聖なる国 日本

ジェロニモの聖地・パワースポットのプログ。

皆神神社の界隈と「不思議な松」

2024-02-22 | 古代ミステリー

皆神山ピラミッドの投稿で紹介して以来、10年ぶりになる。

長野県の皆神神社と、その周辺の投稿。

 

雰囲気もなんとなく変わった。皆神神社を囲い込む様にあったゴルフ場はなくなった様だ。

 

⛩️侍従神社  

 

 

⛩️少彦名命

 

預言の的中が未だ有名な近代の宗教家・出口王仁三郎(大本教)の印象が強く残るあやしい感じはなく、小綺麗な石碑がさりげなく整備されていた。

 

 

開放されて広々とした、空気感が清々しい。

 

 

以前はゴルフ場だったので、裏手から観ることは出来なかったが、

木花咲耶姫が祭られている奥宮は、小さな古墳の様にもみえる。

 

 

 

 

ご祭神 木花咲耶姫を祭る⛩️浅間神社

鳥居の神額には「三国第一」と書いてある。

 

木花咲耶姫は山の神「大山祇神」の娘で富士山の神様。

山梨県の富士新倉浅間神社からの勧請だろうか。

 

「三国第一」をかかげる

富士新倉浅間神社

 

 

【小丸山古墳】

 

頂上の皆神神社から少し下ったところにある。

古墳時代中期の古墳で、このあたりの王の古墳と目されている。

古墳の上には、

大山祇神がひっそりと祭られていた。

 

 

 

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飛鳥時代、西暦645年の大化の改新で、蘇我氏の蘇我入鹿・蘇我蝦夷が倒された後、蘇我派であった古人王(古人大兄皇子)は、身の危険を感じ、

半島への亡命を試み、長野方面から日本海側へ抜ける拠点があった善光寺を目指して逃げた。しかし道半ばで落命し、皆神山付近のどこかへ埋葬されたのではないかという説がある。

一般的には小丸山古墳が『古人王墓』とする説が通説だが、

小丸山古墳は古墳時代中期(約千五百年前)の古墳とされているので、

飛鳥時代(1350年前)の古人王の時代とは違う可能性もあり、古人を祭っている⛩️皆神神社の方が有力なのかもしれない。

 

 

皆神神社の他に、古人大兄皇子を祭る神社は寡聞にして知らない。

 

蘇我氏の甥にあたる古人大兄皇子は、王には即位してなかったとされるが、後に中大兄皇子(天智天皇)が古人大兄皇子の娘・倭姫を皇后にしていることなどから実際は王だったのではないかと云われている。

娘の倭姫に後を任せて出家までして逃げ様としていた事からも、倭姫は姫ではなく王女(皇太女)だった様子もうかがえる。

 

 

なんとなく古墳の様にも見えなくはない。

 

 

小丸山古墳の大山祇神と、

娘の木花咲耶姫を祭る皆神神社

父娘の祭祀は、古人王と娘の倭姫の存在を想起させられる。

 

 

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最後に…。

他に古人王が坐される処は無いのだろうかと皆神山の中を探し、何となく辿り着いた場所。と、『不思議な松』

 

 

なんとなく、、というよりも普通は辿り着かないと思われる場所。

 

 

地域の方が大切にしている聖地というか墓所の様なところだ。

不思議な松、

 

何が不思議かと言うと、

とある石塔を覆う様に斜めに伸びている。

周りの松の木と比べ、斜めに生えているが、

あり得ない角度で横向きに立っている。

 

 

一見して倒木の様にも見えるが、ちゃんと立っている。しかも、

先端は別段他の木に支えられていると言う程でも無い様だ。

何故、倒れないのだろう?

 

根に他の木の根が絡み支えになっているのだろか?

それにしても曲り方がおかしい🤔

 

通常、神木はあり得ない様な伸び方をする事は多い。

木の下には然るべき存在が眠られているのかもしれない。

しかし、大抵は支柱に支えられていて

支えもなく、自重で折れることもなく、

成長を続けている木は見た事がない。😳

不思議な松だった。

 


茨城県パワースポット【⛩️大洗磯前神社】藤原氏の時代

2024-02-07 | パワースポット

【大洗磯前神社】

茨城県東茨城郡大洗町磯浜町6890

⛩️御祭神  
大己貴命(大国主命)
少彦名命
 
縁結びの神様❣️と医薬の神様💊


 

文字どおり、

大洗海岸の磯の前にある神社。

水戸藩主・徳川光圀公(水戸黄門)
の命により今の拝殿・本殿が建造されたとの事。

本殿の、茅葺屋根の曲線美が見事😍

茅葺のこうした意匠は珍しい。 


  

創建の由緒は、

865年、


大己貴命・少彦名命が降臨し、
「東の海で国造りをしていたが、 
また民を救う為に帰ってきた」と言い
建立されたと言う。

⛩️摂社

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大洗磯前神社が創建された

865年は、

藤原良房により天皇の実権が握られ、桓武天皇以来、69年ぶりとなる国家祭祀執り行なわれた年であり、

この創建エピソードは、神社の社伝などではなく「文徳天皇実録」に残されている為、決して無関係では無いと思われ、

当時の中央と東国の関係を考える上では、大変興味深い。


藤原良房を恐れた政敵が、皇太子を東国へ逃がそうとしていた事から、

藤原良房は政変を起こし、皇太子を廃して自分の甥を皇太子にしてしまい、文徳天皇に擁立して実権を握った。

藤原良房は、

日本初の人臣太政大臣・摂政となり藤原氏の摂関時代を開いた大人物であり、

他氏や他藤原氏が排斥され、天皇の実権が藤原良房のものとなった真っ只中に、

大洗磯前神社が創建された事が日本「文徳天皇実録」に記されていると言う事は、常陸の国と天皇家(藤原氏)の関係からも深堀りしてみたくなる。

(🙄古来、東国と言うと鹿島神宮だったが藤原氏系の新たな拠点として刷新されたとか?)

当時は、国造(地方官)が神社の祭祀を掌握していた様な時代だ。

降臨されたと言う、大己貴命様と少彦名命様は、この頃より千年近く前の人物であり、実際には両神に投影される人物がいたのかもしれない🤔


常陸の国と言うと、

鹿島神宮がタケミカヅチを祭っているが、

北へいくと、50㌔間隔程度で

⛩️大洗磯前神社
⛩️御岩神社
⛩️国魂神社
⛩️いわき大國魂神社

と、大己貴命(大国主命)を祭っている
パワースポットが続いている。

まずは、いつかこの

大己貴命樣の四社参りをしてみたい。🙏⛩️

✨✨✨✨✨✨✨✨

最後までご覧頂きありがとうございました。