のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『わが友マキアヴェッリ』2

2006-02-07 | 
2/5の続きです。

「端役」たちまでもが、血肉を持った存在として生き生きと感じられる
と、申しました。
「主役」マキアヴェッリに至ってはもう、その
人間的あまりに人間的なふるまいには、塩野氏同様、微笑まずにはいられません。

出張先からの楽しい手紙で、同僚たちを笑わせる マキアヴェッリ。
公金を使ってどんちゃん騒ぎをして、友人に怒られる マキアヴェッリ。
仕事を山ほど抱え込み、「Ecco mi!」(塩野氏訳:マキアヴェッリ、ただいま参上!」)を口癖に
喜び勇んで駆け回る、働きバチ マキアヴェッリ。

著者はそんなマキアヴェッリの「著名な事実」を語る中に、
普通、学者は取り上げない「非著名な事実」をも、しっかり折り込んでいます。

ひどい娼婦をつかまされてさ、と友人にぼやきつつも、ちっとも懲りていない マキアヴェッリ。
失職中のくせに、惚れた近所の未亡人に貢ぐ マキアヴェッリ。



非常に頭がきれ、鋭い洞察力と天賦の文才があり
仕事のできる人物であった、ということは承知しつつも
ば か 。 とツッコミを入れて差し上げたくなる部分が所々あり
多いに親しみを覚えた次第でございます。

ついついこんな側面ばかり強調してしまいましたが
かようにくだけた話ばかりではもちろんございません。そらそーだ。

マキアヴェッリが生きたのは、フィレンツェ共和国の斜陽時代でした。
ロレンツォ・デ・メディチの死と共にルネサンスの栄光は去り
周辺諸国の軍事的圧力が、共和国に影を落とします。

そんな中、「目を開けて生まれてきた男」マキアヴェッリは
透徹した洞察力で世界を見、フィレンツェを憂い、イタリアを憂います。

国を憂いたのは、マキアヴェッリ一人ではありません。
しかしなお
イタリアが過酷な運命を免れ得なかったのは、何故なのか。
マキアヴェッリが、自国軍を持つことに強くこだわったのは、何故なのか。
その答えが、事実の集積から浮かび上がって来ます。

そして
政治を執り行う人々が、近視眼的な見通ししか持てなかった場合、また
危機に際して迅速な対応をとれなかった場合に
必然的に引き起こされる悲劇が、まざまざと示されています。
(本書では、なぜ上層部が近視眼的な見方しかできなかったのか、という所までは踏み込んでおりません。
そこまで分析するのは研究者の仕事でありましょう)

王や 貴族や 権力者 政治責任者といった
歴史の表舞台に立っていた人々の、選択や決断は
残酷なほどくっきりと、歴史の中に刻まれています。

彼らの行動は、いわば一国の運命を巻き込んだ処世術です。
胸のすくほど 大胆なものもあり
げんなりするほど 愚かしいものもあります。

その「処世術」は、何百年ののちに生きる私たちにとっても
少しも色あせることなく、むしろ自らに引き寄せて考えるべき示唆に満ちています。

16世紀のフィレンツェ。
冷徹な目と 熱い心 (そして軽いノリ)の
マキアヴェッリという同時代人に密着してたどった、フィレンツェの存亡は
やるせなく しかし スリリングで
頭と胸に 少なからず訴える ものだったので ございます。