理のことば 感興のことば」(法句経)や「ブッダ最後の旅」は含蓄がある古典だ。偏見なしにいって「コーラン」も読むに値する経典だ。「海舟座談」では良しにつけ悪しきにつけ海舟の大物ぶりや腹の据わり具合が窺がえる。暁烏敏の「歎異抄講話」は真宗に新しい息吹を吹き込んだ魂の叫び声だ。

それにしても魂を鼓舞するような本が多い。ビジネスと不可分な読書傾向が続いている。冷静になってみると、なーんだ、おれはただビジネスの世知辛さからの救済を読書に求めていただけなのかと、ここに至って長嘆息する。

ビジネスマンは何かと忙しい。それでも読むなら、やはり解りやすくて含蓄がある著作がいい。「趣味は読書」斉藤美奈子・・なのだから。

舞茸

2005年08月14日 21時56分46秒 | Weblog

きのこといえば、最近、舞茸をよく食べる。揚げたてのてんぷらに塩コショウをふると格別に美味しい。見慣れない最初の頃は、その姿に不気味さを感じた。ひとたびその味覚に慣れると、異様さが美味の象徴のように感じる。ドリアンの匂い(臭い)のようなものである。

太古の昔ナマコやタコを食べたひとも、きっと同じような恐怖感を味わったことだろう。

ウッドワン美術館

2005年08月14日 16時08分10秒 | Weblog

こじんまりとした森の美術館にしては、横山大観や円山応挙・平山郁夫・青木繁などの高校美術の教科書クラスの大家が収蔵されている。好きな上村松園も収蔵されているらしい。展示される際には是非寄ってみたいものだ。避暑がてらでの安達美術館では余りに遠い。

陶器についていえば清時代の作品はどこがいいのかよく解らない。鑑賞眼のなさを嘆くばかりだ。むしろ、薩摩焼の方が素直な気持ちで評価できる。風格と渋さを備えた傑作が多い。

客寄せのルノアールは、まだ未完成といった作品で、かれが成熟度を高める途上の作品なのであろう。やや、貧弱な印象を受けた。

アリ

2005年08月14日 00時19分01秒 | Weblog


プロボクサーではキャシアス・クレイ、のちのモハメッド・アリのファンだ。「ここでフォアマンに敗れたら、世界中で虐げられているオレのファンが落胆することだろう。ここで倒れるわけにはいかない。」という信念の方向性と人格がいいのだ。

「あれだけのパンチとボディブローを浴びせても倒れないアリに、正直、戦慄を覚えた。」とフォアマンは語った。ボクシング史上稀有なハードパンチャーといわれたフォアマンは、その試合以後勝てなくなり引退、牧師になった。
50歳近くになって世界チャンピオンに返り咲いた際のインタビューでフォアマンは「布教を通じてアリに敗れた原因がようやくわたしにも理解できるようになった。アリはわたしの試練であった。」と語った。

ローマオリンピックの金メダルで名実共にアメリカの市民になれたと思って入ったレストランで、差別的な言動を受けたアリは橋の上から金メダルを投げ捨てた。新たなアリの闘いが始まったのである。以降のアリは世界中の虐げられた人々とともに闘うことを決断したのだ。