鳥羽院四天王のひとり源重実は、クソ真面目な若き佐藤義清(のちの西行)に向かって以下のような能書きを垂れる。『この世を楽しむには、まず留まることが必要なのだ。矢を射るとき、的に当てることだけを考えるひとは、目的を追うひとだ。だが、矢を射ることそのものが好きなひと、当たれば嬉しいが、当たらなくても嬉しいひと、そういうひとこそが、留まるひと、つまり雅であるひとだ。』
なんだか、坊さんの説法を聞いているようで面白くもなんともないが、妙に解り易い。ただ今、三の帖まで読み終えた。二十一の帖の終わりが525ページだから・・・、前途は多難だ。ここまで読んで初めて知ったのだが、平清盛と佐藤義清(西行)は同い歳であり、同じ北面の武士という元同僚同士であったという新発見もあった。以前から西行が生きた時代には興味があったので、一気に読み通したいと思う。