聖なる国 日本

ジェロニモの聖地・パワースポットのプログ。

謎の【天武天皇】Ⅱ.スサノオ御霊祭と文武天皇

2024-12-07 | 古代ミステリー

【清見原神社】

大阪府大阪市生野区小路2丁目24−35

ご祭神『天武天皇』

スサノオ他

 

参拝した日は秋の大祭の季節であり、

夜山車が出るらしく、夜もう一度

行ってみたら調度、神社を出発するところだった。

 

スサノオ(牛頭天王)を祭る神社では、

御霊式でスサノオを山車に降ろし市内を巡る祭りが、全国的に行われている。

 

 

今回も、パワースポットスポットの紹介でなく、

古代ミステリーの投稿です。

 

 

曳き方『大友清友会』

 

山車とは神様が降りてくる「山」であり、

山に神様を招き、

車に乗っているお囃子が賑やかに神様を饗す。

 

山笠、曳山などと同様、神輿の様に担ぐのではなく、引き車を人々が引いて市内を周る。

 

 

山車の上は、神様が降りる所である為

普通は人は上がらないものだが、

 

この御仁は、堂々と上がっていた。

 

この素破とした勇ましさは、

 

スサノオ様の如く力強くもあり、

 

神がかりしてるかの様だ。

 

 

或いは、スサノオ様(牛頭天王)だけでなく、

壬申の乱に勝利し日本国を征した天武天皇の猛々しさなのかもしれない。

 

カメハメ波のポーズは別として、

とてもパワフルだった。

 


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

ここから先は、巷説の世界です。

古典(古事記・日本書紀)の世界観には無い歴史の裏側、古代ミステリーとしてお読みください。

 

✨✨✨

前回、【謎の天武天皇Ⅰ】の投稿の最後に、

世上をはばかり御神名を明かさず、表向きは別の神様として密かに祭る、影祀りについて書せて頂いた。

平将門の乱で、平将門に味方し落命した興世王を堂々と祀ることをひかえ、表向きは熊野の神様として祀ったり、

徳川家の手前、豊臣方だった前田利家を表向きは八幡宮の造営とし、密かに合祀して祭ったりなど、

往々にして御名を明かさぬまま密かに祭る事がある。

 

天武天皇を祭る神社は全国で5社とあまりに少なく、やはり御名を伏せたまま表向きは別の御神名で密かに祀ってる神社があるのではないだろうか、、

今回は、天武天皇の息子・文武天皇について触れてみる。

 

【文武天皇】
滋賀の白髭神社に祭られる猿田彦は、日本神話では天孫降臨の時に道案内をかって出た神様で、

八衢の神=境界の神でもある。


滋賀の白髭神社は、

天武天皇より『比良明神』を賜っているが、比良とは=境界の事で当時は、

滋賀の琵琶湖は日本海に通じていて、海の向こうの朝鮮半島との境界として重要視されていた。

【白髭神社】滋賀県高島市鵜川215


全国の白髭神社の総社が滋賀の白髭神社であり、

風説では白髭神社は天武天皇の子・文武天皇を祭っていると言われる。


ご祭神は「古事記」「日本書記」に登場する猿田彦さまだが、白髭の由来は「白髭をたっぷりと蓄えていたから」だと言う。

しかし、普通は猿田彦神社などで祭られている猿田彦さまは、その様な容貌ではない。


天狗の様な大きな鼻が特徴で、妻神のアメノウズメと共に夫婦相神で道々に祭られていることが多い。

日本書紀では「猿田彦は鼻が長く背が高く目が大きく輝き…」等と事細かに容姿が記されているが、

「白髭神社」では違う容貌で祭られているらしい。

 

この白い髭をたくわえたという容姿が、

実は、文武天皇なのだそうだ。

 

文武天皇は、

巷説の世界では新羅の文武王であり、文武王が

日本に渡来した683年が生まれた年とされていて、即位した697年には既に白髭をたくわえた老人だったと言う。

 

白髭神社では猿田彦を祭っているが、

又の名を比良明神、白髭明神、

と言い、

「白髭さま」と言う別の呼び名で文武天皇を密かに祭っていた様だ。

 

全国に300社あると言う白髭神社だが、

天武天皇の子・文武天皇がこの様に祭られているならば、

天武天皇も御名を明かさずぬまま全国に祭られている可能性がある。

だとすれば、それは何処の神社なのか?

 

、、、続く🐤

 

 

🙄

以前スサノオⅠの投稿でガッツリ書かせて貰ってますが😅次はコンパクトにまとめたいと思います、、


【安芸の国】広島市のパワースポット

2024-12-01 | パワースポット

広島県広島市 

⛩️東照宮・金光稲荷神社  

⛩️鶴羽根神社

⛩️饒津神社

⛩️長尾天満宮

 

広島駅🍁四社巡りをしてみた。

古代ミステリーシリーズは一旦お休みして(一度書き始めると長くなる💦)

画像多めの投稿です。

 
【東照宮⛩️金光稲荷神社】 

二葉山を背に東照宮(徳川家康公)が祭らている。


⛩️金光稲荷神社は東照宮の境内 神社で、

社殿裏から

二葉山をのぼる500段の階段があり、
奥宮へと続く。

 

 

 


広島駅新幹線口の北側は「二葉の里」と言い、

二葉山が鎮座し、山麓には寺社が連なり

七福神巡りコースにもなっている。

 

 

石段が延々と続くが、途中に祠や稲荷神社があり、

写真をとったりお参りしたりして休み休み登ってみると、それほどきつくは感じない。

 






徳川家康の銘も所々に掲げられている。






 

「奥宮」

「奥宮」

 

 


【鶴羽根神社】
元は、八幡宮だったものが明星院の守護社になった。

周った四社の中では、こちらが最も古い神社かもしれない。

 

 

【饒津神社】

毛利家、福島家、浅野家、
戦国時代から江戸時代、安芸の国広島藩の領主は目まぐるしく変わったが、
毛利家が建立したここ明星院(饒津神社)は残り続けた。

 

 

 

幕末、浅野家は藩内の結束を強めるためここ明星院の西側を割いて
始祖・浅野長政を祭る饒津神社を建立した。

 

