WHEN I FALL IN LOVE jammin' Zeb
.New York Life - jammin' Zeb .
ジャミン・ゼブ 吾輩の押しメンは右端の一番小さいLensei(オーストラリアとのハーフ)で。
ちなみに簡単に紹介すると、
最低音をよく出す一番大きい人が最年少シモンさん(メキシコとのハーフ)、
左端風っぽい声の人が最年長コージローさん(リーダー・純日本人)、
甘く奥行きのある声質の人がスティーブさん(血は日本人)
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チョコレート 意外に知られていない事実
東京・上野 「チョコレート展」 (上野公園の国立科学博物館で2月24日まで開催中)
実が幹から直接生えてぶら下がっているカカオの木の標本や花粉を運ぶヌカカなど、チョコを支える生態系の微妙なバランスを伝えます。
中南米先住民の飲み物だったチョコレートが、何人ものヨーロッパ人の発明を経て、今の固形食品に。
その歴史を経て確立された複雑な製造工程を、チョコレート工場にもした会場内で、カカオ豆になったつもりで疑似体験できます。
熱風を浴びたり、粉にされたりの数奇な運命をくぐりぬければ、チョコ通の出来上がりかも。
月曜休館。 問い合わせ 03(5777)8600 ハローダイヤル
^・~・^ ^・ー・^ ^・v・^ ^・ー・^ ^・~・^
チョコレートの散歩道 ③
16世紀にカカオがヨーロッパに入ってから300年ほど経つと、次の四つの大きな発明によって、それまでの飲み物から「室温では固まって、口に入れるとサッと解けて、甘さと苦味が口いっぱいに広がる」チョコへ生まれ変わった。
第一は、焙炒したカカオ豆の中身を磨砕してできる濃厚なカカオマスの液体から、油であるココアバターを搾り出してココア粉末を作る発明。
1828年、オランダのバン・ホーテンが人力で試みて成功。 その後に蒸気機関を使った。
第二は、1848年、イギリスのジョン・フライによる「食べるチョコレート」の発明。
カカオと砂糖の粉末に、ココアバターを加えて温めることで滑らかなチョコレート液体を作り、それを型に入れて冷やした。
第三は、スイスのダニエル・ペーターによるミルクチョコレートの発明。
1875年、彼は8年間の苦労の末に、本来は混じらない水(ミルク)と油(カカオマス)を強力に撹拌して混ぜ合わせることに成功。
最後は、1879年のスイスのルドルフ・リンツによるコンチング(ココアバターを均一にいきわたらせる技術)の発明。
滑らかな口どけのチョコレートができた。
これらの発明は、現在でも使われている。
このほかにも、カカオマスと砂糖を磨砕する方法は、石の上での手作業から花崗岩を回転させる機械へと進歩した。
それには、スイスやスペインなどでの複数の発明が積み重ねられた。
これらの発明には、歴史の必然が働いている。
まず、蒸気機関を代表とする動力革命がある。大量のカカオマスを温めて磨砕するには、大きなエネルギーを必要とした。
機械や器具を作る材料の進歩もあった。
さらにカカオプランテーションが広がってカカオ豆の生産が増え、貿易の振興で関税も下がった。
そして最も重要なことは、19世紀が王権君主制の封建社会から民主主義の産業市民社会へ移行し始める次期で、国民の生活水準が向上してチョコレート消費が増え、これらの技術の進歩を求めたことである。
(佐藤清隆 広島大学名誉教授)
しんぶん赤旗 日刊紙2012年3月21日(水)文化面 水曜エッセー
病気とかも、患者数が多い病気ほど、治療法が進歩しやすいしにゃ。 中でも日本は都合良く儲かるアテのにゃい研究に対しては、国の援助協力姿勢がナッテニャイみたいだけど。 原発とか儲かりそうにゃものには、惜しみにゃく税金つぎこむけど。 日本では君主制がよみがえり財界君主制ににゃったのかと疑うほど民主主義の市民社会から逆行していますにゃ。
