パトリック・ネスの小説「怪物はささやく」の映画化作品を観たことがあるだけで、この本の作者シヴォーン・ダウドのことは何も知らず、ただ「表紙の色合いがきれい」「12歳の少年が主人公」という理由で読み始めた本です。
本を実際に手にして初めて、あの『怪物はささやく』(原題:A Monster Calls)という凄い映画の原作の「構想」は、このシヴォーン・ダウドが残したものと知りました。
作家デヴューは46歳。その翌年(2007)には病気で急逝したこの作家の、生前出版された本は2冊だけ(その第2作がこの「ロンドン・アイの謎」)
それでも、死去の後も作品は出版され、どれも高い評価を受けてさまざまな賞を受賞しています。(急逝は本当に惜しまれたでしょう。だからこそ、出版の契約上の理由からだけではなく、残された構想やタイトルを引き継いだ作品が書かれたのだろうと)
作家になる前はずっと国際ペンクラブ所属で、主にアジアや中南米の作家たちの人権擁護活動に長く携わったという経歴の持ち主で、ヤングアダルト向けに書かれたこのミステリーにも、それが生きているのをわたしは感じました。
「ロンドン・アイの謎」の主人公テッドは、「人の気持ちを理解するのは苦手」だけれど「事実や物事の仕組みについて考えるのは得意」で「気象学の知識は専門家並み」という、ちょっと風変わりに見える少年です。
「ほかの人とはちがう」頭脳を持ち、本人曰く「お医者さんはナントカ症候群だって言ってた」という彼が、(必要に迫られて)自分の特性を生かした推理で謎解きに挑む姿を、物語は彼の一人称で描いていきます。
その文体、テッドの感じること、考えることの表現の仕方が本当に細やかで、しかも「いかにも12歳の男の子」らしくて、読んでる間は彼の身になってハラハラドキドキ「えっ!どーして?」の繰り返しで…
ロンドン名物の大型観覧車「ロンドン・アイ」に乗った従兄が、一回りしても降りてこない。待っても現れない彼は、一体どこへ行ってしまったのか。
その謎を「読者にも情報はすべて開示して、一緒に解いてもらいたい」と、作者が細心の注意を払っているのが読んでいても伝わってきて、「ミステリーは好きだけど謎解きにはあまり関心がない」わたしも、「テッドより先に解くぞ~」なんて、一生懸命考えたりも。(こんなこと考えながらミステリー読んだのは、何十年ぶりでしょうか)
なので、謎解きのほんの一部はわたしも出来て嬉しかった! でも、謎がチャチなわけでは全くありません。(わたしなどが言うのもナンですが)「身近なところでのミステリー」として上質な作品だと思いました。
でもそれ以上に印象的だったのは、いわゆる発達障害?(自閉症スペクトラム)と思しきテッドの気持ちが、とても分かりやすく、しかも「こどもの当然の心理として」丁寧に描かれていたことです。
両親も、思春期真っただ中の姉も、姿を消す従兄も、その母親(テッドの母方の叔母)も、「欠点も長所もある」リアルな人間として描かれているので、テッドは彼らの言動に翻弄されたりもするのですが、それでもみんな「大切な」家族なのだという芯のところは揺らぎません。
そういった「ムダに美化されていない生身の人間」に共感する気持ちが、読後感の良さに繋がっているのかもしれない…とも思いました。
とても優秀な頭脳の持ち主であることが証明されても、テッドは家族から特別扱いされるようになるわけではありません。「何かというと頭が傾いて、指がひらひらしたり、手を振り回したり」という彼は、「ちょっと風変わり(正直、時にメンドクサイ?)」こどものまま(のよう)です。
そういう現実認識の冷静さ(とでもいうのかなあ)が、日本人である私からは異文化(イギリス的?)に感じられて、読めてよかったと思ったところでもあります。
というわけで、今はこの本の続編「グッゲンハイムの謎」を読んでいます。こちらの著者はロビン・スティーヴンス。「「ロンドン・アイ」の続編ということと、タイトルだけしかない状況で物語を考えることになった」とのことですが、出来上がった小説は翻訳者自ら「ダウドの書いたものと言われても信じてしまいそう」な出来栄えとか。
このあと続きを読むのがとても楽しみです(^^)
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