聖なる国 日本

ジェロニモの聖地・パワースポットのプログ。

お正月に行ってみたい神社

2022-12-31 | パワースポット

お正月シーズンなので、久しぶりに神社のオンデマンドです。

12月足を痛めてしまい、やっと車イスから松葉杖になったばかりで、初詣は行けないかもしれず🥲 

振返りのまとめ、初詣か晦日参りに
「行ってみたい神社」七社⛩️の投稿です🙏

近江国一宮【小國神社】
静岡県周智郡森町一宮3956-1

御祭神大己貴命(大国主命)

こちらには全国一宮合祀の拝殿があり、全国一宮54社の神様が祭られている。

初詣行けたとしても近場しか無理だけど、こちらで全国の神々にご挨拶をさせて頂けるので、行けるなら行ってみたい神社😌🙏⛩️✨

宗像三女神と、八王子(天照大神とスサノオの御子)も祭られている。

【等々力不動尊】
東京都世田谷区等々力1-22-47

多摩川沿の等々力渓谷は東京23区内で唯一の渓谷。

環八沿とは思えないほど静かな場所だが流石に人は多そう、🙃

外国人にも人気のスポット

【熊野神社】
京都市左京区聖護院山王町43

京都東インターで降りると
鴨川に沿って

上賀茂神社

熊本神社

八坂神社
金比羅宮
伏見稲荷と神社が続いているが、

最初にご挨拶させて貰っている神社⛩️

ほっとする小さな神社で、落ち着きます。

【弥彦神社 祓戸神社】

新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦2887


越国一之宮弥彦神社の向かいにある祓戸神社

割と大きな神社の参道には、祓戸の神が祭られていることがあり

瀬織津姫

速秋津姫

気吹戸主

速佐須良姫

お祓いの大神四神にお参りしてから、本殿に向かうが、こちらの祓戸神社は参道から外れた所で、しかも道路を挟んで向かい側に祭られているので、ひっそりとしている。

瀬織津姫と速佐須良姫は、
古事記日本書紀には登場しない神様で祝詞の大祓詞いの中にだけ登場する。
祭られている神社も少なくレアな女神様なので、ぜひお参りさせて頂きたい神様だ。✨⛩️



【白川吉見神社】
熊本県阿蘇郡南阿蘇村白川2040

綺麗な清水が湧いている人気スポット

お水取りに。

お水とりと言ってもペットボトルに汲むとかでなくて、指先に水をつけて額にちょんちょんと3回繋げるだけ。😌🙏⛩️

【白石神社】

北海道札幌市白石区本通14丁目北1-12

御祭神 神武天皇(カムヤマトイワレビコ)

天照大神や天孫ニニギノミコトを祭る神社は多いが、ニニギノミコトのひ孫にあたる初代神武天皇を祭る神社は意外と少ない。

末社では豊玉姫様も祭られている。✨⛩️

明けましてのもう一つ追記

【金蛇水神社】
宮城県岩沼市三色吉水神

御祭神 水速女命(ミヅハノメ)
相神 大己貴命 少彦名命

金蛇大神とも呼ばれる水の女神様

まるでミュージアムの様な参道を通っていく


外苑も綺麗な現代的なつくり。

△▼△▼△▼△▼△▼△
見出し画像は
茨城県の大洗磯前神社の神磯の鳥居⛩️

本年も宜しくお願いします。

私のブログを読んで頂いてありがとうございます。✨✨✨🙏



縄文の道『アインシュタインの宇宙と縄文人』

2022-12-08 | 縄文の道

縄文人と呼ばれた古代日本人は、
漁・農・猟とバランスのとれた食文化を持つ人々だった。

農耕は弥生人へ
狩猟はアイヌ人へと

彼らの文化と遺伝子は枝分かれしていき同化され、独立した種族としての存在もやがて撹拌され、それぞれの遺伝子プールの中へと埋没していった。

その失われた縄文人の世界について

前回は、農耕について書いたが
今回は、狩猟について🏹😌

スポットの紹介ではなく、
一万年前の縄文意識と現代物理学の視点で長々書いてます🙃


【アインシュタインの予言】

アインシュタインは半世紀以上前の物理学者で、

素粒子は波動、ゼロポイントエネルギー
相対性理論では三次元に時間軸を加え過去現在未来は同時に存在するという四次元モデルが有名だ。(ノーベル賞の光電効果はあまり有名でない🙃)

 

「科学と宗教はやがて同一のものとなるだろう」という予測をし

そして、人類が生き延びられない可能性も示唆した。😮

 

『人間は宇宙の一部である。しかし、他者と切り離された存在であるという一種の錯覚に陥っていて、魂の牢獄に閉じ込められている状態と言える。〜

魂の牢獄から自らを解放するためには共感の輪を自然全体に広げていき実質的に新しい思考の形を身につけなければ、

人類は生き延びることが出来ないだろう』

という予言を残した。

 

アインシュタインが錯覚と言う

「人間が、自然や宇宙と切り離されてしまった状態」とは?

そして、
「人間が魂の牢獄から解放され、自然や宇宙と切り離されていない状態」とは?

今回は説域を広げ、それらから

宇宙の根源と繋がる様な縄文人の
意識を考えてみる難しい試み。


長文ですが、興味のある方はご覧下さい🙏✨

 

【自然崇拝と言う噓】
『先祖崇拝と自然崇拝』の投稿でも詳しく書いたが、日本には本来自然崇拝という信仰は無かった。

そもそも「自然」という言葉さえ無かったのだ。

だが「日本人は自然崇拝」という刷り込まれてしまった既成概念は無くならないので、
自然という言葉を持っていなかった古代日本人を理解する為に
一度これを取り除きたい。

昔の日本人は、

先祖や祖神が宿る依り代の
木や岩、埋葬した山に祖霊(神)を祭っていただけで

何も『木や岩、自然全てに神が宿る』と信じていた訳ではない。

その様な信仰があったという迷信にすぎず、根拠も無いのだ。


自然を敬うのは当り前の事だが、

自然崇拝とはイギリス人のタイラーさんという学者が思いついた『アニミズム』という分離主義に基づく考え方で、私達日本人の先祖を敬うという信仰からはだいぶ外れてしまった。

西洋一神教では『先祖崇拝』が禁じられていて、特に敬虔なキリスト教徒は
死後の世界観も含めて2000年近く禁じられてきたので、

先祖崇拝が理解できず、

日本の八百万の神々も自然崇拝から生まれた宗教だと勘違いしたのかもしれない。

 

「全治全能の唯一神ヲシンジサーイ」的な一神教にとって、

人々が過去に実在したであろうご先祖様や始祖を崇めることは極めて危険で
祖先崇拝はあってはならなかった。

西洋の一神教と違い、先祖を大切にした日本人にとっての神とは、

人として生きていた部族の始祖を、子孫や影響を受けた後世の人々が神として祭った存在だ。

「神サマなのに人間っぽいじゃん?おかしくね?」と、西洋人が考えた神のイメージをそのまま信じている方もいるだろうが、元々は人間だ。

⛩️伊勢神宮の宮司の吉川滝美さんと言う方は、

「お参りはおばあちゃんに会いゆくつもりで」
と言ってますが、まさしく⛩️

「神様エライデスアガメナサーイ」的
な存在ではないので、

子供がプラスチックのなんとか剣で、叩く様なお参りでも


スーツを来て礼儀正しくご無沙汰してますというお参りでも

おばあちゃんは

「よく来たね」

と、温かい😢✨⛩️

(おじいちゃんはー厳しめ🤔)

亡くなった人を神葬し、後世の人々が神として祭ることによって神と言う存在になるのが日本の伝統であり

日本人ならば苗字や家紋から遡れば、必ず八百万の神々の何れかに辿りつく。

 

【西洋と東洋の信仰の違い】

タイラー氏の「日本人自然崇拝」説が提唱された半世紀前頃は、

折しも日本では『天照大神』を唯一の始祖として、他を日本の歴史から切り捨てていた明治時代の方針に回帰しようとする風潮があった為か、

「八百万の氏族から八百万の神が生まれた」というよりも

「自然全てに神が宿ると信じ八百万の神が生まれた」とした方が、都合良かったのかもしれない🤔。

日本でもこの説は歓迎され

「日本人は自然を敬い全てに神が宿ると信じた」と言う美々しい言葉の響きと共に広がり、今では枕言葉の様になってしまっている。😔

では、

太古の人々は自然崇拝でないのなら何を崇拝していたのか?

何も、崇拝していない。

死生観(サナトロジー)というパラダイムを持ち、

ただ森羅万象の中に生きていた。

 

 

 

死生観は太古の人々独自の

パラダイム(=ものの見方や考え)
であって

レリジョン(=宗教)
ではないので信仰や崇拝もない。

西洋人の学者によれば😔

「日本人の自然崇拝は木や岩に神が宿ると信じていて、これは子供が人形に話しかけるのと同じ幼稚な行為である」と言う事らしい😅

何も西洋人の自然説を受け入れる必要など無い。😑古代人は、

人も自然の一部である事が当たり前だった。日本人は森羅万象に生き、

わざわざ西洋人の様に

人と切り離した「自然」という対象を考えて、その上で崇拝するなどと言う発想は無かった。

英語文化が入ってきた時に、仕方なく仏教用語「法爾自然」から自然と言う字をとりネイチャーの対訳に当てた西洋言語だ。

西洋人が自然から切り離された存在になってしまったのは、宗教政策による影響もあると思われるが、

宗教観を持たない太古の人々の
『死生観』とはどの様なものだったのか?

 

 

【太古の世界観と現代量子物理学】

『この世界は粒子の波動で出来ていて、ひとつである』

なので何億光年離れているかに関わらず、量子のもつれ状態の粒子は同時に反応する。

そして、この世界の現象を決定づけるのは観測者の意識だ。

観測者も宇宙の一部であり、観測する意識の影響で結果が生成される。

物質とは固い物ではなく、細かくみていけば粒子や波動ととしてか存在していない。

物質とは、その位置にそれがあるという確率にすぎず、その場に固定されたものではなく、それを決定しているのはやはり観測者である人間の意識だ。

この摩訶不思議な性質は量子コンピューターの速さになっている様だが😅難し🤔


太古の人々は、こうした物理学の波動関数も光のスリット実験も知らなかったが

この世界が物質化の世界であるという事を知っていて、

非物質の世界に対して、人間の住む現象世界から物質化のコントロールをしていたのかもしれない。

宗教ではなく、今風に言うならば

「引き寄せの法則」だろうか?

