甘酸っぱい日々

面白くても何ともならない世界で 何とかしようとする人達のために

「ほんとうにいいもの」って、何だろう。

2014-02-16 03:10:38 | お笑い全般
今回は、ちょっと普段書いていないジャンルから出発して、翻ってお笑い界について考えたことを書いてみようかと思います。
各所で話題になり、様々な議論を巻き起こしている、佐村河内守氏の、別人作曲問題。
私はクラシック音楽に造詣が深い訳ではありませんが、NHKのニュースなどで度々取り上げられていたのを見て、佐村河内氏のことは以前から知っていました。
だからこのニュースは衝撃だったし、メディア関係者まで巻き込んでこんな大それたウソをよく作り上げたなと思って。
それと同時に、世間の騒ぎ方について、なんだか上手く言い表せない違和感が生まれていたんですよね。
そこから様々な分野のジャーナリストや評論家の方の意見を読んで、なんとなく自分の中でその違和感の正体がわかったので、
きれいにまとめられるかどうかはわかりませんが、ちょっと書き残しておきます。
一応はじめにきちんと述べておきますと、どのような理由があったにせよ、佐村河内氏が別人に作曲をさせていたことはまぎれのない事実ですので、その点に対して擁護するつもりはありません。悪いことは悪い。
あと、ゴーストライターの是非みたいなこともここでは書くつもりはありません。
私は事件の本質以外のところ。
つまり、「人々は作品をどう捉えているのか」というところについて、一番興味がわいたというか、解明したいと思っています。


この件について、色々な方の評論を読んだのですが、私の中で一番納得できたのは、乙武氏のこの分析でした。

佐村河内氏(名義)の作品を酷評する人々の心理とは

乙武氏は、作品を「コンテンツ」と「コンテクスト」という二つの観点から見る考え方を紹介しており、何を重視するかが異なれば今回の件に対してどう思うかが変わってくるのだろうと述べています。
そして、今のビジネスは「コンテンツからコンテクストへ」という流れになっており、作品に「物語」を付与し、人々の関心を高める流れになっているそうです。
先ほど、「世間の騒ぎ方に違和感があった」と書いたのですが、特に私にとって、一番違和感があったというか、肌に合わないなーと思った意見は、こういうものでした。
「話題性のあるものばかりが売れて、本当にいいものが世に出回らない」
「今の世の中は、音楽の本質が評価されていない」
みたいなもの。
私が、この事件に対する一部のリアクションについて違和感を持っていたのは、まさに「コンテンツ」と「コンテクスト」の二つを一緒くたにして語る方が多かったからなんだろうなあと。
だからまずは、コンテンツとコンテクストのそれぞれを重視している人の考え方は違うこと、
そしてそもそも、コンテクストを重視することの是非について、考えるのが先なのではないかと思ったのです。
いや、違うな。
どちらかと言うと、私が問題提起したいのは、「コンテンツだけを重視することの是非」ですかね。

私が、とても納得し共感できた乙武氏の論に対して、理解はできるんだけども共感は出来ないという意見を書いていらっしゃったのが、伊東乾氏のご意見でした。


偽ベートーベン事件の論評は間違いだらけ  あまりに気の毒な当代一流の音楽家・新垣隆氏
音楽家の善意を悪用、一線を越えた偽ベートーベン  あまりに気の毒な当代一流の音楽家・新垣隆氏(2)


色々なことを書いていらっしゃるのですが、私なりに要約をさせて頂くと、
伊東氏は、ゴーストライターをしていた新垣氏は、大衆に受けそうなパターンをあてはめて作曲していただけで、
それはまるで制約の中で試験問題をつくるようなものであり、新垣氏自身が本当にやりたかった曲ではないのだろうと述べています。
以下引用。
『世間で流通する商用の音楽は、既存の書法の使いまわしでできています。その方が耳に親しみやすいし、ヒットもする。
例えば連続ドラマ「あまちゃん」の音楽はよくヒットしました。ウイットとして面白いとも想いますが、そこに専門人は独自の新たな労作を見出しません。』
そして、「わかりやすいストーリー」に押し込めて売りだしてしまうメディアのやり方に疑問を呈し、
新垣氏には、『新垣君にも、こんなことでめげないで彼本来の音楽で大いに頑張ってほしい』と述べています。
ここに私は、とても引っかかってしまったのです。

