首都大学東京教授で、報道ステーションのコメンテーターとしてもご活躍の木村草太さん
お父様は「子供の教育は放任」で
「進路についても何も言わない」方だったみたいですが
「ひょっこりひょうたん島」がお好きで
小学生の木村さんとリメイク版をご覧になっていて
「ドン・ガバチョの未来を信ずる歌」が流れた時に
「今日がダメなら明日にしまちょ
明日がダメなら明後日にしまちょ」という歌詞は
「お前にとって大事だから覚えておけ」とおっしゃったそうです
甲斐さんも「一生懸命考えてダメだったら、すぐ寝ちゃう
目が覚めたら別の世界が広がってるかも知れないからね」とか
「何事も毎日続けるためには
明日の分量を少しだけ残しておくことが大事
作品を書くのも同じでね、どうしても3行しか書けなかったら
俺ねぇ、そのまま残しておくんですよ
そうすると、明日、その3行から始められるじゃないですか」と話されてたけど
長いスパンで物事を見る目を持つことが「継続」に繋がるんでしょうね
この「おやじのせなか」というコラムでは
「普段は子供の自由にさせてくれる父親」から
「あの時に言われた言葉が忘れられない」
「その言葉を胸に今も生きている」といったエピソードを語られる方が多く
例えば、バドミントン高松ペアの高橋礼華さんは
「小学生の時、もっと強くなりたいと相談したら
『練習中は、世界で一番下手だと思え
試合中は、世界で一番強いと思って臨め』と言われました
今でも試合前は必ずトイレにこもって胸の中で念じます」と話され
ベッキーさんは、活動自粛の際に「厳しい言葉を貰った」とはいえ
「父の教えは『一度きりの人生、自分で生き方を決めよう』と
『困っている人と動物がいたら
学校や仕事に遅れてもいいから助けなさい』でした」とおっしゃってます
少し変わったアドバイスをなさったのは、朝井リョウさんのお父様で
20歳の時に新人賞を受賞され
「『先生』と呼ばれながら大人になって行くのは怖かった」朝井さんに
「一度は組織の一番下っ端として働くのが大事だ」と
就職することを勧められたものの
朝井さんが会社を辞める決心をなさった時には
「正月明けの仕事始めの週の金曜日に伝えるのが良い
一年で一番フワフワしてる時期だから」とおっしゃったらしい(笑)
ちなみに、朝井さんは「今も『お父さん』と呼んでいます
『おやじ』とか、気持ち悪くて呼べない
親も『変えて来たな』と思うじゃないですか
その方が恥ずかしい」と記されているんですが
読者投稿欄に、ホンダ創業者の本田宗一郎さんは
威厳があり、畏怖されつつも愛される存在という意味で
社員から「おやじ」と呼ばれていたのに
今や「おやじ」は「セクハラおやじ」「おやじ臭」「おやじギャグ」といった言葉で
「いやらしい」「汚い」「つまらない」というイメージが定着している
「中高年男性を一括した蔑称」として使われている…と、お怒りの声があり
この投稿に対して「私の中の『おやじ』のイメージは『威張っている』
『傲慢』である」という40代の女性は
「女性達は会社などで『権力者』であることが多い中高年男性に
面と向かって対峙するのは憚れるので
せめて同年代の男性をひとまとめにして『おやじ』と呼び
心のモヤモヤを吐き出しているのではないか」と考えておられ
また、60代男性によれば「我々『おやじ』の中には
酔っぱらって、わめき散らしたり
些細なことで声を荒げたりする人がいる
これでは、家庭や社会の中で鼻つまみにされ
蔑視されても仕方ないのではないか
人の外見や行動は、その人の内面が醸し出す結果だ
日頃から内面を磨き続けることで、外見も行動も変わると思う」と記されてます
年齢に関わらず、言動を発する側の常日頃の態度で
その言動が不快なものになるか、そうでないのかを
受ける側に判断される訳だから
