田中優 「本物の脱原発の見分け方」 (2012.9.3).wmv
原発関連脱原発 各党の姿勢は? 反原連ポスター
☆彡 みんなで撒こう! (公職選挙法にゃ触れないにゃろ)
首都圏反原発連合(反原連)が開始した「脱原発『あなたの選択』キャンペーン」は、「今回の総選挙は『脱原発』にとっては正念場! いまこそ連携・団結して脱原発議員を国会へ送りこもう!」というもので、フライヤー(ビラ)とポスターは、「どの政党、どの議員が本当に脱原発を果たしてくれるのか」を考える資料として作製されました。
反原連は、「原発即時ゼロ」を訴えている立場から15政党の政策を評価。各党の政策が一覧で紹介され、「脱原発」「段階的脱原発」「原発維持に近い脱原発」「原発維持/推進」の印がつけられています。フライヤーは、次のように呼びかけています。
「国政選挙を前にして、政権党である民主党をはじめ、ほとんどの政党が、日本は今後『脱原発』に向かうべきだと、言葉では表明しています。しかし、各党の具体的な政策を見てみると、多くの政党は、本気で『脱原発』を行う意志があるようには見えません。日本から原発をなくすために、私たち有権者はどの政党に未来を託せばいいのでしょうか。この一覧を参考にして、しっかりと各政党の姿勢を見極めてください」
フライヤーは反原連のサイトからPDFファイルとして入手できます(A4サイズ)。フライヤーは50枚から、ポスター(B2サイズ)は1枚から、反原連に請求することができます。送料を含めて無料。
「脱原発『あなたの選択』キャンペーン」のサイト
http://coalitionagainstnukes.jp/?page_id=1855
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集団的自衛権行使を明記
自民が政権公約 「国防軍」 創設も
自民党は21日、衆院選の政権公約を発表しました。外交・安全保障分野では、憲法改悪によって自衛隊を「国防軍」として位置づけるほか、海外での武力行使を可能とする集団的自衛権の行使を盛り込んだ「国家安全保障基本法」の制定を明記。米国とともに「戦争する国」づくりを明確に打ち出しました。
外交では、官邸の司令塔機能を強化するとして米国にならって国家安全保障会議(NSC)を設置するほか、自衛隊の人員・予算の拡充や、領海警備の強化など軍事偏重・対外強硬路線を露骨に提示。領土問題では、尖閣諸島への公務員の常駐で現状変更する方針です。
教育分野では「首長が任命する教育長を教育委員会の責任者とする」など、教育への権力介入の方針を盛り込みました。
また、教科書検定基準の抜本改定としてアジア諸国への記述に「配慮」するとしてきた「近隣諸国条項」の見直しをあげ、歴史教科書の書きかえを狙っています。
エネルギー政策では▽全原発の再稼働を3年以内に順次判断▽10年以内に電源構成のベストミックスを確立―としており、再稼働・原発継続の方針を明示しました。
経済政策では、明確な物価目標(2%)を設定し、日銀法改定も視野に大胆な金融緩和を図るとして、経済界からも異論が出ている政策をかかげました。「国土強靭(きょうじん)化」として大型公共事業推進による、破たんした旧来の景気対策も盛り込んでいます。
環太平洋連携協定(TPP)への参加については「聖域なき関税撤廃を前提にする限り、交渉参加に反対」とあいまいな表現にとどめたものの、安倍晋三総裁は発表会見で「要は交渉力の有無が問われる」と含みをもたせました。
海外で戦争する道
志位委員長が批判
日本共産党の志位和夫委員長は21日、自民党が自衛隊を「国防軍」と位置づける憲法改定案を出し、集団的自衛権の行使を可能とする政権公約を示したことについて、遊説先の千葉県習志野市内で記者団から問われ、「海外でアメリカと一緒に戦争をやる国に日本をつくりかえる動きだ」と批判しました。
志位氏は「これまで政府は『集団的自衛権の行使はできない、日本が武力攻撃を受けていないもとでの武力行使は憲法が許さない』といってきた。