私はクラシックのことは全然わかりませんが、現代音楽の作曲者や関係者の方々にとっては、一般受けする曲なんて創造性がなくてやりがいがないのかもしれないということは、
確かに感覚としては想像できます。
でも、だからといって、独自で難解な雰囲気に突き進み、一般の人に受け入れてもらえなくても、その人の自身の曲になっていればそれでいいのでしょうか?
その分野の関係者の方からしたら、「これは素晴らしい」「斬新だ」と評され、「ほんとうにいいもの」とされるかもしれなくても、
そのジャンルの楽しみ方がわかっていない方にとっては、それがいいものだと感じられないかもしれない。
玄人や関係者にしか判断できないような「いいもの」「いいコンテンツ」が持て囃されるようになった時、
一般人の感覚で理解できるものはもう、「コンテクスト」しか残っていないんだと思うんです。
クラシック音楽にとって、なにが「いいもの」とされるのかなんてわからないし、「いいもの」とされているものが自分の感覚とは合わない。
そうなると、あとはコンテクストで理解するしかない。
ああ、この部分で、この曲調で、原爆投下の時の苦しみを表しているんだなって、そうやって背景を知って、受け取り方のテンプレートをもらった方が、理解がしやすい。
私はそうやって、コンテクストから入って曲を受け取った人のことを批判はできないよ。気持ちはわかるもん。
「ほんとうにいいものが評価されない」って言って嘆いているような関係者は、
「ほんとうにいいもの」が、一般の人にも理解してもらえるような工夫をしているのか。
この曲のどのようなところにこだわりがあるのか、どのようなところが新しいのかを一般の人にもわかりやすく解説できるような、
そういう努力はしているのだろうか。
それもせずに、コンテクストや話題性ばかりが評価される世の中を批判していても、何も状況は変わらない。


前置きが長くてすみません。やっとここからが本題です。
例えばこれをお笑いで例えるとしたら、こういうことじゃないかと思うのです。
ライブで日々ネタを磨いて頑張っている芸人、そしてライブをよく見に行く客は、常に今までに見たことがないようなネタが生み出される瞬間を待っているし、
「こんなコント見たことない!」が、そのまま「今年のキングオブコントあるぞ!」につながっていく。(もちろん面白いのが大前提ですが)
でも、一般の人、普段お笑いを見ない人にとっては、未だに、
「オレ医者やりたいからお前患者やって」という漫才であるとか、「コンビニに変なお客さんがやってきてひたすら変な行動をする」というボケとツッコミがハッキリしてるコントであるとか、
そういうネタの方がわかりやすくて、面白くて、いいものだとされるのかもしれない。
ごめんなさい、こういうネタをバカにしているわけではないんです。
そして、囲碁将棋の医者と患者のようなネタは例外です(笑)
バカにしているわけではないけど、たくさんのネタを研究している芸人や、年に50本も100本もライブを見に行っている客にとっては、
「もうそのパターンはやりつくされてしまったし…」となってしまう。
だから、普段お笑いを見ない一般の人との感覚がどんどん離れていってしまう。
近年よく言われている、キングオブコントの芸人審査と一般人の感覚のズレは、こういうことからきているのではないかと思っています。
そしてあと数年で、これがもう相容れないところまで行ってしまうのではないかとも。

