前回の投稿があまりにも長かったので、後半をこちらに分筆し移しました。
それでも、長文です😅🙏 画像少なめ
最後に新羅から来たスサノオの謎を綴ってます。
今回、全国のスサノオを祭る神社を回ってみて、、
⛵新羅と行き来した渡来系スサノオ
🌲植樹を行なったスサノオ
🗡️製鉄地を圧えたスサノオ
🏞️治水の川の神のスサノオ
🌾食べ物の神様としてのスサノオ
🔥火切りを伝えたスサノオ
🐮牛頭天王としての疫神スサノオ
⛩️地域密着型のスサノオ
様々な一面を知ることができた。
英雄はひとつのことをやり遂げるわけではなく、様々な足跡を残す。
スサノオ様の足跡を総じてみると、
『和国で数々の偉業・覇業を断行した、渡来人の開拓者であったスサノオ』
のストーリーが浮かび上がる。
そして、おそらくは中国〜近畿にかけて鎮座した建国者であったのかもしれない。
スサノオが別名「牛頭天王」として、中世の御霊信仰(=無念に亡くなられた方を神として祭る)で祭られる様になったので、
不遇にもスサノオは天照大神系の勢力に追われ無念のうちに亡くなられた?存在だった。
この天照大神とスサノオ兄弟関係は
まるで
鎌倉時代の頼朝と義経兄弟の様だ。
源氏が平家を討ち滅ぼすと、兄・源頼朝は、
弟の義経を追放し、義経は健気にも兄に潔白を認めてもらおうとするが、兄・頼朝は取り合わなず追撃する。
スサノオの最後は分からないが、
天照大神との関係では、出雲に行かなければならない事情があった事は確かだ。
日本神話では追放された事になっているが、伝承では居たく無いと言って自ら出たとされ、
巷説では、冤罪で一族の罪を全て背負って出たとも言われているので、
無念だったのかもしれない。
この様な覇権を争う出来事は歴史上、枚挙に暇がないほどある。
源頼朝と義経
足利尊氏と直義
織田信長と信行
徳川秀忠と兄弟達
伊達政宗と小次郎
大碓命と日本武尊
天智天皇と天武天皇
蘇我馬子と蘇我摩理勢、海幸彦と山幸彦、、
弥生時代の建国期~
まず、
渡来人としてのスサノオを祭り
スサノオの偉業・覇業が祭られ
天照大神系へ皇統が移る兄弟間の追放劇があった。
やがて古事記に神話として掲載される。
スサノオから1000年くらい時代が下った後、
不遇に去られたスサノオが(疫神・牛頭天王として)祭られた。
牛頭天王は元はインドの仏教神であり、インドの山車祭りを取り入れ、
中世~「祭り」として全国隅々まで広がり
地域に根を降ろし、~現代に続く。
スサノオ様を巡る旅で、
点と点だった信仰も一つになった気がする。
が、さらに謎は深まった。
深まったところでスサノオ様を追いかけるのはヒトマズこれで終わりにしようと思います。
奇しくも、7月下旬は全国的な『スサノオ』祭りのシーズン。
天王祭や御船祭りなどの夏祭りでスサノオ様を祭っていて、
夏祭りの象徴ともなったスサノオ(牛頭天王)🎐⛩️
スサノオを助け疫病から免れたという蘇民将来の茅の輪くぐりも
神社の拝殿前に設置され、
夏のスサノオは🌊神輿の海中渡御や、御船祭りなどもあり大海原を治めたスサノオの側面も感じます。
(※かつて日本海の制海権がなければ半島への行来だけでなく列島を治めることは出来なかった)
日本全国スサノオ様を周ってきて、
最後にこうして地元神奈川県のスサノオ様の御霊にまつろうことが出来た😌🙏
聖なる国 日本✨ とスサノオさま🐮
12回(+1回)の思わず長いシリーズになりましたが、、
お付き合い頂きありがとうございました🙏
😌↓ここからは、
スポット巡りのお話しではなく
古代ミステリーロマン的に 😮
【スサノオの謎】について、よもやま話しをだらだらと書いてます。
(まだ書くのか😅)
興味のある方はご覧下さいませ🙏長文です、
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北陸のスサノオ様 (富山県)
(スサノオ様参り終わったんじゃないんかい😂)
平安時代、
天皇家の「スサノオキャンペーン」とも言える歴代天皇による熊野詣が行われた。
そして、日本人ならお伊勢参りと「熊野詣」と言われるほど、お伊勢参りと並び日本人の記憶に残った。
何故、天皇家はこれ程までスサノオに注目したのだろうか?