この最後の一線を踏み越えて憲法を踏みつけにし、さらに憲法そのものを変えて、海外での戦争を大手を振ってやろうということだ」と強調。
「私たちは憲法9条を断固守り抜き、これを生かした平和外交で世界とアジアの平和に貢献する日本をめざす」と表明しました。
(しんぶん赤旗2012・11・22)
☆彡 みんなで撒こう! (公職選挙法にゃ触れないにゃろ)
首都圏反原発連合(反原連)が開始した「脱原発『あなたの選択』キャンペーン」は、「今回の総選挙は『脱原発』にとっては正念場! いまこそ連携・団結して脱原発議員を国会へ送りこもう!」というもので、フライヤー(ビラ)とポスターは、「どの政党、どの議員が本当に脱原発を果たしてくれるのか」を考える資料として作製されました。
反原連は、「原発即時ゼロ」を訴えている立場から15政党の政策を評価。各党の政策が一覧で紹介され、「脱原発」「段階的脱原発」「原発維持に近い脱原発」「原発維持/推進」の印がつけられています。フライヤーは、次のように呼びかけています。
「国政選挙を前にして、政権党である民主党をはじめ、ほとんどの政党が、日本は今後『脱原発』に向かうべきだと、言葉では表明しています。しかし、各党の具体的な政策を見てみると、多くの政党は、本気で『脱原発』を行う意志があるようには見えません。日本から原発をなくすために、私たち有権者はどの政党に未来を託せばいいのでしょうか。この一覧を参考にして、しっかりと各政党の姿勢を見極めてください」
フライヤーは反原連のサイトからPDFファイルとして入手できます(A4サイズ)。フライヤーは50枚から、ポスター(B2サイズ)は1枚から、反原連に請求することができます。送料を含めて無料。
「脱原発『あなたの選択』キャンペーン」のサイト
http://coalitionagainstnukes.jp/?page_id=1855
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集団的自衛権行使を明記
自民が政権公約 「国防軍」 創設も
自民党は21日、衆院選の政権公約を発表しました。外交・安全保障分野では、憲法改悪によって自衛隊を「国防軍」として位置づけるほか、海外での武力行使を可能とする集団的自衛権の行使を盛り込んだ「国家安全保障基本法」の制定を明記。米国とともに「戦争する国」づくりを明確に打ち出しました。
外交では、官邸の司令塔機能を強化するとして米国にならって国家安全保障会議(NSC)を設置するほか、自衛隊の人員・予算の拡充や、領海警備の強化など軍事偏重・対外強硬路線を露骨に提示。領土問題では、尖閣諸島への公務員の常駐で現状変更する方針です。
教育分野では「首長が任命する教育長を教育委員会の責任者とする」など、教育への権力介入の方針を盛り込みました。
また、教科書検定基準の抜本改定としてアジア諸国への記述に「配慮」するとしてきた「近隣諸国条項」の見直しをあげ、歴史教科書の書きかえを狙っています。
エネルギー政策では▽全原発の再稼働を3年以内に順次判断▽10年以内に電源構成のベストミックスを確立―としており、再稼働・原発継続の方針を明示しました。
経済政策では、明確な物価目標(2%)を設定し、日銀法改定も視野に大胆な金融緩和を図るとして、経済界からも異論が出ている政策をかかげました。「国土強靭(きょうじん)化」として大型公共事業推進による、破たんした旧来の景気対策も盛り込んでいます。
環太平洋連携協定(TPP)への参加については「聖域なき関税撤廃を前提にする限り、交渉参加に反対」とあいまいな表現にとどめたものの、安倍晋三総裁は発表会見で「要は交渉力の有無が問われる」と含みをもたせました。
海外で戦争する道
志位委員長が批判
日本共産党の志位和夫委員長は21日、自民党が自衛隊を「国防軍」と位置づける憲法改定案を出し、集団的自衛権の行使を可能とする政権公約を示したことについて、遊説先の千葉県習志野市内で記者団から問われ、「海外でアメリカと一緒に戦争をやる国に日本をつくりかえる動きだ」と批判しました。
