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メディアが黙殺「大飯再稼動反対・ツイッターデモ官邸1万人包囲」掲載赤旗だけ? 商業メディアの終焉 

2012-06-25 | 原発利益共同体 ・ 軍事体制
 ツイッター@広がる官邸抗議

 原発なくせ思い140字に


   「大飯再稼働許すな!官邸1万人包囲」 メディアが黙殺 
        
        商業メディアの終焉 広がるツイッターデモ



(写真)首相官邸に向け「原発再稼働反対!」と訴える人たち=15日、首相官邸前


 3月から毎週おこなわれているこの行動。ネットの口コミで広がり、15日は再稼働に反対する1万2000人が官邸前を埋め尽くしました。

 行動を呼びかけているのは、首都圏反原発連合の有志たち。140字以内の短文で情報をやりとりするツイッターで、参加を呼びかけています。

 首都圏反原発連合とその構成団体である「TwitNoNukes(ツイットノーニュークス)」は、それぞれブログも開設。ツイッターを利用している人が「ツイートボタン」を押せば案内を拡散できる仕組みをつくっています。

 たとえば6月8日の官邸前行動では、ボタンを押した人が5700人余で、参加は約4000人でした。自発的に参加した一人ひとりが感動を込めてツイートし、さらに輪が広がっていきます。

行動には日本共産党をはじめとした超党派の国会議員が駆けつけています。

 1万2000人が集まった15日は、ボタンを押した人数(8600人)を初めて参加者数が上回りました

 野田内閣が大飯原発3、4号機の再稼働を決めたのは16日。翌17日、福井市で開かれた再稼働に反対する集会には全国から2200人が集まりました。

司会者の一人、レゲエミュージシャンのNATER(ナター)さん(24)がマイクで訴えました。「再稼働を決められてしまい、心に葛藤が生まれた。でも官邸前に1万人がつめかけたことを知って勇気が出た。あきらめずにたたかい続ける」

 集会には、首都圏反原発連合のメンバーが東京から駆けつけました。平野太一さん(27)=介護職員=は「再稼働決定で終わりじゃない」と本紙に語り、ミサオ・レッドウルフさん=イラストレーター=も「2万、3万と参加者を増やし、原発をなくしたい」と話しました。

 「なんだ、まともなのは赤旗だけか!」。官邸前行動の盛り上がりは、大手メディアの問題もあぶり出しました。


「メディアが黙殺」

広がるツイッターデモ


(写真)首相官邸に向け「再稼働反対!」と訴える人たち=15日、首相官邸前

 15日の行動を「大飯再稼働許すな 官邸1万人包囲」と1面トップで報じたのは「赤旗」でした。
在京大手メディアは、「朝日」が1段見出しで、ほかは「読売」「毎日」「東京」「産経」も、NHKをはじめとしたテレビ各局も、黙殺しました。

 官邸前行動の報道をめぐって、ツイッターではメディア批判が相次ぎました。

 「これだけ大規模な集会をどうしてメディアは報道しないのか。どのメディアも中立ではないのが残念」

 「首相官邸前に1万2千人集まった抗議集会を日本のマスメディア全てが黙殺した」

 「取材に来ないのはたんに取材に来ないってだけだけど、撮りまくってんのに流さないって、端的に言えば検閲だよね」

 「あんなに沢山(たくさん)のカメラはなんの為だったんだろうね。報道しないんなら、あの場所の分、抗議の人が官邸正面に来れたのに」

 「赤旗」の報道は、日本共産党のホームページにも掲載されました。この記事には1300を超えるツイートが貼られています。

 「首相官邸を1万人が包囲するなんて、日本の現代政治史に残る出来事だと思うが、在京の新聞・テレビには見えないらしい」

 「なんだ、まともなのは赤旗だけか!」

 「赤旗しか報じてないってどういうことよ」

 「私は共産党支持者ではないがたまたま赤旗新聞に不思議な記事を見つけた。大飯原発稼働反対で首相官邸前に11000人規模のデモがあったようだが大手5紙もテレビ局も一切の報道がなかったが何故か? 国家権力による報道の自由の規制か? ここは北朝鮮?」


 「赤旗だけが報じるこの国のマスコミ異常」


 22日、官邸前・関電本店前行動 午後6時から


 首都圏反原発連合の有志たちは、大飯原発再稼働決定の撤回を求めて22日、官邸前で抗議行動をおこないます。大阪市でも市民たちが関西電力本店前で抗議行動をおこないます。いずれも午後6時から8時まで。

 7月29日には、首都圏反原発連合が国会大包囲行動を計画、
 「さようなら原発1000万人アクション」や「原発をなくす全国連絡会」などが協力します。

(しんぶん赤旗2012・6・21)

坂本冬美 岸壁の母を歌い継ぐ 、中村美律子も。

2012-06-25 | 女性VOCAL
岸壁の母 坂本冬美


歌手の坂本冬美が、師匠の二葉百合子のヒット曲「岸壁の母」を歌い継ぐ。
 NHKの情報番組「ゆうどきネットワーク」(6月25日)で、放送されました。

 
 体調を崩された後、この歌を聞いたことで歌手生活の復活を決心し、
 心で歌ってくれ、と引退する二葉さんから歌を託される。
 それはもう、すごいプレッシャー だそうで、感極まってらっしゃいました。
 戦争を知らない世代で、子どももいませんが、なんとかこの歌、思いを伝えたいと。
 