 


【長尾天満宮】
菅原道眞公を祭る。

平安時代、

菅原道真公が都から離れ九州太宰府に向かう折、ここに立ち寄ったと言う由縁がある。

 

時代は下り、平安時代末

平清盛がこちらに来た時に難に遭い
菅原道真公に祈願したところ

事無きを得た為、こちらに天満宮を祭ったと云う。

 

 

二葉の里の四社

饒津神社→鶴羽根神社→東照宮→長尾天満宮は2キロほどの圏内にあり

歩いて周る事も出来るが、

NTTドコモのレンタサイクルがあちこちあり、レンタサイクルで周ってみた。

スマホで借りて直ぐに乗れる手軽さがいい

 

 


謎の【天武天皇】Ⅰ.祭る神社は何故少ないのか

2024-10-27 | 古代ミステリー

【清見原神社】

大阪府大阪市生野区小路2丁目24−35

 


今回はパワースポットの紹介でなく、古代ミステリーの投稿です。

YouTube版『聖なる国 日本』のショート動画(古事記と日本誕生)でも天武天皇を投稿していますが、

興味のある方はご覧下さい。


浄御原の幻想✨

「浄御原=きよみはら」 飛鳥時代

近江(滋賀県)の大津宮から遷都し、

飛鳥(奈良県)の浄御原に都を戻した
天武天皇の事を、

『飛鳥浄御原』と呼ぶ。


あえて幻想と書いてみたのは、(長岡風)天武天皇を祭る神社が、極めて少ないからだ。

 

天武天皇(飛鳥浄御原様)を祭る神社は

⛩️三栖神社(京都)、

⛩️天武天皇社(三重)、

⛩️桜木神社(奈良)、

⛩️浄見原神社(奈良)

⛩️清見原神社(大阪)、

など全国で五社ほどしかない。そのうち、

後から合祀した神社以外で、最初から天武天皇を祀っている神社は


⛩️清見原神社(大阪)と、

⛩️浄見原神社(奈良)


ニ社のみ。


「天武天皇を祭る清見原神社」


奈良の浄見原神社は、天武天皇の吉野入りで国栖が協力したと言う伝承を由緒とし、


こちら大阪の『清見原神社』は、
天武天皇が、難波宮へ向かう時の行宮跡地に祭られたと言う。

天武天皇の崩御の後、大伴氏が
『天武天皇宮』として建立した。



 

明治時代の宗教政策により

天武天皇宮から『清見原神社』に改称され、スサノオ様など近隣で祭られていた神々が合祀された。

官社(官幣社)となり、

⛩️『清見原神宮』になっていた可能性もあったと言う。

 

何故、天武天皇を祭る神社が少ない事が謎(ミステリー)なのか?

それは、天武天皇こそが日本国の建国者だからだ。


和国時代の部族連合国を終わらせて

天皇を頂点とした日本国建国へと導いた天皇が、崩御後

二社しか祭られなかったのは何故だったのか?

 

 

【天武天皇の日本建国】

日本建国前夜


「天武天皇」

建国と、日本の基底文化に影響を与えた天武天皇は、律令と軍事だけでは国は治められず、宗教政策が必要であることを知っていた。


天武天皇(大海人皇子)は「壬申の乱」で、まだあまり知られていなかった天照大神や神武天皇の東征神話を持ち出して、自軍を鼓舞し勝利した。

そして、

政権に着くと、

一時は仏教の布教を禁じ、

伊勢神宮の社格を日本一に押し上げて、

天照大神を天皇家の始祖神とし

『古事記』『日本書紀』の編纂を命じた。

 

 

律令政策では、

『天皇』という王号と『日本』という国号を使い、天皇を頂点とし、

従来の「臣」「連」等の官位の上に、
新たに朝臣、真人など上級位階を作り、

元有力部族(氏族)らを律令官人制に導入する為の身分を明らかにした。


私有地・私有民化を阻止して、

公地公民制を盤石にし、

東日本の蝦夷族の酋長200人を来朝させ
朝廷に帰属させて、

統一国家への礎を築き上げた。そして、

道教・陰陽道、肉食の禁止など、日本の基底文化に影響を与える新たな
導入を次々と行った。

天武天皇の政策は、妻・持統天皇、子・文武天皇、に受け継がれ、

 

ついには『日本国』の国号で遣唐使を送り、


の中国皇帝に、

『もう 倭国という国はないのでその名での呼んではいけない。皆、日本国と呼ぶように』

と言わしめた。


そして、

大宝律令、和銅開珎、藤原京、

古事記、日本書紀が完成し、


通貨、法律、聖典、国記、首都、外交が整備された日本国は名実ともに建国された。

 

和国の部族連合国時代を終わらせた

日本国建国の立役者が、

何故これほど脚光を浴びることもなく、

ひっそりとしているのだろう??

天武天皇の功罪は、功より罪の方が深刻だったと言う事だろうか?

 

唐の都「中国大明宮遺跡」
日本政府からの援助(ユネスコ信託金)で修復された事もあってか、

『日本国』と言わしめた時の、遣唐使謁見の様子が展示されている。



【日本建国の後の衰退】
倭国の大王の時代は終わり

天武天皇系によって

天皇を頂点とした日本国が誕生したが、

建国後は残念な事に時代が下る毎に

仏教勢力  
貴族勢力
武家勢力、と天皇家の権力は
奪われていってしまう。

当時は、日本政府の最大派閥だった

亡命百済人勢力と仏教勢力の前に、
天皇側は追い詰められていき、

「天皇は仏教の下僕である」

とまで宣言させられ、仏教の法王は

神道の天皇より位が上とされた🥲


そして、遂には

「天皇の位を譲れ」と、仏教側から譲位を迫られる。


かつて蘇我氏が推古天皇に対し

「蘇我家の女と言え」
「天皇領をよこせ!」

と迫った事はあるが、天皇に対して

これほどまで堂々と、王権譲渡を迫った記録は無い。


とても、天武天皇を祀れるような世の中ではなかったのかもしれない。


奈良県葛城市當真にある

当麻寺(當真寺)は、天武天皇の時代

役行者が最初に修業した土地を、万蔵院に寄進した事によって建立された。         

その当麻寺にある仏像は、
天武天皇がモデルと言われている。

 


