広島県庄原市 葦嶽山
ピラミッドと言っても、酒井勝軍の言う「天然の地形を利用した太陽信仰の山」。
標高815m 23000年前の世界最古のピラミッドと云われている。
遥かな昔、巨石郡を配し、登頂に太陽石を戴き、
太陽を崇めた古代縄文信仰の聖地だったのかもしれない…。
ピラミッドの案内標識
拝殿は向かいにある鬼叫山とされ
供物台などの巨石遺構(ストーンモノリス)が見つかっている。
供物台
車で上まであがり、30分ほど登る野谷コースと、麓から3時間くらいかけて登るコースがある。
案内板
簡単なコースを登ったが、3時間かけて登るコースは森が深く、まるで屋久島の様だとのことだった。
方位石
方位石の亀裂
方位石の裂け目は東西南北に合わせ配置されているらしい。
そもそも、エジプトの大ピラミッドも「太陽信仰」や「王の墳墓」と云われているが、どうも定かではない様だ。
「王の墳墓」というのは古代の神官がそういったという伝承があるだけで、
実際に玄室で王の埋葬が発見された訳ではない。(王は殆どサッカラか王家の谷に埋葬されてる)
昨今の市井では、メソアメリカのピラミッドの様に天体や歳差運動など天文学的由来の建造物とも考えられ、
王の墳墓というのは、学者が研究費目的の為に唱え続けている妥当な説とも云われている。
しかし、ここ葦嶽山(日本ピラミッド)にはスフィンクスならぬ「獅子岩」があり、
また「神武岩」と呼ばれる巨石柱群は過去、神武天皇陵との噂から財宝目当ての人々に荒らされ破壊されてしまった。
今は見る影もないが、柱に玉をはめると光が鏡岩に映し出され輝いたという。
鏡岩
こうしたストーンサークルやピラミッドと呼ばれる人工あるいは天然の山は、
全て花崗岩から成っていることが、年代や国に関わらず、世界中に共通している。
要は磁性の花崗岩(一部磁性玄武岩)を用いることが、ある種の目的なのでは?という感じもする。
拝殿である鬼叫山を登る途中、笹と霧に囲まれ遭難しそうになり戦慄した。
霧の晴れた迷宮 どこが道だかわからない…
笹と霧に囲まれてしまったら、ちょっとでも動くと取り返しのつかないことになる。
鬼叫山は登るのを諦めて引き換えし、再び葦嶽山へ向かう。
どこから見ても三角形の葦嶽山
形状にも諸説あるが、ギザの大ピミッドは元々は四角垂ではなく、
弥生弥時代の出雲古墳や朝鮮半島にある「四隅突出型墳」様に、方形の四隅がヒトデの様に尖っている八角垂形をしていた。
語源説にも日本語の太陽神が来るという意味【日来】など異聞もある。
広島の日本ピラミッドは【日来神宮】と書いてヒラミッドと読む。
(仙台のピラミッド太白山は【人来田】との地名)
この分野の興味深いところは、実証主義をとるほど学説と異説、異聞との差がなくなってゆくことだ。
王の墳墓説なども、むしろ都市伝説の様にさえ思える。
登頂からの眺め
登頂で暫く瞑想をしていた。
同じタイミングで登頂へ登った方達が、近くに「空彦神社」なるものがあることを教えてくれた。
知る人ぞ知る聖域とのこと。帰り道に寄ってみた。
正式には【蘇羅比古神社】と書く。
白く輝く鳥居と灯篭
聳えるの大杉こそが本当の鳥居の様だ
狛犬は空を見上げている。
一歩踏み入っただけで空気が変わるのが分かる。
創建以前より信仰の聖域だったことが伺える。
拝殿
【御祭神】
火遠理命(ホオリのミコト)=山彦、別名 空津彦
神倭伊波禮毘古命(カムヤマトイワレコビコ)=神武天皇
火遠理命は天孫降臨したニニギの命とコノハナサクヤ姫の間に生まれた。
兄の海彦と争い皇統を継ぎ、その孫が神武天皇にあたる。
神武天皇とホオリの命が祭られている神社は非常に珍しい。
ウガヤフキアエズ朝の聖地だろうか。
帰りに寄った奥津湖
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ファントム富士
静岡県 三保の松原
海岸に「天女の羽衣」の説話に出てくる羽衣の松があり、その横に羽車神社が祭られている。
職場の近くなので、帰りに寄ってみた。
羽衣の松
(この地に降立ち水浴びをしていた天女が羽衣をこの松に掛けていたが、漁夫に奪われてしまう…)
羽車神社
参道
海岸の羽衣の松から、松並木に囲まれた板張りの参道が500mほど続き、
御穂神社に至る。
神の道と云われている。
御穂神社鳥居
【御祭神】
大己貴命(大国主命) 三穗津姫命
そして、羽衣の切れ端が収められているらしい…。
境内
天孫降臨の後、出雲で国を譲った大国主命は三穂津彦命と改名し、
妻三穗津姫命と共に羽車に乗り、この地に降臨したとのこと。
日本最古の新婚旅行。
御穂神社
拝殿
静岡県の「御穂神社」と島根県(出雲)の「美穂神社」は別の神社の様だ。
しかし故郷と似た様な土地に移り、同じ地名をつけることは古来からあるようだが、静岡県の「三保」と島根県の「美穂」の地形はどことなく似ている。
「中海」こそ無いが、並べて比べるてみると、まるで日本列島の背ビレと胸ビレの様だ。三つの崎とはこのことだろうか。
静岡の御穂神社は人影もなくどこか閑散としていた。
パワースポットというよりも、創建を偲ぶ静謐な地。
あまり手入れされておらず、よく伸びた雑草に囲まれた摂社が切ない。
この土地の人々はどんな思いでいるのだろうか…
ハート
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