旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

読書について ②

2005年08月14日 23時23分20秒 | Weblog
              ニーチェ

朝日新聞の特集で、ナべツネや中曽根元総理の愛読書にふれていた。ナベツネの愛読書はニーチェとカントなんだって・・・。ほー、と放心する、感心するのではない。東大教養主義の成れの果てが中曽根やナベツネであったとは恐れ入る。

「風姿花伝」や「ブッダ 真理のことば 感興のことば」(法句経)や「ブッダ最後の旅」は含蓄がある古典だ。偏見なしにいって「コーラン」も読むに値する経典だ。「海舟座談」では良しにつけ悪しきにつけ海舟の大物ぶりや腹の据わり具合が窺がえる。暁烏敏の「歎異抄講話」は真宗に新しい息吹を吹き込んだ魂の叫び声だ。

それにしても魂を鼓舞するような本が多い。ビジネスと不可分な読書傾向が続いている。冷静になってみると、なーんだ、おれはただビジネスの世知辛さからの救済を読書に求めていただけなのかと、ここに至って長嘆息する。

ビジネスマンは何かと忙しい。それでも読むなら、やはり解りやすくて含蓄がある著作がいい。「趣味は読書」斉藤美奈子・・なのだから。

舞茸

2005年08月14日 21時56分46秒 | Weblog

きのこといえば、最近、舞茸をよく食べる。揚げたてのてんぷらに塩コショウをふると格別に美味しい。見慣れない最初の頃は、その姿に不気味さを感じた。ひとたびその味覚に慣れると、異様さが美味の象徴のように感じる。ドリアンの匂い(臭い)のようなものである。

太古の昔ナマコやタコを食べたひとも、きっと同じような恐怖感を味わったことだろう。

ウッドワン美術館

2005年08月14日 16時08分10秒 | Weblog

こじんまりとした森の美術館にしては、横山大観や円山応挙・平山郁夫・青木繁などの高校美術の教科書クラスの大家が収蔵されている。好きな上村松園も収蔵されているらしい。展示される際には是非寄ってみたいものだ。避暑がてらでの安達美術館では余りに遠い。

陶器についていえば清時代の作品はどこがいいのかよく解らない。鑑賞眼のなさを嘆くばかりだ。むしろ、薩摩焼の方が素直な気持ちで評価できる。風格と渋さを備えた傑作が多い。

客寄せのルノアールは、まだ未完成といった作品で、かれが成熟度を高める途上の作品なのであろう。やや、貧弱な印象を受けた。

アリ

2005年08月14日 00時19分01秒 | Weblog


プロボクサーではキャシアス・クレイ、のちのモハメッド・アリのファンだ。「ここでフォアマンに敗れたら、世界中で虐げられているオレのファンが落胆することだろう。ここで倒れるわけにはいかない。」という信念の方向性と人格がいいのだ。

「あれだけのパンチとボディブローを浴びせても倒れないアリに、正直、戦慄を覚えた。」とフォアマンは語った。ボクシング史上稀有なハードパンチャーといわれたフォアマンは、その試合以後勝てなくなり引退、牧師になった。
50歳近くになって世界チャンピオンに返り咲いた際のインタビューでフォアマンは「布教を通じてアリに敗れた原因がようやくわたしにも理解できるようになった。アリはわたしの試練であった。」と語った。

ローマオリンピックの金メダルで名実共にアメリカの市民になれたと思って入ったレストランで、差別的な言動を受けたアリは橋の上から金メダルを投げ捨てた。新たなアリの闘いが始まったのである。以降のアリは世界中の虐げられた人々とともに闘うことを決断したのだ。



野坂昭如

2005年08月13日 19時48分23秒 | Weblog

小説家といえば、確か一昨年に脳梗塞で倒れたはずの野坂昭如が、昨年の12月に出した「死刑長寿」の「あとがき」を自らが書いているという情報を得た。躊躇はしたが、怖いもの見たさという好奇心が後押しするのでつい買ってしまった。以下、かれの「あとがき」のすべて、である。

「ぼくは、もの心ついて以降、嘘ばかりついてきた。
子供の頃は無邪気な嘘。
14歳で焼き出され、生きるための嘘が身についた。
糊口を過ごすようになって、嘘と現実の別が無くなった。
ここに収められた作品群は、その一部。
わが嘘に終わりはない。」

敬愛する野坂は、骨の髄まで小説家という名の売文業者なのである。

高村薫

2005年08月13日 19時47分28秒 | Weblog
              高村薫

高村薫さん、名前や風貌からでは男性なのか女性なのかとんと見当がつかない。小説のタイトルや風貌から、多分男性なのだろうくらいに考えていた。吉見さんの件があったので急いで究明してみることにした。その結果、意に反して薫さんが女性であることが判明した。

これまでも、薫さんの名前くらいは知っていたが、作品を読んだことがなかったのである。お詫びに薫さんの小説も読んでみる事にした。ただ今手元には、薫さんの「マークスの山」がある。

2005年08月13日 17時36分00秒 | Weblog


海を渡る風は 夢の匂い運び
燃ゆる瞳をなお 紅く染めてゆく
耳を澄ませばいま 遠い国の調べ
胸の琴糸を 甘くゆらしてる

時が来れば 野を駆けても
行かなけりゃ 行かなけりゃ
悔やむ気がする

あなたには あなたには
夢を信じていてほしい
僕は今 橋になる 
夢を渡らせるための
橋になる

人はいつも胸に 穏やかな覚悟を
抱きしめながらも 夢を追う階
美しく生きたい 終の宿までは
愛に支えられ 遥か旅路を行く

時が来れば 野を駆けても
行かなけりゃ 行かなけりゃ
悔やむ気がする

あなたには あなたには
夢を信じていてほしい
僕は今 橋になる 
夢を渡らせるための
橋になる

あなたには あなたには
夢を信じていてほしい
僕は今 橋になる 
夢を渡らせるための
橋になる

たそがれ マイラブ

2005年08月13日 14時33分44秒 | Weblog
今は夏 そばにあなたの匂い
しあわせな夢に おぼれていたけれど
夕立ちが 白い稲妻つれて
悲しみ色の 日暮れにして行った
しびれた指 すべり落ちた
コーヒーカップ 砕け散って

