オスプレイ、米兵による女性暴行事件ー。
米軍基地をめぐる最近の重大な事態への対応は、結局のところアメリカの裁量にゆだねる形になった。
この国の対米従属は、どこまで深いのだろうか。
国土に長期にわたって外国軍隊の基地を置き、その地位に特権を与えている異常な状態が、どのようにつくられたか、
その原点を考える上で興味深いテレビドラマが10月初旬まで放映された。
NHK土曜ドラマ 「負けて、勝つ~戦後を創った男・吉田茂~」である。(全5回)
必要な検証を
歴史上の人物を描くドラマには二つの態度が必要である。
ドラマの中の主人公の言動が、歴史事実から逸脱していないかを検証すること、
もう一つは、描かれた人物像自体が現代にどのようなメッセージとなっているかを見極めることである。
たとえば、第1回の放送で、吉田はマッカーサーに対し、昭和天皇の戦争責任について、
「陛下に責任はありません。開戦は軍部の独走によるものです。」と主張するシーンがある。
さらに吉田は「日本国民の皇室への尊敬の念は、この国の歴史、伝統、文化に根ざす規範なのです」と言う。
ドラマが全体として吉田を人間味あふれる政治家として肯定的に描いているため、このセリフもまた正しい主張と印象付けられている。
戦前から天皇を尊崇してきた吉田について、このようなシーンが創られても違和感はないが、近年の研究で、天皇の責任について様々な評価が提起されている現在、吉田の主張を現代へのメッセージとして無条件に肯定的に伝えることには、疑問を持たざるを得ない。
従属を正当化
同じことが旧安保条約の締結に関わるシーンでも見られる。講和後、無期限に米軍の駐留を認める条約と、米軍の地位と活動に特権を与える屈辱的な行政協定が、吉田内閣によって締結されたが、
第4回では、「アメリカに頼るほかない」 「それが日本の現実なのだ」という趣旨の吉田のセリフが随所にちりばめられている。
当時、吉田がそう考えたことは歴史の事実に反しないが、それが吉田を称えるドラマのメッセージとして、肯定的に伝えられるのは問題である。
この深い対米従属の体制は現在も続き、国民の中に有力な批判もあるからだ。
今の時期に
ドラマ自体は、さすがに気鋭の脚本家坂元裕二によるだけあって、5回分を飽きさせず見せる力はたいしたものである。
しかし、描かれた吉田像には偏りが否めない。
番組では吉田は反戦、反軍の政治家のように美化されているが、外交官として中国で勤務していた時代、満州(中国東北部)を日本の支配下に置くことを主張し、そのために軍事力による威嚇も否定しなかったという研究もある。
戦後も、共産党の非合法化をもくろみ、GHQの指示を受けて大規模なレッドパージも強行した。
労働運動の参加者を「不逞の輩」と非難し、全面講和を主張する識者を「曲学阿世の徒」と罵った。
また、アジアへの侵略の反省の言もほとんど見られないと指摘されている。
ドラマは、こうした戦前からの政治エリートとしての反動的側面を描いていない。
衆院選を前に復古的保守的政治家の活動が目立つ次期、総じてこのドラマは彼らを励まし、国民の対米従属肯定の意識を下支えする効果を持ったのではないだろうか。
製作者は、純粋に、魅力的な政治家とその時代を描こうとしただろうから、この見方はいささか酷かもしれない。
しかし、放送次期によっては、番組が強い政治的メッセージを持ってしまうこともまた皮肉な信実なのである。
(元NHKディレクター 戸崎賢二)
しんぶん赤旗日刊紙2012・11・2(金)より
米軍基地をめぐる最近の重大な事態への対応は、結局のところアメリカの裁量にゆだねる形になった。
この国の対米従属は、どこまで深いのだろうか。
国土に長期にわたって外国軍隊の基地を置き、その地位に特権を与えている異常な状態が、どのようにつくられたか、
その原点を考える上で興味深いテレビドラマが10月初旬まで放映された。
NHK土曜ドラマ 「負けて、勝つ~戦後を創った男・吉田茂~」である。(全5回)
必要な検証を
歴史上の人物を描くドラマには二つの態度が必要である。
ドラマの中の主人公の言動が、歴史事実から逸脱していないかを検証すること、
もう一つは、描かれた人物像自体が現代にどのようなメッセージとなっているかを見極めることである。
たとえば、第1回の放送で、吉田はマッカーサーに対し、昭和天皇の戦争責任について、
「陛下に責任はありません。開戦は軍部の独走によるものです。」と主張するシーンがある。
さらに吉田は「日本国民の皇室への尊敬の念は、この国の歴史、伝統、文化に根ざす規範なのです」と言う。
ドラマが全体として吉田を人間味あふれる政治家として肯定的に描いているため、このセリフもまた正しい主張と印象付けられている。
戦前から天皇を尊崇してきた吉田について、このようなシーンが創られても違和感はないが、近年の研究で、天皇の責任について様々な評価が提起されている現在、吉田の主張を現代へのメッセージとして無条件に肯定的に伝えることには、疑問を持たざるを得ない。
従属を正当化
同じことが旧安保条約の締結に関わるシーンでも見られる。講和後、無期限に米軍の駐留を認める条約と、米軍の地位と活動に特権を与える屈辱的な行政協定が、吉田内閣によって締結されたが、
第4回では、「アメリカに頼るほかない」 「それが日本の現実なのだ」という趣旨の吉田のセリフが随所にちりばめられている。
当時、吉田がそう考えたことは歴史の事実に反しないが、それが吉田を称えるドラマのメッセージとして、肯定的に伝えられるのは問題である。
この深い対米従属の体制は現在も続き、国民の中に有力な批判もあるからだ。
今の時期に
ドラマ自体は、さすがに気鋭の脚本家坂元裕二によるだけあって、5回分を飽きさせず見せる力はたいしたものである。
しかし、描かれた吉田像には偏りが否めない。
番組では吉田は反戦、反軍の政治家のように美化されているが、外交官として中国で勤務していた時代、満州(中国東北部)を日本の支配下に置くことを主張し、そのために軍事力による威嚇も否定しなかったという研究もある。
戦後も、共産党の非合法化をもくろみ、GHQの指示を受けて大規模なレッドパージも強行した。
労働運動の参加者を「不逞の輩」と非難し、全面講和を主張する識者を「曲学阿世の徒」と罵った。
また、アジアへの侵略の反省の言もほとんど見られないと指摘されている。
ドラマは、こうした戦前からの政治エリートとしての反動的側面を描いていない。
衆院選を前に復古的保守的政治家の活動が目立つ次期、総じてこのドラマは彼らを励まし、国民の対米従属肯定の意識を下支えする効果を持ったのではないだろうか。
製作者は、純粋に、魅力的な政治家とその時代を描こうとしただろうから、この見方はいささか酷かもしれない。
しかし、放送次期によっては、番組が強い政治的メッセージを持ってしまうこともまた皮肉な信実なのである。
(元NHKディレクター 戸崎賢二)
しんぶん赤旗日刊紙2012・11・2(金)より