21日 と 書いているものもあり
22日 と 書いているものもあり
23日 と 書いているものもあり
つまる所、研究者でも歴史家でもないのろは、正確な日付は存じませぬ。
ともあれ
1677年 2月21日 か、そのあたりに
オランダ共和国 ハーグ市近郊の 下宿の一室で
哲学者バルフ・デ・スピノザが亡くなりました。
享年 44歳。
死の当日も普段と変わらぬ平静さで過ごし
家主の一家が教会に出かけている間に
友人の医師ひとりに看取られて 息を引き取りました。
死の前日、スピノザは
生前ついに出版されることのなかった『エチカ』を含む、自らの原稿を整理して友人に送りました。
この遺稿集は------「真理は万人の所有であって、個人の名に帰せられるべきものではない」との信念から------
匿名で出版してくれるよう依頼され
この年の12月に スピノザの願い通り、匿名で出版されました。
質素な生活を送り 自身が金欠の時でも 困っている人には気前よく金を貸してやり
孤独を好みながらも人当たりがよく 訪問者はいつでも 気分のむらなく親切に迎えました。
彼の思想を「無神論」として嫌悪する人々も
彼の素行に 非難すべき点を何ら見いだせませんでした。
こういうことを つらつら書いていると
「わたしの生き様など、どうでもいいのだよ」と どこか 遠い高い所で スピノザが静かに笑う。
「わたしがどのように生きようと、真理が真理であることに変わりはない。
それに、わたしは 神 即ち自然 の必然性に、従って生きただけなのだから」
そうです、けれども師匠
「徳ある無神論者」あるいは「神に酔える哲学者」スピノザ、
あなたがそのように生きた ということが、のろには重要なのですよ。
あなたが哲学を始めるにあたって
「何が真実か」ということからではなく
「人間にとって、何が幸福か」ということから発したように
のろにとっては
「何が真実か」ということよりも
「どうしたら、あなたのように生きられるか」が 問題なのです。
↑去年、神戸で開催された「オランダ絵画の黄金時代-----」アムステルダム国立美術館展」より
1672年のアムステルダムの運河を描いた作品。
当時スピノザはハーグ住まいでしたが
1675年7月、『エチカ』出版の働きかけのため、アムステルダムを訪れています。
(無神論を説く危険思想の持ち主と見なされていたので、出版は断念せざるをえませんでしたが)
まさにこの運河の風景を スピノザも 見ていたかも しれませんなあ。
ちなみにこんなサイトもあり。
みんなのエチカ
22日 と 書いているものもあり
23日 と 書いているものもあり
つまる所、研究者でも歴史家でもないのろは、正確な日付は存じませぬ。
ともあれ
1677年 2月21日 か、そのあたりに
オランダ共和国 ハーグ市近郊の 下宿の一室で
哲学者バルフ・デ・スピノザが亡くなりました。
享年 44歳。
死の当日も普段と変わらぬ平静さで過ごし
家主の一家が教会に出かけている間に
友人の医師ひとりに看取られて 息を引き取りました。
死の前日、スピノザは
生前ついに出版されることのなかった『エチカ』を含む、自らの原稿を整理して友人に送りました。
この遺稿集は------「真理は万人の所有であって、個人の名に帰せられるべきものではない」との信念から------
匿名で出版してくれるよう依頼され
この年の12月に スピノザの願い通り、匿名で出版されました。
質素な生活を送り 自身が金欠の時でも 困っている人には気前よく金を貸してやり
孤独を好みながらも人当たりがよく 訪問者はいつでも 気分のむらなく親切に迎えました。
彼の思想を「無神論」として嫌悪する人々も
彼の素行に 非難すべき点を何ら見いだせませんでした。
こういうことを つらつら書いていると
「わたしの生き様など、どうでもいいのだよ」と どこか 遠い高い所で スピノザが静かに笑う。
「わたしがどのように生きようと、真理が真理であることに変わりはない。
それに、わたしは 神 即ち自然 の必然性に、従って生きただけなのだから」
そうです、けれども師匠
「徳ある無神論者」あるいは「神に酔える哲学者」スピノザ、
あなたがそのように生きた ということが、のろには重要なのですよ。
あなたが哲学を始めるにあたって
「何が真実か」ということからではなく
「人間にとって、何が幸福か」ということから発したように
のろにとっては
「何が真実か」ということよりも
「どうしたら、あなたのように生きられるか」が 問題なのです。
↑去年、神戸で開催された「オランダ絵画の黄金時代-----」アムステルダム国立美術館展」より
1672年のアムステルダムの運河を描いた作品。
当時スピノザはハーグ住まいでしたが
1675年7月、『エチカ』出版の働きかけのため、アムステルダムを訪れています。
(無神論を説く危険思想の持ち主と見なされていたので、出版は断念せざるをえませんでしたが)
まさにこの運河の風景を スピノザも 見ていたかも しれませんなあ。
ちなみにこんなサイトもあり。
みんなのエチカ