用明天皇の子孫である当麻公も天武天皇から最高位の『真人』の位を与えられ、
当麻真人となったが、
やはり当麻寺の建立には関わっていた様だ。

その後、当麻真人は
天武天皇、妻・持統天皇、子・文武天皇、と三代に渡り天皇家に仕えた。

 

飛鳥時代に山岳仏教を開いた

『役行者』が東国に追いやられ、

飛鳥仏教勢力は衰退していき、

百済系の奈良仏教勢力が席巻した時代


堂々と、天武天皇を祭ることはなくとも

当麻寺の仏像の様に、

御名を伏せ、別の御神名で影祀りして、

密かに祀った事はあったのかもしれない。


✨✨✨✨✨✨✨続く

 

△▼△▼△▼△▼△
影祀り※
世上を憚り御名を伏せ、表向き別の御神名で祀るケースは少なく無い。

新しい所では
加賀藩前田利家公とお松の方を祭っている石川県の尾山神社は、

当時、豊臣方だった前田利家を祭る神社を堂々と建立する事が徳川家の存在により憚られた為、
表向きは⛩️八幡宮を造営し、前田利家公を密かに合祀し祀った。

古くは
ヤマトタケルに成敗されたイソタケルの部族らは、表向きは⛩️姫神社としてイソタケルの妻を祭り、密かにイソタケルを祭っていた。

⛩️神社巡りをされてる方で、

「女神を祭っている神社のはずなのに、とても荒々しい雰囲気を感じた」と言う事は無いだろうか、、

本来、本殿の屋根を見ると祀られているのが女神か男神かが分かり、

基本的には

千木の形は 
垂直カット(男神)、水平カット(女神)

鰹木の数は
奇数(男神)偶数(女神)

と、されている。

しかし実際は、
女神の千木に、男神の鰹木など、
ちぐはぐな場合があり、

諸説あるが、一説にこれは

表向き女神を祀っているが
実は男神が主祭神である事を密かに表していると言う。

 

△御神名が詳らかな場合▼

天之水分神(男神)
水波能女神(女神)が祭られている社。

千木は垂直(男神)
鰹木は偶数(女神)の組み合わせだった。

 

✨✨✨✨✨✨✨✨✨🙏

最後までご覧下さりありがとうございました。


今日いち-2024年10月24日

2024-10-24 | パワースポット
山口県防府市【防府天満宮】菅原道真公が九州に向かう途中、防府に立ち寄り此の地に住みたいと願ったが叶わなかった。天神さま由縁の地✨五重塔にならなかった『春風楼』

山口県【ザビエル記念聖堂】✨日本初の教会創設

2024-10-20 | パワースポット

【ザビエル記念聖堂】

山口県山口市亀山町4-1

1552年、宣教師フランシスコ・ザビエルによって日本で初めての教会が山口で創設された。


その功績をたたえ、山口にザビエル記念聖堂が建てられた。(拝観料 200円)

 

 

ちょこっとだけ画像の投稿です😌

 

 

 

幻想的な聖堂✨

 

 

 

マリア様

 

山口県萩市の紫福では、弾圧により追放された宣教師たちが密かに信仰を続けていた。

キリシタン墓標群

神様の祠の様に作られている。

 

キリスト教の三位一体像

 

 

ザビエルは宣教当初、

日本人にとっての創造主である

「天の御中の主」の存在を知り

天御中主を崇めれば良いとしたが、

後に、西洋の創造主ゼウスを崇めよとした。

 

 

ザビエルは、日本の信仰を知るにつれ、自分が最初ではないということを 薄々感じ取っていたらしい。

 

 

 

 

 

最後までご覧いただき

ありがとうございました🙏

✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨

 

天に坐しましますわれらが父よ、

願わくは、御名を崇めさせ給え

御国を来たらせ給え

 

御旨の天に行われる如く、

地にも行われんことを。

 

われらが日用の糧を、

今日もわれらに与え給え。


長野県松本市⛩️四社巡り

2024-10-19 | パワースポット

⛩️筑摩神社
⛩️深志神社
⛩️四柱神社
⛩️沙田神社

松本市内にある四社を巡ってみた。

それぞれの歴史が個性的で、滅多に参拝する事の出来ない貴重な神様も祭られている。


Ⅰ.【四柱神社】

長野県松本市大手3-3-2  

松本城大手門の広場近くにある

✨天御中主神
✨神産巣日神(カミムスヒ)
✨高皇産霊神(タカミムスビ)
✨天照大神

 

 

最初に天地を造られた創造神である天御中主と、カミムスヒ、タカミムスビ、

最高神の天照大神✨四柱の神様を祭る。

 

 

創建は新しく
明治時代の宗教政策で、松本に国民教化機関(教部省中教院)が置かれ四柱神が祭られたのが起源。

日本の神社の中では稀な起源を持つ神社だ。

 

 

歴史の教科書の1ページ目に🙏天照大神が登場した時代✨
かつての政策では国民教化・民族教育は全て宗教が担ってきたものが、近代的学校制度にとって代わられる混乱期があった事が偲ばれる。

 

『若返りの水』

門前の女鳥羽川沿いにあり、

『なわて商店街』が賑わっていた

 

 

 

Ⅱ.【深志神社】

長野県松本市深志3-7-43


⛩️菅原道真公を祭る

 

学業の神様として知られ、菅原道真を祭る宮は『天満宮』と言うが、

神社と言う社号で祭られているのは珍しいかもしれない、、😳

 

 

 

 

若き日の菅原道真公


人々の道真公への愛が凄かった

 

 

⛩️愛宕神社 ⛩️市神社 ⛩️金山神社

等、境内には地域の摂社・末社が沢山祭られている。

 

特にこの石棒の上の祠には感激!