志位氏は「これまで政府は『集団的自衛権の行使はできない、日本が武力攻撃を受けていないもとでの武力行使は憲法が許さない』といってきた。
この最後の一線を踏み越えて憲法を踏みつけにし、さらに憲法そのものを変えて、海外での戦争を大手を振ってやろうということだ」と強調。
「私たちは憲法9条を断固守り抜き、これを生かした平和外交で世界とアジアの平和に貢献する日本をめざす」と表明しました。
(しんぶん赤旗2012・11・22)
何が何だか分からん、野合で政策の違いが見えない、どこの党に入れても大して変わらないとお考えの方へ。
ここに挙がっているしんぶん赤旗とかいう政党機関紙でもチェックしてみませんかにゃ
東京新聞【社説】
政党紙配布判決 言論を封殺せぬように 2012年12月8日
政党紙を配布した国家公務員二人に最高裁が、無罪と有罪の分かれた判決を出した。
ビラ配布を相次いで摘発した日本政府に国連が「懸念」を表明していた。自由な言論が封殺されぬことを望む。
「憲法九条は日本国民の宝」
そんな内容の新聞を配布しただけで、男性は逮捕された。共産党の機関紙「赤旗」で、男性が旧社会保険庁の職員だったからだ。公務員の政治的中立を求めた国家公務員法違反に問われた。
逮捕は二〇〇四年だ。最高裁で「無罪」となるまで、実に八年間も要した。あきれるほど長い。
捜査自体も異様だったといえる。男性は二十九日間も尾行された。多い時は十一人もの捜査員を繰り出し、四台の捜査車両を使い、六台のビデオカメラを回した。そんな人員と税金を投入するほど、重大な事件なのだろうか。
当時は、自衛隊のイラク派遣に「反対」と書いたビラを配布した市民団体や、政党ビラを配った僧侶らも相次いで摘発された。いずれも政府批判の言論ばかりが、狙い撃ちされた印象だった。
国連の自由権規約委員会は〇八年に「懸念」を表明し、日本政府に表現の自由への不合理な制限を撤廃すべきだと勧告した。
欧米などの先進諸国は、勤務時間外や勤務場所以外の政治活動は自由である。公務と私生活を区別せず、全面的に政治活動を禁止し、反すると刑事罰を与えているのは、日本だけといわれる。今回の無罪判決は、国家公務員法の「政治的行為の制限」に風穴をあけた意味を持つ。
二人の裁判は「政治的中立性を損なう恐れが実質的に認められるか」が、判断の分かれ目だった。厚生労働省の元課長補佐の場合は、その地位を重くみて、「行政の中立的運営に影響を及ぼす」とされ、有罪となった。
だが、反対意見も付いている。被告が「一市民として行動している」と考え、「無罪とすべきだ」と述べたのだ。同じ政党紙配布という行為でありながら、無罪・有罪と食い違ったのは、説得力に乏しい。
そもそも公務員を完全に政治的中立とすること自体が、“虚構”の上に成り立っていないか。法改正も検討するべきだ。
言論ビラの配布は、表現の自由の一手段だ。政府への批判は、民主主義の“栄養分”である。国の行方が見えぬ時代こそ、モノを言う自由を大事にしたい
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しんぶん赤旗HPあります
ここに挙がっているしんぶん赤旗とかいう政党機関紙でもチェックしてみませんかにゃ
東京新聞【社説】
政党紙配布判決 言論を封殺せぬように 2012年12月8日
政党紙を配布した国家公務員二人に最高裁が、無罪と有罪の分かれた判決を出した。
ビラ配布を相次いで摘発した日本政府に国連が「懸念」を表明していた。自由な言論が封殺されぬことを望む。
「憲法九条は日本国民の宝」
そんな内容の新聞を配布しただけで、男性は逮捕された。共産党の機関紙「赤旗」で、男性が旧社会保険庁の職員だったからだ。公務員の政治的中立を求めた国家公務員法違反に問われた。
逮捕は二〇〇四年だ。最高裁で「無罪」となるまで、実に八年間も要した。あきれるほど長い。