アインシュタインが言っていた
「他者と切り離された存在ではなく自然の一部である」という

切り離されてない状態とは

どんな状態か?

縄文民族や狩猟民族など、古代人の世界観を知るにつれ

縄文人の宇宙の根源と繋がる様な、

生命の円環の中で存在していた様子が

朧げながら伺えてくる。

 


【二つの異世界を繋ぐ意識】

原始〜現代まで、世界観は全て

生=人間が知覚できる現象界
死=人間が知覚できない非物質世界

という二元論から成り立ってきた事に大差はない。

死生観とは宗教だけのものではなく、哲学・社会・医学にまたがる価値観で人間が生きることで持っている当たり前の感覚だ。

太古の人々の死生観は

「現象界」と
「非物質界」

この二つの異世界を繋ぐ意識によって生命は行き来するという、命の円環の中で生きているという感覚だった。

 

 

 

 

3000年ほど前、

この二元論の非物質界の世界観を封印した「宗教」というものが発明された。

宗教観が生まれた事によって

天国や地獄、全能全能の神が生まれ

西洋人は二元的だった世界を一元的なものにしてしまい、非物質界も含む世界との繋がりから外れてしまった。

魂という非物質界と行き来する存在も否定し、

まさに魂を牢獄に閉じ込めたといえる。

 



生も死後も『宗教』しかないという世界が全てで、

死んだら神の元へいくとだけ教えられて他の世界観を受け入れなくなった。

非物質界と物質の現象界を

「唯一の神」で一元化し、

生きては「神ヲシンジナサーイ」
死んだら「神ノモトヘイクノデス」

と、二元的な世界を唯一の神一色のヘンテコな世界へと変えてしまったのだ。

 

多くの人がこれを信じている。


ビフォア


          ↓↓


アフター

 

一神教にとって、死後の世界には

亡くなったご先祖様や始祖神さまが
そこにいて崇める等という事はあってはならない。

しかし、

 

唯一なのは

たぶん神ではなく、

 

本来はきっと

『意識』だけが一元的なのだ。

日本人が神として祭った八百万の祖神さまも、

そうした意識の中のひとつだ。

 

意識は非物質界と現象界、
二つの世界に存在するため

意識だけが影響を及ぼすことが出来、

意識の乗り物である魂は二つの異世界を行き来する。

この意識への回帰の事を
「一元意識への回帰」という。

 


現代物理学では、

通常の物質世界には時空が存在し、
時間は、過去・現在・未来に分けられ
空間は、距離によって分けられている
が、

素粒子の量子世界では時間と空間による分離がない事が確証されている。

そして、意識の世界も量子的であることから

意識は死生学(サナトロジー)的な対象としても研究される様になってきた。

 

 

 

全ては波動であると言う現代物理学風(青)に古代中国の死生観モデルを書き込んでみた。

全ての世界は波動からなる。そして

波動が塊になると、物質という固さや重さなどに制限される固定された形となる。

 

古代中国には、

「全ては『気』からなる。そして

気が塊になると生となり、死とは

気が散じていくすがたである」

という様や考え方があった。

氣と波動、物理学とら言葉は違えどモデルとしては通じるものがあり重なり易い。

 

2500年前の中国の孔子という人は、鬼の道に詳しかった。

日本の鬼とは異なり、中国の「鬼」とは亡くなった方の霊の事であり、魂魄と言って、人な亡くなると物質界の『魂』になり、『魄』は弔わなければ、地に還らず現象界にとどまる浮遊霊ともなる。この浮遊霊の事を鬼という。


中国人は五行論をベースに現象界から非物質界に送り出す死生学の研究をまじめに続けてきたが、二つの異世界のコヒーレント意識を大切にしていた。

なので人を殺すことよりも、人を殺して弔わないことの方がもっと悪いこととされていた。


物質を形づくる波動の塊の「塊」という字にも「鬼」と言う字があり土ヘンが着いてるのが奇妙な符丁に感じる😮

波動の塊(=mass、クラスター)が物質ならば

「鬼」はやはり意識の波動で、土塊となったものが物質という意味にもとれる、、🤔

人は死ぬと、

土塊(死体)、魄(現象界の霊)、魂(非物質界にいった不変の意識)

三つの相に分かれ転位する。

これを「鬼」の道という。

(※卑弥呼は鬼道に仕えたとはこの「弔い方」を知っていたという意味です😌🙏)

