むかわの阿呆演劇日誌

演劇についての劇日誌やつれづれの演劇、映画の感想や日々のつぶやき。写真もあげます。

大衆演劇散歩記「忘れていた泣く情熱」

2012年03月18日 23時20分05秒 | Weblog
浪花劇団 近江新之介
2012年3月18日(日)PM5:00~8:00 高槻.千鳥劇場

今日はダブルで芝居観劇になった。ハードスケジュールで、4月のさくらまつりの話は決まり、5月のイベントで歌舞練場での見学、確認。色々な想いが眠っている現場に。それもあってか、それから、文子神社、西本願寺をお参りして、気をリセットして、いつもの高槻に来た感じ。

第1部顔みせミニショー
オープニングは新之介座長、蛇々丸でどすを使った相舞踊「男の手締め」
湘南乃風「JOKER」で新之介座長が力強く派手にいくと、蛇々丸が美空ひばり「博多の女」
シメは新之介座長、浪花めだか「深川」鳶と芸者の相舞踊。
今日は頭から色々いってます。

第2部 お芝居「岡崎の夢」
長次は親方源太に拾われて働く人足。小頭が実入りがいい方に
他の人足をそそのかして、ぬけるのをとめに入りのも、親方が情けに熱いひとであり、子連れ人足というやっかいなものでも、雇ってくれた恩義があるからだ。
長次には長吉という子がいる。
親方からわけを聞かれて、話したには、ある日、旅籠岡崎屋と
いう前をとおったら、見知らぬ女からあなたと声かけられ、捕まえられて、あなたの子よ、渡たされる。身に覚えがないが、ふっかけられた難儀。ようし、わかったと、大きくなって、返してくださいといっても、絶対に帰さないからなと啖呵きって
見知らぬ子を長吉と名付け、育てて3年。
 親方にはなしたその前に、岡崎藩士秋月新之丞、妻よしの、岡崎屋徳兵衛があらわれる。
 なんと、あの子を押しつけた女だ。秋月はよしのと武士、商人の娘をこえたしのぶ恋仲になり、身ごもり、子を産むが秋月が参勤交代の勘定役につき、離れ離れになり、気がふれて、身内がうったひと芝居が長吉をまきこんだ子を育ての一件だったのだ。ひきとっても、すぐにかえってくるだろうと思ったら、あてはずれてしまったとのこと。
 育ての親に、生みの親。大切に育てた長吉を離せるか。
 いたわり、思い、それでも、がまんがいる現実。泣きに泣いて、響いてくる。これぞ、人情芝居。

今日もあげてくるました。
最近、客は泣くと内にはいるから、芝居です。泣きながら、拍手して、泣き明かす。
そういえば、なくなってます。

陰々滅々。好きです。てきとう無関心。座長はテレビじゃないんです。

ほんまでした。感情おしころころ、ころしてますなあ。
だから、しょーもないやつ等になってしまうんや。

座長につっこまれ、はっとしました。

第3部 浪花バラエティーショー
オープニングは「ナカムラエレキ節」久々です。大好きな舞踊。
蛇々丸の坂本冬美「羅生門」は
渋いかっこよさでした。
ラストは花魁ショーはきれいなだけでなく、宝塚をおもわせるすっとしたかっこよさで、花魁が舞う。


iPhoneからの投稿
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芝居夢中記「日々のささやかさもファンタジー?」

2012年03月18日 23時07分27秒 | Weblog
豊中市民劇団萌「冬の空の彼方には」
作:田中うらら 
2012年3月18日(日)AM11:30~12:50 蛍池、ルシオーレホール

豊中にある市民劇団。今回も一般市民の参加者を入れて芝居をつくる。はじめてのひともいるから、緊張して声が小さい、表情が不自然などあるが、それが芝居の大切なことではない。

舞台は病院内の庭での会話。新人ドクターのガン告知の難しさ。ガン患者の不安と決意。看護師の親子なかの葛藤。どんな現場も当たり前というほど、ひとの当たり前がある。シニア役者たちがええ味を出していた。彼女のがんばりやはほんとうに当たり前のなかの声だった。ささやかな命。でも、奇跡は当たり前にある。さわやかな初々しさがみえた。

さて、芝居のあとが、すごかった。阪急電車。そういうとあこがれなおしゃれ電車として、知られているので、そんな人ばかりが。芝居もささやかにさわやかで。蛍池のルシオーレも手頃な今様な建物でスターバックスもあるぐらい。
 でも、ひとは違うね。いろんなひとがいますは。たまたまとなり座った親子連れが旅行の話をしていて、どうやら
海外なれしたお金持ちらしく、
もういくとこないわ、ヨーロッパぐらいかな、母。
オーストラリアは?娘。
もういった。近場では韓国のロッテは買い物はええけど、母。
済州島は?娘。
なんやあれ、しょうもない、しょうもない。なにが、東洋のハワイや、母。そうやなあ、娘。

いやー、なんという、贅沢な品のない会話。一時、中国の金持ちが日本を下品に来ているニュースになったが、つつましさを知らないひとが金持ちとはかわらんことでしょう。

阪急電車はゆめものがたり。
iPhoneからの投稿
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芝居夢中記「民のちから」

2012年03月18日 23時04分29秒 | Weblog
民謡合唱団篝 創団40周年記念演奏会 唄芝居 げんが婆たちや

2012年3月17日(土)PM7:00~9:00
京都府立文化芸術会館

立ち見がでるほどの満席状態。
これだけ、今日みたいな暖かい冬だと。客がある浮いた状態にある。

で、芝居のはじまりがすこしずつ音から聞こえて、少しずつ形になり、人があらわれる。象徴的な山の形は自然そのもので、
私たち、民はそのなかであらわれるもの。そんな願いや想いがこめられたものであろう。
だが、客は日々をくぐりぬけて、わちゃくちゃになった者ではいるので、すいません。意識は切れてはいってしまいました。
唄がここちよい。京都の民らしい奥ゆかしさ、つつましさのなかの声が誰が、立つものではなく、やわらかな風のごとく、響いてくる。

お話しは村の元気な三婆が狐の力を借りて、悪党を懲らしめる話。悪党役の坪倉さんも中根さんもまぬけな悪党で微笑ましく、ええ味が笑いとなる。ひとがらなんだろうなあ。

芝居の、立ち上がりがどうしても登場人物が際立つと全体の民の空気と浮いたように思ったのは、唄いと語りが混じっているためか。

前にでない誰もなかに、誰かの唄の姿勢が劇場がでたあと、思いました。

気持ちよかった。ええ唄きいた。こころふんわり。極楽感。

目立つものではない。それが民。みなさん、終りになって味ある姿であることがわかる。

民謡は誰もが歌う子守唄のなかにある。それが、大切かな。
いまわたしたちには民謡はあるか?気づかないくらいなので、
気づくの大切ですね。
[photo:01]



iPhoneからの投稿
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする