岡山市の中山の両側に、吉備津神社と吉備津彦神社がある。
【吉備津神社】
【御祭神】吉備津彦(=彦五十狭芹彦命(ヒコイサセリビコノミコト)大吉備津日子命)
吉備津彦とその一族を祭り、岡山市の中山の麓に鎮座する。ご祭神である吉備津彦は「桃太郎」の起源と云われ、ここ吉備津神社に征伐の伝承が残る。
第10代崇神天皇の時代。
『百済の温羅という王子が吉備の国新山に居を構え、悪事を働き人々を困らせていた為、朝廷より吉備津彦が派遣され吉備津神社のあるここ中山の麓に布陣した。
苦戦の末に、犬飼健(イヌカイタケル)・楽々森彦(ササモリヒコ)・留玉臣(トメタマオミ)という3人の家来と共に討伐、吉備津神社の御竃殿に首を埋めたが13年間唸り声が止まなかった。
ある夜夢で温羅の霊があらわれ「我が妻、阿曽女に火を焚かせば釜を鳴らして吉凶を占おう」と告げそのとおりしたところ唸りがおさまった。』
この吉凶の占いは「鳴神神事」の起源とされ、現在も続いている。(見学無料)
何故か?鳥居が無かった。 拝殿は全国で唯一の比翼入母屋造り
学業の神様として学生の参拝も多い。
【吉備津彦神社】
【御祭神】 吉備津彦 大吉備津彦
吉備津彦と大吉備津彦は同一人物とされるが、こちらでは別々に祭られているようだ。
(吉備津彦の弟【稚武彦】のことなのだろうか?ちょっとややこしいが同じような名称の神社が近くに祭られているのも珍しい。。。)
吉備津神社から車で5分程、大吉備津彦の屋敷跡に社殿が建てられたとのこと。
厳粛な空気が満ちている
ヤマト朝廷ではまつろわぬ抵抗勢力や先住民を「鬼」「土蜘蛛」などと称していたので、
鬼退治の伝承は各地に残るが、香川県女木島にも「鬼ヶ島」とされる桃太郎伝説がある。
吉備津彦命の弟【稚武彦命】(ワカタケヒコ)が、吉備の国より讃岐の国へ渡ったところ、人々が鬼(海賊)に苦しめられていた為、備前の犬島(岡山県)、陶の猿王(綾南町)、雉ヶ谷(鬼無町)に住む勇士を率いて鬼を退治した。
(話は違うがペプシのCM「桃太郎」は本当に映画の様で凄くかっこいい。伝説としては、こちらの桃太郎伝説の方がシンプルでペプシコーラのCMのイメージにあってる気がする)
鬼ノ城
新しいヤマト王朝へうつりゆく時の流れを感じる
深淵で鎮かな聖地。
吉備津神社 岡山県岡山市北区吉備津931
吉備津彦神社 岡山市北区一宮1043
◇◆◇◆◇◆◇◆
【吉備の国】
古くは石器時代から歴史が続き、弥生時代は日本最大級の墳丘墓が数多く造られたが、古墳時代=ヤマト王朝の時代に入り大型の前方後円墳が盛んになった。
初代神武天皇の東征では、吉備の高島の宮に(比定地?)に8年滞在し、近畿でヤマト王朝をひらくに至る第二の拠点と云われている。
全国4位の大きさの造山古墳(当時では日本最大?)など、天皇陵なみの大規模な古墳群があり、大和朝廷に拮抗する強大な首長国であったことが伺える。
造山古墳
十代崇神天皇の時代に、考霊天皇の第三皇子「吉備津彦」が四道将軍の一人として吉備に派遣されこの山陽の地を治めた。 ※倭迹迹日百襲媛命の同母兄妹
倭迹迹日百襲媛(ヤマトトヒモモソヒメ)は神婚神話や託宣など巫女としての性質が強いため、
卑弥呼と結び付けて考えられている。
(吉備津彦も、【ももそ姫】の弟なので【もも太郎】??)
その後、雄略天皇(ワカタケル)の時代になり吉備一族が討たれてからは、大規模な前方後円墳の造営はなくなり吉備一族は力を失っていった。
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