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鹿児島県【武南方】と南方の諏訪信仰

2022-12-03 | パワースポット

縄文の投稿が続いてましたが、

鹿児島の縄文遺跡を周りつつ寄った、

南方の『諏訪信仰』について⛩️✨

そこそこブログっぽい長さで😌🙏
ざざっと、画像少なめ文章多めです

 

(🙄また諏訪か)

 

【南方神社】鹿児島市

 

鹿児島の建御名方信仰は、鎌倉時代に源頼朝旗下だった島津氏の始祖
『島津忠久』が、
信濃地頭と薩摩守護に任じられた事が信仰の始りの様だ。

 



信濃国一宮『諏訪大社』からの勧請

鹿児島市五社参りの第一社

⛩️ご祭神 ✨建御名方命 事代主


島津忠久は、もとは惟宗忠久といい
『惟宗氏』は秦氏から分かれた京都の朝廷貴族。藤原忠久とも名乗ったが、

数ある守護地頭の任地の中で最も大きな島津荘(鹿児島・宮崎にまたがる近衛家領の日本最大の荘園)を本貫地に定めてから島津氏を名乗った。

大分県の大友氏同様、源頼朝の実子との説がある。

島津氏は鎌倉で活躍していた。

任地の薩摩に定着したのは五代目の島津貞久からだが、島津貞久も諏訪大社からの勧請で、建御名方命と事代主を鹿児島市の南方神社に祭っている。その後も、並立鳥居の諏訪神社など類代に渡り諏訪から武南方を勧請している。

 


信濃地頭だった島津忠久は、建御名方信仰と共に馬の先進地域だった信濃から牧場や馬術も、薩摩に齎したと思われる。

『牧の神』と言われる牟礼神社や
種子島の牧場の神々など、牧場の史跡が各地に残されている。

島津氏を始祖とする薩摩武士の強さにも、諏訪譲りの強さが伝わったかもしれない。


室町時代の馬術の達人島津氏久も、諏訪大社より建御名方を勧請した。

 


諏訪以外では建御名方のもう1つの訓みである『武南方』の名を冠する南方神社はなく全国でも稀だ。


鹿屋市吾平の南方神社

 

地域の方が、掃除をしていた。

 

氏子さん達が大切にしている神社にお参りに行くと、「ありがとうございました」と声をかけられる事が多いが、

氏子さんと神社の関係が良いところはなんだか嬉しい。

 

鹿児島独島の「牧の神」とは牧場の神を祭ってるというが、石や樹(ソテツ)等をご神体とした祭り方で、諏訪のミシャグジ神と似ている。

馬だけでなく信州の馬飼たちも、諏訪から連れてこられたのかもしれない。

諏訪といえば「馬」と言うほど諏訪人とは関係が深い。

すき焼きなど諏訪では馬肉が当たり前(と言うより最近まで諏訪のお肉屋さんでは馬肉しか売ってなかったらしい🤔)

 

そして、種子島には牧場の神が多いが諏訪人が祭ったのだろうか、、、

但し諏訪盆地の様に湛えの木はないので、ソテツが使われている様だ。

 

 

 

珍しい南国バージョンのミシャグジ🌴?

牧場や牧場の祭祀場にあちこち祭られているので、やはり馬の牧場経営でやってきた諏訪人たちが祭っていたのだろう。

 

 

【鵜戸神社】鹿児島県鹿屋市

 

玉依姫とウガヤフキアエズの陵墓と云われる『吾平山上陵』の近くに、

同じく玉依姫・ウガヤフキアエズ夫婦相神を祭る鵜戸神社がある。

 

 

摂社に祭られる祠

 

見事な御神木が育っていて、ミシャグジでは?と宮司さんにお尋ねしたが、何の神様を祭ってるのかよく分からないとのことだ。

ますますミシャグジっぽい😂

やはりこちらにも諏訪人がやってきたのだろうか?

 

明治の神仏分離時代の宗教政策で、一村一郷につき一社制という指示があり、
地域の各社は一か所に集められた。

五所神社、十二所神社などの社名はその名残りだが、

おそらくその頃に、何処かから持ってこられたのだと言う。

 

見事な神木だが、

ご近所さんからは「落ち葉が飛んでくる」と苦情があり大変らしい、😳

(枝一本剪定するだけでも40万かかるという😮)

氏子さんが近くにいない事もあるのだろうか、🤔

神木の葉が飛んで来るのは

葉来(ハライ)と言い

一年の穢れを払って貰える気もするが、それどころではないケースもあるのだろう。

武南方の氏子さん達の様に、落ち葉を掃除すると言う様な感じでは無いかもしれない。

 

諏訪人と諏訪神の関係は、


遠い鹿児島に来て時代を経ても、変わらずある様に感じた事が印象に残った。

 

美し里



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