私は、お笑いというジャンルでは、コンテンツ重視の見方をしている人間だと思います。
しかし、完全にコンテンツだけで判断できているかというと、その自信はありません。
特にお笑いは、ネタと本人のキャラが直結している場合も多いから、
ネタだけの評価をしようとしても、その芸人さんの元のキャラ、かつてのエピソードを知っているから、
余計に面白く感じられるところ、意味が感じられるだってあるんだと思う。
例えば、これは架空の話、これはあくまでも、全て架空の話ですけれども。
例えば、ある時あるところに、所属していた事務所を辞めようとしたお笑いコンビがいたとします。架空の話ですけども。
いくら説得しても、そのコンビは辞めると言い張って聞きません。
そのコンビが所属していた事務所の上層部は怒ってしまい、えげつない文章を発表して世間を引かせ、
彼らが辞めたいと言い出したのではなく、彼らが自分達を怒らせるようなことをしたからこちらから解雇してやったのだ、というイメージを世間に浸透させることに成功しました。
架空の話ですけども。
紆余曲折あってその事務所を辞めた後、しばらく経ってそのコンビは、単独ライブの中であるコントを披露しました。
それは、「会社を辞めようとして辞表を出しているのに上司が辞めさせてくれない」というコント。
ここからは本当に架空の話ですけれども、例えばこのネタを見て、普段お笑いをあまり見ない人が、
「なるほど、今のさらば青春の光がやるから意味があるんだ」(あ、コンビ名言っちゃった)
「自分達のマイナスな経験をコントに変えて皮肉るなんて、なんてパワーがあるんだろう」
……という受け取り方をした人がいたとします。
そういう人がいたとして、私が
「うーん…多分違うんじゃないかなぁ…。本人達は別にそこまで考えてやってるんじゃないんじゃないかなぁ…。それよりももっとコントの内容を見てよ…。」
と思ったとしても、本人達の公式見解が出ない限り、そう受け取ったお客さんのことを否定する権利は私にはないと思います。
「それよりもね、内容を見て!このセリフがいいでしょ!これが次の展開へのフリになっててね!」
とか急に色々解説しても、別にコントの構造とかに興味がない人は聞いてくれない。
それよりも、その人の背景に重ね合わせた方が理解が早いから。
コンテクストはそれほど、作品と結びついている、そして結び付けられるように受け取られる。
そうなると、もう「コンテンツだけ」を純粋に評価することなんて、不可能じゃないかと思うのです。
先ほどあげたクラシックの例でも、業界関係者はコンテンツだけを見て「ほんとうにいいもの」と判断しているかもしれないけれども、
業界関係者は、これまでのクラシックの歴史や、現代音楽の生みの苦しみをわかっているからそう思うわけで、
それはそれで、コンテクストを含んだ評価になっているのではないでしょうか。

いいものだから多くの人に支持されるのか、
多くの人に支持されるからいいものなのか。
それとも、「ほんとうにいいもの」とは、世間の評価とは関わりのない所にあるのか。
色々考えてきたけど、その答えはわからない。


余談ですが。
私は、このコンビを、コンテンツだけで好きになったんだ。
コントが好きなだけなんだ。それ以上の理由はない。
だから、コンテクストに結び付けて見られてしまうのが本当に本当に嫌だ。
「あんなお騒がせコンビのことをよく応援出来るよな」とか、
またはその逆で、「ファンは大変だと思うけど健気に応援しているんだね」みたいな。
そんなこと直接言ってくる人はいないけれど、そういう目で見ている人はいるんだろうなと思う。
実際、誰に向けた言葉でもないけど、そういう言葉を目にする時もある。
人がどう思おうと自由だから、やめてくださいとも言えないけど、私はそれが本当に嫌だ。
コンテクストを含めて好きになった訳じゃない。
波乱万丈な人だから好きになった訳じゃなくて、たまたま好きになった人が波乱万丈だっただけ。
あくまで私はですが、コンテクストだけ見たら、こんな人達のこと共感なんてしないし、かわいそうだとも一切思わないよ。
自分達がわがまま言ってやりたい放題やって、窮地に追い込まれてるだけじゃん、自業自得。
コンテクストだけ見たら、こんな人達のこと好きにならないし応援なんてしない。
それなのに、彼らのコンテンツを見る気がなくて表面のコンテクストばかりを受け取っている人は、好奇や同情の目を向けるのだ。
それが本当にしんどい。
そういう「世間のプレッシャー」に耐えてまで好きでいることが、私にできるのか?
でもまぁ、私だって、「この状況の中KOCに出れたのはすごい」とか思っちゃったりするから、
完全にコンテンツとコンテクストを切り離して考えられているわけではない訳で、人のこと言えないんですけどね。

「色々あるけどネタだけ見てください」「ネタの面白さだけで判断してください」なんて、
言っちゃうと、多分、無理だよ。
コンテクストはもう人々の心の中に入り込んでる。
そして彼らの場合は、そのコンテクストは大いにマイナスからのスタートになるきっかけであると思う。
それに、本当に打ち勝てますか?
それほどいいコントを、本当に生み出せますか?