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ジャミン・ゼブ 吾輩の押しメンは右端の一番小さいLensei(オーストラリアとのハーフ)で。
ちなみに簡単に紹介すると、
最低音をよく出す一番大きい人が最年少シモンさん(メキシコとのハーフ)、
左端風っぽい声の人が最年長コージローさん(リーダー・純日本人)、
甘く奥行きのある声質の人がスティーブさん(血は日本人)
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チョコレート 意外に知られていない事実
東京・上野 「チョコレート展」 (上野公園の国立科学博物館で2月24日まで開催中)
実が幹から直接生えてぶら下がっているカカオの木の標本や花粉を運ぶヌカカなど、チョコを支える生態系の微妙なバランスを伝えます。
中南米先住民の飲み物だったチョコレートが、何人ものヨーロッパ人の発明を経て、今の固形食品に。
その歴史を経て確立された複雑な製造工程を、チョコレート工場にもした会場内で、カカオ豆になったつもりで疑似体験できます。
熱風を浴びたり、粉にされたりの数奇な運命をくぐりぬければ、チョコ通の出来上がりかも。
月曜休館。 問い合わせ 03(5777)8600 ハローダイヤル
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チョコレートの散歩道 ③
16世紀にカカオがヨーロッパに入ってから300年ほど経つと、次の四つの大きな発明によって、それまでの飲み物から「室温では固まって、口に入れるとサッと解けて、甘さと苦味が口いっぱいに広がる」チョコへ生まれ変わった。
第一は、焙炒したカカオ豆の中身を磨砕してできる濃厚なカカオマスの液体から、油であるココアバターを搾り出してココア粉末を作る発明。
1828年、オランダのバン・ホーテンが人力で試みて成功。 その後に蒸気機関を使った。
第二は、1848年、イギリスのジョン・フライによる「食べるチョコレート」の発明。
カカオと砂糖の粉末に、ココアバターを加えて温めることで滑らかなチョコレート液体を作り、それを型に入れて冷やした。
第三は、スイスのダニエル・ペーターによるミルクチョコレートの発明。
1875年、彼は8年間の苦労の末に、本来は混じらない水(ミルク)と油(カカオマス)を強力に撹拌して混ぜ合わせることに成功。
最後は、1879年のスイスのルドルフ・リンツによるコンチング(ココアバターを均一にいきわたらせる技術)の発明。
滑らかな口どけのチョコレートができた。
これらの発明は、現在でも使われている。
このほかにも、カカオマスと砂糖を磨砕する方法は、石の上での手作業から花崗岩を回転させる機械へと進歩した。
それには、スイスやスペインなどでの複数の発明が積み重ねられた。
これらの発明には、歴史の必然が働いている。
まず、蒸気機関を代表とする動力革命がある。大量のカカオマスを温めて磨砕するには、大きなエネルギーを必要とした。
機械や器具を作る材料の進歩もあった。
さらにカカオプランテーションが広がってカカオ豆の生産が増え、貿易の振興で関税も下がった。
そして最も重要なことは、19世紀が王権君主制の封建社会から民主主義の産業市民社会へ移行し始める次期で、国民の生活水準が向上してチョコレート消費が増え、これらの技術の進歩を求めたことである。
(佐藤清隆 広島大学名誉教授)
しんぶん赤旗 日刊紙2012年3月21日(水)文化面 水曜エッセー
病気とかも、患者数が多い病気ほど、治療法が進歩しやすいしにゃ。 中でも日本は都合良く儲かるアテのにゃい研究に対しては、国の援助協力姿勢がナッテニャイみたいだけど。 原発とか儲かりそうにゃものには、惜しみにゃく税金つぎこむけど。 日本では君主制がよみがえり財界君主制ににゃったのかと疑うほど民主主義の市民社会から逆行していますにゃ。