さて朽ち果てかけた祠とは此方です。お札には『根本山神社』とありました。山頂から大平山神社まで3分の2程戻ったところにあります。自立出来ないようで、後ろにつっかえ棒で支えられていました。それでも中の陶器製のお賽銭受けには、小銭がそこそこ奉納されていました。僕も気持ちだけ納めておきました。
さて、お参りを済ませてふと横を見ると、なんと石垣があるではありませんか。祠を無視して通り過ぎていれば分かりませんでした。此処にはかつて城の様な物があったに違いない、そう思うと興味がわき辺りを調べてみることにしました。
画像では判り難いのですが、何かの建造物の基礎らしきものがありました。小さな小屋だったのかも知れません、4箇所ある筈ですが確認出来たのは3箇所でした。
画像をクリックすると1箇所が拡大されます。
うろうろしていたら尾根ずたいに道があるのを見つけたので、ここを下ることにしました。
堀切がありました。何の為に造られたかは解りません。画像は道から外れて下から見上げた処です。
この石の表面は、どう観ても人工的に削られた跡です。まるで機械で削ったようです。
この辺りにも石垣が残されていました。参道を普通に歩いていては気が付きにくいと思います。
此方は石垣が崩れてしまった跡でしょうか。
かつては武者たちが、此処を駆けて行ったり来たりしていたのだと思うと、悠久の歴史の流れを感じます。
登山道となる道の入り口は目立たない処にあります。遺構を訪ねるには此方から登った方が良いかもしれません。謙信平から神社へ向かい、「あずま屋」さんというお土産やさんの脇を通る参道を利用します。「天狗の投石」と言う岩のある階段を登った先の処です。
注!本当に此処から遺構を通って山頂に行けるか否かは、時間が無くて実際に確認していません。もしこのブログを見て行って見ようとされるなら、近くのお土産屋さんで確認されたほうが良いと思います。
城跡には何故か何処もこのような竹林があります。もちろん此の竹林がいつ頃からあるのかは分かりません。最近植えられたのかもしれませんが・・・。
謙信平の駐車場のなかにこのような池があります。此処へは何度も来ていますが、今まで気にも留めませんでした。こうして城跡を観てからだと「ひょっとして武者達の水飲み場?」などと考えてしまいました。
ネットで大平山城について調べてみましたが、詳しく書かれてあるものは見つけられませんでした。地元の資料館ならあるかもしれません、機会があれば行ってみたいです。
さて、お参りを済ませてふと横を見ると、なんと石垣があるではありませんか。祠を無視して通り過ぎていれば分かりませんでした。此処にはかつて城の様な物があったに違いない、そう思うと興味がわき辺りを調べてみることにしました。
画像では判り難いのですが、何かの建造物の基礎らしきものがありました。小さな小屋だったのかも知れません、4箇所ある筈ですが確認出来たのは3箇所でした。
画像をクリックすると1箇所が拡大されます。
うろうろしていたら尾根ずたいに道があるのを見つけたので、ここを下ることにしました。
堀切がありました。何の為に造られたかは解りません。画像は道から外れて下から見上げた処です。
この石の表面は、どう観ても人工的に削られた跡です。まるで機械で削ったようです。
この辺りにも石垣が残されていました。参道を普通に歩いていては気が付きにくいと思います。
此方は石垣が崩れてしまった跡でしょうか。
かつては武者たちが、此処を駆けて行ったり来たりしていたのだと思うと、悠久の歴史の流れを感じます。
登山道となる道の入り口は目立たない処にあります。遺構を訪ねるには此方から登った方が良いかもしれません。謙信平から神社へ向かい、「あずま屋」さんというお土産やさんの脇を通る参道を利用します。「天狗の投石」と言う岩のある階段を登った先の処です。
注!本当に此処から遺構を通って山頂に行けるか否かは、時間が無くて実際に確認していません。もしこのブログを見て行って見ようとされるなら、近くのお土産屋さんで確認されたほうが良いと思います。
城跡には何故か何処もこのような竹林があります。もちろん此の竹林がいつ頃からあるのかは分かりません。最近植えられたのかもしれませんが・・・。
謙信平の駐車場のなかにこのような池があります。此処へは何度も来ていますが、今まで気にも留めませんでした。こうして城跡を観てからだと「ひょっとして武者達の水飲み場?」などと考えてしまいました。
ネットで大平山城について調べてみましたが、詳しく書かれてあるものは見つけられませんでした。地元の資料館ならあるかもしれません、機会があれば行ってみたいです。
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