捜査自体も異様だったといえる。男性は二十九日間も尾行された。多い時は十一人もの捜査員を繰り出し、四台の捜査車両を使い、六台のビデオカメラを回した。そんな人員と税金を投入するほど、重大な事件なのだろうか。
当時は、自衛隊のイラク派遣に「反対」と書いたビラを配布した市民団体や、政党ビラを配った僧侶らも相次いで摘発された。いずれも政府批判の言論ばかりが、狙い撃ちされた印象だった。
国連の自由権規約委員会は〇八年に「懸念」を表明し、日本政府に表現の自由への不合理な制限を撤廃すべきだと勧告した。
欧米などの先進諸国は、勤務時間外や勤務場所以外の政治活動は自由である。公務と私生活を区別せず、全面的に政治活動を禁止し、反すると刑事罰を与えているのは、日本だけといわれる。今回の無罪判決は、国家公務員法の「政治的行為の制限」に風穴をあけた意味を持つ。
二人の裁判は「政治的中立性を損なう恐れが実質的に認められるか」が、判断の分かれ目だった。厚生労働省の元課長補佐の場合は、その地位を重くみて、「行政の中立的運営に影響を及ぼす」とされ、有罪となった。
だが、反対意見も付いている。被告が「一市民として行動している」と考え、「無罪とすべきだ」と述べたのだ。同じ政党紙配布という行為でありながら、無罪・有罪と食い違ったのは、説得力に乏しい。
そもそも公務員を完全に政治的中立とすること自体が、“虚構”の上に成り立っていないか。法改正も検討するべきだ。
言論ビラの配布は、表現の自由の一手段だ。政府への批判は、民主主義の“栄養分”である。国の行方が見えぬ時代こそ、モノを言う自由を大事にしたい
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しんぶん赤旗HPあります
俳優の小沢昭一さんが、残念ながら亡くなられたそうです。といっても、吾輩はお顔しか存じませんが。
でも講演やラジオでパーソナリティなどで、社会的に貢献されていたようですにゃ。
そういえば、先日亡くなられた森光子さんも、今年6月に亡くなられた地井武男さんも、何度かしんぶん赤旗に出ておられましたが、
小沢さんも、以前2009年頃のしんぶん赤旗の「だから私は日本共産党」の欄に、あさのあつこさんらと共にお出になっていて、いいことおっしゃってたのでいつか載せようと思っていたのですが、捨ててしまったらしく・・・
代わりにといってはなんですが、他の方のインタビューシリーズでもどうぞ。
漫画家 ちばてつや さん しんぶん赤旗インタビュー
「あしたのジョー」で圧倒的な人気を博した、ちばてつやさん。初めての絵本『ごあいさつ』(講談社)を出しました。
カナダに住む3人の孫に語りかけるように描きました。
今はお話したり、遊んでやることはできないけれど、どこで暮らそうと、みんなにちゃんとあいさつし、仲良くするんだよと。
漫画はこま割り、絵本は見開き。初めての絵本を、大きい絵でのびのびと書きました。
一方ー。「色彩、世界観、メッセージ。子どもにわかりやすい表現というのは難しい。難しいことを分かりやすく。うちの生徒にも、そう言ってるんです」
*
「うち」とは、文星芸術大学(宇都宮市)。ちばさんは、マンガ専攻の教授です。ことし4年になります。
今の若者たちは、初めから絵がうまいといいます。子どものときからマンガやアニメゲームなどの映像を見て育っているからと。
だが、若いマンガかも含め、少し気になることは、主人公たちの目が冷たいことです。世の中を恨んだり、自分の運命をのろったり。恨みがましい目が多い、と。
「若い人は将来に不安があったり、希望がもてなかったり。そういう時代を映しているのだろうとは思います。でも、夢のある作品を描いてほしい」
ちばさんが漫画を通して伝えるのは、夢に向かって生きるひたむきさ、人間賛歌です。
* *
1945年8月、ちばさん一家は「満州」(中国北東部)の奉天。8月、侵入してきたソ連軍におびえながら転々としました。一家が身を潜めたのは狭い屋根裏部屋。父の友人で中国人の徐集川さんの家でした。
