2013年4月16日(火)
きょうの潮流
俳優・三國連太郎さんが亡くなりました。享年90。日本映画界を支え続けた重鎮でした
▼何度かお会いする機会がありました。実際の三國さんは「釣りバカ日誌」の「スーさん」のような好々爺(こうこうや)。甘い物が好きでした。
半面、心から嫌ったのは、権力。その反骨精神は筋金入りで、10代の頃、旧制中学の軍事教練が嫌で海外へ逃亡。捕まり中国に出征したものの、実弾を一発も撃たずに終戦を迎えました。自身はそんな自分を“不忠の民”と話していました
▼本紙で繰り返し平和憲法への思いを語りました。必ず口にしたのはお孫さんのこと。「この子が大きくなった時、日本はどうなっているのか空恐ろしい気がします。あれだけの犠牲を出して構築した平和憲法だけは、守っていかなきゃいかんと思います」
▼「赤旗」創刊80周年の折には、こう激励してくれました。 「『赤旗』にしても日本共産党にしても、人間主義という出発点が、本来の成り立ち…。『赤旗』は、その遺志を継いでおおいに本当の報道を伝えていただきたい」
▼役者も作品を通して生き方が投影される、というのが持論でした。1951年に木下恵介監督の映画「善魔」でデビュー。転機となったのは、家城巳代治(いえきみよじ)、山本薩夫、今井正といった独立プロの監督との出会いでした。3人の監督からは、「物づくりの良心、人生の羅針盤のようなものを学んだ」と語っています
▼それにしても、もう一度、お話を聞きたかった。今の改憲の動きを、どうみているか…。無念です。
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村上春樹『パン屋を襲う』 パン店主はなぜか「共産党員」
村上春樹の『パン屋を襲う』(新潮社)は、村上の初期の作品「パン屋襲撃」に手を入れたもので、「再びパン屋を襲う」も収録しています。
空腹に耐えかねた2人の青年がパン屋を襲うという話。面白いのは、
「パン屋の親父は頭のはげた五十すぎの共産党員だった。店の中に日本共産党のポスターが何枚も貼ってある」と書かれていること。
包丁を持った2人に、親父はワーグナーの音楽をしっかりと聴いてくれたら、好きなだけ食べさせてあげると提案。2人は音楽を聞きながらパンを食べるという結末です。
「共産党員がワグナーを聴くことがはたして正しい行為であるのかどうか」などと、ナチスが利用したワグナー音楽受容の歴史的経緯への関心がうかがえますが、なぜ日本共産党なのか。
そういえば、『1Q84』にも、共産党の立て看板が出てくる場面がありました。
作者は「日本共産党」に何らかの意味を持たせているのでしょう。その意味は作品ではわかりません。意味不明さは村上作品の基調ですが、一度作者に聞いてみたい。
(しんぶん赤旗日刊紙 2013年4月7日「背表紙」より)
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2013年4月10日(水)
きょうの潮流
「鉄腕アトム」は、2003年4月7日が誕生日。手塚治虫さんが1952年に連載を開始した、その漫画の舞台は21世紀
▼自分の頭で善悪を見分けられるアトムは、人間の愚かな欲望や対立を悲しみ、もちまえの正義感を発揮します。
連載当時は朝鮮戦争のさなか。手塚さんはこの人型ロボットに、平和への願いをこめ、命の大切さと人類愛を語らせました
▼ところが、福島第1原発事故のあと、そのアトムが「原発推進にひと役買った」などと批判されています。原子力をエネルギーにしていたためです。手塚さんは生前、原発反対や反核の立場を明確にしていただけに、的外れな言われ方に憤っているでしょう
▼遺族も反論しています。長女の手塚るみ子さんはある新聞に「父がアトムで描いたのは、人間は科学を使いこなせるほど賢くない、その怖さにも気づいていない、との告発だった」とこたえています
▼手塚さんは、生命の大事さを子どもにどう伝えるか、人間として生きる権利をどう描くか、いつも苦心していたといいます(石子順『平和の探求・手塚治虫の原点』)。それは60年の生涯にわたるテーマであるとともに、漫画を通した彼からのメッセージでした
▼今年10歳になったアトム。その目に、いまの日本はどう映っているか。原発の再稼働や平和を脅かす勢力の台頭を嘆いているかもしれません。でも、人間を信じて悪に立ち向かった未来からの使者は、きっというでしょう。「あきらめないで、地球を救おう」
きょうの潮流
俳優・三國連太郎さんが亡くなりました。享年90。日本映画界を支え続けた重鎮でした
▼何度かお会いする機会がありました。実際の三國さんは「釣りバカ日誌」の「スーさん」のような好々爺(こうこうや)。甘い物が好きでした。
半面、心から嫌ったのは、権力。その反骨精神は筋金入りで、10代の頃、旧制中学の軍事教練が嫌で海外へ逃亡。捕まり中国に出征したものの、実弾を一発も撃たずに終戦を迎えました。自身はそんな自分を“不忠の民”と話していました