十把一からげの「おやじ」にならないように気をつけなければ…(汗)
実際、奥さんは甲斐さんがダジャレを口にされても
絶対「おやじギャグ」とは言いませんし…(笑)
余談ですが…竹宮恵子さんのお父様は、お亡くなりになる1年ほど前に
お母様ではなく、妹さんのご主人とインドネシアへ行かれ
帰国後に「戦時中、現地の女性と結婚していた
子供がいたかも知れない」と消息を尋ねていらしたことを明かされたそうで
「父は『責任を取らなければ』と考えていたのでしょう
私はもう大人でしたから、当時の事情として理解できました」と記されていて
戦時中には、そうしたこともあったかも知れないなあと思ったんだけど
井上荒野さんの「あちらにいる鬼」という作品は
井上光晴さんと瀬戸内寂聴さんの関係を元にした実話らしく
「出版業界では公然の秘密だった」とはいえ
「母は出家してから家に訪ねて来るようになった寂聴さんと友人になってしまった」とか
「父が昔、寂聴さんの家で『これ、女房に似合いそうだ』と
貰って来た着物」をお召しになったお母様と寂聴さんが
「揃って、荒野さんの直木賞の贈呈式に」出席されたとか
「事情を知る周囲の編集者が固まる一幕もあった」
…って、そりゃ…でしょうねぇ(汗)
ご両親と寂聴さんの「3人の関係を書かないか」と打診されて
「一度は断った」荒野さん
でも、お母様が亡くなられた後、寂聴さんをお訪ねになった時に
お父様の「思い出を語って尽きることのない寂聴さんの姿を見て
本当に父のことが好きだったんだ
それをなかったことにはしたくないんだなぁとグッと来てしまった」そうで
「不倫を肯定する訳ではないけど
今は、皆が最大公約数的な価値観を疑いもしない
そうじゃないと疑ってみるのが、私は小説だと思っている」と話されてますが
「幼い頃は知る由もなかったことが
大人になるに連れて、じわじわ判って来た」時に
お父様のことをどう思われたのか?
この小説を読んだら、少しは感じ取れるのかなあ?
お父様は「子供の教育は放任」で
「進路についても何も言わない」方だったみたいですが
「ひょっこりひょうたん島」がお好きで
小学生の木村さんとリメイク版をご覧になっていて
「ドン・ガバチョの未来を信ずる歌」が流れた時に
「今日がダメなら明日にしまちょ
明日がダメなら明後日にしまちょ」という歌詞は
「お前にとって大事だから覚えておけ」とおっしゃったそうです
甲斐さんも「一生懸命考えてダメだったら、すぐ寝ちゃう
目が覚めたら別の世界が広がってるかも知れないからね」とか
「何事も毎日続けるためには
明日の分量を少しだけ残しておくことが大事
作品を書くのも同じでね、どうしても3行しか書けなかったら
俺ねぇ、そのまま残しておくんですよ
そうすると、明日、その3行から始められるじゃないですか」と話されてたけど
長いスパンで物事を見る目を持つことが「継続」に繋がるんでしょうね
この「おやじのせなか」というコラムでは
「普段は子供の自由にさせてくれる父親」から
「あの時に言われた言葉が忘れられない」
「その言葉を胸に今も生きている」といったエピソードを語られる方が多く
例えば、バドミントン高松ペアの高橋礼華さんは
「小学生の時、もっと強くなりたいと相談したら
『練習中は、世界で一番下手だと思え
試合中は、世界で一番強いと思って臨め』と言われました
今でも試合前は必ずトイレにこもって胸の中で念じます」と話され
ベッキーさんは、活動自粛の際に「厳しい言葉を貰った」とはいえ
「父の教えは『一度きりの人生、自分で生き方を決めよう』と
『困っている人と動物がいたら
学校や仕事に遅れてもいいから助けなさい』でした」とおっしゃってます
少し変わったアドバイスをなさったのは、朝井リョウさんのお父様で
20歳の時に新人賞を受賞され
「『先生』と呼ばれながら大人になって行くのは怖かった」朝井さんに
