鹿児島県【高千穂峰】天逆鉾
鹿児島県霧島町から登る霧島連峰にある活火山。
古事記・日本書紀に「ニニギノミコトが高千穂の峰に天降る」と記され、
高千穂の峰の頂上には天逆鉾が突き立てられている。
県境に位置し山頂は宮崎県になる標高1573 M の山。
この地に降臨した天孫ニニギの命が突き刺したたという天逆鉾が、山頂に突き立てられている。
日本神話所縁のパワースポット。
同じ、『高千穂』という名称だが、
宮崎県高千穂町の【高千穂峡】からは、車で約3〜4時間
約200 km 離れた場所にある。
こちらは駐車場から登山口に向かうところにある霧島神宮の古宮の跡地。
1255年の噴火により消失したため移し、現在の霧島神宮へとなった。
社の跡地の横から登山道が始まる。
登り1時間半
下り1時間
登山としては初級コースで
子供や老人も倍ぐらいの時間をかけて登ってるが、
やはり登山は危険が伴う。頂上付近で倒れてる方もいた。
最初はハイキングコースの様な整備された道から始まる。
次第にキツくなっていき、
後半は、ザ・登山
自分のペースをつくって、山と対話する様に登る。
休日で天気も良かったせいか、
人が多く、
上から降りてくる方の、笑顔の挨拶
「こんにちは」
に全て応えていると、呼吸が乱れ
直ぐに息があがってしまうので、
要注意だ。(地味に体力消費)
(それにしても🥲息があがり苦しそうなのに、普通に笑顔で話しかけてくる人が多いのはなぜだろう?2〜30人立て続けに挨拶したところで 呼吸困難になった🫨)
もう、
子供の挨拶だけには応え、
大人はスルーして会釈。
時折見える景色を眺めては呼吸を整える。
登頂は木がはえてなく、荒涼とした砂利道を登る。
後半は勾配がきつくなだらかな崖を登るような感じ。
ステッキを使っている人も多かったが、
私はほぼ四つん這いのような4本足スタイルで、両手で目の前の岩をつかんで上がっていった。
道ではないため、所々に印しがついている。
登りきると、二ッ岩
火山口に沿ってなだらかな道が続く。
落ちたらしぬ。
御鉢火山の東側に寄生火山である高千穂峰が連なり、こちらの山の登頂に天の逆鉾が刺さっている。
火山火口をぐるっと半周してから、更にもう一山登る感じ。
こちらには、霧島神宮の元宮があり、最後まで登らずここで遙拝し引き返す方も多い。私もちょっとそんな気持ちになった。
元宮の社殿は788年の噴火で焼失してからは創られてにいようだ。
遥拝所
こちらで祝詞をあげ、気を入れ替え最後の登山道に挑む。
登頂が見えてきた。
登頂
諦めずに登って良かった。
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天逆鉾の伝承には諸説あり、
天逆鉾は、古事記に記されている神話に出てくる天沼矛のことだという説がある。
天地開闢の時、イザナギとイザナミが天沼矛で海をかき混ぜて日本列島大八洲が生まれた。
一方マイノリティ説だが、
天逆鉾は、大国主神(出雲系)を通してニニギ(天孫系)に譲り国を治めさせ、その後、国家の安定を願い矛が二度と振るわれることのない様にとの願いをこめ、高千穂峰に突き立てたという伝承もある。
文字通り戦いをやめ「鉾をおさめた」という平和の証だ。
どちらかというと、私はこちらを支持したい。
最初、天逆鉾を知った時は「何故、わざわざあんなに高い所に剣を突き立てたのだろう?」
と、そんなことをするのが不思議だったが
実際に登ってみて、なんとなく分かった気がした。
征服の証か、降伏の証か、
この頂きから見渡せる全ての世界では、もう鉾は振るわれることはなく、平和である。
そんな祈りがこめられていたのではないだろうか・・・。
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出雲族から天孫族への国譲りも諸説ある。
大国主命、大國魂、スサノオ、ニギハヤヒ・・・それぞれ存在が重なり異なる。
大国主神(出雲系)の神剣といえば、出雲に入婿したスサノオがオロチ族を退治して手に入れた天叢雲剣(アマノムラクモ)が有名だ。
後に、ヤマトタケルが拝受してからは【草薙剣】と呼ばれ天皇の三種の神器の一つとなり熱田神宮に祭られてるらしいが、、(・o・;)
天逆鉾はまた別のものだろうか…、
等と考えていたら、広矛という鉾があった。
大国主の別名【大物主】(オオナムチ)の神器は広矛という鉾である。
九州南端の鹿児島県大隅半島方面から上陸した大物主勢力は、ここで鉾を納めたのだろう。
しかし、
現在、山頂に刺さっている剣はレプリカ。
1866年に坂本龍馬が新婚旅行の折に引き抜いてみせたが、その後火山の噴火により壊れてしまったと言う。