台北市内の移動にはツアーのバスに乗りました。
バスの車窓から見えたものをいくつかご紹介します。
これは台湾総督府。
1895年から1945年まで日本が台湾の行政を行う役所として置かれ、
現在でも台湾の総統府として使用されているそうです。
建物の完成は1919年。完成時には、日本の本土の建物よりも高い、
日本一の建造物だったとのこと。
これは市内を走っていた時に見かけた看板。
「市民」という漢字がとても新鮮に感じました。
大陸の中国なら「人民広場」と書いてありそうです。
国連でも国と認められておらず、隣の大国とは緊張関係にあり、
自らの進むべき道を自ら考えなければならない此処でこそ、
「市民」という言葉が本来の力を持ち続けているように思えました。
バスの車窓から見えたものをいくつかご紹介します。
これは台湾総督府。
1895年から1945年まで日本が台湾の行政を行う役所として置かれ、
現在でも台湾の総統府として使用されているそうです。
建物の完成は1919年。完成時には、日本の本土の建物よりも高い、
日本一の建造物だったとのこと。
これは市内を走っていた時に見かけた看板。
「市民」という漢字がとても新鮮に感じました。
大陸の中国なら「人民広場」と書いてありそうです。
国連でも国と認められておらず、隣の大国とは緊張関係にあり、
自らの進むべき道を自ら考えなければならない此処でこそ、
「市民」という言葉が本来の力を持ち続けているように思えました。