マナー&コーチング 時々 キャリアカウンセリング&アナウンス で
幸せのお手伝いをしております
村山紀子でございます
ご無沙汰しております!!!!!
3年弱書き込みを休んでおりましたが
心新たに再開いたします
3年前からブログの書き込みがスローペースになり、そのうちたまにしか
書かなくなり・・・どんどん写真がたまっていって、
でも「日にち順にアップしなければ」とこだわっていましたら
より一層写真がたまり・・・ついにはブログほったらかしになってしまっていました。
仕事は適度に忙しく、旅行やお出かけやランチやお稽古そして家族団らんなど
書きたいことは山ほどありましたが。。。
そして
そして
そして
約3年の間にニュースが沢山ありました。
長い長~い治療の末、奇跡的に子供を授かり帯祝いをした途端
ある日突然、、、左目が網膜剥離、、、失明寸前で緊急手術。
しかも妊娠中のため色々な制限や不安の中での手術
術後の痛み止めも使えず、
なんといっても心配だったのは
大きくなっていくお腹を押さえてしまう
うつ伏せ寝生活を2週間。
昼間もうつむいていないといけないため首が大変・・・凝るなんてものじゃありません!
妊婦ゆえ湿布はダメでした。
なんとか耐えて退院するも視力は矯正しても全然出ない。
いつも歩いていた道でさえ"線なのか段なのか分からない"状態で怖くて歩けない。
しかも妊婦。階段では転んではいけないので手すりにつかまってかなりの時間をかけて上がり降り。
そして1ヵ月後、まさかの再剥離。
1割はいらっしゃると聞いておりましたが・・・ちょっとショック。
次は前回「痛いから妊婦にはしない」といわれた手術法。
入院中にその痛さについて聞いていたので不安でしたが無事終了。
が、術後の痛いこと!!のた打ち回りたい痛さでした。
とにかく痛くて声をかけてくれる夫に「もういいから帰って!」とちょっとした暴言を。
またうつむき&うつ伏せ生活を2週間。
やっと退院という頃
まさかの 再々剥離!!
さすがにこの時は泣きました。いつまで続くのか と思って
この繰り返しでは臨月になってしまうということで出産の次期をとりあえず無事に過ごすため
シリコンオイルを入れておく手術をし、またまたうつむき&うつ伏せ生活をして退院。
このときの心の支えはお腹の子供が無事に育っていたことです。
そして良かったことは偶然同じく妊婦で網膜剥離で入院していた素敵なOさんと友達になれたこと。
そして出産を控え予定日1ヶ月前に里帰り。
産科では網膜剥離の件でわずらわしがられ、
実家ではまたまたアクシデントの数々・・・
それまでつわりもほとんど気にせず立ちっぱなしでの連続講義も問題なく
血圧などのマイナートラブルさえなかったのですが予定日3週間前になって突然
仙骨に激痛が走り寝ていた布団から立ち上がるまでに1時間以上かかるように。。。
起きてからも足を1ミリ上げて歩くのも激痛。
それから3日後、朝に起き上がるのを手伝ってくれていた母が交通事故!!
足を痛めて自分自身が歩けない状態に。
そして生まれてこの方風邪で寝込んだことすらない妹がインフルエンザ。
私にうつらないよう隔離。
母は気疲れからか口唇ヘルペス。妊婦に是対にうつってはいけないものらしく
唯一できていた炊事から手を引き戦力外通告。
私はお腹をさすりながら「サバイバルだね。」と。
頼りは父だけなのですが家事が全くできず皆イライラ。
私は30分かかって車に乗り込み父の運転で買い物に。足を引きずってしか歩けず
買い物をするだけで午前中が終わってしまう有様。
産科の受診時も手すりにすがって院内を進み診察台にあがるのもかなりのご迷惑をおかけし
「分娩台にあがれるのかしら」と不安で不安で。
激痛に耐えられず、整形外科・接骨院・マッサージ・仙骨センター・不思議な○○治療など
隔離をとかれた妹を従えて怪しいものでも藁にもすがる思いであれこれ訪ねました。
しかし何の変わりもなく。。。
この間の良かった事は久しぶりの友人や先輩と会えたこと。
そして迎えた予定日・・・気のせいか仙骨の痛みはやや和らぎ少し足を上げて歩けるように。
しかしドンドン歩かねばならない臨月に「歩けないならスクワットを100回(1日にではなく1回に続けて)すること」と指示があり
頑張ってやってみるものの100回だなんてムリ。
予定日3日後はなんとか小分けにしてスクワットを100回達成。
そしてその夜に風邪のように熱が出て
夜中に陣痛の始まり・・・かな。我慢が難しくなってきた頃、妹を起こし父の運転で病院へ出発。
戦力外通告の母はなぜか足を引きずってコンビニへ大量のおにぎりを買いにいったらしい。
そして大安の雲ひとつない快晴の朝、無事に女の子が生まれました。
思いのほか早く、立会いに備えていた夫は間に合わず
「安産だったのね」と思っていたら・・・
そのあと出血が止まらなく大変なことに!!!
詳細は機会があればまた。
危機一髪で死の淵からよみがえりました。
先生方にそして現代の医療に感謝しています。
貧血を必死で治し退院
すぐに元気になりました。
幸せのお手伝いをしております
村山紀子でございます
ご無沙汰しております!!!!!