このような祭り方も見たことがない😳

 


Ⅲ.【筑摩神社】

長野県松本市筑摩 2-6-1

⛩️筑摩八幡宮とも。

御祭神
応神天皇(中央)、神功皇后(左)、
多紀理姫・多岐津姫・狭霧姫(右)、

 

本殿は室町時代の小笠原氏による寄進

宗像三女神と言えば、タギリ姫、タギツ姫、サヨリ姫(市杵島姫)だが、

サギリ姫(狭霧姫)と言うのは聞いた事が、ない。😳

 

サヨリ姫は市杵島姫の名で知られ、

その名では彦火明命の御妻神として奈良の鏡作神社等に祭られているが、

サギリ姫の名は、天の狭霧・国の狭霧の神話にもない🤔

 

 

サギリ姫(狭霧姫)とサヨリ姫、

似てはいるが、間違えられるほどサギリ姫の御神名は知られてはいない。

私が寡聞にして知らないだけかもしれないが、、信州に何故、狭霧の国の姫が🤔

 

九州 狭霧の国

※狭霧姫についてご存知の方は是非コメントを🙏

 

 

Ⅳ.【沙田神社】
いさごだ神社と読む。(読めない😅)

御祭神
🔥彦火火出尊 (天孫族)
🔮豊玉姫   (海神族)

✨沙土煮姫  (神代七代)

 

 

古くから岩を祀る古代祭祀があり、北アルプスを流れる梓川沿いの鷺沢獄の山中に沙汰神社⛩️奥社が祭られている。


沙汰神社は1400年の歴史があり

創建は648年、大化の改新後、

孝徳天皇の時代に勅命により建立された。

6年に一度、諏訪大社の様に四本の柱を立てる古い祭りが残る。

 

 

 

⛩️御祭神の沙土煮姫(スヒヂニ)は、
神代七代の3代目にあたる女神で、豊雲野神の子

神代七代とは国常立神〜イザナギイザナミまで天地開闢の時代の7代の神々の事。

 

 

7代目のイザナギ・イザナミが八百神々を産み出す前の、古い神を祭る神社は貴重なので、お参りさせて頂けるだけでも有難い。

それにしてもなぜ海神族(ワダツミ)の神と共にこちらに祭られているのだろうか🤔

 

✨✨✨✨✨✨✨
松本市内から梓川を遡っていくと『上高地』に至り、海神族(ワダツミ)の聖地✨⛩️穂高神社奥宮がある。


沙汰神社の御祭神の豊玉姫は海神族の王女であり、穂高神社にも祭られているので関係がありそうだ。

(穂高神社奥宮・神明池)

 

1500年前の九州勢力と大和勢力の最終決戦の後、敗れた九州勢力の海神族は海の都から散り散りになり、北アルプス(長野県穂高)の山に拠点を移した。

豊玉姫の兄妹・穂高見命は、

こちらから梓川を遡って行き穂高連峰の『上高地』(=神降地)に降臨されたのかもしれない。

そして、

日本列島にイザナギ・イザナミが降臨され(渡来され)てくる遥か昔からこの地には

沙土煮姫(スヒヂニ)が祭られていて、 

海神族がこの地にやってきてから、後に合祀されたのかもしれません。

 

※他の社伝では沙田神社祭神・沙土煮姫とある。砂と土の神とも言われるが、扇状地である松本に祭るに相応しい神だったのではないだろか。弥生時代の早くから渡来人による稲作も行われていたのかもしれない。

 

希少な神様が祭られている松本は、古来より信州の拠点とされてきた場所。天武天皇の行宮が作られた事もあった。

古神道の時代から日本神道、神仏習合、復古神道と、二千年の時の流れを感じさせないほど、今はひっそりとしていた。

神社巡りの行間の中でだけ、微かに浮かぶ様な気がした。

 

✨✨✨✨✨✨✨✨
長い投稿でしたが、最後までご覧頂きありがとうございます🙏🧿


⛩️⛩️⛩️⛩️⛩️⛩️山口県【元乃隅神社】運試し✨

2024-10-18 | パワースポット

山口県長門市油谷津黄498

 

アクティビティ系の神社投稿が続きます。

 

日本海の岩壁に向かって続いている123基の鳥居が圧巻な神社。

アメリカのCNN ニュースで紹介され、
外国人観光客にも人気のスポット。

 

 

平日の夕方でもありそれほど混雑はなかったが、

北は札幌、青森ナンバーから
南は熊本、鹿児島ナンバー まで

全国津々浦々から参拝客がいらしていた。

 

 

 

アクセスは駅からタクシーか、車だけ。

標高300m 以上の山が日本海側まで迫り、
山あいの道を抜けていく。

 

奈良や徳島の秘境の様な道や、すれ違いも難しい山道もあり、それだけに辿り着いた時の感動もひとしお。

 

 

横浜から🚘️往復二千㌔(笑)

 

創建は、昭和30年と言う新しい神社⛩️

神社本庁や宗教法人に属する神社ではなく、個人の所有物だ。

 

⛩️元乃隅稲成神社から、最近になり観光目的の為、『元乃隅神社』に改名された。

 


【岩壁に続く鳥居】

 


『龍宮の潮吹き』と呼ばれるスポットもある。

【鳥居の先にある祠】

 

 

 

何回もチャレンジする日本一入れ難いお賽銭箱。

鳥居の扁額の前に賽銭箱があるが、風で煽られたりしてなかなか入らない😅

 

山道を抜けていく

運試しのパワースポット😌👍✨


財運強運の神社⛩️東京【小網神社】

2024-10-15 | パワースポット

【小網神社】
東京都中央区日本橋小網町16−23

下町の小さな神社。

ちょこっとだけ画像の投稿です😌

 

強運財運の神様✨⛩️


東京の銭洗弁財天さまです。

 

✨ご祭神 宇迦之御魂神、
福禄寿、市杵島姫(弁財天)、

 

 

ゲッターズ飯田のオススメ神社で、
かなり参拝者が増えた様子だが、
この日は雨で人手は少なかった様だ。

 

 

それでもカラーコーンの端にガードマンが二人。参拝者は途切れることなく次々と訪れ、お金を洗っていた。

 

 

 

✨✨✨✨✨✨✨

ご覧頂きありがとうございました🙏

 

