Ninbuのスマホで撮った花だって美しい!

サイクリング・テニス・散歩等の道すがら、公園・野原・湖畔・川辺等で見つけた美しい花をスマホで撮っています。

近隣の神社・仏閣を訪ねて その5(滝不動)

2017-07-31 | 日記

滝不動はJR成田線東我孫子駅から手賀沼ふれあいラインへ10分ほど歩いたところに鎮座している。


滝不動入口
相馬霊場八十八か所の札所で草葺きの小堂があり、今もお参りする人が絶えないという。
平日でもあり、私以外は誰もいない静かなお堂だった。


滝不動本堂
文化13年(1816)の建立とされ、当時、大日照でも涸れないほど滝の水が落ちていたのでその名が付いたといわれる。お堂の右側にある藤棚は志賀直哉の「矢島柳堂」にも登場する。



寺額
刻字もいいです。動は一画点画を余分に打ち、目を引いている。


鳥居
鳥居をさらに進むと、眼下に我孫子ゴルフ倶楽部のフェアウェイが広がる。


竜の碑
鳥居の奥には竜の碑。


矢島柳堂 志賀直哉著
矢島柳堂に出てくる沼地の湿気の多い温泉宿の白藤は、志賀直哉が過ごした我孫子市の不動滝の藤をモデルにしたしたと言われている。この作品は「白藤」「赤い帯」「鶏」「百舌」の短編を集めたものと言われていますが、私は読んだことがない。

東の鎌倉散歩 その2(志賀直哉邸跡)

2017-07-29 | 日記

手賀沼を望む我孫子市の高台には明治から大正期にかけて「白樺派」と呼ばれる文人達が住み「東の鎌倉」と呼ばれたそうです。大正時代、文化人達が愛した我孫子の高台の緑地には志賀直哉、武者小路実篤、杉村楚人冠らの邸宅跡が残っています。

今朝はこの高台を文学散歩と自然観察としゃれて歩いてみました。
現在の我孫子の自然や風景に文学史と自然史を重ね合わせながら歩く、ちょっと知的になった気分がする散歩でした。

志賀直哉邸跡表札
志賀直哉は「白樺」同人の柳宗悦の勧めで、大正4年から12年までの7年余りこの地に住みました。
当時はこのすぐ下が手賀沼の水辺で、武者小路邸へは舟で往き来したといいます。


入口より書斎を望む
広場の片隅には当時の書斎が復元されています。


志賀直哉の住まい(パネル)
母屋と離れ、そして書斎からなっていました。


ここで書かれた小説(パネル)
後で移り住む武者小路実篤や、瀧井孝作、バーナード・リーチらと交流を深めながら、「和解」「暗夜行路」「小僧の神様」「城の崎にて」等の名作を発表しています。





書斎
大正10(1921)年に作られました。


書斎説明パネル
木造平屋で、床面積は44坪。


書斎
平成23年に我孫子市指定文化財に指定されました。


東屋

夏の風物詩といえば朝顔

2017-07-29 | 

夏の風物詩、朝顔を歌った曲は多くありますが
私が好きなのは、あさみ ちゆきの「あさがお」です。
フォークタッチ風に歌う曲は、昭和の家族の原風景が蘇ってきます。
あさみ ちゆき/あさがお


梅雨が明け、夏本番と同時に朝顔のピークを迎えます。
朝顔は夏の風物詩として知られます。
7月初旬に開催される東京入谷朝顔まつり(朝顔市)は有名で
毎年40万人の人出で賑わいます。


でも、朝顔の季語は夏ではなく秋なので実感がわきません。
この、やっかいな季語のおかげで生活実感とはかけ離れたものになるんです。(^.^)
季語は旧暦なので、立秋(8月7日)から立冬(11月7日)の前日までを【秋】と呼ぶんですね。

だから、8月に盛りを迎える朝顔や、夏の風物詩といえる枝豆やとうもろこし、スイカなども秋の季語。
また、甲子園、終戦記念日、花火等々真夏の炎天下の行事も秋に分類されてしまうのです。

琉球朝顔(オーシャンブルー)


開花期間は長く、霜が降りる11月まで咲き続け、
10月上旬ごろに花数が最も多く、美しくなります。




自転車に魅せられて

2017-07-28 | 日記

自転車は手軽で便利、かつ地球環境にもやさしい乗り物です。
健康にもよいことから、近隣の移動はもっぱら自転車を利用しています。

一方で、駅前や繁華街には大量に放置自転車があふれています。
歩行者の安全な通行を妨げたり、緊急車両の活動を阻害するなど深刻な弊害が生じています。


先日、テニスの帰り道、流山おおたかの森駅で食事をするために駅前に立ち寄りました、。
しかし、放置自転車がまったくないのに驚きました。


素晴らしい駐輪場システムがあり、納得しました。
こんなシステムがあると、放置する人は出ないでしょうね。
駐輪システム(盗難の心配不要、4時間まで無料、24時間オープンなど)


ショートステイ

2017-07-27 | 日記

一昨日から娘家族がわが家に来て、昨日帰りました。

犬は人と違い
嬉しいときは嬉しそうな
悲しいときは悲しそうな
怖いときは怖そうな
気持ちをストレートに伝えてくれる

リヨン君とクレアちゃん


ポアル君


だから、家の中の方々でオシッコをしても許せるし、
私の食事中におねだりされると、
飼い主から禁止されていても、ついついあげてしまう。

クレアちゃん



ポアル君


わずか2日間のショートステイでしたが、癒された時間でした。

シニアって

2017-07-26 | 日記
先日、私の住む街の自治会で「シニアの会」という会合があり、参加しました。
年齢層が50歳代から80歳代までの男女、約30名が集まり講話を聞きました。

