高千穂神社
【創 建】
紀元前後~垂仁天皇の時代
【御祭神】
高千穂皇神(高智保)六柱十社大明神
瓊瓊杵尊(ニニギ)
木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)
彦火火出見尊(ヒコホデミ)
豊玉姫命(トヨタマヒメ)
鵜葺草葺不合尊(ウガヤフキアエズ)
玉依姫命(タマヨリヒメ)
【四皇子社】には神武天皇とその兄弟、三毛入野命(みけぬのみこと)五瀬命(イツセノミコト)、稲氷命(イナヒノミコト)、佐野命(サノノミコト)が祭られ、
【荒立神社】にはアメノウズメ命とサルタヒコ六神が祭られている。
高千穂神社のように、天孫として降臨したニニギの命と、ニニギの命の子ヒコホデミ命、孫ウガヤフキアエズ、曾孫にあたる神武天皇まで、日本建国の皇祖皇族が全て祭られている神社は他に知らない。
天照大神の岩戸隠れやニニギの命の天孫降臨を由緒とする神社は多数あるが、
日本でここだけという、稀代の世紀を超えた【皇室発祥の聖地】の畏みがある。
鳥居
狛犬は源頼朝による寄進
参道
御祭神である三毛入野命の、鬼八退治の伝説の彫像が社殿に彫られている。
鬼八はこの地方の豪族で岩窟の隠れに住み、三毛入野命に殺されたが蘇り再び退治されたとの伝説があり、死後も霜を降ろすと恐れられた。(鬼八塚には17世紀近くまで少女が生贄にされていたらしい)鬼八を切った剣は鬼切丸という宝剣として今も残る。
四皇子社荒立神社
秩父杉 (源頼朝公)
高千穂神社は皇室発祥の聖地として鎌倉幕府からの信仰が厚く、源頼朝の代参畠山重忠によって秩父杉が植樹された。
鎮石
第11代垂仁天皇の勅命により我国で始めて伊勢神宮と高千穂宮が創建された際に用いられた鎮石との伝承。
神楽殿
神楽殿では夜神楽が毎晩奉納されているとのこと。(\700)
◆◇◆◇◆
天孫族が侵攻するにあたって、高千穂くしふる峰は隠れ易く攻めやすく、
第一の宿営地として降臨するのに適した場所だったのではないだろうか?と思う。
高天原からくしふる峰をつたい高千穂境へ、阿蘇へ日向へと、
そして、日向の国から東へ支配を広げ日本建国へと続いていく。
土着豪族を討ち天孫族四代に渡ってこの地に建国の足場を築いていったであろう
日本建国の黎明が偲ばれる。
日本の古都、故郷と言うとつい奈良・京都を連想しがちだが、
一地方から始まり建国への足踏みが聞こえてくる様な宮崎県高千穂の方が
むしろ、日本の故郷としてのリアリティをひしひしと感じる。
高千穂の森は歴史を深く、深呼吸するような気分だ。
神代から人代へとうつりかわり、
みことの尊号も
【命】ミコト⇒ 【尊】みこと⇒
【皇】スメラミコトへと
変わってゆき神話と史実が交差する。
【日本神話】から【日本建国】へと移りゆく、日本誕生の聖地。
高千穂神社 宮崎県高千穂町三田井1037
◇◇◇◇◇
高千穂町トンネルの駅から暫く先へ行き、
脇道をあがって行くと高千穂の山々と阿蘇外輪を見渡せる高台にひっそりとある。人知れず浄化のエネルギーが溢れるスポット。
高千穂~阿蘇外輪を見渡す夕陽
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槵觸神社(くしふる神社)
天岩戸神社~西にある高千穂神社方面へ8キロほど行った所。坂の中腹に忽然とある。
【御祭神】
ニニギノ命(迩迩芸命)
アメノコヤネ(天児屋根命)
アメノフトダマ(天太玉命)
フツヌシ(経津主命)
タケミカヅチ(武甕槌命)
天孫降臨で、ニニギの命と共に天降ってきた神々たちが祭られている。
【創 建】不明
天照大神の孫である天孫【ニニギノ命】が天降ったとされるクシフル峰の中腹にある。元々クシフル峰(山)自体を御神体としていたので社殿はなかったが、17世紀に建立された。遊歩道を登ると高天原(遥拝所)があり山一帯が天孫降臨の聖地だ。
「クシ(櫛)」とは神の霊性を顕す4つの側面【奇魂、幸魂、荒魂、和魂】の一つ奇魂(=神の起こされる奇跡)のこと。
