上高地【穂高神社奥宮】明神池
標高1500メートル日本アルプスの奥深く、活火山焼岳-穂高連峰を背に鎮座される海の神様。
浦島太郎伝説のモデルとなった海積宮の「海神」ワタツミ大神の子【穂高見命】を祭っている。
別称=宇都志日金柝命 安曇族の祖。(※アマツミ⇒アヅミ族=ワタヅミ族)
豊玉姫、玉依姫の兄妹であり、初代神武天皇の叔父にあたる。元々は九州北部の海神族だったが、全国各地へと散ってゆきここ信濃の国を本拠地とした。
上高地の語源は、神垣内とも神降地とも云う。
上高地の【明神池】全体が奥宮の境内となっている聖域。
マイカー進入は禁止で手前の沢渡駐車場(500円)に車を停め~バスで30分ほど。
【バス券】往復 2100円 【バスターミナル】
バスターミナルからは遊歩道で徒歩一時間以上(*_*;、ウォークラリーのマップには「さわやかな自然を歩こう」としか書かれておらず、時間がかかることを忘れて歩くとけっこう疲れる。 のんびりと、半日かけてゆっくりまわる。
吊り橋
渡るとすぐ。鳥居が奥にひっそりとあるのでうっかり見落としそうになる。
参道~鳥居
明神池へは、拝殿横から300円の拝観料を払って入る。
火山で出来た大正池と違い梓川に落ち葉が堆積してできた池で水深が浅く、水面が鏡のようだ。
おだやかさに、包まれる。。
ちょっと沖縄のタナガーグムイや西表島のカンピレ滝を思いおこす、、
せせらぎを望む木の根に、しばらく寝そべっていた。
猿が一匹河原で日向ぼっこ?をしていたが、一瞥して立ち去っていった。
木漏れ日が心地良い^^
10月8日には明神池に龍頭鷁首の船を浮かべ御船神事が行われるとのこと。
9月27日に穂高神社で行われる御舟祭は、百済のために白村江の戦いで戦死した安曇比羅夫の命日であり穂高神社若宮に安曇連比羅夫命として祀らていれる。
龍頭鷁首
帰り路、猿の群れに遭遇した。
文字通り自然の中を歩かせて貰っている。
蛇も横切る
【梓水神社】
御祭神 梓水大神 (=瀬織津姫)
上高地へ向かう途中、乗鞍方面への分岐を曲がり橋を渡って車で10分程。
大野川小中学校の後ろにひそかにあるパワースポット。。。
通り沿いにやや奥まって鳥居があるのでこちらも見落としそうに。
古代より信仰の地であったとのことだが、現在は、、 、ひっそりとしている。
上高地を流れる梓川の語源は、梓の木が取れるので梓とも、
アツミ⇒安曇⇒アツシ⇒梓(あずさ)の転訛とも云われる。
◇◆◇◆◇◆◇◆
梓の木は独特の香りと梓弓で知られ、梓弓を鳴らしながら口寄せや宣託を受け
関東~東北にかけて渡り歩く【梓巫女】という神社に属さない巫女がいたらしい。
海神族の娘として知られる玉依姫とは、魂寄せをする巫女の呼び名とされるが、
あるいは梓水大神様も海神族の由縁の存在だったのかもしれない。
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駐車場下にある梓湖畔の湯
穂高神社奥宮 長野県松本市安曇上高地明神
【青島神社】
御祭神 彦火火出見命(ヒコホデミノミコト)=山幸彦
豊玉姫命
塩筒大神
創建不明(9世紀以前~) 元宮では古代から祭祀が行われていた。
宮崎県宮崎市の南端にある周囲1.5㌔の小さな島で、島全体が神社の境内。
「浦島太郎」のモデルである海幸彦と山幸彦の日本神話の舞台となっている島。
島は聖域で車で立入ることは出来ない。入口の駐車場に車を停め島までは、弥生橋を渡り歩道を歩いて行く。
島へ一般立入りが許されるようになったのは300年程前からとのこと、、
【鬼の洗濯岩】
島の周りは、2400万年前に海底から隆起し波の浸食でギザギザに削られた「鬼の洗濯岩」と呼ばれるリーフに囲まれている。貝殻が堆積したできた島であり真砂島とも呼ばれる。
この日は嵐で、濡れて黒光りするエッジが鈍~く浮かびあがっていた。
空には風神様があらわれたかのように、雲が黒いとぐろを巻いている。
傘もさせないほどの強風にテンションがあがる。
神門
竜宮城の様な拝殿
縁結びや、天皇皇后陛下の新婚旅行と巨人軍の祈願でも知られる。
境内の玉の井は竜宮城(海積宮)入口にあったとされる井戸で不思議な伝説がある。
わだつみ神社
ワタツミ【海の神】
ワタ = 朝鮮語で「海」
ツ= 「の」
ミ= 「神」
ワタツミ宮を舞台に、日向の国の天孫ニニギの命とコノハナ咲耶姫の息子海幸彦・山幸彦(=ホデリ命・ホオリ命)の兄弟の争いが、古事記に記されている。
◆◇◆◇◆◇◆◇
兄・海幸彦の釣り針を借りて無くしてしまった弟・山幸彦は、どうしても兄に許されず針を探しに出る。そして塩筒大神に会い潮の流れを教えられ海積宮(ワタツミ宮)へとたどりつく。
山幸彦は海積宮(ワタツミ宮)で出合ったワタツミ神(豊玉彦)の娘である豊玉姫と結ばれ幸せな3年間を過ごす。海積宮に針を探しにきた目的を話し、ワタツミ神の助けで針を見つける。
そして、豊玉姫と別れ針を返すためにに兄・海幸彦のもとへと戻る。兄に責められたときの為、ワタツミ神より海の干潮を操る潮満珠と潮干珠を授かり、ここ青島へ上陸した。
その後、山幸彦は潮満珠と潮干珠を使って兄・海幸彦を懲らしめ従わせ【日向の国】を治めた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
追われてしまった兄・海幸彦は 船で潮流に乗って潮嶽神社 の地に辿り着き宮居をかまえた
との伝承がある。
その後、海幸彦は隼人族(=薩摩の山間民族)の祖となったとのこと。
弟の山幸彦は、初代神武天皇の祖父にあたる。
薩摩隼人は、姿を消すことなく~鎌倉・戦国・江戸時代を力強く生き抜いた。
薩摩藩主の島津家は出自が不明であるも、薩摩・長州連合による明治維新を経て、
天皇家と島津家の婚姻がなり、現代の平成天皇へと続いてることを考えれば
海幸彦・山幸彦兄弟で別れてしまった二つの系譜が、
2000年の時を経て和合した、、、ということなのかもしれない。(ドキっ)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
山幸彦が海神宮へ渡る船は、鹿児山(鹿児島)で造られたと云われている。
豊玉姫のお墓とワタツミ神社は長崎県対馬にあり、ワタツミ宮は青島沖にあったとされているが、、
ひょっとするとワタツミ宮があったのは、もっと南、鹿児島の先にある薩南諸島(種子島・屋久島・奄美大島・与論島)のどこかだろうか?と考えるとちよっと海の世界観が広がる。
青島神社 宮崎県宮崎市青島2-13-1
スピリチュアルアイランド 青島
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