そろそろ、沖縄もシーミー(清明祭)の時期ですね~、お墓掃除に買い出しとなかなか忙しい・・・今回は、沖縄の住宅で90%近くを占める鉄筋コンクリート造の歩みを調べてみました。
戦前、沖縄の建物のほとんどは木造でした 。しかし、第二次世界大戦でこれらの建物のほとんどは灰燼に帰してしまいました。 戦後米軍統治下となり、被災者のために米国産 の松材(ダグラス・ファー)を用いた戦災応急仮 設規格住宅が、1945年(昭和20)8月からの 3年間で7万5千戸建設されました。 応急規格住宅は、2インチ×4インチの木材 で骨組みを作る「ツーバイフォー」で、屋根はテ ント張りか茅葺き、面積は6坪(19.8㎡)、間 取りは、土間(台所)と板間だけの簡易な住宅で、 雨露は凌げましたが、しかし、壁式構造であるため、湿気がこもり、多くの建物が白蟻の被 害にあったそうです。
*写真とは関係ありません。
また、その後も台風での被害などがあり、コンクリートブロック造の住宅へ移行していきます。(米軍住宅が先に建築されていきます)
そして、沖縄でもセメントが作られるようになると、現在の鉄筋コンクリート造
になります。
鉄筋コンクリート造住宅の初期のものは、米軍 家族向け住宅にみられるフラットスラブ(平坦な人が歩ける屋根)の屋根で したが、復興期の沖縄では、将来の増築に備え、 柱の主筋を継手のために延長しておく、角出し住宅が登場しました。(今でもよく見かけますね~)
また、当時日常化していた断水のためのFRP製(よくある黄色のタンク)の水タンクを屋上に載せる住宅も多く、独特な町並み を形成しました。 最近では、台風やシロアリなどにも強い木造の住宅が増えてますので今後の街並みも変わって行くかも知れません。