日本神話では、天孫であるニニギノ命が高千穂のクシフル峰(久士布流)に天降った事が日本の発祥となっているが、同様に朝鮮半島のカラ(加羅)にも、クシフル峰に天降ったという始祖伝説がある。
王朝建国以前の古代では、日本列島と朝鮮半島の間に国境はなく、
朝鮮半島南部~九州北部にかけて同一の海峡文化圏が存在していたらしい。
同じ宮崎県の南にある霧島山にも高千穂峰があるがどちらかというと比定説は弱い様だ。
参道
くしふる神社四皇子祭。四皇子とは初代神武天皇とその兄弟を祭っていて、ここの四皇子峰が誕生の地とされ御陵がある。
みんな白装束で、御祭神に武神タケミカヅチが祭られているからなのか、手に薙刀を持っている。
高千穂神社方面に車で数分下ると神代川の近くに【天真名井】と【夜泣き石】がある。ニニギの命がこの地に降臨したとき水が無かったため、天村雲命が高天原に一度戻ってとってきたことが由緒の御神水で神木の根元から水が湧いている。
【夜泣き石】は石が夜泣きして村に災いを知らせたことから夜泣き石と云われる。天孫ニニギの命の子供を産む木花開耶姫が、あまりの難産だったためこの石に抱きついて出産したとの伝説や、その子や孫と結婚した豊玉姫・玉依姫の出産の伝説もあるらしい・・・
天真名井
日本発祥の地、高千穂は祖母山(1756m)を背にして標高300m以上の高地にある町で、
約6000年前~集落があったとのこと。
高千穂峡、国見ヶ丘(雲海の名所)、高千穂神社、天岩戸神社など観光名所が連なり
山間部とは思えないほど賑わっていた。
時間があれば、くしふる周辺はもっとじっくりエネルギーを感じて周ってみたかった。
日本神話の故郷
ゆるやかな日本発祥の地。
くしふる神社 高千穂町三田井713
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宮崎県高千穂天岩戸神社
九州の熊本と宮崎の境、阿蘇山系外輪の南東にあり、どちらから行ってもICから車で1~2時間程。
岩戸川を挟んで【東宮】と【西宮】の二社がある。
【西宮】二の鳥居
【西宮】拝殿入口
拝殿下を流れる岩戸川を挟んで向い側にある「天岩戸」自体を御神体としている為、本殿はない。
天岩戸は立ち入り禁止で、拝殿の裏の遥拝所から参拝する。(写真撮影も禁止)右奥の柵を開けて入ってゆく。
上流からの岩戸川
下流左側の先に天岩戸がある。
遥拝所への参拝は社務所で申し込み、宮司さんに案内して貰うことになっているため普通に入ることはできない。スピリチュアル・ツアーなど観光バスで来ている団体客が多く、個人で申し込むと必ずどこかの団体と一緒になるので、ひとり静かに参拝するといった雰囲気はない。
賑わう団体参拝の列
拝殿横の古代銀杏
神額
神鏡
神楽殿
摂社
神楽殿には高安河原の遥拝所があるが【高安河原】へは歩いて行っても15分程。
天岩戸五社巡りというコースもあったが、車で周っても2時間かかるので、
歩いて行ける高安河原と、
五社巡りコースには無い近くの【八大龍王水神社】へ車で行くことにした。
※五社=天岩戸神社、落立神社、鉾神社、二嶽神社、石神神社、
天安河原への参道
天安河原
高天原の神々が集まりここで話し合いをしたという。 辺りには石が沢山積まれている。
天岩戸神社【東宮】
【東宮】鳥居
参道
境内
拝殿
西宮とくらべ、人が少ない。
【日本神話の舞台となった聖域】
~天照大神の天岩戸隠れの神話が残る スピリチュアルスポット~
◇◇◇
高天原では国を治めず黄泉の国の母に会いたいといつまでも泣いているスサノオを追放することになった。
スサノオは姉(兄?)の天照大神のもとへ別れを告げにやってきたが、高天原を奪いにきたと疑われ天照大神は重装備の軍装でむかえた。
スサノオは疑いを晴らすため、天照大神と誓約(占い)を行い、
天照大神はスサノオの剣から
【天真名井】で三女神を産みだした。
スサノオは天照大神の勾玉から、男性神五柱を産み出した。
天真名井
三女神は剣の持ち主であるスサノオの子とされた。
スサノオは「私が清いから女性神を産むことができたのだ!!」と言い捨て、畑の畔を破壊し御殿に糞を撒き散らした。その後もスサノオは益々荒れて乱行は酷くなったが、天照大神は堪えていた。