外には出られず、退屈な日々。6歳のてつや少年は、3人の弟たちのためにお話を考え紙芝居を作りました。
「漫画家への原点です。弟たちがせかすので、色など塗っていられない。でも、線描だけのつたない絵でも人を喜ばせることができる、と気がついた」
敗戦。地獄の旅を経て引き上げ船で帰国。高校の頃両親が相次いで入院。家計が長男てつやさんの肩にのしかかります。
いくつものアルバイトの末、漫画家になりました。
敗戦から64年。今年『昭和二十年の絵手紙 私の八月十五日』の中国語版が出版されました。漫画家や作家101人の作品集です。8月には、その原画展が中国の南京虐殺記念館で開かれます。ちばさんも訪れます。
「戦争は残酷なものです。憲法9条を変えようという動きもあります。改憲したら、戦後大切にしてきたものが、ガラガラと崩れてしまうのが怖いのです。戦争の『残酷な現実』をできる限り後世に伝えていきたい」
玄間太郎記者 撮影・佐藤光信記者
ちばてつや
1939年、東京生まれ。56年、単行本作品でプロデビュー。58年『ママのバイオリン』で連載を始め、61年『ちかいの魔球』で週間少年誌デビュー。作品に『ハリスの旋風』『おれは鉄兵』『のたり松太郎』など多数。講談社児童まんが賞、小学館まんが賞、紫綬褒章など受賞。日本漫画家協会常務理事。
(しんぶん赤旗 日曜版 2009年6月7日号)
アンパンマン作者 やなせたかし さん しんぶん赤旗インタビュー
少しの勇気でヒーローに
今年90歳、画業60年を迎えます。すでに新刊を6冊。旺盛な仕事ぶりです。
「生きている間は、人を喜ばせながら暮らしていこうかと」 が、満身創痍。肝臓がんや膀胱がんを手術、再発、手術。
2年半で10回手術。すい臓は3分の2しかありません。
「具合が悪くとも、仕事をしていると忘れちゃう。不思議だねぇ」
新刊『足みじかおじさんの旅』(新日本出版社)は、おとなのメルヘン。あしながおじさんほど有名ではない。カッコよくも勇ましくもない。でも、人の心の叫びを聞きつけて助けに現れる。
「さほどのことはできない。懐疑的になったりもする。本当に人を助けているのだろうか、と」誰かに似ている?そう、アンパンマンです。
真っ赤な飛行服にこげ茶色のマントをひるがえし、空を飛ぶ。お腹がすいて死にそうな人に、自分の顔をちぎって食べさせる。
「正義の味方だが弱いんだ。ちょっと顔がぬれただけで、『力が出ない』と助けを求める。それでも勇気を出してたたかうから、みんなのヒーロー」絵本『アンパンマン』シリーズは、5500万部出ています。
* *
アンパンマンは、作者の戦争体験から生まれました。1941年、福岡の小倉野戦重砲隊に入隊。中国・福州(福建省)の野戦重砲部隊へ。
「軍隊の訓練は厳しかった。殴る蹴るの制裁もあった。でも、飢えがいちばんつらい」
敗戦を迎えたのは、上海に近い泗渓鎮(しけいちん)。ショックでしたが、内心ほっとしました。
戦後、漫画やテレビのヒーローが続々。スーパーマンや月光仮面、鉄腕アトムや仮面ライダー・・・。みんな強くてカッコいい。でも、何かが違う。正義の味方なら、まず餓死寸前の子どもたちを救うのではないか。ちょっと変わったヒーロー、アンパンマンの誕生でした。
「どんなことがあっても、戦争はすべきではない。戦争とは、正義の戦いという美名のもとに国家が殺人を奨励することだ」
敗戦から64年。自身も作品を寄せた『昭和二十年の絵手紙 私の八月十五日』の中国語版が出版されました。その原画展を八月、中国の南京虐殺記念館で開催します。「私の八月十五日の会」は、作品「百年後の八月十五日」に取り組みます。
「100年後? 最大の環境破壊は、戦争。地球温暖化も大問題。もう国と国が争っている場合じゃないよ。地球が危ない。人類が生き残れるかどうかだ」
玄間太郎記者 撮影・菊地信夫
やなせたかし
