『プライス・コレクション 若冲と江戸絵画展』へ行ってまいりました。
京都国立近代美術館 The National Museum of Modern Art Kyoto
プライスコレクション 若冲と江戸絵画展
いやっ こ れ は 素 晴 ら す ぃ。
プライスさん、ありがとう、ありがとう。
こういう展覧会には、仕事を休み授業をサボってでも行かねばなりません。
先生にとがめられたら、アゴに手をあてて
ぐらい言っておやんなさい。
殴られても知りません、そこは自己責任で。
お向かいで開催中のルーヴル美術館展と同様、11/5までとなっております。
両方へは行かれないのでどちらにしようか迷っている、という方には、
のろは強くお勧めいたします、『プライス・コレクション』にいらっしゃい。
なんとなれば、『ルーヴル』の展示品は本家ルーヴル美術館へ行きさえすれば
まあ必ずとは申しませんが出会えるひとたちでございます。
一方、『プライス』は個人コレクションでございますから、どこそこへ行けば見られるというものではございません。
美術館に管理委託しているものもございましょうが、
この、揃いも揃ってハイクオリティな作品たちと、こんなに大きな規模でまみえる機会は
おそらく二度とないこってございますよ。
内容も素晴らしい上に展示数がかなり多うございますから
時間と体力には十分余裕を持って行くことをお勧めいたします。
京都国立近代美術館は通常、3Fで企画展、4Fでは常設展を催しておりますが
今回は4Fの一部および1Fまでもが企画展に割かれております。
プライス氏が、画家の 名前 ではなく、あくまで作品の 美的価値 を見据えて
セレクトし、購入した江戸絵画の数々。丸山応挙あり、酒井抱一あり、無名氏の見事な作品あり。
曽我簫白の偽物なんてものもございました。
プライス氏は偽物だということを知りつつも、作品として面白いので持っておいでなのだそうです。
コレクションにはいきおい、コレクターの好みが反映されるものでございますね。
プライス氏の場合、収集のポイントは「生き生きとした」というキーワードにあるのではないかと思いました。
氏が美術品を蒐集するきっかけとなった作品、
伊藤若冲の『葡萄図』の、見る者の胸をつく生命感とみずみずしさは言わずもがな
技法も題材も様々な作品たちは、絵の中に息づく生命感(時には生々しさ)という点において共通しております。
それから、確かな技術とセンスに裏打ちされておりながらも
何かこう オヤッ と アラッ と 思わせるような、「奇想」の要素が含まれているものや
ユーモラスな雰囲気のものも多うございましたよ。
ひと部屋に、全員すし詰めになっているような『三十六歌仙図屏風』ですとか。
縦長の画面にぎっしり描かれた小さなお多福さんが、さまざまな仕事に従事している『百福図』ですとか。
なぜか遊女の格好をした、三頭身くらいの達磨禅師と
なぜか達磨禅師の格好をした美人の遊女が仲良く並んで歩いている図ですとか。
長沢芦雪など、特に面白いものを描いているわけでもないのに何やらユーモラスなんでございます。
『白象黒牛図屏風』(上記公式HPの”京の画家”で見られます、かなり小さいですが)の、
牛のかたわらに横座りしている子犬の顔なんてもう、ええ、何と言ってよいやら
見ているこちらまで ふにゃふにゃ~ と脱力してしまいます。
伊藤若冲については次回に語らせていただきます。
京都国立近代美術館 The National Museum of Modern Art Kyoto
プライスコレクション 若冲と江戸絵画展
いやっ こ れ は 素 晴 ら す ぃ。
プライスさん、ありがとう、ありがとう。
こういう展覧会には、仕事を休み授業をサボってでも行かねばなりません。
先生にとがめられたら、アゴに手をあてて
ぐらい言っておやんなさい。
殴られても知りません、そこは自己責任で。
お向かいで開催中のルーヴル美術館展と同様、11/5までとなっております。
両方へは行かれないのでどちらにしようか迷っている、という方には、
のろは強くお勧めいたします、『プライス・コレクション』にいらっしゃい。
なんとなれば、『ルーヴル』の展示品は本家ルーヴル美術館へ行きさえすれば
まあ必ずとは申しませんが出会えるひとたちでございます。
一方、『プライス』は個人コレクションでございますから、どこそこへ行けば見られるというものではございません。
美術館に管理委託しているものもございましょうが、
この、揃いも揃ってハイクオリティな作品たちと、こんなに大きな規模でまみえる機会は
おそらく二度とないこってございますよ。
内容も素晴らしい上に展示数がかなり多うございますから
時間と体力には十分余裕を持って行くことをお勧めいたします。
京都国立近代美術館は通常、3Fで企画展、4Fでは常設展を催しておりますが
今回は4Fの一部および1Fまでもが企画展に割かれております。
プライス氏が、画家の 名前 ではなく、あくまで作品の 美的価値 を見据えて
セレクトし、購入した江戸絵画の数々。丸山応挙あり、酒井抱一あり、無名氏の見事な作品あり。
曽我簫白の偽物なんてものもございました。
プライス氏は偽物だということを知りつつも、作品として面白いので持っておいでなのだそうです。
コレクションにはいきおい、コレクターの好みが反映されるものでございますね。
プライス氏の場合、収集のポイントは「生き生きとした」というキーワードにあるのではないかと思いました。
氏が美術品を蒐集するきっかけとなった作品、
伊藤若冲の『葡萄図』の、見る者の胸をつく生命感とみずみずしさは言わずもがな
技法も題材も様々な作品たちは、絵の中に息づく生命感(時には生々しさ)という点において共通しております。
それから、確かな技術とセンスに裏打ちされておりながらも
何かこう オヤッ と アラッ と 思わせるような、「奇想」の要素が含まれているものや
ユーモラスな雰囲気のものも多うございましたよ。
ひと部屋に、全員すし詰めになっているような『三十六歌仙図屏風』ですとか。
縦長の画面にぎっしり描かれた小さなお多福さんが、さまざまな仕事に従事している『百福図』ですとか。
なぜか遊女の格好をした、三頭身くらいの達磨禅師と
なぜか達磨禅師の格好をした美人の遊女が仲良く並んで歩いている図ですとか。
長沢芦雪など、特に面白いものを描いているわけでもないのに何やらユーモラスなんでございます。
『白象黒牛図屏風』(上記公式HPの”京の画家”で見られます、かなり小さいですが)の、
牛のかたわらに横座りしている子犬の顔なんてもう、ええ、何と言ってよいやら
見ているこちらまで ふにゃふにゃ~ と脱力してしまいます。
伊藤若冲については次回に語らせていただきます。