そしてスサノオはとうとう機屋の天服織女を死なせてしまい、天照大神がその衝撃で天岩戸へ引きこもってしまったため、世界は闇となり災いが起こった。
天岩戸
高天原の神々たちは高安河原に集まり、天照大神を戻す話し合いが行われた。
高安河原
思兼神が知恵を出し、天ウズメの裸踊りとにぎやかな神々の笑いで天照大神を誘い出した
天ウズメ
外の様子を見ようと少し岩戸を開けた天照大神は天手力男神に引きずり出された。
天手力男神
世界に光が戻った。
◆◆◆天照大神と卑弥呼を同一人物とする説がある。
卑弥呼の時代(3世紀)に起きた皆既日食と、天岩戸隠れにより世界が闇になった神話を結びつけ、
天照大神の別称=大日孁(オオヒルメ)と 日巫女(=ヒミコ)と重ねる考え方だ。
しかし、私には別の存在のような気がしてならない。
天照大神の誕生にも三つ以上の説話がある。
※私のブログによると(?)、天照大神は男性神で、長野県の恵那山で産まれ四国の阿波で亡くなられ
たことになっている。(-_-;)
オオヒルメ(大日孁)ももしかすると別の存在で、習合したのかもしれない…と、
ふと、そんな思いも浮かぶほど神話の謎が深い存在だ。
天岩戸神社では、天照大神とオオヒルメ尊は別々に祭られている。
東宮【御祭神】 天照大神
西宮【御祭神】 大日孁尊
天岩戸神社 宮崎県西臼杵郡高千穂町岩戸1073番地1
【八大龍王水神社】
【東宮】から車で少し登って行くと八大龍王水神社がある。
うっそうと木に囲まれ入口が分かりにくいが小さな境内には御神水を頂く井戸がある。
更に車で15分ほどゆくと馬生木 八大龍王水神社がある。
こちらもちょっと分かりにくい。
【創 建】不 明
【御祭神】淤加美神=龗神(おかみのかみ)
罔象女神(みつはのめのかみ)とともに代表的な水の神様だが、八大龍王…というひびきにスサノオに退治された八俣大蛇(ヤマタノオロチ)をなんとなく連想してしまう。ひっそりとした静地。
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厳島神社
【御祭神】 宗像三女神( 市杵嶋姫 多岐都姫 多紀理姫 )
*市杵嶋姫 (イチキシマヒメ)=
別称 サヨリヒメ 弁財天 田奈子姫
【創 建】 593年
推古天皇の時代佐伯鞍職による。
創建以前から神の島として島全体が崇められていた為陸地では畏れ多いと海中に社が建てられた。厳島神社は御祭神である市杵嶋姫(イチキシマヒメ)がその名の由来となっている。
広島県廿日市にある宮島口駅前の港から船で10分程度、夜8時まで10分おきに出航している。
神社は6時に閉まってしまうがぎりぎりに到着。港の駐車場も営業を終わるころで、もう渡っても間にあわないよと言われたが、それでも渡ってみたいと頼むとなんとか停めさせてくれた。
到着した頃はまだ少し明かるかったが、あっという間に日が暮れてしまった。
鹿が沢山放飼されてて、暗いところで静かにぬっと現れるとちよっとビックリする。
夜の海に浮かびあがる社殿はとても幻想的で、
異空間の夢でもみている気分にさせられる。
日が暮れて帰る人も多かったが、夜のライトアップされた厳島神社の写真を撮りに来ている人も多かった。さすが、日本三景のひとつだ。世界文化遺産でもある。
ハイタイドだからか?観光船が海に浮かぶ大鳥居を何度もいったりきたり潜ぐっていて、夜でも結構賑やかだった。
それでもそのざわめきさえ感じなくなるくらい、夜の厳島神社は幻想的だ。
月
神社の裏から反対岸へ周ると、開けた砂浜に降りることができて、
幻想的な雰囲気をより身近に感じることができた。
イチキシマヒメは河の神様である弁財天と習合され、財宝神としても祀られるようになった。
(日本三大弁財天)12世紀~平清盛がすすめた日宋貿易の守護であり平氏の氏神として栄える。
神の斎(いつ)く島という意味もあり、「伊都伎島」「厳嶋神社」「嚴島神社」と呼ばれてきて現在、島自体は宮島と呼ばれているが、厳島とも呼ばれている。
