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カラマーゾフの兄弟

2024-12-13 17:30:19 | ノート

カラマーゾフの兄弟

計58時間に及ぶ「カラマーゾフの兄弟」の朗読を今朝、聴き終わった。 
最後の方になればなるほど、終わって欲しくなくて、何日にも分けて聴いた。
それでも終わってしまった。 感慨無量

https://www.youtube.com/watch?v=y9J-oglVa0g
中山省三郎訳、朗読:斉藤なお子

以前からこの最高峰と呼ばれる小説、「カラマーゾフの兄弟」は気になっていた。 でもこの暗くて、ジメジメしていて、あまりにも長ったらしい小説を文庫の小さな字で読むのを躊躇していた。 ジジイになるにつれ、ますますこりゃ無理だと諦めかけていた。 でもどこかで、これを読まないで死ぬのはちょっと心残りだとも思っていた。
そんな時、この朗読を見つけた。 斎藤なお子さんに感謝。 この方の朗読は素晴らしい!

こんな気分になったのはトーマス・マンの「魔の山」以来だ。 1879年に雑誌に掲載され始めたということで、今からすでに150年近く前になる。 それなのに、その当時からもう不可知論者がインテリ層に多く、ドストエフスキー自身もその例外ではなかった。 (今も、私は不可知論者ですと言った方がインテリに受けがいいのは変わらない。) 

ところが、シベリアに流刑になった時から彼に変化が訪れる。 そして「神は存在するか?」という大疑問を真剣に問うようになる。 この小説は彼の最後の作品であり、この探究の集大成のような感がある。 今時、こんな疑問を真正面から追求しようとする作品はお目にかからないかもしれない。 その意味では、この小説は複雑多岐でありがら、実に直球を投げる。 そして私には、どストライクであった。 

ここで、この小説の最終部分を少しだけ掲げたい。 なぜなら、私のように、この小説は暗くて、ジメジメしていて、粘着質で長ったらしいと思い、敬遠していた人がいたとしたら、また、手に取ってみたものの、数ページでウンザリしてしまった人がいたとしたら、「それは実にモッタイナイ」と言いたいからだ。 

ここからはネタバレになるから、読まない方がいいかもしれない。 でもこの小説の最後が、こんなに天使のような人々の、希望に満ちた、晴れ晴れとした、明るいものであることを予め知っているのも、この小説を敬遠するよりかはいいのではないかとも思う。

ここで出てくるイリューシャは、病気で死んでしまった中学生くらいの子供で、この場面は彼の葬式から帰る途中のイリューシャの友達と主人公との会話だ。

ここは、この小説の冒頭、「一粒の麦が、地に落ちて死ねば、多くの実を結ぶ」…ヨハネ12・24に呼応している。


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以下 本文

その間彼らは小道をぶらぶら歩いていたが、不意にスムーロフが叫んだ。 「あれがイリューシャの石です。 あの下へ葬りたいと言ったんです。 」

彼らはその大きな石の傍に立ち止まった。 アリョーシャはその石を見た。 すると急にいつかスネーギレフから聞かされた話。 
イリューシャが泣きながら、父親にすがりついて、「父ちゃん。 父ちゃん。 あの男は本当に父ちゃんをひどい目に遭わしたのね。 」と叫んだというすべての光景が、彼の目の前に浮かび出てきた。 と、急に何かとっさの衝動が彼の頭に湧いたように見えた。 

彼は真面目な厳粛な表情を持って、イリューシャの学友たちの晴れ晴れした快活な顔を見まわしながら出し抜けにこう言った。 「皆さん。 僕はただ一言だけ皆さんに言いたいことがあるんです。 今この場で。 」

少年たちはアリョーシャを取り巻いて、たたずんでいたが、早速待ち構えるような表情を眼に浮かべながらじっと、アリョーシャを見つめた。 

「皆さん。 僕たちはまもなくお別れになるのです。 僕が2人の兄と一緒にいるのも、もうあと暫くです。 1人の兄は追放されようとしていますし、今1人の方は瀕死の床に立っています。 
だが僕はまもなくこの町を去ります。 多分長い間帰ってこないだろうと思います。 で、僕たちは、お別れしなきゃならないのです。 だからここでイリューシャの石の前で、第1に決してイリューシャを忘れないこと。 また第2に決して互いに忘れないことを約束しようじゃありませんか。 

また今後一生の間にどんなことが起ころうとも、20年間も会う機会がなかろうとも、僕たちは常に、あの哀れな少年を葬ったことを、記憶に止めようではありませんか。 

皆さんも覚えているでしょう。 あの少年は1度橋のそばで石を投げつけられたけれど、あとでみんなから愛されるようになったのです。 彼はあっぱれな少年でした。 親切で勇敢な少年でした。 彼は父親の名誉を感じ、父親の、はなはだしい汚辱をいきどおり、父親のために憤然として立ったのです。 