 


茨城県【御岩神社】と【薩都神社】と立速日命✨

2024-10-12 | 古代ミステリー

『清らかな山 かびれの高峰に、天つ神鎮まる』とされ、

御岩山には古くから神が坐されていた。

 

御岩神社は、国常立神、イザナギ、イザナミ、をはじめ188柱の神々を祭っていて

その奥にある『かびれ神宮』までは、

30分前後の山道。

多少汗をかくが、是非行ってみたい所だ。

 

茨城のパワースポット⛩️御岩神社の御岩山にまつわる

🙏古代ミステリーの投稿。そこそこ長文です。

 

 

【賀毘礼神宮】

かびれ神宮

 

タチハヤヒ(立速日男命)又の名を

ハヤフワケ(速経和氣命)が祭らている。

 

 

御岩神社の拝殿の左側(表参道)と右側(裏参道)から御岩山を上がっていく。

左は勾配がある分早く行ける。

 

この立速日が、

天つ神であると伝えられ、

御岩神社から車で15分程度の里宮

⛩️『薩都神社』にも祭られている。

 

【薩都神社】
茨城県常陸太田市里野宮町1052

ご祭神
立速日男命(速経和氣命)

奈良時代の終わり、常陸国風土記によると
厳格な神であり里(常陸太田市瑞龍町)の人々への祟りが多かった為、朝廷より片岡大連が使わされ人里離れた賀毘礼(かびれ)の峰=現在の御岩山に移されたと言う。

 

しかし参拝に困難であり再び里に移された。(現在の常陸太田市里野宮町)

 

平安時代になり、804年富士山の噴火、864富士山史上最大の噴火など、天変地異と地震が続いていて、日本は御霊信仰(災いを祟りとして呪いを封じる宗教政策)が盛んになった。

 


⛩️薩都神社は嵯峨上皇崩御(842年)の後、従五位、正五位、従四位と、急に位階の勅受が続いた。

立速日に突然の様に次々と神位が追贈されたのは、やはり祟りを封じる為なのだろうか?

 

 

御岩神社の後ろにそびえる御岩山(かびれ峰)には、

⛩️薩都神社中宮、⛩️賀毘礼神宮に、

立速日が祭られていて、

御岩神社で参拝し御岩山コースを周る方も多い、小一時間ほどで参拝できる。

『薩都神社中宮』

 

かびれの峰の頂きまで、登ると

かびれ神宮の奥宮、少し奥まった下の方に小さな祠と不思議な石柱が祭らていた。

 

 


ミステリアスな神・立速日を巡る巡礼ツアー✨✨✨🌿

 

 

【御岩神社】
188柱の神を祭るが、神道の神だけでなく仏教神も祭っている。

御岩神社は神道の聖地と言うより、神仏習合の時代の影響が色濃く残っている寺院でもあり、仏教が神道を支配していた時代観が偲ばれる。

 

出羽三山(密教)より、初代水戸徳川家が勧請した。

元は弥生時代を遡る古祭祀場があり、

天つ神である立速日様が坐される古来からの聖地だったが、千年以上経って仏教がマウンティングされた様だ。

 

【立速日男命】
天つ神とされる立速日(タチハヤヒ)は、常陸国風土記にのみ登場する神。
如何なる神様なのだろう?


かつてこの里は『国栖』と言い『土雲』がいて、「兎上命」に攻め滅ぼされた。

たくさん殺害したので佐都(サツ)と名付け、薩都と言う地名の語源でもある様だ。

 

その後、時代が下り立速日の祟りを鎮める為、片岡大連が朝廷より遣わされてきて、かびれ宮に祭った。

 

『国栖』『土雲』と言えば日本書紀で、

ヤマト王朝を開いた神武天皇の東征時、

奈良入りの時に登場した

『国栖』のイヒカ、
『葛城』の土蜘蛛(ツチグモ)など、

ヤマトの先住部族との関係が感じられる。

 

そして
『ニギハヤヒ』は、奈良の在地勢力の中ではヤマト朝廷側で有名な存在だが

『タチハヤヒ』と聞けば、

ミカハヤヒ、ヒハヤヒなどハヤヒ系の神々の中では、真っ先にこの

『ニギハヤヒ』を思い浮かべる人も多いかもしれない。

(🙄ハヤヒ多い💦)

 

 

【日本書紀・ハヤヒの物語】 
ニギハヤヒの

『ハヤ』とは、

ハヤスサノオ命
ハヤ経和氣命
ハヤ玉男命など

早くから日本列島に居た(着いた)
先住者を指している様だ、、 

『ニギ』とは、

和魂(ニギミタマ)の様に、柔らぐと言う意味の素語だ。

『タチ』とは、
旅にでる、立ち去る、と言う意味だが、

国常立の神の様に、国を立てると言う意味でもある。

タチハヤヒとは、立ち去った先住の神と言う意味にも取れる。

奈良にいた古い神は、茨城に移られ
国を建てられたのだろうか、、

そして、
ニギハヤヒと対を成す存在と言えば

『アラハバキ』(ナガスネヒコ)

である。※長い脛にハバキを巻いていた。

(出自はおそらくアラハバキは北方渡来の騎馬民族系でニギハヤヒは南方渡来の製鉄民族系)

 

△▼日本書紀△▼△

天つ神(天孫族)であるニギハヤヒは、
神武天皇に、先がけてヤマト(奈良)へ入った。

ニギハヤヒは、当時の奈良盆地の勢力・先住部族であったアラハバキ(ナガスネヒコ)の妹と婚姻し、天つ神の神宝を携えて結ぶ事で奈良を懐柔した。

ナガスネヒコは天つ神(天孫族)と、
婚姻合併し共同統治していたつもりでいたが、

神武天皇が侵攻してくると、事態は急変する。

ナガスネヒコは既に天孫族と合併している事を主張し証拠として神宝まで見せたが、

神武側は「確かに神宝だ」と認めながらもナガスネヒコを撃ち、

娘婿のニギハヤヒ(おそらく当時のヤマトの王)もナガスネヒコを裏切り、神武側についた。

アラハバキ(ナガスネヒコ)は、ニギハヤヒの裏切りにより討たれたとされているが、東日本に逃げたとの説もあり、東北にはアラハバキを祭る神社が多い。

 

