【清見原神社】
大阪府大阪市生野区小路2丁目24−35
ご祭神『天武天皇』
スサノオ他
参拝した日は秋の大祭の季節であり、
夜山車が出るらしく、夜もう一度
行ってみたら調度、神社を出発するところだった。
スサノオ(牛頭天王)を祭る神社では、
御霊式でスサノオを山車に降ろし市内を巡る祭りが、全国的に行われている。
今回も、パワースポットスポットの紹介でなく、
古代ミステリーの投稿です。
曳き方『大友清友会』
山車とは神様が降りてくる「山」であり、
山に神様を招き、
車に乗っているお囃子が賑やかに神様を饗す。
山笠、曳山などと同様、神輿の様に担ぐのではなく、引き車を人々が引いて市内を周る。
山車の上は、神様が降りる所である為
普通は人は上がらないものだが、
この御仁は、堂々と上がっていた。
この素破とした勇ましさは、
スサノオ様の如く力強くもあり、
神がかりしてるかの様だ。
或いは、スサノオ様(牛頭天王)だけでなく、
壬申の乱に勝利し日本国を征した天武天皇の猛々しさなのかもしれない。
カメハメ波のポーズは別として、
とてもパワフルだった。
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ここから先は、巷説の世界です。
古典(古事記・日本書紀)の世界観には無い歴史の裏側、古代ミステリーとしてお読みください。
✨✨✨
前回、【謎の天武天皇Ⅰ】の投稿の最後に、
世上をはばかり御神名を明かさず、表向きは別の神様として密かに祭る、影祀りについて書せて頂いた。
平将門の乱で、平将門に味方し落命した興世王を堂々と祀ることをひかえ、表向きは熊野の神様として祀ったり、
徳川家の手前、豊臣方だった前田利家を表向きは八幡宮の造営とし、密かに合祀して祭ったりなど、
往々にして御名を明かさぬまま密かに祭る事がある。
天武天皇を祭る神社は全国で5社とあまりに少なく、やはり御名を伏せたまま表向きは別の御神名で密かに祀ってる神社があるのではないだろうか、、
今回は、天武天皇の息子・文武天皇について触れてみる。
【文武天皇】
滋賀の白髭神社に祭られる猿田彦は、日本神話では天孫降臨の時に道案内をかって出た神様で、
八衢の神=境界の神でもある。
滋賀の白髭神社は、
天武天皇より『比良明神』を賜っているが、比良とは=境界の事で当時は、
滋賀の琵琶湖は日本海に通じていて、海の向こうの朝鮮半島との境界として重要視されていた。
【白髭神社】滋賀県高島市鵜川215
全国の白髭神社の総社が滋賀の白髭神社であり、
風説では白髭神社は天武天皇の子・文武天皇を祭っていると言われる。
ご祭神は「古事記」「日本書記」に登場する猿田彦さまだが、白髭の由来は「白髭をたっぷりと蓄えていたから」だと言う。
しかし、普通は猿田彦神社などで祭られている猿田彦さまは、その様な容貌ではない。
天狗の様な大きな鼻が特徴で、妻神のアメノウズメと共に夫婦相神で道々に祭られていることが多い。
日本書紀では「猿田彦は鼻が長く背が高く目が大きく輝き…」等と事細かに容姿が記されているが、
「白髭神社」では違う容貌で祭られているらしい。
この白い髭をたくわえたという容姿が、
実は、文武天皇なのだそうだ。
文武天皇は、
巷説の世界では新羅の文武王であり、文武王が
日本に渡来した683年が生まれた年とされていて、即位した697年には既に白髭をたくわえた老人だったと言う。
白髭神社では猿田彦を祭っているが、
又の名を比良明神、白髭明神、
と言い、
「白髭さま」と言う別の呼び名で文武天皇を密かに祭っていた様だ。
全国に300社あると言う白髭神社だが、
天武天皇の子・文武天皇がこの様に祭られているならば、
天武天皇も御名を明かさずぬまま全国に祭られている可能性がある。
だとすれば、それは何処の神社なのか?
、、、続く🐤
🙄
以前スサノオⅠの投稿でガッツリ書かせて貰ってますが😅次はコンパクトにまとめたいと思います、、
広島県広島市
⛩️東照宮・金光稲荷神社
⛩️鶴羽根神社
⛩️饒津神社
⛩️長尾天満宮
広島駅🍁四社巡りをしてみた。
古代ミステリーシリーズは一旦お休みして(一度書き始めると長くなる💦)
画像多めの投稿です。
【東照宮⛩️金光稲荷神社】
二葉山を背に東照宮(徳川家康公)が祭らている。
⛩️金光稲荷神社は東照宮の境内 神社で、
社殿裏から
二葉山をのぼる500段の階段があり、
奥宮へと続く。
広島駅新幹線口の北側は「二葉の里」と言い、
二葉山が鎮座し、山麓には寺社が連なり
七福神巡りコースにもなっている。
石段が延々と続くが、途中に祠や稲荷神社があり、
写真をとったりお参りしたりして休み休み登ってみると、それほどきつくは感じない。
徳川家康の銘も所々に掲げられている。
「奥宮」
「奥宮」
【鶴羽根神社】
元は、八幡宮だったものが明星院の守護社になった。
周った四社の中では、こちらが最も古い神社かもしれない。
【饒津神社】
毛利家、福島家、浅野家、
戦国時代から江戸時代、安芸の国広島藩の領主は目まぐるしく変わったが、
毛利家が建立したここ明星院(饒津神社)は残り続けた。
幕末、浅野家は藩内の結束を強めるためここ明星院の西側を割いて
始祖・浅野長政を祭る饒津神社を建立した。
【長尾天満宮】
菅原道眞公を祭る。
平安時代、
菅原道真公が都から離れ九州太宰府に向かう折、ここに立ち寄ったと言う由縁がある。
時代は下り、平安時代末
平清盛がこちらに来た時に難に遭い
菅原道真公に祈願したところ
事無きを得た為、こちらに天満宮を祭ったと云う。
二葉の里の四社
饒津神社→鶴羽根神社→東照宮→長尾天満宮は2キロほどの圏内にあり
歩いて周る事も出来るが、
NTTドコモのレンタサイクルがあちこちあり、レンタサイクルで周ってみた。
スマホで借りて直ぐに乗れる手軽さがいい