ここで大うけだったのが「ぼけたらあかん 長生きしなはれ」という標語です。
この標語を毎日1回大きな声で唱和すると明るい老後が開けるそうです。(笑)

でも、なぜか夫婦の関係には触れていません。
さすがの説法師様も夫婦の間だけは「触らぬ神に祟りなし」を決め込んでいるのでしょうか。(^^;)

わが子に、孫に、世間さま、どなたからでも慕われる ええ年寄りになりなはれ


昔のことはみな忘れ 自慢ばなしは しなはんな


どんな時でも へえおおきに お金の欲はすてなはれ


というのは それは表向き ほんまはゼニを離さずに 死ぬまでしっかり持ってなはれ


憎まれ口に 泣き言に 人のかげ口 愚痴言わず 他人のことは褒めなはれ


「シニア」という言葉は2000年代から「高齢者」ないし「中高年者」を指す言葉として徐々に使われるようになってきました。高齢者、中高年者を「オシャレ」に言い換えようとしたもので、一般にも広まり定着したのではないかと推測されます。

では、シニアとは何歳からなのでしょうか、かなり曖昧ですね。
東京ディズニーランド(TDL)の「シニアパス」は60歳以上です。

ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)の「シニアパス」は65歳以上です。


世界保健機構(WHO)の定義では65歳以上です。


高齢化社会を迎え、老後が心配という声も多いが、定年後も生きがいを持って働く人もたくさんいます。
説法師様の言うように、健康で、知的に、出しゃばらず、謙虚に生きていけば、世の中丸く収まるのかもしれません。


近隣の神社・仏閣を訪ねて その4(浅草寺)

2017-07-25 | 日記

15年振りに浅草寺に行ってきた。 

「雷門」と書かれた赤い大提灯。
浅草のシンボル・雷門の前は、記念写真を撮る人でごった返していた。


雷門から宝蔵門まで長さ約250mの仲見世。
この仲見世は、元禄・享保(1688~1735)の頃にはできていたと言うことで、日本で最も古い商店街の一つ。


本堂(観音堂)前広場
15年前に来たときは、この場所はハトがたくさんいた記憶があるのだが、どうも今日は少ない。
ハトに餌をあげるのが禁止されているようだ。時代の流れを感じる。


本堂正面に掛かる外陣の聯(げじんのれん)
「仏身円満無背相 十方来人皆対面」野口雪江 書(のぐちせっこう)〔寛政9年(1797)の筆〕
誰でも、どこから来た人でも分け隔てなく救いの手を差し伸べてくださる、という意味(浅草寺のご本尊観音さまのことを表す)。


浅草浅草寺、そこは外国だった。
周りから聞こえてくるのは、英語、中国語、韓国語、仏語、△○□※語等々、外国語ばかり。
観光大国ニッポンを実感した一日でした。



今年も懲りずに野菜作りにトライ! その6

2017-07-24 | 日記

ネットメロンらしい姿になった!
メロンのネットとは、メロンの皮にできる網目模様のこと。

網目模様は、メロンが成長する段階で果肉が大きくなる速さに皮の成長が追い付かず、
皮に亀裂(ヒビ)ができ、亀裂から果汁がしみだしてコルク状に固まって盛り上がったもの。

お尻からほのかに甘い香りがして、へたの周りに大きなヒビ(離層)ができたら収穫適期。
日数では、開花後40~50日くらい。6月8日の開花なので、7月末頃に収穫できるかな?

もう1個のメロンの果実はちょっと成長が止まったようで失敗かな?


ミニトマトも順調に収穫ができている。
8回目の収穫(7/21) 30個(今年の累計116個、昨年は130個収穫)



愛を伝える花

2017-07-23 | 

美しい花を贈られることは、男女関係なく、やはり誰でも嬉しいもの。
いにしえの時代から人々の心を魅了してやまないバラの花。
そんなバラの花が私は大好きです。

赤いバラの花は、好きな人へ贈る花の王道だとか・・・  「光彩」


愛を伝えるといえば
エルガーの「愛の挨拶」、ゆったりとした優美なメロディーは一度聴いたら忘れられません。

五嶋みどり 「愛の挨拶 op.12」(エルガー)


エルガーが当時、自分のピアノの教え子だった女性より贈られた、「愛の恵み」という詩に対する返礼として、この曲を作曲してプレゼントしたという、ロマンティックな逸話があります。
そして、のちにその女性はエルガー夫人となりました。

平兼盛の和歌「しのぶれど 色に出でけり わが恋は」から名付けられたとのこと・・・「しのぶれど」


美智子皇后陛下が皇太子妃の時に、イギリスの育種家から贈られた・・・「プリンセス ミチコ」



テニスのマナー

2017-07-22 | 日記

どんなスポーツでも試合終了後は両者が握手などをして、お互いの健闘を讃えあいます。
私が仲間とテニスの試合をした場合でも、試合終了後、両者がネットを介して近寄って握手を交わしています。

プロのテニス試合でよく見かけるのが、試合終了後、すぐに両者が近寄って握手やハグを交わす光景です。
しかし、コロンビアのボゴタで行われた男子テニスではそうではありませんでした。

負けた身長175cmのドゥディ・セラ選手が握手もせず背を向けて走り去ってしまいました。
唖然と立ち尽くす対戦相手の身長211cmのイボ・カロビッチ選手。

36cmもの身長差を埋めるために、粋な作戦を考えていたようです。