ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

「ダークナイト」の居心地悪そうなリアル・バットマン

2008年08月19日 | 映画
 新宿歌舞伎町のジョイシネマで「ダークナイト」を観る。バルト9に続き、靖国通りにピカデリーがオープンし、両館でこの映画はかかっているのだが、そして、きっと設備・音響とも新しいシネコンのほうがいいだろうことは想像できるのだが、環境の悪いジョイシネマのほうが空いているに違いないと思い、歌舞伎町で観ることにしたのだった。ねらいどおり、1割程度の入り。全米興行成績ナンバー1としては、ちょっと寂しかろうが、大画面を独り占めしているような気分は、こんな映画館でなくては味わえない。
 
「バットマン・ビギンズ」の続編でありながら、そして、2人の男に愛されるというヒロインでありながら、なぜ、ブルースの恋人レイチェルは、ケイティ・ホームズからマギー・ギレンホールに変わってしまったのだろうか。ヒロインとしておよそ魅力を欠いていながら、ブルースの恋人にして美人で聡明な弁護士という役柄は、どうしても似合わない(ギレンホール本人はコロンビア大学卒の才媛らしいが)と思わざるを得ないのだが、よくよく考えてみれば、だからこそ、監督のクリストファー・ノーランは、やすやすとこのヒロインを爆死させてしまうことができたのではないか。いくらマスクの下に顔が隠れているとはいえ、恋人レイチェルを失ったにもかかわらず、バットマンがあまり取り乱さない素振りなのは、それがギレンホールだからなのであって、そこに「ダークナイト」がリアル・バットマンたる所以があるのではないかと思ってしまう。

 そもそもタイトルにさえバットマンの文字は登場しない。だから、「ダークナイト」の中でバットマンは、常に居場所がなく、まるで画面の中で居心地悪そうに佇んでいたり、ビルの屋上でしゃがみこんでいたりして、決して感動的な登場の仕方もしないばかりか、最後には飛ぶこともできず落下してしまうのである。おまけにジョーカーの言葉を疑うこともなく信じてレイチェルの救出に向かったはいいが、そこにいたのはトゥーフェイスという間抜けぶり。まさに意表をつく登場の仕方と軽快な身振りで画面を蹂躙するジョーカーとは対照的だ。たとえば、起爆装置である携帯電話のキーを押しても爆破しない病院に一瞬イラつくジョーカーの背後で、絶妙の間で爆破が始まる病院の建物を、青空の見える奥行きのあるショットでとらえた画面ひとつで、ジョーカーの狂気はみごとに描かれてしまう。バットマンが唯一画面で存在感を発揮できるのは、飛翔するときではなくバットポッドで地を這うように疾駆するときであり、ビルの壁を使ってUターンするスリリングなショットさえ生み出すのだが、これさえリアル・バットマンの普通さの証明にしかならない。

 この徹底した解体ぶりはなんなのだろう。アメリカのとある大都市を思わせる白昼のゴッサムシティを俯瞰でとらえたショットで始まるこの映画は、このファーストショットでアメコミのヒーローものではなく、犯罪アクション映画であることを宣言する。続く銀行襲撃のシークエンスのカメラワークがすばらしい。しかし、極悪非道の異常な犯罪者と警察・検察が対決する犯罪アクション映画でありながら、はたして今回の悪の主役であるジョーカーの結末が、どうなったのかは不明という点で、悪を退治するカタルシスさへ味わえず、ラストシーンは正義のヒーローであることをやめたバットマンが、警察犬に追いかけられながらバットポッドと呼ばれる奇妙なバイクで闇の中に消えていく始末。「ダークナイト」の称号は与えられたが、その後姿に悲哀がただようリアル・バットマン、この姿は子どもには見せられない。
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そして、川は流れ、船は行く『長江哀歌』

2008年08月11日 | 映画
 WOWWOWで、ジャ・ジャンクー監督『長江哀歌』を見ることができた。

 顔を見れば、まるで漫才コンビ「次長課長」の河本に似たジャンクー監督の顔なのだが、だからというわけではあるまいが、実際、この映画のここかしこに絶妙な間でしかけが挿入されていて、ダム建設で水没する古都の市井の人々を描いた映画といったリリースのされ方とは異なった映画的魅力に溢れた作品なのだった。