平安初期、嵯峨天皇は『スサノオは皇国の本主』と詔りしたが、
天照大神を祖神とする天皇家が、なぜ皇国の本来の主はスサノオであると詔りしたのか?
八坂神社の祇園祭も世界遺産になるほど人々に知られるスサノオ(牛頭天王)となり、博多祇園山笠や全国の天王祭などスサノオへの祭りは止むことなく続いている。
天皇家から民衆のすみずみまで、これほど人々のスサノオとの関係が続くのは、
やはり【皇国の本主】だからこそなのかもしれない。🤔
スピリチュアル系では、じきに最高神がスサノオに変わると言われているようだが、
本当にスサノオの封印されていたことが解かれ、
本来のスサノオが顕れてくる時がきているのだろう。😳
過去、
スサノオ様の存在を忘れさせない為の歴史的な二つの仕掛けがあった。
一つは神社に伝わる大祓の詞に
『わが皇御孫の命は、豊葦原瑞穂の国を、、』とあるが
「皇御孫の命-すめみまのみこと」とはスサノオ様のことだという。
「高天原に神つまります…」の大祓いにしても、
「一二三四五六七八、ひふみよ、いむなや…」のひふみ祝詞
(物部祝詞)にしても、
祝詞とは、建国の宣言文・勝利宣言文の様な内容が多い。
建国のあらまし、
敗者側の方への追悼、
今後の民のあるべき姿、
やってはいけない事
罰則規定など を読み上げる、
祭政一致した樹立憲章の様なものだ。
それをスサノオが、「言よさし祭りき…」と宣言している。
古代ミステリーでも、オカルト系だと敗者側への哀悼の儀にだけ特に注目し、「祟りを恐れた」「呪いを封じた」等と中世の呪術的な取り上げ方をされている事が多いが、
全体としては大体こんなもん🙄
もう一つは『牛頭天王』
牛頭天王とスサノオは、疫神である牛頭天王と、蘇民将来という疫神の逸話で「疫神繋がり」で結びつけられた。
蘇民将来の逸話の中で疫神・武塔天神が『吾はスサノオである』と名乗ったことにより、
牛頭天王=疫神=武塔天神=スサノオという信仰が生みだされた。
(疫神同士というだけで無理やり繋げてないかい?🙄☝️)
(備後の国風土記では武塔天皇の子が牛頭天王🤔??)
神仏習合の時代へと移り変わり、神社は寺院の配下に置かれていき
神社の領地・領民(=神田、神人)はおさえられていく。
寺院は国家の権威的の象徴として存在し、まだ民衆の信仰とはかけ離れていたが、後に『遊行僧』という寺院に属さないストリート系の僧達が登場?