私はただ あなたの目を
言葉もなく 見つめるだけ
さだめといういたずらに
ひきさかれそうな この愛

今は冬 そばにあなたはいない
石だたみ白く 粉雪が舞い踊る
ひきさかれ 愛はかけらになって
それでも胸で 熱さをなくさない
凍える手で ひろげて読む
手紙の文字が 赤く燃えて

私はもう あなたの背に
もたれかかる 夢を見てる
さだめといういたずらに
ひきさかれそうな この愛

松茸

2005年08月12日 19時08分21秒 | Weblog

わたしは、籤運が極めて悪い。生まれてこの方ビンゴだのクジだのでまともに当たったためしがない。そのわたしが夏祭りのビンゴゲームで松茸をもらった。といっても、わたしが当てたわけじゃない。当てたのは、あくまでおフクロなのである。おすそ分けで傘が開いた典型的な松茸を一本もらったというだけのことだ。

この季節のことだから、さぞかし高いものだろうと自分に言い聞かせる。ひと昔前なら、数万はしたのではないだろうかと不覚にも涙ぐむ。
ここは輸入物である可能性に目を瞑って、今日は早速、松茸をまるごと焼いて、裂いて、醤油をつけて食べた。広島風に言うと「焼きナバ」である。歯ごたえと、香りがいい。

思えばわたしが子供の頃、広島市の近郊でも松茸がよく取れた。里の裏山で日に5・6本ばかり採って炭火で焼い、て裂き、やはり醤油をつけて食べたものだ。

ロングヴァケーション

2005年08月12日 19時07分37秒 | Weblog
今日から盆休みだ。有給休暇も含めて9日間のロングバケーションになる。積もりに積もった疲れが落ちないようなら、更に休暇を伸ばす予定もある。
理想を言うと、波の音が聞こえる海辺か、渓流のせせらぎが聞こえる谷あいのキャビンでゆったりと物思いに耽りたいところである。

続 哀愁のごんた 

2005年08月11日 21時58分33秒 | Weblog

ゴンタの首根っこを押さえてゆっくりと顔を近づける。ゴンタはわたしの口元をペロペロ舐めるのが好きだから早くも舌なめずりをしている。こちらは水気でしっとりと濡れたゴンタの鼻の頭を狙っているのだ。思い切って顔を近づけ鼻を狙った瞬間、ゴンタの生暖かい吐息がわたしの鼻先をかすめたが早いか、ゴンタの舌はペロペロと二度わたしの唇を舐めた。今日も敗れたのはわたしの方だった。

ゴンタはよくアクビをする。その瞬間を見計らってわたしはゴンタの口の中にコブシを突っ込む。ゴンタはアクビを中断してさっと頭を横に振って逃れる。それから何もなかったようにわたしに背を向けて横になる。大きなため息をつきながら。

哀愁のごんた 

2005年08月11日 21時56分56秒 | Weblog

出かけようとするとうちのゴンタは、決まってこのように戸惑った様な顔になります。でも、今日は何故か、写真を撮ろうとすると似たような顔になっていました。多分ゴンタとしては、「おいおまえ、変な箱を顔にくっつけて何やってるの?」と聞きたかったのでしょう。やはり、戸惑いがあったようです。

数年前、誤ってゴンタの尻尾を踏みつけたことがあります。最初は痛さにいたたまれなくて「キャイン、キャイン」と泣いたのですが、わたしが踏んだことに気がつくと、どすの利いた低い声で「ウー」と威嚇されました。

犬社会は序列にうるさいのです。室内で眠る時、ゴンタは必ずといっていいほどわたしの足元に寝床をつくります。知る人に聞くと、序列からいうと、「わたしとはやとは同格である。」と、ゴンタの方が考えているらしいのです。とほほ・・・。

読書について ① 

2005年08月10日 11時18分49秒 | Weblog

多分、晩生(おくて)なのであろう。学校推薦図書とか社会人として読んでおくべき云々の名著といわれる著作を、この歳になってようやく、あるがままの作品として読むことができるようになったようだ。

衝動的な殺人が続いている。しかも、殺人の動機が相手側に対する憎しみでないことが多い。たまたまそこに居合わせたために、かれの殺意の犠牲になる。アルベール・カミユの「異邦人」の世界である。

新興宗教の「とんでも論」が巷の嘲笑をかっている。中村元の訳による原始仏典を紐解いてみる。葬式仏教の経典や説法が、どれほどブッダの思想とかけ離れていることか。問題は、新興宗教にとどまらない様に思う。

「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」は分析ばかりの愚作だ。ウェーバーの分析と薀蓄を一方的に披瀝されたって、面白くもなんともない。

三島由紀夫

2005年08月08日 22時42分47秒 | Weblog

ウッドワン美術館に収蔵されている画家、杉山寧の長女瑤子が三島由紀夫の夫人であるという記憶に誤りはなかった。女友達に、「確か、杉山寧の娘さんが三島、つまり平岡公威の夫人だったと記憶している。」と言ってしまった手前、気に懸かっていた。今日、ネットで杉山寧と三島由紀夫で検索をかけたら見事にヒットした。なんという手軽さなのであろう。