アラハバキか、或いはアラハバキを盟主として仰いでいた奈良の残党らは、
(土蜘蛛や葛城氏も含む)

この里にやってきて、天つ神の神宝と共にアラハバキを祭ったのかもしれない。

 

御岩山(かびれの峰)には、十種の宝の様に多くの宝が納められた様だ。

 

 

明治時代の宗教政策の神仏分離では、

神道の神と、仏教の神が分けられ、
神々は厳しく選別されたがその時

アラハバキ(ナガスネヒコ)の様な東国の古い神々の多くは、国常立神などに変えられてしまったらしい。

かびれの峰に坐し、

神宝と共にある立速日様こそが、

アラハバキその人なのかもしれない。


紛れもない天つ神の神宝は、今も人知れず御岩山に眠っている。


封鎖され、行くことは出来ないが、

いつかまた悲運の天つ神を意識して御岩山(かびれの峰)を登ってみたい。


『賀毘礼の峰に登り給う、その社は石をもって垣とし、中に種属いと多し。種々の宝、弓、矛、釜、器物、皆、石となりて残れり。』


道祖神、月の夜に 石になりけり

✨✨✨✨✨✨✨✨
最後まで御覧頂きありがとうございました。

 

Other

私はなんだか山頂のこの岩が、

社に二人の神様が仲良く並んでらっしゃる様にみえてしまう✨😌

自然の道祖神の様🙏✨


静岡県三島市【三嶋大社】八重事代主神

2024-10-07 | パワースポット

【三嶋大社】

ご祭神 

⛩️八重事代主神
⛩️大山津見神

神奈川県の出雲大社(分祀)と、静岡県の

三嶋大社にお参りしてきた。

 

出雲大社のご祭神 大国主
三島大社のご祭神 事代主

お二人は、日本神話『出雲の国譲り』で国を譲り去っていった神様だ。

神話にあやかり

⛩️職場の『事業移転』のご祈祷をお願いしてきた。


日本神話では国譲りの後、
大国主と事代主神の親子が何処へ移って行かれたのかつまびらかではない。

静岡県には、
大国主と三穂姫夫婦が降臨された
事代主が上陸されたと言う伝承が残さている。

 

 

社務所の受付で、
『事業移転した後の繁栄でなく、移転だけですか?』と失笑されてしまい

三嶋大社では、ご祈願の内容を丁寧に奏上して下さるらしく、

「神官に伝えにくいので事業繁栄にしませんか?」と😅

 


事業移転と言っても、国譲り神話の様に

移転先が決まって移る訳ではなく、突然

ビル取り壊しの為の、望まない立ち退き移転なのでともかく移転がうまくいく様にとの思いからお願いしたところ、

事業移転で奏上して頂けた。

 

 

 

こちらでは、富士山の伏流水(地下水)が頂ける。

 

 

⛩️厳島神社✨(弁天さま)

 

 

事代主神は、天皇の守護神として宮中八神殿(皇居の神殿)に他のムスビの神々と共に祭られている神様でもある。

 

【香り守り】

天然記念物 三島大社の金木犀の香りつきお守り✨


まだ行くあても無い、

移転作業だが、これが奇貨となり

運気良き縁地へと結びを頂けますように🙏⛩️✨✨✨✨✨✨

 

最後まで御覧頂きありがとうございました

 


今日いち-2024年10月2日

2024-10-02 | 古代ミステリー

大阪『仁徳天皇陵』ピラミッド、始皇帝陵と並ぶ世界三大墳墓。宮内庁が仁徳天皇陵だと決めているが疑問があり、近頃は大仙古墳と呼ばれている。全長486mの日本最大の謎の遺跡。


渟名川姫Ⅲ.諏訪【御座石神社】どぶろく祭り

2024-09-28 | パワースポット

渟名川姫シリーズラスト

諏訪の御座石神社に参拝してきました。✨⛩️


✨✨✨✨✨✨
『出雲の国譲り』で最後まで抵抗していた建御名方命は、天孫族に国を譲り信州の諏訪へ落ち延びた。

そして、母・渟名川姫をこちらに迎えた。


【御座石神社】
長野県茅野市本町東15−5307

ご祭神 高志 沼河姫命(ヌナカワヒメ)

渟名川姫の住居跡地に祭られた神社で、

御座所宮が御座石の語源と言う。

 


渟名川姫は、鹿に乗って諏訪入りし、
石の上でくつを脱いだと言う伝承があり、その時の石が入り口に『御くつ石』として残る。

 


杜の空気感が何とも言えない。

御座石神社には、毎年
4月27日にどぶろくと鹿肉を振る舞う、

『どぶろく祭り』があり境内で醸造されている。

 

蔵には『杉玉(酒林)』が下げられていた

最初は緑だった玉が、醸造が進むとだんだんと深い茶色へと変わっていく。

 

 

祭事の火は、出雲大社と同じく火切の臼から切り出し、鹿肉を焼く🔥

 

出雲の大国主は、

越の国の渟名川姫へ妻問し、強烈な恋文を送ったが、

「私はか弱い女です。いずれ貴方のものになりますからどうか鳥たち(人々)に優しくして下さい。」

と言う様な内容の歌を返した。

 

 

大国主(八千矛命)の出雲の国と、

渟名川姫の越の国の婚姻合併により、

裏日本が一つになった事で、

出雲連邦王国は日本海の制海権を手に入れた。


しかし、婚姻を結んだ後でも

出雲の国と越の国は、一枚岩ではなかった様だ。

 

出雲に巻き込まれる様に、国を失ってしまった、越の国の女王・渟名川姫には、

悲運のエピソードがまとわりつく。

 

渟名川姫は大国主と決裂し悲劇的な最後を迎えたと言う話しもあり、糸井川で亡くなられた説もある。

息子の建御名方は板挟みになり、

争乱があれば出雲から母の国であった越の国を攻めなければならない事もあったかもしれない。

 