「一度は組織の一番下っ端として働くのが大事だ」と
就職することを勧められたものの
朝井さんが会社を辞める決心をなさった時には
「正月明けの仕事始めの週の金曜日に伝えるのが良い
一年で一番フワフワしてる時期だから」とおっしゃったらしい(笑)
ちなみに、朝井さんは「今も『お父さん』と呼んでいます
『おやじ』とか、気持ち悪くて呼べない
親も『変えて来たな』と思うじゃないですか
その方が恥ずかしい」と記されているんですが
読者投稿欄に、ホンダ創業者の本田宗一郎さんは
威厳があり、畏怖されつつも愛される存在という意味で
社員から「おやじ」と呼ばれていたのに
今や「おやじ」は「セクハラおやじ」「おやじ臭」「おやじギャグ」といった言葉で
「いやらしい」「汚い」「つまらない」というイメージが定着している
「中高年男性を一括した蔑称」として使われている…と、お怒りの声があり
この投稿に対して「私の中の『おやじ』のイメージは『威張っている』
『傲慢』である」という40代の女性は
「女性達は会社などで『権力者』であることが多い中高年男性に
面と向かって対峙するのは憚れるので
せめて同年代の男性をひとまとめにして『おやじ』と呼び
心のモヤモヤを吐き出しているのではないか」と考えておられ
また、60代男性によれば「我々『おやじ』の中には
酔っぱらって、わめき散らしたり
些細なことで声を荒げたりする人がいる
これでは、家庭や社会の中で鼻つまみにされ
蔑視されても仕方ないのではないか
人の外見や行動は、その人の内面が醸し出す結果だ
日頃から内面を磨き続けることで、外見も行動も変わると思う」と記されてます
年齢に関わらず、言動を発する側の常日頃の態度で
その言動が不快なものになるか、そうでないのかを
受ける側に判断される訳だから
十把一からげの「おやじ」にならないように気をつけなければ…(汗)
実際、奥さんは甲斐さんがダジャレを口にされても
絶対「おやじギャグ」とは言いませんし…(笑)
余談ですが…竹宮恵子さんのお父様は、お亡くなりになる1年ほど前に
お母様ではなく、妹さんのご主人とインドネシアへ行かれ
帰国後に「戦時中、現地の女性と結婚していた
子供がいたかも知れない」と消息を尋ねていらしたことを明かされたそうで
「父は『責任を取らなければ』と考えていたのでしょう
私はもう大人でしたから、当時の事情として理解できました」と記されていて
戦時中には、そうしたこともあったかも知れないなあと思ったんだけど
井上荒野さんの「あちらにいる鬼」という作品は
井上光晴さんと瀬戸内寂聴さんの関係を元にした実話らしく
「出版業界では公然の秘密だった」とはいえ
「母は出家してから家に訪ねて来るようになった寂聴さんと友人になってしまった」とか
「父が昔、寂聴さんの家で『これ、女房に似合いそうだ』と
貰って来た着物」をお召しになったお母様と寂聴さんが
「揃って、荒野さんの直木賞の贈呈式に」出席されたとか
「事情を知る周囲の編集者が固まる一幕もあった」
…って、そりゃ…でしょうねぇ(汗)
ご両親と寂聴さんの「3人の関係を書かないか」と打診されて
「一度は断った」荒野さん
でも、お母様が亡くなられた後、寂聴さんをお訪ねになった時に
お父様の「思い出を語って尽きることのない寂聴さんの姿を見て
本当に父のことが好きだったんだ
それをなかったことにはしたくないんだなぁとグッと来てしまった」そうで
「不倫を肯定する訳ではないけど
今は、皆が最大公約数的な価値観を疑いもしない
そうじゃないと疑ってみるのが、私は小説だと思っている」と話されてますが
「幼い頃は知る由もなかったことが
大人になるに連れて、じわじわ判って来た」時に
お父様のことをどう思われたのか?
この小説を読んだら、少しは感じ取れるのかなあ?