【厳島神社】【宮島】
広島県廿日市市宮島町1-1 アクセス
◆◆◆宗像三女神の話
海の女神として祭られている日本神話に登場する三姉妹の神様で、
九州では
【沖津宮】沖ノ島、
【辺津宮】宗像市の宗像大社に祭られている。(広島県厳島、神奈川県江の島)
古事記ではスサノオの子とされていて、
日本書紀では天照大神の子とされる。
祭られた場所も古事記・日本書紀・ホツマツタエで、それぞれ微妙にことなってるが、
宗像大社では、日本書紀を由緒としている様だった。
◇◇◇◇◇◇「日本書紀」 「古事記」
*多紀理姫 沖ノ島【沖津宮】 沖ノ島【沖津宮】
*多岐都姫 大 島【中津宮】 宗像市【辺津宮】
*市杵嶋姫 宗像市【辺津宮】 大 島【中津宮】
◇◇◇◇ 「ホツマツタエ」
*多紀理姫 沖ノ島【沖津宮】
*多岐都姫 相 模【江之島】
*市杵嶋姫 広島県【厳 島】
神奈川県の江ノ島神社では、古事記と同じ、
【辺津宮】多岐都姫、【中津宮】市杵嶋姫、【沖津宮】多紀理姫を祭ってるが、
ホツマツタエの由緒にちなみ、多岐都姫の辺津宮を「本殿」としている。
広島県の厳島神社も同様にホツマツタエどおりである。
古事記・日本書紀が全て九州の宗像なのに対し、ホツマツタエでは
広島・神奈川と本州に渡り、三姉妹のその後のさすらいがしのばれる。
三女神のストーリーもそれぞれ異なる。
古事記ではスサノオの子とされるが、日本書紀では5つストーリーがあり、天照大神の子としている話とどちらかわからない話がある。ホツマツタエでは、数奇な運命が書かれているが、古事記・日本書紀の複雑な記述はそうした事情を憚って書いてるようにも思える。
~古事記による宗像三女神の誕生~
追放されたスサノオが別れをつげに高天原にやってきた。天照大神から高天原を奪いに来たのかと疑われたが、スサノオは潔白を明すため誓約を行った。誓約(占い)により、天照大神が、スサノオの十拳剣から天真名井で【三女神】を産み出した。スサノオは天照大神の勾玉から五柱の男神を産みだした。
天照大神は、子供を産んだものの持ち主を親として、三女神はスサノオの子供とした。スサノオは私が清いから女神を生むことができたと勝ち誇ったが、その後、乱行を行うようになり、あたりちらすスサノオを高天原大神は見守っていた。
…どちらの子か分らないよう暗示しているようで、
スサノオが荒れて乱行を行う理由もあったのではと感じる。
~ホツマツタエでの宗像三女神~
私が好きな瀬織津姫の話の一節に登場する。
天照大神の12の妃のうちの一人が宗像三女を生む。
(※ホツマツタエでは天照大神は男性神)
~宗像三女神の母は、陰謀をたくらみスサノオに近づきます。そして夫である天照大神を欺きスサノオを天位につけようとしますが、ただならぬ気配を感じた正妃・瀬織津姫によって遠ざけられます。
スサノオに「瀬織津姫が妬み遠ざけられた」と告げ口したところ、早合点したスサノオは瀬織津姫に殺意をいだきます。
瀬織津姫は陰謀を暴き罪を糾弾することはせずに、筑紫の宮へ蟄居し三女を育てる様にと配慮をされました。しかし母は三女神の養育を放棄し筑紫から出ていってしまいました。
詳しい事情を知らないスサノオはそのことに怒り狂い乱行を行って、とうとう瀬織津姫の妹の花子を死に至らせてしまいました。
スサノオは高天原の神々に審議され、死刑二回以上の罪となってしまい、刑が執行されようとしてました。
その時、瀬織津姫の急使が来て勅を読み上げました。「蒼稲魂神の神力によって、花子は蘇った。その喜びにより善を償ったのでもう一度審議しなおすように」と、そして歌を添えました。
その歌にこめられた瀬織津姫の情の深さに諸神はみな涙し、再審議が行われ、スサノオは死刑を免れました。スサノオは身分を剥奪され交わりを断つ刑となり、出雲へ流れてゆきました。
その後、三女神は恙なく成人されましたが、母とスサノオの過ちを知ると、
三女神はみずから流浪の身となられました。
後日、罪を晴らした三女神は天下晴れて縁を結ばれ、
長女は大己貴命(大国主の命)の妻となり、沖津島神となられ