3年弱書き込みを休んでおりましたが
心新たに再開いたします
3年前からブログの書き込みがスローペースになり、そのうちたまにしか
書かなくなり・・・どんどん写真がたまっていって、
でも「日にち順にアップしなければ」とこだわっていましたら
より一層写真がたまり・・・ついにはブログほったらかしになってしまっていました。
仕事は適度に忙しく、旅行やお出かけやランチやお稽古そして家族団らんなど
書きたいことは山ほどありましたが。。。
そして
そして
そして
約3年の間にニュースが沢山ありました。
長い長~い治療の末、奇跡的に子供を授かり帯祝いをした途端
ある日突然、、、左目が網膜剥離、、、失明寸前で緊急手術。
しかも妊娠中のため色々な制限や不安の中での手術
術後の痛み止めも使えず、
なんといっても心配だったのは
大きくなっていくお腹を押さえてしまう
うつ伏せ寝生活を2週間。
昼間もうつむいていないといけないため首が大変・・・凝るなんてものじゃありません!
妊婦ゆえ湿布はダメでした。
なんとか耐えて退院するも視力は矯正しても全然出ない。
いつも歩いていた道でさえ"線なのか段なのか分からない"状態で怖くて歩けない。
しかも妊婦。階段では転んではいけないので手すりにつかまってかなりの時間をかけて上がり降り。
そして1ヵ月後、まさかの再剥離。
1割はいらっしゃると聞いておりましたが・・・ちょっとショック。
次は前回「痛いから妊婦にはしない」といわれた手術法。
入院中にその痛さについて聞いていたので不安でしたが無事終了。
が、術後の痛いこと!!のた打ち回りたい痛さでした。
とにかく痛くて声をかけてくれる夫に「もういいから帰って!」とちょっとした暴言を。
またうつむき&うつ伏せ生活を2週間。
やっと退院という頃
まさかの 再々剥離!!
さすがにこの時は泣きました。いつまで続くのか と思って
この繰り返しでは臨月になってしまうということで出産の次期をとりあえず無事に過ごすため
シリコンオイルを入れておく手術をし、またまたうつむき&うつ伏せ生活をして退院。
このときの心の支えはお腹の子供が無事に育っていたことです。
そして良かったことは偶然同じく妊婦で網膜剥離で入院していた素敵なOさんと友達になれたこと。
そして出産を控え予定日1ヶ月前に里帰り。
産科では網膜剥離の件でわずらわしがられ、
実家ではまたまたアクシデントの数々・・・
それまでつわりもほとんど気にせず立ちっぱなしでの連続講義も問題なく
血圧などのマイナートラブルさえなかったのですが予定日3週間前になって突然
仙骨に激痛が走り寝ていた布団から立ち上がるまでに1時間以上かかるように。。。
起きてからも足を1ミリ上げて歩くのも激痛。
それから3日後、朝に起き上がるのを手伝ってくれていた母が交通事故!!
足を痛めて自分自身が歩けない状態に。
そして生まれてこの方風邪で寝込んだことすらない妹がインフルエンザ。
私にうつらないよう隔離。
母は気疲れからか口唇ヘルペス。妊婦に是対にうつってはいけないものらしく
唯一できていた炊事から手を引き戦力外通告。
私はお腹をさすりながら「サバイバルだね。」と。
頼りは父だけなのですが家事が全くできず皆イライラ。
私は30分かかって車に乗り込み父の運転で買い物に。足を引きずってしか歩けず
買い物をするだけで午前中が終わってしまう有様。
産科の受診時も手すりにすがって院内を進み診察台にあがるのもかなりのご迷惑をおかけし
「分娩台にあがれるのかしら」と不安で不安で。
激痛に耐えられず、整形外科・接骨院・マッサージ・仙骨センター・不思議な○○治療など
隔離をとかれた妹を従えて怪しいものでも藁にもすがる思いであれこれ訪ねました。
しかし何の変わりもなく。。。
この間の良かった事は久しぶりの友人や先輩と会えたこと。
そして迎えた予定日・・・気のせいか仙骨の痛みはやや和らぎ少し足を上げて歩けるように。
しかしドンドン歩かねばならない臨月に「歩けないならスクワットを100回(1日にではなく1回に続けて)すること」と指示があり
頑張ってやってみるものの100回だなんてムリ。
予定日3日後はなんとか小分けにしてスクワットを100回達成。
そしてその夜に風邪のように熱が出て
夜中に陣痛の始まり・・・かな。我慢が難しくなってきた頃、妹を起こし父の運転で病院へ出発。
戦力外通告の母はなぜか足を引きずってコンビニへ大量のおにぎりを買いにいったらしい。
そして大安の雲ひとつない快晴の朝、無事に女の子が生まれました。
思いのほか早く、立会いに備えていた夫は間に合わず
「安産だったのね」と思っていたら・・・
そのあと出血が止まらなく大変なことに!!!
詳細は機会があればまた。
危機一髪で死の淵からよみがえりました。
先生方にそして現代の医療に感謝しています。
貧血を必死で治し退院
すぐに元気になりました。