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kakaaの徒然な日記

日記がわりにときどき、ふと思いついたことをつぶやきます。

日本政府が根本的にまちがっていること

2021-08-02 16:52:03 | 記事銘々・現代の世相

※コメント

SNSが浸透し皆が自分の意志を発言する機会が増えたとはいえ、大半の日本人はTV至上主義、政権は「お上」という意識の中にどっぷりと浸かって生きている。

そのような人々に、この「日本政府が根本的にまちがっていること」を話したとして、どこまで通用するのだろうか??

団塊世代である私ではあるが、幼少時から「自分で考え、自分で決断すること」を親から教えられてきたからこそ見えるものがあるが、ただひたすら「いい学校、いい会社へ行けば幸福になれる」と教えられてきた人が大多数を占める我々世代には「日本良い国、日本はスゴイ」としか映らないような気がする。そういう親に育てられてきた子もまた親の意識を踏襲する日本。

絶望感が半端ない・・・

ですが、諦めてはいられない、、我が子や後世の人々に恥じる事の無い社会を手渡すためにも。

 

TKMAさまの記事より転載します。

https://ameblo.jp/tkma-fkng/entry-12689934849.html

日本政府が根本的にまちがっていること

オリンピックも中盤を過ぎた頃でしょうか。

そしてコロナの感染者数は爆発的に増加していますね。

 

ここ数日の菅義偉総理大臣の会見での態度などをみていても、

彼はもうコロナの感染者数のことは考えない、

ということに決めたことがよくわかります。

 

彼は「オリンピックによる盛り上がり効果に賭ける!」という

たった一筋の望みに自分の政治生命を賭け、

それ以外のことはとりあえず思考から除去することにしたのでしょう。

 

まぁ、安倍政権からつづくこの態度に関して、

今ごろ驚くこともないでしょうが、決して慣れてはいけません。

これは現代社会において本当に異常なことだからです。

 

 

さて、皆さんはこの一連の日本のコロナ対策に関して、

諸外国と比較して何か違和感を感じませんか?

 

私は感じています。

 

それはPCR検査を受けさせないとか、給付金を出さないとか、

個別具体的な内容に関して、もちろん感じるのですが、

それらすべての底流に共通するある態度なのです。

 

それは、日本の為政者たちは、

「日本国民を愛してはいない」ということなんですね。

 

戦争の歴史の中でも感じていたことで、それが脈々と今に通じているのですが、

国民のことをそれぞれが幸福を求めて生きる主権者ではなく、

統治する対象として上から目線でみているのですよね。

 

選民意識に基づいた、差別的なものの見方をしている。

もちろん「そうなんじゃないか?」と問えば、

自分では「そんなことはない」と答えるに決まっているけれど、

どうもそのような空気を感じるのです。

 

彼らが国民に対してなかなか給付金を出さないのも、

「連中は甘やかすとすぐにつけこんでくる」と思っているからです。

 

そのような発言をどこぞの大臣がしていると聞いたことがあります。

が、おそらく本心でしょう。

 

菅総理はもちろんのこと、

麻生や二階といった近頃の自民党の中枢の人間たちの

会見での態度を見れば、疑いのないことでしょう。

 

ここのところ憲法改正議論がずっと出てきますが、

それとて、国民がよくわかっていないのをいいことに、

「国民主権」であることを変えてしまおうという魂胆です。

 

彼らは大元の考えとして「国民主権」に反対だし、

だからこそ、私たち国民を主権者とは思っていない。

 

選挙の時だけ純粋の票集めのために動くものの、

そこさえ過ぎれば、もう国民のことなど微塵も考えはしないのです。

 

 

そのようなことは、実は先の戦争のとき、いや、

それ以前からつづいていることなわけです。

 

だから最近、そこまで遡った議論が一部の人々の間で盛んになっています。

しかし、やはり多くの国民は「流れ」が見えていないのです。

見せないように為政者たちが

長い時間をかけて仕組み作りをしてきたからですね。

 

でも、どうですか?

 

私たち国民は、日本という国から大切にされていると感じますか?

 

国の大義のための犠牲になれという態度に

晒されていると感じませんか?

 

私の住む地元、東京都の江東区はオリンピックの選手村も

競技会場もいくつもあって、

周りには五輪関係車両と警察官だらけです。

 

また道路も五輪関係者優先などがあって渋滞しています。

 

そのような日々の国民の犠牲は、払って当たり前だという態度が

目に余ると感じています。

 

今回のオリンピックでは、SNSを通じてたくさんのアスリートが

誹謗中傷にさらされています。

もちろん、個々の誹謗はよくないことですし、

特に選手の人格を否定することは許されないと思います。

 

けれど、これを単に「誹謗はやめよう!」で済ませるのもいけない。

 

なぜ国民の一部が、感情として自国選手を応援するのではなく、

責める気持ちになっているのか。

そのようなムードになったのはなぜなのか。

 

そういうことはしっかり考え、分析しなければいけないはずです。

五輪賛成派は、コロナの死者は少ないと言います。

しかし、身近にコロナの罹患者がいたり、

それで苦しんでいる人にとって、この五輪がどう見えるのか。

 

それを考えないわけには、やはりいかないのです。

 

その人数が、たとえ一握りであったとしてもです。

誰も取り残さないというスタンスを持たないものは、

そもそもの持続可能性を失っているからです。

 

 

私は多くの人に、日本の指導者というものが

国民をどのように解釈しているのか、ということを

よく見つめ直してみて欲しいと思っています。

 

私たちは主権者です。

 

総理大臣だろうが誰だろうが、好きにしていいということはないのです。

彼らに反対すると反日だという意見も、まちがっています。

ある一部の人が言っている意見が「日本」なわけではないのです。

 

反対意見もすべて含んで「日本」なのです。

 

政府や、その中枢にいる人間たちは、

国民の解釈を根本的にまちがっています。

 

彼らは我々をコストだと解釈し、

我々が人間として幸せに生きていくことなど考えていないし、

もっと言えば、自分が死んだあともつづくこの国について、

一切何も考えていません。

 

未来は、未来の世代のものです。

だから未来の社会は、彼らが決めるのです。

 

そんな次の世代に、まともな社会を渡そうとしない人間は、

残念ながら害悪でしかないのです。

 

まともな社会とは何か?

もっとみなで真剣に考えるべきです。何が本当に大切なことなのか。

 

コロナが与えてくれたきっかけを、絶対に無駄にしてはいけません。

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2021-08-02 10:17:01 | 山本太郎となかまたち・れいわ新選組
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