 例えば、妻を探す男サンミンの宿にいきなりやってきて煙草をふかして退室する少年、あるいはこの少年が、どさ周りの芸人の子どものように歌謡曲を歌うショットで始まるシークエンス。サンミンが妻の兄の船を訪ねたとき、操舵室に順繰りにやってきてフレームに無理やり納まるようにして不自然な姿勢でそばを食べる船員たちの滑稽さ。チョウ・ユンファをまねて札の代わりに新聞のきれっぱしに火をつけてタバコを吸うマークと自称する男とサンミンの会話のシークエンス。解体されたビルの瓦礫をバイオテロの後始末をするように消毒して回る白装束の消毒服の男たち、あるいは、サンミンが働く歩きにくそうな瓦礫の工事現場に響く槌音のリズミカルな響き。宿屋の女将がサンミンに女を紹介するといって、壊れたビルの柱の陰から次々と現れポーズを取る主婦売春の女たちのあまりの普通さ。夫を探す女シェンホンが身を寄せる夫の友人の家の窓から見える景観を無視したモニュメントがいきなりロケットになって飛翔して消える荒唐無稽なショット。そして、ラストで山西省に帰るサンミンが足を止めて眺める先に見える、解体途中のビルとビルの間を綱渡りする男などなど、これらは、中国のアンゲロプロスとたとえられもする、映画の通奏低音のようなゆったりとした長回しのカメラの動き、主人公2人の歩行のリズムとは異なって、観るものの意表をついて画面に緊張と弛緩を生み出すのである。

 ジャンクー監督は、こうした意表をつく振る舞いで、世の中が若くして巨匠とさえ呼んでしまうことから自らを遠ざけようとしているのではないだろうか。だから、失われていく奉節の風景と人々への感傷などにひたっていない。サンミンとマークの会話の場面で、「この街に今は似合わない」と格好を付けて言うマークがコミュニケーションの手段にしているのは携帯電話であり、2人は着信音を披露しあうほど意気投合する。サンミンがヤオメイの住所を記しているのは、古い煙草のパッケージの裏で、表にはマンゴーの絵が書いてあるらしく(その意味は中国通でないとよく分からないのだが)、サンミンとマークがその絵をめぐって会話するこのシークエンスは、唯一この映画でサンミンが笑顔を見せる場面でもある。だが、やがてその着信音によってマークの死が分かるという残酷な場面もジャンクー監督は用意しているのだった。

 三峡ダムの建設によって次第に水没していく運命にある古都・奉節は、移住によって人々を故郷から追放する一方で、ダム建設や水没する街の解体作業のために多くの日雇い労働者を受け入れる街でもある。異常な経済発展に奔走する中国社会の縮図のようなこの街で、シェンホンは、この街に出稼ぎに来て、音信不通になっている夫を探す看護婦の妻、一方、炭鉱労働者サンミンは、帰郷したまま帰らない売買結婚で得た妻ヤオメイを探しにこの街に来た寡黙な夫。だが、すでに妻が住んでいた場所は水没しており、妻は出稼ぎのため街を出て行ってしまっている。長江が運ぶ人々の運命。シェンホンは、この街で社長と呼ばれ愛人のいる夫と別れ、新しい人生を踏み出す決意をして長江を下る。一方のサンミンは、日雇い労働者仲間と故郷の山西省にもどり再び炭鉱夫として働く決意をして埠頭へと街を下るところで映画は終わる。たびたび挿入される高い丘の上から長江とその渓谷を俯瞰するショットが美しい。

 烟、酒、茶、飴という名前のついた4つの章に分かれて物語は展開し、それぞれが、人と人をつなぐ媒介物の役目をもっている。烟、酒、茶、飴は、いずれも口唇によって機能をはたすことができるが、それらはまるでキスの代替物であるかのように愛情や友情の交換のための役割を果たすのである。シェンホンが夫の住んでいた部屋の棚から故郷山西省のお茶のパッケージを見つけるところから始まる「茶」の章、そこにシェンホンの揺れ動く心情が簡潔に描かれる。あるいは、のどの渇きというより、人生の渇きを潤すようにひたすらペットボトルの水を飲むシェンホンが、夫の友人の家で、ブラウスの襟もとを広げながら扇風機の風をからだに当てるショットには、シェンホンという女性の孤独感がみごとに表現されていた。