 以前、当ブログの中での、坂本冬美さん情報←こちら

 忌野清志郎さんとのデュエットや、赤旗日曜版の、創刊50周年記念コメントも。

 ファンの方はご覧くださいませ。 

 別に怪しいもんじゃございません。
 忙しいので、これにて。

 昨日の狛江市長選挙の結果が・・・ほんと信じられん。
 なんでじゃ。いったいどこを見とるんじゃぁ~~~~

 
 『 岸壁の母 中村美律子 Nakamura Mitsuko 』
 『 梅と兵隊  中村美律子 Nakamura Mitsuko  』

  ↑吾輩の母親が同級生だったそうで。
  中学生の頃から稼いでらっしゃったそうです。上手いですよねぇ。

BRAHMAN「賽の河原」 TOSHI-LOWさん 嫌なものは嫌と歌う 誇れる生き方したい

2012-06-25 | 忌野清志郎 と 反原発ソング
BRAHMAN「賽の河原」



女優・りょうさんのだんなさんなんですね~。


 
震災・原発に挑む

ロックバンド・BRAHMAN  TOSHI-LOWさん

嫌なものは嫌と歌う 誇れる生き方したい


 脱原発を音楽で訴える「NO NUKES 2012」(7月7、8日、千葉県・幕張メッセ)に出演するロックバンド・BRAHMAN(ブラフマン)。昨年の東日本大震災以降、被災地への支援を積極的に行っています。ボーカルのTOSHI‐LOW(トシロウ)さんに話を聞きました。


 東日本大震災と原発事故では、勉強させてもらいました。自分がいかに狭い世界で生きてきたのか、おどらされてきたのか―。知らないことがいっぱいあったことに、気づかせてもらいました。

 日本ってまともだと思っていたけど、政府やマスコミが平気でうそをつくことを知りました。原発は「安全神話」だったわけで、報道も都合のいいように事実がねじ曲げられているということに驚いた。戦争が始まるときってこんな感じなのかなと思いました。

 出身が茨城県の水戸市なので、震災後、友人がいる北茨城にいきました。正直、行くまでは、高揚感みたいなものがあったんです。

避難所での一言

 避難所に着いて、友人のお母さんに「一緒に避難しますか」と聞いたら、「介護の仕事をしているから、私たちがいなかったら困るお年寄りがいる。避難できない」と言われました。そこで自分がヒーロー気どりでいたことに気づいた。がつんとやられて、ぶっ壊されました。それからは被災地に物資を持って行ったり、ライブもやったり、どんどん動けるようになった。そのお母さんの一言があったからです。

 支援活動はメンバーもスタッフも理解してくれて、一緒にやりました。震災は、自分のくもった目も、とっぱらってくれた。

 行った先の避難所で、みんなが助け合っている姿は自分の想像をはるかに超えていました。人は生きていくために奪い合うかもしれないが、分け合うこともできるんだと教えてくれました。自分なら後者を選びたい。

 ミュージシャンとして、自分たちが社会的な活動をするということ、音楽に政治的なものを持ち込んでしまうことがどうなのかなと思っていましたが、結局あふれるものを抑えることができなかった。

“復興”自分にも

 震災前の歌は、悔いなく生きると歌いながら、死に焦点があたっていた気がしますね。震災があって、自分はすごく生きたいんだと気づいた。生きていくために死と向き合わなければいけないんだと。簡単に生きてないか、避けていないかと考え、自分の意志で生きていきたい。今回の震災で、自分が一番復興させてもらったのかもしれません。

 今度、「NO NUKES 2012」に出演します。放射能とか核のゴミとか、いま処理できないものを次世代に残すっていうだけで、俺の中で原発はアウト。安全だと言っていたのに、もれたわけじゃないですか。原発を推進する理由は客観的にみて少ない。そこに利益がある人以外は。国民の人たちも分かってますよ。

 俺たちの世代で、何もかもが変えられるわけではないと思う。でも、いやなものはいやだと歌うことで、次の若いやつが出てくると信じています。

 子どもが生まれるまで、先祖のことを知らなかった。位牌の裏に7代くらい前までの人のことが書いてある。江戸時代のなんです。じいちゃんや、そのまたじいちゃんがいたから、自分がいて、いま子どもを抱いている。

 2011年という年は、歴史の教科書に載るでしょう。いつか自分にも孫が生まれて、孫が大震災と原発事故のことを習ったとき、「あのとき、じいちゃん何やっていたの?」と聞かれるかもしれない。自分がやってきたことを誇れるかどうかは、自分で決めることができます。勝ち負けじゃない。いまを人間らしく、胸を張って生きていきたい。
(しんぶん赤旗2012・6・25)

 聞き手・栗原千鶴 写真・吉武克郎