この中国人の死生観は亡くなった方を悼む意識を大切にする考え方だ。

日本ではこの塊魂魄という、鬼の幽冥道の考えは定着しなかったが、現代でも香典袋は亡くなったばかりは『御霊前』、
法事は『御仏前』と書かれてるとおり、


人は死後、遺骨、霊、仏と、三つの相に転位するというのは共通している。

しかし、コンビニで普通に売ってる香典袋を普通に使っているだけで、私達は何もそれを信じているとか信仰してる訳では無い。☝️

ただの、パラダイム(捉え方)や習慣として持っているだけで、

「日本人は節操がない」という人もいるが、

この日本人の非宗教性の感覚は、むしろ正常なバランス感覚をもたらしていく上で今後は重要になると思う。


『宗教を精神的な拠り所としなければなら無い。宗教を持たない日本人はおかしい』という謎の西洋人的な宗教優位主義もおかしいし、対して

「目に見えない世界を信じるなんて愚かな事だ」という宗教否定的な反発も極端だ。

宗教者・無神論者、どちらもの信者にもならず普通に死生観を持っている方がより人間的だし霊的に健康だと思う。

一神教宗教の影響が強い西洋人では、
こうした事が理解出来るのは物理学者だけなのかもしれない。

私達、日本人は学者でなくとも西洋人のバイアスがかった影響を取り払い、古代日本人の叡智を思い出し、非物質的な意識の世界を理解することは出来るだろうか、、🙃

 


【狩猟】

縄文人は狩猟も行なっていた。

氷河期の旧石器人の様に落とし穴を仕掛ける時代が終わり、狩り出かける様になって収穫エリアは広がった。


狩りに出る時は何日か出かけるが、その移動範囲は100㌔〜200㌔圏内で、
諏訪の八ヶ岳から山を越え、浅間山から群馬の榛名山まで行ってくるなど狩場は広い。

猟師という職業では無いので、狩りの為に移動するだけでなく、黒曜石や塩などの必需品も周辺の縄文コロニーに運ぶ。

現代の様に一次産業二次産業と階層分別されてるのでなく、一元産業体でありその方が効率が良かった。

 

狩猟は、獲物との遭遇を求めてやみくもに山の中を歩き回る訳ではない。

山から山への移動は同じ標高のトレイルを行く。

動物達にも同じ様に、テリトリー内を移動する「獣道」という独特のルートがある。

獣道は、親から子へ受け継がれずっと同じルートが使われ、変わるということが無い。エサを探索する時の基点となる大切なルートだ。

人間が侵入してきてリスクが生じても回避ルートをつくることは滅多になく、どんな動物でも先祖代々同じ獣道を使う。

例え高速道路が出来ても同じルートを通るので、「動物危険」の看板が立てられる。

氷河期の旧石器時代は、この獣道に落とし穴を仕掛けて獲物を獲っていたが、周辺に何世紀にも渡って落とし穴が作られた跡が発見されているので、落とし穴猟が行なわれても獣道ルート自体は変更される事はなく使われてた様子が伺える。

狩りとは、この獣道ルート上で待ち伏せをして矢を射る事だ。

獣道は変わらないので、やみくもに獣道を探す事もなく、やはり先祖代々より教えられてきた獣道の場所に出かけ待ち伏せをする。

問題はいつ獣がそこを通るかだけだ。

 

RPGで「○○へ行けば○○というモンスターが出る」という様に、遭遇が繰り返される設定になっている。

捕り過ぎれば遭遇が無くなり、また時間を空けていけば再生し出現する様になるというのもまるでゲームの様だ。

太古のモンスターハンター達は、
自分達のトレイル上にある小中規模コロニーを拠点としながら、獣道エリアにアクセスし、待ち伏せをした。

待ち伏せ地点に獣が現れ矢を射る時

 

「当たれ」と、

獣を射ようと狙うのでなく

 

『招待する』という意識で、

矢を放つ。結果、

放った場所に

獲物が召喚されて射られる。

獲物が与えられた後には感謝の儀式を行い、 

人間の住む『現象界』で確かに受け取った事を『非物質の世界』の存在へと報告する。

すると非物質界からまた、現象世界へ命がおくられてくる。

この「現象界」と「異世界」の命の円環の法則の中で生きてきたのが彼らだ。

引き寄せの法則の様な話しだが、

一万年以上も続いたサステイナブルな方法であり

彼らの持つ法則性の原理は決して
不確かな迷信や宗教の類ではなく、

現実にこれで一万年以上生き延びてきたと言う実質的なエビデンスがある。

 

これは、非物質界からの獲物の召喚を、現象世界にいながら意識的に使いこなしていた証ではないだろうか。

(😅)

 

現代物理学では

意識そのものは量子的であり=

量子世界には時間や空間は無い。

しかし、

3次元で生きている私達の意識には

肉体的な制限を受ける意識状態と

量子的で時空の制限がない意識状態が有り、

意識を変える(トランスする)事で、

量子的で非物質界的な意識状態になると、

非物質界にもアクセスできる様になる。

 

 

人間と違い

動物は本能的な肉体意識と、

非物質界の集合意識との隙間が無く

エゴ(=自我意識)が強く存在している隙間がないので、

人間の様にトランスしなくても

非物質界の集合意識からの影響を受けやすい。

『招待』というポジティブな意識を非物質界に送ると

反応して召喚されてくる。

「当たれ!」は人間エゴの意識で殺意が乗っているので、

動物も本能的な肉体意識の方で反応してしまい反射的に逃げるが、

非物質界からの招待には無意識に招かれる。

 