【薬師堂】

薬師如来が祀られていたが、明治の廃仏毀釈で取り壊される事になった、

人々は 薬師堂を壊すのが忍びなく、同じ名前の「八櫛の神」を祭り、境内に神社として残そうとした。その

請願は明治30年以降まで続いたと言う。

 


✨✨✨✨✨✨✨
ここからは🧿古代ミステリー🧿です
久しぶりにそこそこ長文ですが、

興味のある方は ご覧ください😌

 

【ケルト人と縄文人】

御座石神社のどぶろく祭りは、

🔥出雲の農耕民族の火切臼の神事と、
🐐鹿肉を捧げる狩猟民族の祭事が習合した日本では貴重な祭りの様だ。

 

 

このどぶろく祭りがある4月27日と言う日は、ケルトのお祭り10月30日のハロウィン(サウィン)に対応している様で、

ケルトの新年である
11月1日を前に 年末にお祭りを行う。

ケルトの人々にとっての『闇の半年』がここから始まり、
翌年5月1日から『光の半年』が始まる。

そしてまた5月1日を前に、お祭りをする。これが🔥どぶろく祭りにあたるようなのだ。


武内宿禰第73代目竹内睦泰氏に拠れば、古代日本ではこのように半年を1年として数える暦があったそうだ。

何故、

渟名川姫の神社にこの様な古代色の強い祭事が残されているのか?

 

外来のヤマト族からみた渟名川姫の一族は、古代先住民族であり、

6000年前縄文時代から続いてきた、翡翠の加工や越後アンギンと言う麻織物の加工を渟名川姫の一族が伝承していた事からも、

渟名川姫はリアルに縄文の女王だった可能性がある。(南方渡来説もあります😌)

 

 

イギリスの先住民族ケルト人 と言うと、日本からは 縁もゆかりもない 遠い国の人たちに感じるが、

日本の縄文人と

イギリスのケルト人 は

同じ時代、同様なストーン サークルを作っていたことで知られる。(あまり知られてない😅)

 

イギリス🇬🇧

 

日本🇯🇵

 

イギリス🇬🇧

 

日本🇯🇵

 

イギリス🇬🇧

 

日本🇯🇵


先史時代の遺跡として世界的に有名なイギリスのストーンヘッジは107mもあるが、

諏訪の阿久遺跡のストーンサークルは、

直径120m であり、年代も
6500年前〜5000年前とイギリスのそれより古い最大最古級の世界的にも貴重な遺跡だ。

(※残念な事に遺跡は高速道路の下に埋められてしまい見る事は出来ませんが💦埋めずにいたら間違い無く世界遺産🥲)

 

縄文の聖地であった諏訪は、ヤマト王朝の時代になっても半ば独立王国の様であり、先史世界の風習が僅かながらも残されてきた貴重な空間だ。

神道と融合しながらも、古代祭祀の足跡がかしこに残され、世界最古の祭りと言っても過言ではないかもしれない。

🧿話しを渟名川姫に戻して、、

 

渟名川姫は、

越の国と出雲の国を繋いだ姫であり、

縄文と弥生を繋いだ姫だったのかもしれません。そして、

 

渟名川姫は色黒だった為、婚姻後はぞんざいな扱いをされたとか、

姫は出雲から逃れ追手に追い詰められ身を投げた、隠れていたところ火をかけられたなど、悲運のエピソードが幾つか存在する。


いつかまた越の国に行き、

今度は諏訪や出雲の神話からは離れて、

 

姫の御魂が坐されるであろうかと思われる糸魚川の
中土村姫ケ淵、古宮、福来口、稚子池、黒姫山頂、行人塚など、越の国の故地を巡ってみたい。

長野県の諏訪に住居跡があっても、

御魂が安まれる地は、詳らかではなく

渟名川姫を偲ぶ旅は続く、、

 

✨✨✨✨✨✨✨✨✨
最後までご覧いただきありがとうございました。

 


渟名川姫Ⅱ.【八福神巡り】新潟県糸魚川市

2024-09-27 | パワースポット

糸魚川には、七福神ではなく『八福神巡り』がありちょっと紹介します。(順序不同)✨✨✨✨✨✨


【八福神】
七福神に渟名川姫(ヌナカワ姫)を加え八福神として、糸魚川駅北口の商店街に祭られている。

 

宝船

 


糸魚川駅北口
渟名川姫(奴奈川姫)命像

 

 

【翡翠の原石】
渟名川(糸魚川)は世界有数の翡翠の産地で、翡翠の加工が6000年前から行われていた。

翡翠は加工が難しく、
縄文人が世界で初めて穴を開け加工した翡翠は✨『世界最古のジュエリー』と呼ばれている。

 

①渟名川姫さま

ヌナカワ姫の語源も

渟=宝玉
名=の
川の姫で、宝玉の姫なので玉姫とも呼ばれていた。

 

 

②弁財天さま

金運財運の水の姫神様。

金融機関の前に鎮座😌

金運がグンと上がりそうだ💰

 

③福禄寿さま


こちらも財運の神様。

金融機関の前に鎮座されていた。

 

④寿老人さま


数年前、
😔糸魚川市駅前は4万平方㍍を焼く大火があり、復興後の今も商店街は驚くほど閑散としていた。

焼け野原から復活した寿老人様
長生きの御利益

 

⑤毘沙門天さま

毘沙門天は仏教の神・北の守護神

仏教の神だが、日本では神社にも祭られる

北口の護り神


⑥恵比寿さま

 

日本の【七福神】の殆どは室町時代に伝わった中国・インド仏教の神様たち。

その中で、唯一日本神道の神様が恵比寿さまだ。

 

 

(※出雲との合併で腐心した建御名方・渟名川姫親子の事を偲び、あまり渟名川姫のお近くには出雲側の神である恵比寿さまは祭らない方が良いのでは?🥲と思ってしまった💦)

 


⑦大黒さま

少し分かりにくい位置に坐されていました。最後に見つけた。

 

⑧布袋さま

元インド仏教の神マイトレーヤ様ですが、

中国に伝わり、中国人の僧侶『布袋』様と

習合した神様。

 

 