 『長江哀歌』では、何よりも、過剰にコントラストの強い画面が、登場人物たちの表情さえ黒く隠してしまうし、2人の主人公サンミンとシェンホンは常に無表情である。だが渓谷と長江の水をたたえた風景は、山水画のように主人公たちの背景にあって、常にエレジーを奏でているようでもあるのだった。


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悲しみのロシア・アヴァンギャルド

2008年08月06日 | 絵画
 渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催されている「青春のロシア・アヴァンギャルド シャガールからマレーヴィチまで」展を見る。モスクワ市近代美術館所蔵のロシア・アヴァンギャルドといわれる20世紀初頭の芸術運動を担った画家たち、シャガール、カンデンスキー、マレーヴィチ、さらにピロスマニなどの70作品が展示されている。

 モスクワ市近代美術館は1999年に開館した美術館とのことだが、僕が仕事で度々モスクワへ行ったのは、ソ連崩壊前後の1990年から1994年あたりのことで、もちろんこの美術館はまだなかった。プーシキン広場前にマック1号店がオープン(1990年)したのが話題になっていた頃で、ロシア・アヴァンギャルドの絵画を直接見ることができたのはプーシキン美術館かサンクトペテルブルクのロシア美術館であったような気がする。そのときマレーヴィチという画家を初めて知り、生マレーヴィチとはそれ以来、16、7年ぶりの再会になった。「白のコンポジション」のようにスプレマチズムという抽象化の一つの到達点を示す一方、どこかユーモラスな民衆絵画的な雰囲気を残した非具象人物画は、顔がないにもかかわらず、楽しげでもあり悲しげでもあるから不思議だ。鉄の男、赤いツァーリ、スターリンこと、グルジア人、ヨシフ・ヴィサリオノヴィチ・ジュガシヴィリの粛清によってロシア・アヴァンギャルドは終焉するが、粛清にあった人、それを逃れた人、それぞれに深い傷を残したことは、スターリン時代を測量士として生き延びたマレーヴィチが、晩年に描いた具象的な自画像の怒りを押し殺したような顔に現れている。鮮やかな色彩を特徴としていたロシア・アヴァンギャルドの画家たちの絵から、革命が経過するにしたがって色彩がなくなっていくのも象徴的だ。それにしても、こうした絵画が粛清時代に抹殺されることなく生き延びたことがすばらしい。

 とりわけ、今回のロシア・アヴァンギャルド展では、画風はアヴァンギャルドとは異なるが、同時代を生きた画家ということでグルジアの画家ニコ・ピロスマニの作品が多く展示されていたのもうれしかった。「百万本のバラ」のモデルといわれる貧困画家の絵は、キャンバスではなく、多くがボール紙に描かれたものだったが、温かく力強く、そしてどこか悲しい。ピロスマニは革命直後の1918年には亡くなっており、もしスターリン時代を生きていたら、同じグルジア人としてどのような運命が待っていたのだろうか。

 我が家には、1920年代後半のロシア・アヴァンギャルド風の版画が2枚ある。1992年だったと思うがモスクワのアルバート通りの骨董屋でロシア・アヴァンギャルド時代の版画が二束三文で売られていたので、多分1枚500円くらいで買った。何しろ1万円をルーブルに換金したら、10センチはあろう札束が5つくらいになり、コートや上着などポケットというポケットに札束を突っ込んで買い物をしたことを思い出す。それでも、この時代の絵画は人気があり海外流出を防ぐため、一応国外持ち出し禁止になっているとのことだったが、厚紙にはさんで衣類の中に忍ばせて持ち帰ることができたのだった。政治の前衛と芸術の前衛が、革命の名のもとに共鳴しあった稀有な時代。その時代のアートの断片が我が家にたどり着くまでには、100年近い時が刻まれ、さらに言えば、実に多くの血が流されたのだった。今日は、広島に原爆が落とされた日だ。黙祷。
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「白い波」、そして石川セリ「遠い海の記憶」のこと

