6月11日、第2日曜日
太平洋クラブ高崎コースでゴルフコンペの予定であった、
朝から雨で不安を抱えながら出かけた、
案の定 コースはゴルフのできる状態ではなく
コンペは中止となった、
ところが景品は準備されている、
なかには生ものもある、
当然返品は出来ない、
初めてのケースで
さぁ どうする?
私も役員なので思案の末
アミダくじを作って配ることにした、
3等が当たった、
肉の詰め合わせ
2,000円相当(?)
シメシメ
今夜はうまい肉が食えるぞ!!!
6月11日、第2日曜日
太平洋クラブ高崎コースでゴルフコンペの予定であった、
朝から雨で不安を抱えながら出かけた、
案の定 コースはゴルフのできる状態ではなく
コンペは中止となった、
ところが景品は準備されている、
なかには生ものもある、
当然返品は出来ない、
初めてのケースで
さぁ どうする?
私も役員なので思案の末
アミダくじを作って配ることにした、
3等が当たった、
肉の詰め合わせ
2,000円相当(?)
シメシメ
今夜はうまい肉が食えるぞ!!!
尾瀬を代表する花、ミズバショウ
❝夏が来れば 思い出す
はるかな尾瀬 遠い空
霧のなかに 浮かび来る
やさしい影 野の小道
水芭蕉の 花が 咲いている
夢見て咲いている 水のほとり
シャクナゲ色に たそがれる
はるかな尾瀬 遠い空❞
昭和24年 NHKラジオの「婦人の時間」から
ラジオ歌謡の1曲として世に出た、
作詞:江間章子
作曲:中田喜直
私がこの歌を知ったのは
昭和42年ころのうたごえ喫茶
❝ともしび❞だったと思う、
その頃はそれほど広く歌われては
いなかったが
私には強烈に尾瀬を印象付ける
出来事が有った、
当時私は都内の私立大学夜間部に在籍しており
昼間は飯田橋近くの会社でアルバイトをしていた、
昭和40年ころと言えば戦後20年
まだまだ戦後の影を引きずって
一般人が気軽に旅行やハイキングに
出かける時代ではなかった、
そんな状況下でも若者たちの間では
登山やハイキングなど野外スポーツがはやり始めていた、
たまたまその会社の青年部が
尾瀬にハイキングに行ったと言って
昼休みにビデオ(?)を上映した、
水芭蕉咲く高層湿原の風景は
強烈にわたしの脳裏に焼き付いていた、
そんなこともあって尾瀬を抒情的に歌い上げる
この歌には愛着を感じていた、
それから10年後
私は縁あって尾瀬のある
群馬県に居を構えることとなった、
今や尾瀬は国内はおろか広く世界中の
自然を愛する人々を引き付けてやまない
高層湿原となっている、
数年に一度程度ハイキングや写真撮影に
訪れているが
最近の乾燥化で湿地が潤いの乏しい
草原に変わってきていることは
気になるところである。
6月頃の尾瀬ケ原
草モミジの頃の尾瀬ケ原
今年も
オトギリソウの花が咲いていると聞いて
友人の畑に写真を撮りに行った、
何とも不思議な花である、
弟切草は草であるが写真の花は木に咲いている、
そこでこの花について調べてみた、
一説には560種ほどの近似種があるそうだ、
写真の花も正確には
奥多摩湖
わがカラオケクラブは
高齢者のおしゃべりクラブ、
男は私のほかはひとり Nさん、
そのNさんが会のまとめ役、
正式な名前を
イチョウ並木カラオケクラブと言う、
会員は現在10名、
高齢者ゆえ甚だ流動的である、
私より若いのは79歳のKさんのみ、
最高齢は90才のお局様、
このお局様
コロナが蔓延してマスク不足が叫ばれていたころ
3,000枚のマスクを作ったんだとのこと、
そして未だにこのマスクを毎回配っている、
会のことはすべて知っている、
会の様子は依って知るべしである、
私の存在はカラオケ機械の操作係、
私がいなければ会は動かない、
だが会長ではない、
だからみんなが私を立ててくれる、
貢いでくれる(?)
私が持てはやされること等ほかではない、
人生でいちばん持てて(?)いるのかもしれない、
だから私はなにはさておいても
例会日は馳せ参じている、
嘗ては17,8名いた会員も高齢化で
一人欠け二人欠け、
常時参加できるのは7名になってしまった、
以前は指導者がいたが今はいない、
だから自然とおしゃべりタイムが長くなってしまう、
それも仕方のない事である、
歌を上手くなりたい様子はそれほどない、
良く言えばおしゃべりしたいから、
悪く言えば家にいても退屈だから、
ひとり暮しが多い、
まとめ役のNさんも高齢で一人暮らし、
欠席が多くなったのが心配だ、
こんな会でも連盟に参加しているので
発表会では文化センターのステージで歌う、
まじかに迫っているので昨日は少しは
緊張感のある練習になった、
発表会が待ち遠しい。