✨✨✨✨✨✨✨✨✨
最後まで御覧頂きありがとうございました。


渟名川姫Ⅰ.【奴奈川神社】新潟県糸魚川市

2024-09-16 | パワースポット

【奴奈川神社】
新潟県糸魚川市一宮1-3-34

 

 


糸魚川は縄文から続く翡翠の産地。

越の国の拠点だった太古の都。

 

糸魚川市役所のすぐ近くだが、ちょっと入りにくい🚙

 

 

 

天津神社⛩️・奴奈川神社⛩️
ニ社が祭られている。

 

奴奈川神社(ぬなかわ神社)

 

 

ご祭神の渟名川姫(奴奈川姫)は、

越の国(北陸四県)の古代女王であり

出雲の大国主(八千矛神)が、

妻問いをした。

 

 

拝殿の裏側、左にあるのが、

⛩️奴奈川神社本殿

 

 

ご祭神
渟名川姫、八千矛神(大国主)、

夫婦相神で鎮座されている。


この婚姻合併により、出雲と越の国は結ばれ、出雲連邦王国は古代日本列島の最大勢力となった。

日本列島の日本海側が一つにまとまったと言う事は、朝鮮半島と行き来する為、日本海の制海権を有したと言う事だ。

 

 

出雲連邦王国(グレートイズモ・ユナイテッド・キングダム)の盟主のことを

大国主という。


この合併により、八千矛神と渟名川姫の王子・建御名方が生まれ、
長じて次期大国主になろうかと言うところで、

天孫族の将軍が、「国を譲れ」と出雲に乗り込んで来た。

 

「出雲の国譲りの地」


大国主は「後は息子に任せる」と逃げた。息子の建御名方は戦ったが敗れ、出雲の国を譲り諏訪に逃れた。

そして、
母親の渟名川姫も、諏訪へと逃れていった。

 

奴奈川神社の右側は、「天津神社」

天孫(天照大神の子孫)である

ニニギの命、祭祀を担った、太玉命、天こやね命が祭られている。

 

ヌナカワヒメには

渟名川姫、奴奈川姫、沼奈川姫、

布川比売など沢山の当て字がありますが、奴奈川神社以外は

宝玉の姫である意味の渟名川姫が、最も高貴に感じれるので、『渟名川姫』に統一致しました。

 

 

次は、渟名川姫の居所跡に祭られる諏訪の御座石神社⛩️に迎います。

2年前の秋分の日✨🌾に、

諏訪から、糸魚川の渟名川姫さま巡りをしましたが、今度は逆から周ります😌

✨✨✨✨✨✨✨

最後まで御覧頂きありがとうごさいました。


月刊誌『厶ー』に載っていました。

2024-09-08 | 古代ミステリー

久しぶりの書籍版『聖なる国✨日本』の投稿です。

ナント!精神世界・ミステリーの老舗

月刊誌『厶ー』2024年2月号に、

 

『聖なる国 日本』が新刊書籍情報で掲載されていました。✨😳

 

WEB版のムーでも紹介されていて、それで初めて見つけたのですが

書籍版『聖なる国日本』は、パワースポットの紹介というより、ジャンルとしては古代ミステリーロマン風に書かれているので、

ミステリーの老舗である『ムー』に掲載されたことは筆者としては、嬉しい限りです。

しかも、1ページも使って頂き✨🙏

当ブログも紹介して頂きまして✨✨🙏

 

 

書評は、すごくよく書かれていて見事だなと感じました。表現や抽出も素晴らしいと思い一部抜粋させて頂きます↓↓↓

 

(引用)
https://web-mu.jp/column/33454/

日本古代史を自由に語るエッセイ集「聖なる国 日本」/ムー民のためのブックガイドコラム・インタビュー2024.01.14
文=星野太朗


「ムー」本誌の隠れ人気記事、ブックインフォメーションをウェブで公開。編集部が選定した新刊書籍情報をお届けします。

聖なる国 日本

ジェロニモ 著

教科書では教えない、ダイナミックかつ深遠な日本の歴史

 標題を一見すると、何やら右翼的な内容を想像するが、実際に本書に目を通してみると、右だ左だという政治的観点が、いかに狭小なものであるかが痛感される。

 本書において展開されるのは、教科書では教えない、ダイナミックかつ深遠な日本の歴史である。
 何しろ本書によれば、この日本という国は古代以来、西アジアから中国大陸に至る広大な領域の、さまざまな国の王族たちの、最後の亡命地であったのだ。
 そんなわけで、古代史の偉人たちは、本書によると、ほとんどが海外からの渡来組ということになる。たとえば、聖徳太子は元来は西突厥の大王だった人物だし、天智天皇は百済の王子キョギで、継体天皇はエフタル族の男大迹王であるという。また邪馬台国の卑弥呼の一族も、「中国江南の巫術者である許氏の一族の出自」であるらしい。

 本書は、このようなまったく新しい観点から、日本の古代史にまつわる多彩な謎を、自由闊達に語るエッセイ集である。
 話は古代の母系社会から、宗教の本質、『古事記』成立の裏話、卑弥呼の正体から日猶同祖論、北方からの渡来人であるスサノオの真実、「出雲連邦王国」と諏訪学、徐福伝説から日本のピラミッドまで、実に広範囲に及び、最終的には縄文の「文化」に辿り着く。
 著者によれば「文明とは、繁栄と滅亡を繰り返すもので縄文文化の様に長く続いたものが無い」。ではなぜ、縄文文化は1万年以上にわたって持続し得たのか? その理由は、ぜひ本書で感得していただきたい。

 著者のジェロニモ氏は、精神保健福祉士/ヒプノセラピスト。古い歴史や神社が好きで、好奇心の赴くまま全国各地を巡りながら、「聖なる国 日本」というブログを書き綴ってきた。本書は、このブログの書籍化である。
 元はブログであったということで、各章はそれぞれ独立した内容になっており、順序など気にすることなく、どこからでも読める。

✨✨🙏✨✨✨✨✨✨

筆者も驚いた本書の姿😳その

読後感が伝わってくる様で、、響きました。

こちらの書評を以て完結された気がします

🙏ありがとうございました。