2008年08月01日 | 音楽
 以前、このブログで書いたユキとヒデの「白い波」が聴けるコンピ・アルバムが出ていた(ちなみに、「白い波」のドーナッツ版はネットで3,000円くらい)。「ソフトロック・ドライヴィン」(ユニヴァーサルミュージック1,300円)というソフトロック・ヒッピーズシリーズ(このシリーズ名もすばらしい)の1枚で、昭和40年台の和製ボサノヴァなどが25曲収められている。ユキとヒデ「白い波」のB面だった「長い夜」。安田南が歌った「赤い鳥逃げた?」、これは藤田敏八監督で桃井かおり(ヌードで登場します)のデビュー作だった同名映画の主題歌、さらに西田佐知子「きのうの涙」、まだ夫婦だったマイク真木と前田美波里のデュエット「空には名前がない」など、西暦ではくくれない、まさに昭和40年代和製ポップスのレアモノばかり。とりわけ「白い波」は和製ボサノヴァとしてはかなり完成度が高いことが分かる。まあ、この25曲を全部知っている人は相当ヒップだと思うが、アストラッド・ジルベルトが日本語で歌う「ストリート・サンバ」なんてーのも入っていて、とにかく楽しめるアルバムだ。

 それにしても、このアルバムには「赤い鳥逃げた」などを作曲している樋口康雄の曲がかなり収められているが、この人の楽曲は、例えば石川セリのデビューアルバム「パセリと野の花」などで聴けるように、ニューミュージックといわれた和製ポップスのなかでも、とてもモダンでスケールの広がりを感じさせる曲が多かった。「パセリと野の花」には名曲「八月の濡れた砂」のほか、「鳥が逃げたわ」という「赤い鳥逃げた?」の続編のような曲もある。この人の曲で僕が好きだったのは、やはり石川セリが歌った「遠い海の記憶」。これは、NHK少年ドラマシリーズ「つぶやき岩の秘密」の主題歌だった。アレンジがビートルズの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」のようだった覚えがある。そういえばこのドーナッツ版もあったはずだが。

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チェリーボーイの夢でアン・マーグレット

2008年08月01日 | 音楽
 北欧出身の女優というとイングリッド・バーグマン、グレタ・ガルボなどが有名だが、アン・マーグレットもスウェーデン出身。実は、中学生の頃、結構アン・マーグレットが好きだった。その頃観た「バイ・バイ・バーディー」、この映画はエルヴィスの入隊がモチーフになってつくられた映画だが、このアン・マーグレットはよかった。映画の中で歌われる「バイ・バイ・バーディー」「ワン・ボーイ」なども、どこか胸がキュンとなる青春ポップスで忘れがたい。そもそも「ラスベガス万才」では、人気絶頂のエルヴィスと唯一競演できた女優で、「セクシー・ダイナマイト」といった映画に出演するなど、ブロンドのセックスシンボル的な人気だったので、ヤンキー娘とばかり思っていたのだ。

 実際、中学時代の夢の中に、なぜか水着姿のアン・マーグレットが出てきて、田舎のチェリー・ボーイは思わずイッてしまったこともあった。それゆえ、お世話になった忘れられない女優なのだが、北欧出身と知ったのは後のことで、その頃、アン・マーグレットは、マイク・ニコルズの「愛の狩人」などに出るようになっていた。

 さて、アン・マーグレット20歳のときRCAからリリースした「オン・ザ・ウェイ・アップ」は、RCA美女ジャズシリーズとでも言うのだろうか、なんといってもこの内容で1,000円という価格がすばらしい。アルバムは、「Fever」など前半アップテンポのロックン・ロールナンバー、後半は「Moon River」などバラードという構成。アン・マーグレットって、こんなに歌がうまかったっけというくらいキュートで、甘酸っぱいあの頃の思い出に浸ってしまうのだった。
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