 

 

物理学的な考え方では、地上界・天上界という上下はなく、

量子世界はこの様に宇宙の根源に

『包み込まれた秩序』であり

現象世界は『はじきだされた秩序』と言い

縄文人は理論も根拠もないが、

この包みこまれた秩序の世界に意識を繋げる事でこの

「招待」↔「召喚」という反応を利用し狩りしていたのではないだろうか🤔

 

(🙄むしろ理論などより実践の方が凄い💦)

 

そして、

命の恵みとなり量子的な非物質界にいった動物の意識に対しても、ポジティブな意識を送っていた。

貝塚も、縄文人達にとってはゴミ捨て場ではなく「ものおくり」の場で、

少なくとも神という窓口担当が存在して、祈りに応え命の転送業務を行なっていたという信仰は無かったと思う。

 

 

 

 

縄文人は

この命の円環の世界で自らを知り、

途切れることなく

一万年生き延びてきた。

 

現代人の私達も、今こそそれを思い出す時が来てる様だ。✨

 

大変長いお話しを最後まで読んで下さって、ありがとうございました🙏

 

✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨


鹿児島県【武南方】と南方の諏訪信仰

2022-12-03 | パワースポット

縄文の投稿が続いてましたが、

鹿児島の縄文遺跡を周りつつ寄った、

南方の『諏訪信仰』について⛩️✨

そこそこブログっぽい長さで😌🙏
ざざっと、画像少なめ文章多めです

 

(🙄また諏訪か)

 

【南方神社】鹿児島市

 

鹿児島の建御名方信仰は、鎌倉時代に源頼朝旗下だった島津氏の始祖
『島津忠久』が、
信濃地頭と薩摩守護に任じられた事が信仰の始りの様だ。

 



信濃国一宮『諏訪大社』からの勧請

鹿児島市五社参りの第一社

⛩️ご祭神 ✨建御名方命 事代主


島津忠久は、もとは惟宗忠久といい
『惟宗氏』は秦氏から分かれた京都の朝廷貴族。藤原忠久とも名乗ったが、

数ある守護地頭の任地の中で最も大きな島津荘(鹿児島・宮崎にまたがる近衛家領の日本最大の荘園)を本貫地に定めてから島津氏を名乗った。

大分県の大友氏同様、源頼朝の実子との説がある。

島津氏は鎌倉で活躍していた。

任地の薩摩に定着したのは五代目の島津貞久からだが、島津貞久も諏訪大社からの勧請で、建御名方命と事代主を鹿児島市の南方神社に祭っている。その後も、並立鳥居の諏訪神社など類代に渡り諏訪から武南方を勧請している。

 


信濃地頭だった島津忠久は、建御名方信仰と共に馬の先進地域だった信濃から牧場や馬術も、薩摩に齎したと思われる。

『牧の神』と言われる牟礼神社や
種子島の牧場の神々など、牧場の史跡が各地に残されている。

島津氏を始祖とする薩摩武士の強さにも、諏訪譲りの強さが伝わったかもしれない。


室町時代の馬術の達人島津氏久も、諏訪大社より建御名方を勧請した。

 


諏訪以外では建御名方のもう1つの訓みである『武南方』の名を冠する南方神社はなく全国でも稀だ。


鹿屋市吾平の南方神社

 

地域の方が、掃除をしていた。

 

氏子さん達が大切にしている神社にお参りに行くと、「ありがとうございました」と声をかけられる事が多いが、

氏子さんと神社の関係が良いところはなんだか嬉しい。

 

鹿児島独島の「牧の神」とは牧場の神を祭ってるというが、石や樹(ソテツ)等をご神体とした祭り方で、諏訪のミシャグジ神と似ている。

馬だけでなく信州の馬飼たちも、諏訪から連れてこられたのかもしれない。

諏訪といえば「馬」と言うほど諏訪人とは関係が深い。

すき焼きなど諏訪では馬肉が当たり前(と言うより最近まで諏訪のお肉屋さんでは馬肉しか売ってなかったらしい🤔)

 

そして、種子島には牧場の神が多いが諏訪人が祭ったのだろうか、、、

但し諏訪盆地の様に湛えの木はないので、ソテツが使われている様だ。

 

 

 

珍しい南国バージョンのミシャグジ🌴?

牧場や牧場の祭祀場にあちこち祭られているので、やはり馬の牧場経営でやってきた諏訪人たちが祭っていたのだろう。

 

 

【鵜戸神社】鹿児島県鹿屋市

 

玉依姫とウガヤフキアエズの陵墓と云われる『吾平山上陵』の近くに、

同じく玉依姫・ウガヤフキアエズ夫婦相神を祭る鵜戸神社がある。

 

 

摂社に祭られる祠

 

見事な御神木が育っていて、ミシャグジでは?と宮司さんにお尋ねしたが、何の神様を祭ってるのかよく分からないとのことだ。

ますますミシャグジっぽい😂

やはりこちらにも諏訪人がやってきたのだろうか?