▼本紙で繰り返し平和憲法への思いを語りました。必ず口にしたのはお孫さんのこと。「この子が大きくなった時、日本はどうなっているのか空恐ろしい気がします。あれだけの犠牲を出して構築した平和憲法だけは、守っていかなきゃいかんと思います」
▼「赤旗」創刊80周年の折には、こう激励してくれました。 「『赤旗』にしても日本共産党にしても、人間主義という出発点が、本来の成り立ち…。『赤旗』は、その遺志を継いでおおいに本当の報道を伝えていただきたい」
▼役者も作品を通して生き方が投影される、というのが持論でした。1951年に木下恵介監督の映画「善魔」でデビュー。転機となったのは、家城巳代治(いえきみよじ)、山本薩夫、今井正といった独立プロの監督との出会いでした。3人の監督からは、「物づくりの良心、人生の羅針盤のようなものを学んだ」と語っています
▼それにしても、もう一度、お話を聞きたかった。今の改憲の動きを、どうみているか…。無念です。
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村上春樹『パン屋を襲う』 パン店主はなぜか「共産党員」
村上春樹の『パン屋を襲う』(新潮社)は、村上の初期の作品「パン屋襲撃」に手を入れたもので、「再びパン屋を襲う」も収録しています。
空腹に耐えかねた2人の青年がパン屋を襲うという話。面白いのは、
「パン屋の親父は頭のはげた五十すぎの共産党員だった。店の中に日本共産党のポスターが何枚も貼ってある」と書かれていること。
包丁を持った2人に、親父はワーグナーの音楽をしっかりと聴いてくれたら、好きなだけ食べさせてあげると提案。2人は音楽を聞きながらパンを食べるという結末です。
「共産党員がワグナーを聴くことがはたして正しい行為であるのかどうか」などと、ナチスが利用したワグナー音楽受容の歴史的経緯への関心がうかがえますが、なぜ日本共産党なのか。
そういえば、『1Q84』にも、共産党の立て看板が出てくる場面がありました。
作者は「日本共産党」に何らかの意味を持たせているのでしょう。その意味は作品ではわかりません。意味不明さは村上作品の基調ですが、一度作者に聞いてみたい。
(しんぶん赤旗日刊紙 2013年4月7日「背表紙」より)
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2013年4月10日(水)
きょうの潮流
「鉄腕アトム」は、2003年4月7日が誕生日。手塚治虫さんが1952年に連載を開始した、その漫画の舞台は21世紀
▼自分の頭で善悪を見分けられるアトムは、人間の愚かな欲望や対立を悲しみ、もちまえの正義感を発揮します。
連載当時は朝鮮戦争のさなか。手塚さんはこの人型ロボットに、平和への願いをこめ、命の大切さと人類愛を語らせました
▼ところが、福島第1原発事故のあと、そのアトムが「原発推進にひと役買った」などと批判されています。原子力をエネルギーにしていたためです。手塚さんは生前、原発反対や反核の立場を明確にしていただけに、的外れな言われ方に憤っているでしょう
▼遺族も反論しています。長女の手塚るみ子さんはある新聞に「父がアトムで描いたのは、人間は科学を使いこなせるほど賢くない、その怖さにも気づいていない、との告発だった」とこたえています
▼手塚さんは、生命の大事さを子どもにどう伝えるか、人間として生きる権利をどう描くか、いつも苦心していたといいます(石子順『平和の探求・手塚治虫の原点』)。それは60年の生涯にわたるテーマであるとともに、漫画を通した彼からのメッセージでした
▼今年10歳になったアトム。その目に、いまの日本はどう映っているか。原発の再稼働や平和を脅かす勢力の台頭を嘆いているかもしれません。でも、人間を信じて悪に立ち向かった未来からの使者は、きっというでしょう。「あきらめないで、地球を救おう」
じっさい視聴したわけではないのですが、ふとしたきっかけで話の断片を知り、その中で、第一シリーズの卒業生九十九弥市が空手の腕を活かして自衛隊を目指すと言い、「自衛隊に入ることが戦争に協力することだ」などと説得し断念させるエピソードがあったと聞きます。
初代金八先生のことは生まれる前でして全く知らなかったです。今見ると杉田さんたち俳優さんの中学生姿も見られて面白そうですね。気が向いたら動画でも・・
戦後のわずか2年間ほどだけ、「あたらしい憲法の話」とかいう?すばらしい新憲法を解説する冊子が、全国生徒に配られたそうですが、すぐに都合が悪くなり握りつぶされたんでしょうね。
今、もっともっと親しみやすく、「憲法とは」という解説ビラでも作って全戸配布するくらいのことが必要なんでしょう。。もちろん党派を超えた取り組みで。