続 時の往復 neo

過去⇔現在⇔未来

冨田勲さんに哀悼の意を

2016-05-10 00:28:00 | 音楽
2016年5月5日に旅立たれた
世界のTOMITAこと
日本電子音楽界の国民遺産
冨田勲さんについて。

もう他ではTOMITAさんの
功績はいくらでも書かれているので、
ここでは自分の思い出なんかを
語ってみる事にします。

冨田勲サウンドとの出会い。
始まりはYMO。
小学6年の時に友人宅で初めて
YMOのLPマルチプライスを聞いてから
シンセサイザー音楽に興味を持ち、
シンセサイザー音楽の探求から
おのずと行き付くTOMITAサウンド。
中学1年の頃だったか。
定番 『 月の光 』 でしたが、
クラッシック音楽に興味のない人に
クラッシック音楽の垣根を取っ払った
かの様な印象でしたね。
とてつもなく表現力のはっきりとしたアレンジで
何と形容し表現したら良いのかと
思いながらも、冨田さんご本人が
おっしゃられた 「 音のアニメーション 」
正にそれで、聞くたびに頭の中で
物語が展開する音楽に非常に引き込まれ、
YMOとはまるで水と油くらいの違いだけれど、
両者全くここでも垣根無く聴いていた事を
今でもそうだけど思い出す。


中学2年の頃だったかな ・・・
リンツで初めて冨田さんがサウンドクラウドを
成功させ、帰国後のトークイベントが
高田馬場で開催され見に行きましたね。
誘った友人が功(いさお)というだけで、
強引に誘った思い出があって、
サウンドクラウドを会場で再現ってのが
目当てで行ったものの、トーク序盤から
かなり長いトークが続き、
周りでは頭をコックリコックリと
居眠りする人もいて、もちろん自分は
聞き入っていたけど、友人もそのコックリ
面子ではあったものの、トークも終わり
会場に設置されたサウンドクラウド
システムがいよいよ音出しの時には
さすがに大音量って事もあり、
皆目を覚まし聞き入りましたね。
たしかプロジェクターかなんかの
大画面でリンツでの会場の映像も
流れた記憶も。とにかくそれが冨田さんを
目の前で拝見した最初で最後ですかね。

次に拝見したのが横浜山下公園。
何とあのサウンドクラウドが
横浜で体感出来るとあってしかも無料!
さすがバブル直前なだけあってか?
興奮したなぁ。
正午から場所取りで行って、
花火大会とのコラボなだけに、
半数の客がサウンドクラウド?ナニ?
だったんじゃないかね。
しかしいざ始まって皆さぞびっくり
したんじゃぁなかろうか。
最近すっかり見なくなった
レーザーでの演出と花火
それらがTOMITAサウンドとシンクロし
シークレットゲストのスティービーワンダーが
UFOに乗って現れたからね。
当時状況を知らない山下公園付近に
居合わせた人々らのUFO騒ぎが
起こったなんてのは当時の都市伝説
と言っておきますが。
自分的には本番は凄く感動したけど、
リハでのスピーカーチェック。
これにも大興奮しましてね、
海に設置と観客挟んで山下公園後方に設置
された複数のスピーカー全てから、
チェックノイズが順番に鳴って、
ャ塔b … ビー … ガー … ゴー と、
おぉーっ俺、スピーカーに囲まれてるぅ。
まさに音の雲の中だ! な感じでwww
あんな事もうやらないんだろうなぁ ・・・
何もかもは時代です ・・・ 時代 ・・・




その時に入手したチラシがこちら。







1989年7月23日。
第4回海の祭典・横浜開港130周年記念。







ゲストも大物ぞろい。








とまぁこんな感じで、
そのあとはテレビで拝見したり、
くしくもイベントではタイミング悪く
お会い出来なかったりと、
それでも冨田勲さんへの尊敬は変わらずに。
そう言えば高校受験の時、
受験した高校での面接でありがちな、
尊敬する人はの質問で、
だいたいの生徒は両親だとか、
聖徳太子、はたまた時の政治家とかだけど、
自分は冨田勲さんと答えて、
面接官の先生に誰ですかと返され、
有名な音楽家ですと返答。
自分電気科受けたのになんで
電気系統の先生が知らないなんてと
勝手に思ったりして、
しかもその面接官の先生が
冨田さんに何処か似てるわけで。
まぁ運よく入学出来てその先生には
直接授業を受ける事はなかったけど、
校舎でその先生を見かけるたびに
あっ冨田さんに似た先生だと
いつも心の中でつぶやいて、
ほろ苦い思い出ですが。
  ↑
 初恋じゃぁあるまいしw




とにかく冨田さんの素晴らしさって
ホントに書いたらきりがなく、
書くより聴きましょって事で。
自分が今でも感じている事は、
今現在これだけエレクトロニクス及び
テクノロジーが進化を遂げているのに
当時のアナログのモーグモジュラーで
冨田さんが作成された作品を超える
表現力も音も作品も無いと言う事。
モノってもちろん進化発展するけど、
人の表現やセンスって、
物の進化にはさほど関係ないのでは。
そう考えると冨田勲さんがこの時代に生まれ、
この時代に作品を残したのには
なにか大きな意味があると思う。
その意味って今自分でははっきりと
言葉として表すにはまだ先になりそうで、
きっと残された現代人への
メッセージなのかもしれない。


冨田勲大先生。
有難うございました。
最後に一言
言わせて下さい。


 GOOD JOB good







 新日本紀行のテーマ ~♪





       bye













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