 

明治の神仏分離時代の宗教政策で、一村一郷につき一社制という指示があり、
地域の各社は一か所に集められた。

五所神社、十二所神社などの社名はその名残りだが、

おそらくその頃に、何処かから持ってこられたのだと言う。

 

見事な神木だが、

ご近所さんからは「落ち葉が飛んでくる」と苦情があり大変らしい、😳

(枝一本剪定するだけでも40万かかるという😮)

氏子さんが近くにいない事もあるのだろうか、🤔

神木の葉が飛んで来るのは

葉来(ハライ)と言い

一年の穢れを払って貰える気もするが、それどころではないケースもあるのだろう。

武南方の氏子さん達の様に、落ち葉を掃除すると言う様な感じでは無いかもしれない。

 

諏訪人と諏訪神の関係は、


遠い鹿児島に来て時代を経ても、変わらずある様に感じた事が印象に残った。

 

美し里


縄文の道.鹿児島【知らされざる縄文農耕】縄文封印の謎その②

2022-12-02 | 縄文の道

鹿児島霧島市【上野原遺跡】

鹿児島県、霧島市に上野原遺跡という最大最古級の遺跡がある。

一万年前〜弥生時代、古墳時代、
そして江戸時代まで時代を超えた遺物が発掘された、言わばアカシック・タイムレコーダーの様な場所だ。

厳しい氷河期の後、私達の祖先は土器や漆塗りを発明し、食糧の備蓄や調理法の範囲を広げていた。

世界では『新石器時代』と呼ばれるが、日本では縄文時代という。

(約一万6000千年前〜2300年前)

青森県大平山遺跡で16500年前の世界最古の土器が発見されたが(欠片は中国が最古🙃)、

縄文人は石器だけでなく、早い段階から氷河期文化を抜け出し土器を使う生活をしていた。

縄文漆塗土器(※漆も日本が最古🙃)


南九州の縄文遺跡群は草創期〜早期にかけて、約1万年前〜6500年前の縄文遺跡が多い。旧石器時代4万年前からの遺跡も連続し、先月も馬毛島で4万年前の遺跡が発掘されたばかりだ。


《夫婦土器》

日本で初めてとなる7500年前の土器が完全な形で見つかった。

一つは円形、もう一つは方形の口をしていて並べて埋められていた。


上野原台地の祭祀場と思われるエリアの台地の中心に埋設され、それを囲む様に周囲には土器と土器片が埋められていた。

口の広い「鉢」だけでなく、首のある「壺」=水や醸した液体を保存する器も発見されている。

6500年前の早期になると、鬼界カルデラ海底火山の壊滅的な噴火があり暫く人が住めない時期がやってきた。

縄文早期・草創記(一万3千年~6000年前)は縄文遺跡は九州に多く、海底火山噴火後、

縄文中期は、(5000年前)
日本アルプスの火山周辺の高原が中心地帯となり、

縄文中期〜後期は(4000〜3000年前)
東北の十和田湖カルデラや岩木山火山周辺に遺跡が集中する様になり、

次第に東日本へ縄文の中心地が移っていった様子だが、

縄文晩期になると、

また九州に縄文文化が登場する。

😮それにしても何故、火山周辺を選ぶのか?

【種子島】

鹿児島県の東側・大隅半島の南にある種子島は

標高282mのゆるやかな台地の島で黒潮海流の中に位置し、鉄砲だけでなく

米伝来の地だ。白米を北端でウガヤフキアエズが、赤米を南端で玉依姫が撒いた伝承が残っている。(初代神武天皇の父母神)

赤米は、陸稲としても育てられる貴重なお米で、ジャパニカ米に近いという。

白米は、今の私達が食べている水稲で「ジャポニカ米」という。

興味深い事に、種子島では弥生式の土葬から、縄文人の特徴である抜歯の跡がある身長153㌢という低身長の遺骨が発見されたらしい。🤔

縄文晩期=2400前〜3000年前から弥生時代2300年〜にかけて
縄文人と弥生人の同化の時代があったと思われる。

種子島には、ともかく古い遺跡が多く密度が高い。


縄文時代より前の、35000年前の遺跡『立切遺跡』と『横峯遺跡』もあり

最古級の落とし穴(獣道に仕掛ける)
肉の燻製工房と石蒸し調理施設の跡も見つかった。

出土品も豊富なせいか中種子歴史民俗資料館では、

ナント😮

触っても良い👌黒曜石や土器片、石器がある

《縄文サラダバー》(上野原縄文の森)