1919年東京生まれ、高知県育ち。漫画家、詩人、作詞家。アンパンマンは、日本漫画家協会大賞などを受賞。「アンパンマン」が、1768体で「最もキャラクターの多いアニメシリーズ」として、ギネス世界記録に認定。作詞の代表作は「手のひらを太陽に」。現在、日本漫画家協会理事長。
(しんぶん赤旗 日曜版 2009年7月26日号)
この日曜版2009年7月26日号の一面には、
映画監督の降旗康男さんの、2009年総選挙に向けた、日本共産党への激励コメントが載っておりました。
これまた支持者の浅田次郎作品・高倉健主演の『鉄道員(ぽっぽや)』、「ホタル」、「単騎、千里を走る。」(チャン・イーモウと共同監督)、妻夫木聡主演の「憑神(つきがみ)」など。。
「不況、そしてリストラが横行する時代に、共産党が伸びなければおかしいのです。中途半端ではなく伸びてほしい。奮闘を期待しています。」と、締めくくられております。
まぁ、3年前のハナシです。。。今回も伸びなさそうですが。。。
でも講演やラジオでパーソナリティなどで、社会的に貢献されていたようですにゃ。
そういえば、先日亡くなられた森光子さんも、今年6月に亡くなられた地井武男さんも、何度かしんぶん赤旗に出ておられましたが、
小沢さんも、以前2009年頃のしんぶん赤旗の「だから私は日本共産党」の欄に、あさのあつこさんらと共にお出になっていて、いいことおっしゃってたのでいつか載せようと思っていたのですが、捨ててしまったらしく・・・
代わりにといってはなんですが、他の方のインタビューシリーズでもどうぞ。
漫画家 ちばてつや さん しんぶん赤旗インタビュー
「あしたのジョー」で圧倒的な人気を博した、ちばてつやさん。初めての絵本『ごあいさつ』(講談社)を出しました。
カナダに住む3人の孫に語りかけるように描きました。
今はお話したり、遊んでやることはできないけれど、どこで暮らそうと、みんなにちゃんとあいさつし、仲良くするんだよと。
漫画はこま割り、絵本は見開き。初めての絵本を、大きい絵でのびのびと書きました。
一方ー。「色彩、世界観、メッセージ。子どもにわかりやすい表現というのは難しい。難しいことを分かりやすく。うちの生徒にも、そう言ってるんです」
*
「うち」とは、文星芸術大学(宇都宮市)。ちばさんは、マンガ専攻の教授です。ことし4年になります。
今の若者たちは、初めから絵がうまいといいます。子どものときからマンガやアニメゲームなどの映像を見て育っているからと。
だが、若いマンガかも含め、少し気になることは、主人公たちの目が冷たいことです。世の中を恨んだり、自分の運命をのろったり。恨みがましい目が多い、と。
「若い人は将来に不安があったり、希望がもてなかったり。そういう時代を映しているのだろうとは思います。でも、夢のある作品を描いてほしい」
ちばさんが漫画を通して伝えるのは、夢に向かって生きるひたむきさ、人間賛歌です。
* *
1945年8月、ちばさん一家は「満州」(中国北東部)の奉天。8月、侵入してきたソ連軍におびえながら転々としました。一家が身を潜めたのは狭い屋根裏部屋。父の友人で中国人の徐集川さんの家でした。
外には出られず、退屈な日々。6歳のてつや少年は、3人の弟たちのためにお話を考え紙芝居を作りました。
「漫画家への原点です。弟たちがせかすので、色など塗っていられない。でも、線描だけのつたない絵でも人を喜ばせることができる、と気がついた」
敗戦。地獄の旅を経て引き上げ船で帰国。高校の頃両親が相次いで入院。家計が長男てつやさんの肩にのしかかります。
いくつものアルバイトの末、漫画家になりました。
敗戦から64年。今年『昭和二十年の絵手紙 私の八月十五日』の中国語版が出版されました。漫画家や作家101人の作品集です。8月には、その原画展が中国の南京虐殺記念館で開かれます。ちばさんも訪れます。
「戦争は残酷なものです。憲法9条を変えようという動きもあります。改憲したら、戦後大切にしてきたものが、ガラガラと崩れてしまうのが怖いのです。戦争の『残酷な現実』をできる限り後世に伝えていきたい」
玄間太郎記者 撮影・佐藤光信記者