あぁ、脱線してしまった。本筋に戻します。
今回のエントリ、もうすぐ終わります。
長々と書いてしまい、本当にすみませんでした。
もう少し短くしたかったんですが、上手くまとまらなくて。
私がこれを通して言いたかったことは、
「コンテンツだけを見て」と、作品をコンテクストと切り離して神格化することに必死で、その割に何の努力もしないでコンテクスト優先の世の中を嘆いているのは滑稽だということ、
コンテクストなしでコンテンツだけを見るなんて不可能に近いんじゃないかと思うこと、
けれども、できれば多くの人に、コンテクストを含みつつも、コンテンツそのものの面白さもわかってもらいたいこと。
そのために何ができるのか、
今日も私は「芸人」と「一般人」の間を、ゆらゆらしながら考えています。


BEST9 ~ネタとコーナー~ (14/1/5)

2014-02-05 00:10:26 | ライブ感想♪
東京NSC9期がネタとコーナーを披露するライブ。今回が初回で、定期的にやっていきたいということでした。
これが私の今年のライブ初め。
ただでさえ無限大に行くことが少なくなった上にシチサンも終わってしまったので、無限大に行ったのが4カ月ぶり。
でも、不思議とそこまで久しぶりな感じはしないんだよなぁ。
バスケットボールストリートのキラキラネオンが眩しくて、
無限大前の呼び込みの芸人さん達の元気な声を聞き、
ヒールをかつかつ鳴らしながら螺旋階段を降りる。
感覚的に覚えている。ルーティンみたいなものだったから。
渋谷にライスを見に来るときは、やっぱり景色が違って見える。
時間が経っても、私にとって渋谷は、ライスのいる街、無限大がある街、だった。


今回のライブなのですが、よしもとニュースセンターの取材が入っていて、きっちりライブレポートをまとめてくださっています。こちらをクリック。 
なので、ライブの大筋の流れはこちらを見てもらって、私は細かすぎて伝わらないところとか感想を主に書いていこうと思っています。
ずっと前にも言っていますが、私がライブのことを書くときには、本当はこういう感想だけを書きたくて、
でも感想ばかり書いていても伝わらないから、あまり得意じゃないけどレポっぽいことをやっているんです。
なので、公式でこういうレポートを上げてくれると楽だなぁ。
堂々とリンク出来るし、あとは感想を書くだけでいいのでね。
すみません、前置きが長くなってしまいましたが、ざっと感想を。


OP MC:ゆったり感
・「立ち見までいっぱいで」「最近こんな満員な無限大あまりない」と口々に言う二人。
 中村「S席のお客さんはチケットぴあの猛者」

・江崎「このライブは今年で芸歴10年目になる東京NSC9期生の~」
 というライブ説明に慄く私。
 改めて聞くと引くな…そりゃ9期ももう若手若手と言っていられる状況じゃなくなるよな…。

・「今から一組ずつ芸人を呼び込むのでワーキャーしてください」というゆったり感の呼びかけにも、
 お客さんは動じず、普通に拍手。

・橘「オレら10年やってるってことは、お客さんも10年見てるってことなんだから、みんなもう飽きてるんだよ」

・ライスの前に、
 中村「以上のメンバーで~」
 ライス「お~い!!」
 と言いながら自転車に二人乗りで登場。
 50音順だとライスが最後だから、ほんとこういう時おいしいよね。

・村上「お前らにはここしかないもんな!」
 といじってくる村上さんに対して、
 関町「そんなこと言って!昔はよく一緒にメシとか行ってたのにな。また今度ラーメン食べに行こうよ!あっ…」
 村上「それはやめろ!一郎でも三郎でも四郎でもいいけどそれだけはやめろ!!」
 中村「学んでないんだもんな」
 村上「学んだよ!本書いてる時には学ばなかったけど、その後、学んだんだよ!!」
 池田「(にやにやしながら)え?何があったの?」
 あーおかしい(笑)
 開始5分のこのくだりだけで、本当に来てよかったと思った(笑)
 (ちなみに個人的な意見ですが、この件で村上さんが責められるような過失なんてほとんどないんじゃないかと思います…。
  出版に際する交渉は出版社がやるべきことだったんじゃないの?
  それなのに村上さんが真っ先に批判を浴びてしまうのを見ているのはいたたまれない。
  ただまあ、こういうくだりに昇華できるほどになってよかったのかなぁ。)