ここから先は、「縄文農耕の謎」について

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長文ですが興味のある方はご覧ください。🙏✨

何故、縄文人は火山近くの高原に住むのかも

後で詳しく


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【消された一万年前の稲作の謎】

「縄文人は狩猟採集民・獣を獲り栗を拾って食べていた」

といった決まり文句のイメージが定着して久しい🤔

この半世紀、次々に新しい発見があったのにも関わらず、

相変わらず縄文人を狩猟採集民族と言うときの

【枕言葉】の様に使われている。

稲作どころか、農耕さえもなかったと信じてる方もまだ多いだろう、、🤔

種子島は9000年前(縄文時代早期)の遺跡が多く、三本松遺跡の土器からからは約一万年前の世界最古級のコクゾウムシが見つかっている。

画像CT

コクゾウムシは、別名「米食虫」と言い🌾米を主食とする虫で、稲作はそれまでコクゾウムシが発見された縄文晩期(2500年前)からという認識を覆す大発見だった。

古いと食材そのものは見つけ難く、こうした痕跡で見つけるしか手段がない。

しかし、何故かこのコクゾウムシは栗を食べていたことになっている😅

明確な根拠は、、ない。

謎だ。


【500匹のコクゾウムシの謎】

北海道で500匹のコクゾウムシを練り込んだ縄文土器が発見された。

《米を食べ繁殖するコクゾウムシさん》

素直に考えれば、
(コクゾウムシ=)米食虫が大量に発見されたという事は、
主食である米があったのだろうとなるが、やはり縄文の稲作はとことん否定され半世紀前の「栗拾い獲物捕り」説に寄せているせいか

『これは栗を食べたコクゾウムシで、栗を入れる土器を守るため呪術的な意味で土器にコクゾウムシ練り込んだ』

とされている。

😅まじか、


栗には『栗シギゾウムシ』というコクゾウムシの何倍もある大きい害虫がいて栗を主食としているので、栗を守る意味ならクリシギゾウムシを塗り込むべきと思うが、、😅

《栗を食べるクリシギゾウムシ》さん、、

は付け難い😅

幼虫はたまに甘栗で当たるとトラウマになる、、😭

米びつで出会うコクゾウムシより

栗を守るならまずこっちを封じ込めたい!!

ゼッタイこっちやろ〜😖

栗を守るならクリシギゾウムシを封じこめ

米を守るならコクゾウムシを封じこめだ。

そもそも、このゾウムシ業界のボス

クリシギゾウムシを、小さいコクゾウムシさんが駆逐して栗を主食としていたというのもマユ唾ものだ。

そして、、土器に塗り込んだのも呪術的な意味ではないかもしれない。

虫は死ぬと『死の匂い』といわれる脂肪酸の匂いを残し、触角があり嗅覚が非常に優れている虫達はゼッタイこの匂いに近づかなくなる。

この習性を活かし、米を入れる土器に米食虫の防虫用にコクゾウムシを塗り込んだのかもしれない🤔

何れにしろ、コクゾウムシも栗は食べるとしても

コクゾウムシの🌰栗主食説までは流石に

『獲物捕り・栗拾いのイメージどおりにしなければ』という

意識が強すぎの様に感じる。
😅

では、実際の

縄文農耕のイメージはどうなのか?


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【縄文のシラス台地農耕】
縄文人は火山の周囲に祭った聖都を中心に住んでいた『火山の民』高原文化の民族だ。

(テフラ大地・シラス台地=火山灰の地)

『九州』鹿児島の桜島の上野原

『日本アルプス』八ヶ岳の諏訪盆地

『東北』岩木山、十和田・八甲田山など火山周辺の台地に中心集落を造り、
小中規模コロニーを各地へ展開していたと思われる。

諏訪では、世界最古の神殿といわれるトルコの古代遺跡「キョべクリ・テペ」の様に高地に聖都となる中心祭祀場を設け、連なる山々にも同じ標高に拠点を造ってトレイルを形成する。

生産と拡散は重要な位置づけで、その集達エリアは広範囲に及び、各地集落の総和により巨大な共同体を形成していた。

衛星的な各コロニーを回遊する男達は黒曜石、塩、食糧などを運び、黒曜石の流通は1000㌔圏に及ぶ広さを持っている。


縄文時代の稲作は、水稲でなく陸稲であり、粟稗キビなどの雑穀類と一緒に稲も撒かれて収穫される。

縄文晩期の水稲と違い、陸稲は雑穀類の中のひとつでしかなかった。

現代では、縄文土器と共に縄文時代の稲作も発見されている。

しかし、稲作=弥生時代と言いかえられるせいか?弥生時代がどんどん昔に伸びていってる気もしなくもない😅かつて2300年前と言われた弥生時代の始まりは、今は3000年前と言われているが、縄文後期・縄文晩期とも言われ明確な区分もないまま渾沌として、
「諸説あります」状態が続いてる。


縄文人は、狩猟だけでなく農業やパンを作ったり等いくつもの食源を効率良く管理していた食彩豊かな人々だった。

縄文時代の鋤・鍬など農具

縄文人たちが時代を超えて火山地帯の辺縁のシラス台地(火山灰土壌の台地)を中心に、集落を作っていたのは農耕目的の為と思われる。

火山土壌は粒子の大きな堆積物で水ハケがよく、粘土が必要な水稲には不向きだが、巨大な桜島ダイコンで知られる様に水ハケの良さと通気性を好む農作物には適している。

特に稲科の粟、ヒエ、キビ陸稲など縄文人が食べていた雑穀類などは湿気を嫌う為、水捌けの良い土地に適していてしかも年に二度も収穫てきる。

まさに五穀豊穣の地だった。

《火山灰台地の桜島ダイコン》

火山は

山の中腹より高いほど雨が降り、溶岩に吸水された地下水や湧水が豊富となり

山自体が天然の巨大貯水タンクで浄化槽のようなもので、

雨が頼りの(天水型)農業と違い、水源に困るという事がない。

山の斜面などでは、地下を流れる水だけで耕作が可能で、水撒きなどの手間も掛からない。 

噴火のデメリットはあるにせよ、平地の水稲栽培の日照り旱魃リスクに比べれば遙かにリスクが少なかったのではないだろうか。

水稲が主食の農耕民族に侵略される事がないと言うメリットもあったかもしれない、、🤔

調理場や🍪クッキーやパン状のものを練って焼いた跡も見つかっていて、上野原遺跡以外でも南九州では掃除山遺跡・栫ノ原遺跡などで1万年ほど前の調理施設が確認されている。

