その昔に何年も住んでいながら、一度も行ったことの無い横浜の街を散策してみました。
『赤レンガ倉庫街』はその一つです。僕が横浜に居た頃はこの辺りは保税地域として一般人の立ち入りは禁止されていました。
倉庫はとても頑丈に出来ています。
扉も頑丈です。
港から輸入貨物を運ぶ貨車の線路も残されていました。
これは旧税関事務所の遺構です。大正12年9月1日の関東大震災で床や屋根が焼失したため、復旧されないまま埋め戻され荷捌き用地となっていました。竣工時はレンガ造りスレートぶき、3階建てのゴシック様式の建物だったそうな。
「赤レンガパーク整備」の際に発見され、今はご覧の様に花壇となっています。
マリンタワーですが、まっどうでもいいです。この前にある『山下公園』を訪ねました。
海沿いに長~い公園で、実はここも初めてです。いつも前を車かバイクで通り過ぎるだけでした。
『氷川丸』ですが・・・、いいやぁ別に観に入らなくったって。
観光ガイドには必ず載ってる「赤い靴の女の子」。この方向の画像は皆さん見飽きているかと思います。そこで
真後ろだと芸がないと思って斜め後ろから撮影しました。この女の子は今はベイブリッジを見つめているようです。
『♪散切頭(ザンギリあたま)をたたいて見れば文明開化の音がする。 総髪頭(そうはつあたま)をたたいて見れば王政復古の音がする。 半髪(はんぱつ)頭を叩いてみれば因循姑息(いんじゅんこそく)の音がする』
歌詞は皆さんご存知かと思いますがメロディはどうでしょう。入れる方法を今考えています。
『港の見える丘公園』直近の駐車場です。ここに車を停めて公園の他に外人墓地・元町・中華街等を散策しました。
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『港の見える丘公園』から見える港の風景です。あんまりたいしたことないみたいな気もしなくもないです。
フランス山地区へ向かう途中にも見晴らし台がありました。ネコが二匹居たのですが、撮影しようとしたら照れて逃げてしまいました。
旧フランス領事館邸遺構へ向かう途中に古い井戸がありました。明治29年に掘られたものだそうです。ピンボケ画像でスミマセン。
かなり深い井戸です約30mあるそうな、底が全く見えませんでした。
風車が見えます。実はこの風車もともとはここではなく、先の古井戸の所にあってそこで水を汲み上げていたんだそうな。画像は載せませんでしたが、その基礎らしきものも残っています。付け加えますがこの風車はイミテーションで、観光用に後から造られました。
この官邸は昭和5年に建築され昭和22年火災で焼失したと現地案内板には書かれていました。
「昭和46年に横浜市がフランス政府からこの辺りの土地を購入した。」とあります。まっ領事館ですからそういうことになるのかも。
フランス軍のキャンプは山手186番にあって、3,042坪の敷地に3棟の建物が日本側の費用で造営され、300名以上の陸海軍部隊が横浜に駐屯したそうな。
厨房跡のようですがたいした施設ではなさそうです。
さて今度はイギリス地区へ向かいます。
こちらは横浜市イギリス館です。館内の撮影は禁止ではありませんが、許可を取らなければならないので止めました、一応。洋風で落ち着いた大人の雰囲気があったり、ドアのノブの位置が外人さん向けに高かったり。なかなか見どころのある施設で近くにお越しのせつには是非立ち寄ってみてください。無料です。
館内でピアノの生演奏が行われていたので、チョットだけ盗み撮りしました。
次に斜向かいある『外人墓地』を訪ねました。僕が横浜にいたころは関係者以外立ち入り禁止でした。一応建前は無料ですが係りの人がいて「保存整備の為」と称して「2百円くらい払っていただけたら有難い。」とのことでした。「嫌じゃ~っ!」と言ってみたらどうなるか興味があったのですが、気の小さい僕には出来ずに素直に払いました。
中は荒れてるとまではいきませんがそんなに綺麗でもない。
人様の墓石をあんまりバシバシ撮影するのも気が引けて、そんなに画像はありません。記念に少しだけです。
日本でも共同墓地など宗派に関係なく埋葬されていますがこちらもそうです。過激なくらいに入り乱れていました。
墓石に彫られたキリスト教の十字架はまあ解るとして、同じ敷地内になんとユダヤ教の彫りのある墓石もありかなり意外でした。
ロシア正教についてはよく知りませんがやはりキリスト教と対立してなかったっけ?他にもフリーメーソンのマークのある墓石もありました。けっこう会員の方っていらっしゃるんですねぇ。何となく訳も無く怖い気がします。
『外人墓地』の脇にある坂道を下って久しぶりの『元町』へ向かうことにしました。「貝殻坂」の名があるのは、近くで縄文時代の貝塚が発見されたせいかもしれません。僕個人の勘です。
坂の途中に『元町公園』がありました。ここはかつて異人館があったそうな。址を見ただけでかなり瀟洒な造りだったようです。羨ましい!
現在プールになっているところを左手に見ながら階段をあがると、建築物の基礎が遺構として残っています。
耐震補強はされていたそうですが、関東大震災時の地震エネルギーには耐えられなかったようです。嗚呼もったいない・もったいない。
この辺りは、かつて外国人居留地の中心地で、多くの外国人住宅のほか、学校・病院・劇場・教会などの西洋建築が建ち並んで『異人のまち』が造られていたそうな。
さらに『額 坂』を下って元町商店街に向かいます。ちなみに名前の由来については分かりません。
なんとお洒落になってるーーーっ!!
そんな感想です。昔来た時とだいぶ違いました。路面の整備もなかったし、全体にもう少し雑然としていたような気がします。
かばん屋さんでしょうか、派手ですねぇ。でもいい感じです。「新ハマトラ」が出てくるでしょうか。えっ「ハマトラ」とか「ハマカジ」って知らないんですか!
悲しいです。
『石川町』の駅は少し明るくなったかなという印象ですが、大きく変わった感はありませんでした。
さてこの辺りできびすを返して『中華街』へ向かいます。
ここへは何回も来てますが、いつ見ても派手です。
ここは『横濱媽祖廟(よこはままそびょう)』です。10億円で土地を買って8億円でお社を建てたそうな。500円で5本お線香を買って①番から⑤番までの香炉に立てます。それぞれの香炉には意味があるのですが忘れました。その後廟内に入って物凄く簡単なご祈祷があります。
体験してみるのもいいかもしれません。
日本では護摩木ですが中国では 金紙のお供えをするそうな、お供えといっても護摩木と同じく燃やします自分で。カメラのバッテリー不足で撮影できませんでしたが、香炉で燃やしている信者の方がいました。
駐車場へ戻る途中『アメリカ山公園』に寄りました。ここは「みなとみらい線・元町中華街駅」の真上にあります。正直たいした公園ではありませんでした。
この後車で昔よく走った道路などなどを見てみたのですが、だいぶ変わっていて便利になっていました。僕が住んでいた頃は環状線なんて無かったです。また来てみたいです。
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