すると、やがて民間へと仏教の信仰が浸透した。
仏教政権によるこうした浮沈の時代も、スサノオは仏教の守護神『牛頭天王』となり、見事に隆盛していった。
牛頭天王はインド仏教寺院の守護神だが、このあたりも「和製仏教神」とまで云われる由縁ではないだろうか。
(※インドでの牛頭天王は薬木の生える牛頭山に由緒が考えられるが、仏教神としてはそれほどには目立たない存在😌創作神話や説話の創作では、目立たない存在がクローズアップされ、強力な神々に書き加えられリニューアルされていく事がある😑)
牛頭天王は「新羅から遣唐使(吉備真備)によって遷されてきた」という由縁があるが、
やはりスサノオは新羅で亡くなったのかもしれない。
そして約1000年近い年月を経て
新羅のスサノオの分霊は吉備真備の手によって日本列島に戻ってきた。
今も尚、スサノオさまの御霊は日本にいる。
大祓の払い言葉も今に残り、スサノオ様の存在は決して風化することがない。
これもある意味、伝統を大切にする日本の良さなのだろうか、、、🤔
そして、日本人と共にある神社。
と、一言で言ってしまえばそれだけだが、
神社にも二千年以上の歴史と伝統がある。
神社自体も仏教伝来~中世の神仏習合~GHQの政策統合まで
数々の宗教政策により変遷してきた。(信仰そのものの変化も多少はある)
時には仏教政権の配下となり、戦国時代の戦火にさらされ、民衆への緩和政策となり、皇国史観、政教一致、敗戦後は分離し、GHQ政策の神社統合があり、
幾多の時代の変化を抜け存在し続け
二千年を超える星霜を歴て今も尚、
私たちと共にあり続けている。
これには、他に類をみないほどの価値がある。
ただ一心不乱に崇拝してきたという訳ではない。
ただただ大切に受け継がれてきた神社。
これも、日本人が気づいてない日本の良さなのかもしれない。
『日本人と神社』という関係そのものが、無形の世界遺産以上の存在に感じる。
それだけに、、、
牛頭天王とスサノオの関係は、殊更
謎、、🤔に感じる。
インド仏教の守護神【牛頭天王】と
蘇民将来の話しに疫神として登場する【武塔天神】
そもそもスサノオと牛頭天王を結びつけているのは、この備後の国風土記に書かれている蘇民将来の話しだけだ。
当時の日本は創作神話の時代、
遣唐使などを通じて大陸の知識がもたらされ、ギリシャ神話や聖書などの様々な影響を意識し、
古事記、風土記、先代旧事記など
種々の『バイブル』が編纂された。
古事記・日本書紀も、
日本における旧約聖書・新約聖書と
なるよう編纂が命じられ、ギリシャ神話などの神話性も取り入れられていった。
古事記とギリシャ神話が似てると謂われる由縁です☝️
蘇民将来のエピソードには、
『ユダヤ起源説』もあり、
旧約聖書の出エジプト記の影響をも感じとれる。
しかし、日本には(或はインドも)西アジアの様に羊はいなかったので
羊の頭ではなく、牛の頭に置き換えられたのかもしれません、🤔
西アジアの羊
南アジアの牛
(どちらも神獣ではありますが、、)
西アジアでは、羊は神様への供物で
南アジアでは、牛は神様の乗り物。
特に羊は群れで生活する動物でこれを捧げることは集団意識を捧げます、という意味になる。また
羊や牛など巻き角の頭には霊力が宿るとされ、呪術的な表現として使われることもあったかもしれない、🥺
※ユダヤ起源説=
旧約聖書出エジプト記では羊の血を玄関に塗りユダヤ人は災厄から助かるという。
日本の牛頭天王信仰では災厄を受け無いようにヒイラギとイワシを玄関に飾る。まじスか😂
(ヒイラギとイワシで羊の血の臭いを再現したか?🤔)この類似点による。
蘇民将来の話しはかなり作り込まれていて、深堀りすると深みにはまる😮
『北海に住むという武塔天神が、嫁を探しにきた。一晩宿を借りようと、長者・巨旦将来に頼んだが断わられ、兄の蘇民将来は貧しいながらも武塔天神を暖かく迎えいれた。