ちばてつや
1939年、東京生まれ。56年、単行本作品でプロデビュー。58年『ママのバイオリン』で連載を始め、61年『ちかいの魔球』で週間少年誌デビュー。作品に『ハリスの旋風』『おれは鉄兵』『のたり松太郎』など多数。講談社児童まんが賞、小学館まんが賞、紫綬褒章など受賞。日本漫画家協会常務理事。
(しんぶん赤旗 日曜版 2009年6月7日号)
アンパンマン作者 やなせたかし さん しんぶん赤旗インタビュー
少しの勇気でヒーローに
今年90歳、画業60年を迎えます。すでに新刊を6冊。旺盛な仕事ぶりです。
「生きている間は、人を喜ばせながら暮らしていこうかと」 が、満身創痍。肝臓がんや膀胱がんを手術、再発、手術。
2年半で10回手術。すい臓は3分の2しかありません。
「具合が悪くとも、仕事をしていると忘れちゃう。不思議だねぇ」
新刊『足みじかおじさんの旅』(新日本出版社)は、おとなのメルヘン。あしながおじさんほど有名ではない。カッコよくも勇ましくもない。でも、人の心の叫びを聞きつけて助けに現れる。
「さほどのことはできない。懐疑的になったりもする。本当に人を助けているのだろうか、と」誰かに似ている?そう、アンパンマンです。
真っ赤な飛行服にこげ茶色のマントをひるがえし、空を飛ぶ。お腹がすいて死にそうな人に、自分の顔をちぎって食べさせる。
「正義の味方だが弱いんだ。ちょっと顔がぬれただけで、『力が出ない』と助けを求める。それでも勇気を出してたたかうから、みんなのヒーロー」絵本『アンパンマン』シリーズは、5500万部出ています。
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アンパンマンは、作者の戦争体験から生まれました。1941年、福岡の小倉野戦重砲隊に入隊。中国・福州(福建省)の野戦重砲部隊へ。
「軍隊の訓練は厳しかった。殴る蹴るの制裁もあった。でも、飢えがいちばんつらい」
敗戦を迎えたのは、上海に近い泗渓鎮(しけいちん)。ショックでしたが、内心ほっとしました。
戦後、漫画やテレビのヒーローが続々。スーパーマンや月光仮面、鉄腕アトムや仮面ライダー・・・。みんな強くてカッコいい。でも、何かが違う。正義の味方なら、まず餓死寸前の子どもたちを救うのではないか。ちょっと変わったヒーロー、アンパンマンの誕生でした。
「どんなことがあっても、戦争はすべきではない。戦争とは、正義の戦いという美名のもとに国家が殺人を奨励することだ」
敗戦から64年。自身も作品を寄せた『昭和二十年の絵手紙 私の八月十五日』の中国語版が出版されました。その原画展を八月、中国の南京虐殺記念館で開催します。「私の八月十五日の会」は、作品「百年後の八月十五日」に取り組みます。
「100年後? 最大の環境破壊は、戦争。地球温暖化も大問題。もう国と国が争っている場合じゃないよ。地球が危ない。人類が生き残れるかどうかだ」
玄間太郎記者 撮影・菊地信夫
やなせたかし
1919年東京生まれ、高知県育ち。漫画家、詩人、作詞家。アンパンマンは、日本漫画家協会大賞などを受賞。「アンパンマン」が、1768体で「最もキャラクターの多いアニメシリーズ」として、ギネス世界記録に認定。作詞の代表作は「手のひらを太陽に」。現在、日本漫画家協会理事長。
(しんぶん赤旗 日曜版 2009年7月26日号)
この日曜版2009年7月26日号の一面には、
映画監督の降旗康男さんの、2009年総選挙に向けた、日本共産党への激励コメントが載っておりました。
これまた支持者の浅田次郎作品・高倉健主演の『鉄道員(ぽっぽや)』、「ホタル」、「単騎、千里を走る。」(チャン・イーモウと共同監督)、妻夫木聡主演の「憑神(つきがみ)」など。。
「不況、そしてリストラが横行する時代に、共産党が伸びなければおかしいのです。中途半端ではなく伸びてほしい。奮闘を期待しています。」と、締めくくられております。
まぁ、3年前のハナシです。。。今回も伸びなさそうですが。。。