ここからは各コンビのネタを一気に。


・エリートヤンキー:プロポーズ
 本当にびっくりしました。
 私は初めて見るスタイルのネタ。Wボケのようになっていた。
 私、申し訳ないのですが、最近無限大芸人さんのネタを見る機会が減ってしまったのでわからなくて、
 最近のエリヤンってずっとこういう感じなんでしょうか?それとも新しい形なのかな?
 二人がかわるがわるボケて行くんだけど、笑い飯のように「代われ」と振る形ではなくて、
 ストーリーが進んでいく中で自然にボケが組み込まれている感じ。
 そのボケも、二人それぞれの味に合わせているから、あんまり飛んだものにはならないし。
 すっごく面白かったです。
 このスタイルでもう何本か見てみたい。


・ライス:キャッチボール
 あぁ…面白かった…。
 シンプルに面白かった、それに尽きる。
 いいコントだ、本当にそれに尽きる。
 最初の笑いどころに行くまでは丁寧に空気を作って、演技で魅せて、
 どこが仕掛けなんだろうと客席の期待を最大に煽ってから、わかりやすくポイントを示す。
 そして関町さんの一言でドカンと大きな笑いが来る。
 本当に気持ちよかった。
 加えて、私がいいなぁと思ったのが、二人のキャラがしっかりと見えてくるなというところ。
 田所さんの飄々とした感じ、関町さんの全力で振り回される感じ。
 多分ね、KOCの審査員の作家先生方は、いくらネタが面白くても、
 そのコントの中から芸人本人のキャラが見えなければいけないって、そういう考えなんだと思うんだ。
 だから、別に寄せているつもりはないんだろうけど、そういうネタを作っていることが嬉しかった。
 しかも、ライスの持ち味を崩さないまま。
 ライスのコントが見たい、もっともっと見たい。
 お願いだから新作単独やってほしい。
 スイップのアンケートに山ほど書いたのに未だに実現しない。
 ねぇ、ねぇ、これ以上どこに言ったらいいの?
 去年、全然見に行けなかった私がいうことじゃないかもしれないけど、
 それでもライスのコントがもっともっと見たい。


・しずる:用心棒
 これは10月のずしゃるで見たのですが、二回目でもとっても面白かった。
 演技力だけで、観客にないものを見せる、想像力を喚起する技と、それが出来るだけの説得力。
 だいぶ勇気のいるネタだと思うけど、それを平然とやり切るのがすごい。
 そしてオチはずしゃるの時と違って、とっても不気味で後味悪いものになっていました(笑)
 やっぱり、池田さんは本当はテレビに出ちゃいけない人だ(笑)


・囲碁将棋:サッカーのルール
 いやーすごいネタだ(笑)めちゃめちゃ面白かった。
 一見共感できないというか、「そんな狭い所から広げるの!?」って思うようなところも力技で広げて、
 でもお客さんをちゃんとついてこさせて、最後には爆笑をもぎとる感じがすごい。
 

・ゆったり感:結婚のあいさつ
 これは、うしろさらばを見るために行ったKOC2回戦で見たことあるネタでした。
 とても面白かったし、KOC予選の時もよくウケていて、合格もあるんじゃないかと思っていたほど。
 いわゆる「漫才の人がやるコント」のような、漫才に変換できるようなネタではなくて、
 きちんとコントとして成立しているのがいいですね。
 セリフは大きく変わっていないのに、どんどん中村さんに感情移入されてしまう感じがすごい(笑)


・天狗:歌のおにいさん
 すっごいのびのびと楽しそうにやっていた印象でした(笑)
 二人のバランスがとてもいいんだろうなぁ。


・えんにち:拷問
 最後の「よーっ、パン!」が会場全体できっちりそろっていて本当に気持ちいい!(笑)