嫁を娶った後に、武塔天神は『八王子』を連れ、蘇民将来のもとに顕われ感謝し、蘇民将来の娘と子孫を疫病から守ると約束したが、不遜な扱いをした弟は疫病で命を奪われた。
そして「吾はハヤスサノオの神である」と、武塔天神は本性を明かした。』
疫神の武塔天神が『吾はタケハヤスサノオである』と名乗ったこともそうだが、
八王子を連れてきたということ。
通常、八王子というと
スサノオと天照大神の誓約(ウケイ)で生まれた八柱の神さまたちのことを言う。
(八王子=男神五神、女神三神)
古事記では
誓約(ウケイ)により生まれた神々は
女神三神がスサノオの子とされ
男神五神は天照大神の子とされた。
しかし、備後の国風土記では
八王子、八柱の神々全てをスサノオが引き連れてきた😳
皇統となる男神らもスサノオに従ってきたことになる。
また「牛の頭と馬の頭」で
牛頭天王は、馬頭観音に対こうした存在であるという考え方があるが、
インドでの馬頭観音は『最高神ビシュヌ』の化身でもあり、これに対しての牛頭天王は
日本でいえば『最高神・天照大神』に対こうしたスサノオということになり、
そこかしこに奇妙な神話の符丁も感じる。
そして、蘇民将来の娘と子孫を守る約束をした、
『娘とその子孫を助け、息子は助けないのは残酷じゃないか?巨旦将来と同じ様に疫病で命を奪うのか?本当に蘇民将来に感謝してるのか?』
という意見が当然あり、私も謎に思っていた。🤔
=女系を守るという意味だ。
古代は、現代ほどの男権主義は蔓延ってはなく、母系社会=女系を大切に守るクニの方が多かった。
西アジアのユダヤのレビラト婚など女系を守る結婚制度は、北アジアから東アジアまで広く分布し、卑弥呼の起源という南アジアの稲作文化でも女王系の成り立ちが存在していた。
強い男権主義は真ん中の中国だけで、『貞婦ニ夫にまみえず』等と、女性の貞操を強要し再婚を悪として、女性を隷属させていた。しかしながら中国人以外は、多くは女系を中心にまとまっていた。
日本でも戸主は女性がなり、母戸主、里戸主、などと言い首長は必ず女性がなるというまだ女王系の文化が残っていた時代だ。
(今年も日本は世界144カ国中最も男女格差社会が酷い国としてワースト1に😔💦現代の日本人男性の感性では理解が及ばないほど真逆の世界観がかつて存在していたのかもしれません・・・🥺)
千葉県の玉前神社の女神の由縁にも、女系集団が上陸してきたという伝承があり海の鳥居が祭られている。
推古女帝、斉明女帝、元明女帝、孝謙女帝など女性の天皇がレアケースとなってしまう前の、遥か昔むかしの時代。
蘇民将来の家では、女系血統を大切にしていたという事だろうか?
エピソードの一つ一つが興味深く、謎めいた長文になるだけなのでこの辺で止めておこう、、😑
読んでくださっている方もきっと疲れる🙏😔
スサノオの存在と、関係の謎については、
謎のまま未来に託すことにして😌
最後に、、
ちょっとだけ韓国の話しを😅🙏
(ホンマいくんかな😱)
①スサノオは五十猛命と共に新羅の『ソシモリ』に行った。
②スサノオは「ここには居たくない」といい出雲の鳥上に五十猛と共に神降りした。
この二つの史話から、『ソシモリ』は何処か?という議論が諸説あります。
(地名でなく人名かもしれませんが…)
①慶尚北道高霊にはその昔
「ソシモリ山」と呼ばれていた山があり(現・伽耶山)古代では牛の頭山という。
「牛の頭」は韓国語で「ソシモリ」。仏教が伝わってから伽耶山と呼ばれる様になった。そして麓の白雲里村にはナント!「高天原」という地名があるという。😳古事記に寄せている、
一方、
②「現・牛頭山」は、江原道春川にあり
旧・大日本帝国朝鮮総督府はこちらの方を比定地にして江原神社を祭っていた、、🤔
いずれは行くべきか、、😂
朝鮮半島に任那(日本府)があった時代にも、和国→百済→新羅と、
朝鮮半島の領有が移り変わる紆余曲折があった。
国家形成の起源は、多元的😌☝️
一様には語れない、聖なる国✨日本
長文を読んで頂き、ありがとうございました🙏✨