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ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

悲しみのロシア・アヴァンギャルド

2008年08月06日 | 絵画
 渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催されている「青春のロシア・アヴァンギャルド シャガールからマレーヴィチまで」展を見る。モスクワ市近代美術館所蔵のロシア・アヴァンギャルドといわれる20世紀初頭の芸術運動を担った画家たち、シャガール、カンデンスキー、マレーヴィチ、さらにピロスマニなどの70作品が展示されている。

 モスクワ市近代美術館は1999年に開館した美術館とのことだが、僕が仕事で度々モスクワへ行ったのは、ソ連崩壊前後の1990年から1994年あたりのことで、もちろんこの美術館はまだなかった。プーシキン広場前にマック1号店がオープン(1990年)したのが話題になっていた頃で、ロシア・アヴァンギャルドの絵画を直接見ることができたのはプーシキン美術館かサンクトペテルブルクのロシア美術館であったような気がする。そのときマレーヴィチという画家を初めて知り、生マレーヴィチとはそれ以来、16、7年ぶりの再会になった。「白のコンポジション」のようにスプレマチズムという抽象化の一つの到達点を示す一方、どこかユーモラスな民衆絵画的な雰囲気を残した非具象人物画は、顔がないにもかかわらず、楽しげでもあり悲しげでもあるから不思議だ。鉄の男、赤いツァーリ、スターリンこと、グルジア人、ヨシフ・ヴィサリオノヴィチ・ジュガシヴィリの粛清によってロシア・アヴァンギャルドは終焉するが、粛清にあった人、それを逃れた人、それぞれに深い傷を残したことは、スターリン時代を測量士として生き延びたマレーヴィチが、晩年に描いた具象的な自画像の怒りを押し殺したような顔に現れている。鮮やかな色彩を特徴としていたロシア・アヴァンギャルドの画家たちの絵から、革命が経過するにしたがって色彩がなくなっていくのも象徴的だ。それにしても、こうした絵画が粛清時代に抹殺されることなく生き延びたことがすばらしい。

 とりわけ、今回のロシア・アヴァンギャルド展では、画風はアヴァンギャルドとは異なるが、同時代を生きた画家ということでグルジアの画家ニコ・ピロスマニの作品が多く展示されていたのもうれしかった。「百万本のバラ」のモデルといわれる貧困画家の絵は、キャンバスではなく、多くがボール紙に描かれたものだったが、温かく力強く、そしてどこか悲しい。ピロスマニは革命直後の1918年には亡くなっており、もしスターリン時代を生きていたら、同じグルジア人としてどのような運命が待っていたのだろうか。

 我が家には、1920年代後半のロシア・アヴァンギャルド風の版画が2枚ある。1992年だったと思うがモスクワのアルバート通りの骨董屋でロシア・アヴァンギャルド時代の版画が二束三文で売られていたので、多分1枚500円くらいで買った。何しろ1万円をルーブルに換金したら、10センチはあろう札束が5つくらいになり、コートや上着などポケットというポケットに札束を突っ込んで買い物をしたことを思い出す。それでも、この時代の絵画は人気があり海外流出を防ぐため、一応国外持ち出し禁止になっているとのことだったが、厚紙にはさんで衣類の中に忍ばせて持ち帰ることができたのだった。政治の前衛と芸術の前衛が、革命の名のもとに共鳴しあった稀有な時代。その時代のアートの断片が我が家にたどり着くまでには、100年近い時が刻まれ、さらに言えば、実に多くの血が流されたのだった。今日は、広島に原爆が落とされた日だ。黙祷。
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