次女は香久山祗命の妻となり、相模江の島神となられ、
三女は伊吹戸主命の妻となり、厳島神となられました。
◇◇こうした話は、瀬織津姫とともに、古事記、日本書紀には一切登場しない。
瀬織津姫を祭る神社は多いのに、一切登場しないというも妙な話だと思う。
まるでそこだけ切りとられてしまったかの様だ…。
何れにしろ知り得ようのないことだが、
神様の四つの神性である、荒御魂、和御魂、幸御魂、奇御魂、
深い悲しみや怒りや忍耐、それを包む大きな慈悲と愛と、
そして奇跡があったのであろうかと偲ばれ、崇敬を感じずにはいられない。
古事記、日本書紀、ホツマツタエが伝える話はそれぞれ違っても、
宗像三女神が海の女神様として祭られていることは同じで、
1400年以上を経た今でも、ずっと変わらずにその場所に祭られている。
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大島 宗像大社中津宮
【御祭神】 多岐都姫
※古事記では市杵嶋姫が祭られるとされる
九州本土から、11km沖にある周囲15km程の小さな島。
宗像大社の中津宮と、50km沖にある沖ノ島の沖津宮を参拝する遥拝所がある。
宗像市神湊のフェリー乗場から船で20分程度。1日7本の便が出てる。(片道\550)
宗像大社中津宮は港のすぐ近くにあった。
鳥居
参道
社殿
境内摂社
ともかく心地よく、なんとも言えない別空間というか、
ここ一番 心が洗われ穏やかになるスポット☆
社務所の脇から下に降りると
【天真名井】と【天の川】がある。
天真名井の御神水を頂く。
中津宮の左右の丘には織姫神社と牽彦神社があり、星の宮と呼ばれている。
中国・交野市など諸説あるが、七夕伝説発祥の地とのこと。
織姫神社
牽牛神社
奥の祠は正面を向いておらず、ひっそりとしている。
向かい側の織姫神社に向いてるようだ。
港へ戻り電動レンタカーを借りて周ることにした。 (15分\250)
レンタサイクルや無料周遊バスもあったが、山道が多くミニレンタカーで正解だった。ちょっと注目も浴びるがテンションがあがる。
【夢の小夜島】
夢の小夜島の右には岩場があり仏像が安置されている。
干潮で陸続きになり、恋人同士で手を繋いで渡ると結ばれるという伝説がある。
【沖津宮遥拝所】
沖ノ島は上陸禁止で一般参拝ができず(抽選制)女人禁制でもあるので、
この遥拝所から沖ノ島にある【沖津宮】を参拝する。
島全体が御神体である沖ノ島の信仰は、
紀元4世紀~胸形氏(宗像)の氏族神道による岩上祭祀が始まりとされ、
海の正倉院といわれるほどのハンパない供物の多さが、
その後の豪族達の勢力拡大と連携の証しとなっている。
朝鮮と日本の間の海峡文化では航海の安全を祈る信仰の島であり、日本書紀には紀元430年に、中国の呉から連れてきた姫が奪われたことを告げに現れた宗像三女神を祭る話しが登場する。
遥拝所沖
ここから20分程~島で一番高い標高224mの御嶽山にある【奥宮】御嶽神社へ登る。
自転車や歩きの方は苦労されてた様だが、車だと登り難そうな未舗装の細道でも
電動ミニカーだとすいすい上がってゆく。
【御嶽神社】 宗像大社中津宮・奥宮 【御祭神】天照大神 湍津姫命
【馬蹄岩】
沖ノ島に祭られるダギリヒメの伝承があり、ここの岩から馬に乗ったまま沖ノ島に向かって飛びこんだことから馬蹄岩と呼ばれる。
うっすら見える、50km先の沖ノ島。
日本軍碑
この岩壁の下に三浦洞穴というキリシタンが隠れた小さな洞窟がある。
眩しく広がる青い空と碧い海と島々の荘厳な景観に
そこに在り続けた時間の尊い歴史を感じる。
慈悲深い大きな女性的なエネルギーが、
島全体を静かに流れ、優しく包んでいる。 スピリチュアル・アイランド
本当にとても癒された。
天と 地と 海と 3つの神聖なエレメントが出合う島【大島】
神湊フェリー乗場 福岡県宗像市大島1809 - 18
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