・ジューシーズ:グビダイン
 一言だけ言わせてもらうとすれば、松橋さんはもうちょっと「なんだよそれ」とかだけじゃなくて、
 もう少しボキャブラリー豊富にツッコんでもらったほうがいいかも。
 ツッコミ発信の笑いというかね。
 でも、もうこのネタは、ジューシーズの伝統芸になりつつあるんじゃないだろうかというほどの沸き具合!!
 最初のグビダインの時点で客席から歓声あがってたもんね(笑)


☆コーナー Wikipediaクイズ

MCはエリヤン。
今日の出演者全コンビのWikiのページはあるが、ファンの人の熱量によってページの多さが違うという話になり、
西島「しずるとかジューシーズとか、ライスは多いですね」
と言った時に、芸人みんな「ライスがそこに入るの……?」という表情(笑)
ルールは、各コンビのWikiにかいてあることが穴埋めになっていて、その内容を当てるというクイズ。
……なのですが、まともな回答になる訳もなく、どんどん大喜利と化していく。
覚えている答えだけざっと。

【一問目】
ジューシーズのWikiから、
「児玉のお母さんは、2ちゃんねるで○○○○と言われている」
根建『強肩の外野手』
文田『国民的Fカップ』

西島さんから、「体の特徴」というヒントが出されると、
池田『(カオナシみたいなイメージと言った後)ヒジなし』
田所『脱腸バニーガール』
これに崩れ落ちて笑っている池田さんって本当に…(笑)

池田『歯ぐき大健闘』
これが惜しいということになり、
池田『歯ぐきナミエ』
関町『歯ぐキング』
根建『歯ぐきりおな』
江崎『歯ぐき職人』
正解は歯ぐきババアでした。
どんな回答よりも答えが一番ひどい気もする(笑)

【二問目】
囲碁将棋のWikiから、
「大学時代は空手部だった。
入部理由は、高校時代に痛烈にモテなかったため大学デビューを狙ったから。
しかし失敗して根建にすら距離を置かれてしまい、大学時代の友人は○○と呼ばれる先輩と、○○と呼ばれる男性しかいなかった。」
という、つまり、文田さんが仲のよかった、ちょっとヤバい人のあだ名を2人当てるというもの。

関町『足立のチーマーと出雲の阿国』
みんな、「これが正解だ!!」と言い出す(笑)
こういうところでぶっこめる関町さんがさすがだなーと惚れ惚れ。

ここで、村上さんが、「○○と○○」という2人の名字を出し。
それが、9期でもう解散しちゃった「人事部」というコンビの2人だったみたい。
客席には全然伝わっていないのに、舞台上だけで、
「人事部だ!」「それ人事部じゃん!!」
「お客さん誰がわかるんだよ!」と言いながら大笑いしてたのが、なんかとてもよかったな。
中村「忍者ネタが鉄板だったあの人事部、誰がわかるんだよ!あはは!」


【三問目】
天狗横山は、大学生時代、元カノとよりを戻そうと○○あげたことがある」
正解は「歌を作ってあげた」
無理矢理歌わされるノリ(笑)

四問目に行く時に、時間がないからあと一問にしようということになり、
残っている問題がしずる、ライス、えんにちに関するものだと。
どれにしようかという話になった時に、中村さんが
中村「えんにちにしようよ。みんなえんにちのこと興味ないから知らないと思うよ」
と言い出す(笑)
これ、中村さんすごいなぁと思ったりした。
確かにライスとしずるのどちらかを選ぶって結構難しいと思うから、
理由を見つけてえんにちにしたとっさの判断。
その理由がひどいんだけどね(笑)
でも笑いに変えることもできて、進行をスムーズにするというとっさの判断、本当にすごいと思った。
ただ、ライスとしずるの問題が何かだけも知りたかったな。気になる。

【四問目】
「9期生内での愛称は「もっちー」「望月」「リョーマ」。旧芸名は○○」

村上『コロンビア大学の苦学生』
この答えに私ひーひー笑ってた(笑) 確かにあーいうアジア系の留学生いそう(笑)

