笑顔抱きしめ

小さな幸せの元を探して
身の回りのこと・大好きな木村拓哉さんのこと

最高のレストラン・・・思い出も一緒に乗った定食。

2019-03-10 | tak日記
人生最高レストラン
最高な木村拓哉の時間。

かっこいい登場で、ため息。
予定の椅子に向かわない、拓哉のらしいボケで笑い。

紹介された「美味しかった物」のそのどれもが、過ごした時間の思い出の品
撮影現場での食事。

”おいしいってなんだ!?~根室から京都まで~”
という文字を見て、ああ、南極大陸と、太秦だってつながった。

その第一章 「最果て編」
南極大陸として、存在できる場所根室。
「マイナス17度ぐらいの状況の中で、結構いました、長い間」
現地の人にも、胚が凍るから深呼吸は絶対しないでくださいって言われたという話。
前にも聞いた覚えがある。そんな中での、体を張った撮影だったんだよね。

最初の紹介は、撮影現場から車で10分の「しげちゃんラーメン」
ここ、拓哉君が車の運転をしていったという言葉に驚く、徳井さん。
そうなんだよね。拓哉君は。
で、自分が食べに行くだけでなく、現場のスタッフに食べさせてあげたいと
店主に頼だら、「快くOKをしてくれた。」と、
いつもの拓哉君の「じゃんがららーめん」差し入れを思い出した。

現場のみんなへの気配り、みんなが笑顔になるように。ね。

南極大陸の撮影期間と言えば、あの東日本大震災。
だけど、今日は、人とのつながりも嬉しいおいしいものの話と思ったら、
ありました。
南極大陸に着岸し降り立ったシーン。
立っている氷がゆらいで、荷物を載せた氷が流れていってと、撮影していたら、
本当に揺らぎを感じ・・・その後、津波警報が鳴りだして、避難しようってなった。
と、そのシーンの映像とともに拓哉君が話してくれて。

で、ココまでは、What'sや、当時の雑誌でも話してくれ手タコとだったんだけど、。
この後、MCの方が当時の状況をもっとお詳しく教えてくれた。

ADさんの話
「真っ先にキャストを避難させた。すると、木村さん自らスノーモービルを運転して再び湖に戻ってきた。
木村さんが率先して、出演者、女性スタッフ、機材と順に高台まで運んでくれた。
スタッフは止めたが『スタッフも俳優も関係ないから』と言った」

その話を聞いて、拓哉君は、「渡瀬でしょ!」ってADさんの名前を挙げ、
そんなことまで言わなくても・・・風だったけど。
「現場にまだ機材もあるし、スタッフも全員残っているし。
 本当に怖かったけど、自分が先にという頭にはならなかったかな」と。

結局、次の火に入ってみたら、撮影していた場所は、氷はなくなっていたとう。

キャストを先に・・それは現場での対応はもちろんそうだけど、
自分だけまず、安全な場所にいって、待ってるなんてことは、できないんだよね。
拓哉君。

あのとき。あの場所だから分かる人間力。

8年たって、聞けた話。
嬉しかった。

根室のおいしいもの、
2カ所目は、お肉がゴロゴロ存在するボロネーゼ。

そのボロネーゼのお店を見ることができたのも嬉しかったけど、
作ってくださってる方が、BISTROの影響でシェフになったという話。
拓哉君嬉しかっただろうなぁ。

そして、京都編。

なれない人間には怖い場所という噂に、”太秦”という場所に緊張していた拓哉君。
救ってくれたのは、父・北大路欣也さん。
あの、時代劇の大御所が、太秦のスタッフさんに
「ウチの息子をよろしく!!」っていう。
その一言の重み、ありがたさ。

全力でやらないと認めてもらえない。
拓哉君は、言う。
その拓哉君が、常に、全力で取り組む人間だと言うことを、「華麗なる一族」の共演で伝わっていたからこそだよね。
「うちの息子」・・・ありがたいよねぇ。

何度聞いてもほっこりと嬉しくなる。
全力が伝わる世界の
かわいがられてるよね。
先輩俳優さんにも、頑固な職人さんにも、ドラマのスタッフさんにも。

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