連穴土坑内からは狩猟獣であるシカ・イノシシに由来する残留脂肪酸が検出され、食料の保存加工のための燻製施設とみられ住居跡が桜島火山灰で埋まっていたことから、これらは約9500年前の縄文時代早期に存在していたことが確認された。貝塚など海の幸もあり

漁・農・猟とバランスのとれた食生活だった事が伺える。

人間は雑食性だが、本来私達の歯は草食でも肉食動物の歯でもなく

「果実食」動物の歯で、

分解酵素も機能もその方が負担なく消化される様になっていると言われている。

堅果類、種子や雑穀類などの消化に向いている歯だそうだ。

縄文人の食生活は肉も食べるが、バランス的にも理にかなってると思われ

もしかしたら縄文人が犬歯を抜く謎の習慣は、

単なる通過儀礼だけではなく

氷河期にマンモスばかり食べていた獲得形質を除く意味もあったのかもしれない🤔

(😅ちょっと飛躍しすぎでわ)


最後に、

15,000平方メートルの遺跡で暮らす彼らの胃袋を満たした、

漁・農・猟による食材を
実際に縄文土器に盛り付けしたメニューが、上野原縄文の森で展示されていたので紹介したい。

縄文の水差しと、

ベンガラや漆で着色された朱色は縄文ならではの粋だ。

貝とイノシシの縄文鍋 

縄文団子 縄文クッキー

まるで居酒屋メニューか
懐石料理のメニューの様😮、、

しかし、考えてみれば縄文人達が

普通に食べていた物だ、

マンモスで飢えをしのぐしか無かった氷河期時代ならいざしらず、

「とったどー 」等とよゐこの無人島生活の様なサバイバル生活で、
人類が一万年も生き延びられる訳が無い。😌そして、

一万年も、獣を獲って栗を拾い続けるなんてとっても退屈すぎる生活だ。

材質こそ鉄やプラスチックは無いけれど、子供に作ってあげた

おままごとセットやオモチャの意匠からも、

私達と同じ愛情が伝わってくる様だ。


ファニー❣️なご先祖さま✨

終わりに、、😌

なんとなく浮き彫りになってきた縄文間違えイメージをざっくりと振り返ると
、、😌☝️


①文明とは=農耕と定住であることが必須条件だが、イノシシを獲っていたという事だけで縄文は「狩猟民族」とされてしまった。

②狩猟民族は農耕と違い定住性が無いので=文明ではない=原始的な人々ととして弥生人の稲作文化より劣ってるという偏見が生まれた。

③後々の発見により、縄文の農耕は濃厚になったが「獲物を獲って栗を拾ってた」という定説を今さら変えることが出来ず、

④稲🌾を神聖視する日本人独特の信仰や国史観も相まって、
縄文農耕=特に稲作は徹底的に否定され続け

⑤ピラミッドより古い世界的にも貴重だと思われる遺跡群も、日本では全くパッとしない😔、、


⑥氷河期明け、16000年前〜6000年前の日本の縄文は当時のユーラシア大陸の遺跡文化とも共通することが見受けられる、世界的にも貴重な財産の様だ

⑦縄文は、農耕だけに頼らず、

漁・猟・農とバランスよく食糧を管理した民族で、

政治的な意味でも食糧バランスがよく

農耕民族の様に剰余生産による価値を生み、奪い合いや貧富の差、身分の階層性を生み出すこともなく

シェアリング能力に優れたサステイナブルな文化を持った人々だった。



約5000年前〜
中心地にストーンサークルを造りサークルを囲む様に住居や工房、集会場、納骨地を配する都市デザイン形が主流となり、

800年で800棟の住居が造られた跡も見つかっている。(定住性あるやん😅)


住居や集会場も3回は建直しがあったとみられ、定住性のあるサステイナブルな民族だが、千㌔圏という広い流通範囲の中で、千年スパンでの中心の移動が行なわれた。

点在する日本列島各地の遺跡を周り、

縄文とは文明の条件である=農耕や定住はなく『獲物を追い栗を拾って食べていた人々』という誤ったイメージは完全に払拭された。

あちこち周って見て良かった。


次は、スポットの紹介はせず

縄文人の『死生観』について綴ってみたい。

宗教観が発生する前の

宇宙の根源に繋がる様な生き方だ。✨

🌌
『アインシュタインの宇宙と縄文人』

興味のある方はご覧下さい👉👉