根建『柚木ティナ 現Rio』
この、絶対伝わらないであろうにやり切る感がもうたまらなくおかしくて(笑)

川田『エアコンクラッシャー』
みんな「あー!!あったー!!」
と、これもさっきの人事部のように大盛り上がり(笑)
なにこれ?その話聞きたかったよ(笑)

正解はご存知、テンパー望月。


☆お年玉争奪! 仁義なきゲーム大会

MCえんにち。
このコーナーについてはもう公式レポに書いてある通りということで(笑)
印象に残ってるのは、うどんの汁が飛び散ってしまってみんなわちゃわちゃした後、
松橋さんが何故か小声で、ちょっと恥ずかしそうに、
松橋「みんな、後でシミ抜きしてあげるから!」(笑)
こうやってそれぞれのキャラが確立しはじめていて、
そしてそれきっかけでテレビに出始めているというのが、改めてすごいことだよな、
これも地道な積み重ねだよなぁと実感したりして。

最後は、これからこのライブを定期的にやっていきたいと言った後、
「どげんかせんといかん!!」で終わりとなりました(笑)



OPの時のことが、なんだかすごく心に残りました。
ゆったり感が、「お客さんワーキャー言ってくださいね」と言ったのに、結局お客さんは全然言わなくて(笑)、
その時に橘さんが言ってたこと。
「オレら10年やってるってことは、お客さんも10年見てるってことなんだから、みんなもう飽きてるんだよ」
これを聞いて、飽きてるわけじゃないけど、確かにそうなんだよって思った。
もちろん9期のこと大好きなんだけど、もうワーキャー言う対象ではないというか。
ずーっと一緒に歩んで来た仲間みたいな気持ちになってるんだよ。
「腐れ縁」は言い過ぎですが、感覚としてはそんな感じ。
また橘さんは、そうやって言いながら、お客さんのことを大切にしてくれていると思ったし、
別にそれは新しく好きになったファンに対して排他的ということではなく、そういう人も含めて言っている感じがした。
これも一言で言い表してしまうと、「芸人とファンの慣れ合い」とか「ぬるま湯」って言われてしまうのだろうか。
でもそうではなくてね、
昔から積み上げてきたノリとか、それぞれのキャラとか、
そういうのは、この仲間だから作り上げることができる空気じゃん、特権じゃん。
それも含めて楽しいんだ。
世の中には色々なライブがあって、色々な芸人さんが出ていて、
それぞれの芸人さんの組み合わせによって色んな笑いが生まれるけれど、
化学反応が起こるところというか、一気に笑いが起こるスピードが加速する組み合わせっていうのは、そんなにないと思うんだ。
9期のライブでは、それが見れるのが嬉しい。
見たいものが見れるのが嬉しい。
この組み合わせじゃなければ、ここまでの笑いにはならないんだろうなっていうところが嬉しい。
今、私が見たい組み合わせが見れなくなっているという事態になっているコンビがあるから、
だからこそちょっと、9期に余計に想いをのせてしまっているところがある。

私は、スリーシアターでしずるを見て、その面白さにハマり、
そこから他の9期の芸人さんを知っていった。
だから、9期を好きになろうと決めて期推しし始めた訳じゃなくて、
たまたま一番初めに、期全体を好きになったのが9期だっただけ。
でも、この期を好きになって本当によかったと思っている。
こんなに各コンビの色がはっきりしていて、ネタにそのコンビにしかできない独自性があって、
全員でわちゃわちゃしているときのキャラも定まっていて、
仲良しだけど慣れ合いではなくて、
それぞれがそれぞれの場所で頑張っている期は、なかなかないと思う。
だから、彼らが無限大のトップだった時期に、全然見に行けなかったのが本当に申し訳ない。
これから彼らの主戦場は無限大ではなくなってしまうけれど、
きっと別の場所に行っても9期は9期だ、いい意味で何も変わらないよね。
東京のお笑い界には9期がいる。
それが、どれだけ心強いことか。
変わらないものがほしい。

何年経っても、またこうやってみんなで集まって、わちゃわちゃやってほしいな。
今も昔も、それが私の楽しみであり、幸せ。
ここには9期がいる。