皆さん、第1に僕たちはその事で彼を一生涯忘れないようにしようじゃありませんか。 だから例えどんな重要な仕事に従事していようとも、またどんな名誉を博していようとも、どんな大きな不幸に面していようとも、とにかく、いかなる時にも、かつてこの町で僕たちが互いに共同して、お互いの善良な感情で結びつけられながら、あの哀れな少年を愛することによって、僕たちが実際以上に立派な人間になったことを、決して忘れないようにしましょう。 

可愛らしい小鳩たちよ、どうか皆さんをこう呼ばせてください。 なぜなら、今こうして皆さんの善良な愛らしい顔を見ていると、それがあの黒みがかった空色の鳥を思い出させるからです。 

可愛い皆さん。 皆さんは僕の言うことが分からないかもしれない。 なんとなれば僕の言葉は往々にして不明瞭な所があるからです。 それでも諸君はいつかは僕の言葉を思い出して、それに同感してくれる時があるでしょう。 善良な思い出の数々、ことに幼年時代の家庭における思い出ほど、高尚で力強くて、将来の生活を裨益するものは他に1つもありません。 皆さんは教育上のこといろいろと人から教え込まれましょうが、しかし幼年時代から培われた善良な神聖な思い出こそは恐らく最上の教育です。 

もし一生のうちに、そうした記憶を数多く蓄えた人があったら、その人は死ぬまで安全です。 またもし、ただ1つでも善良な記憶を胸のうちに持っておれば、それだけでもいつか僕たちは救われるのです。 

もしかすると僕たちだって、今後において罪悪を犯すようになるかもしれません。 悪しき行いをせずにいられなくなるかもしれません。 人の涙を見て嘲笑するかもしれません。

先刻コーリャ君が、僕は全人類のために苦しみたいと言いましたが、僕たちはそうしたことを言う人を意地悪く嘲笑するようになるかもしれません。 勿論そんなことがあってはなりませんが、もし僕たちがそんな悪人になったとしても、僕たちがかつてイリューシャを葬ったことや、臨終の前に彼を愛したことや、今この石の前で、互いがあい集って友達として語り合ったことを回想した時に、仮に僕たちが最も冷酷な、最も軽薄な人間になっているとしても、少なくともこの瞬間に善良で親切であったということを、心のうちで嘲笑するような勇気はないでしょう。 

それどころか、この1つの追憶が、僕たちを大なる罪悪から救い出してくれるでしょう。 そして僕たちは過去を省みて、そうだ、俺もあの当時は善良で勇敢で潔白であったと言うでしょう。 最も腹の内で、くすりと笑うのは構いません。 人は大抵善良なるもの、親切なるものを見て笑いたがるものです。 しかしそれは軽薄な心の仕業に過ぎません。

けれど皆さん。 僕は誓って言いますが、たとえ笑ってもすぐ、心の中で、『いやあ、笑うのは良くない。 なぜと言ってこれは笑うべきことではないから。 』と、こう言うに違いありません。 」

「その通りです、カラマーゾフさん。 僕にはあなたの言われることが良くわかります。 」コーリャは目を輝かして叫んだ。 少年たちは感激していた。 彼らもまた何か言いたそうであったが、無理に抑制して熱情的な感動的な眼で、演説者を見つめていた。 

「僕がこんなことを言うのは、我々が悪い人間になることを恐れるからなのです。 」と、アリョーシャは続けた。 「けれど、僕たちが悪い人間にならなければならないという理由は少しもないではありませんか。 そうでしょう、皆さん。 で僕たちはまず何より第1に善良でなければなりません。 次に正直でなければなりません。 その次に僕たちは、お互いを忘れてはならないのです。 僕はこの事を繰り返して言います。 僕自身は決して皆さんを1人も忘れないことを断言します。 

僕は今、僕の方へ向いている顔の1つ1つを、例え30年たってからでも思い出す事ができるでしょう。 さっきコーリャが、カルタショフ君に向かって、僕たちが同君にいるかいないかを問題にしていないと言いましたが。 僕は決して、カルタショフ君を忘れることができないのです。 またカルタショフ君が、今、もうトロイの建設者のことを言った時のように、ちっとも赤い顔をしないで、その愉快そうな愛らしい善良な目で、僕を見ていた事を決して忘れることができないです。 

皆さん。 親愛なる皆さん。 僕たちは皆、イリューシャのように寛大勇敢になろうではありませんか。 コーリャの如く賢くて勇敢で寛大になろうではありませんか。 最もコーリャは成長の暁にはもっと賢明になるでしょう。 また僕たちは、カルタショフ君のように、はにかみやではあっても、利口で愛らしくなろうではありませんか。 しかし僕は、この2人の事だけを言っているではありません。 今日からは皆さんの全てが僕に親しいのです。 僕は皆さんをのこらず自分の心の中へ入れましょう。 ああ。 しかし誰が一体、僕たちをこう親切で善良な感情で結び付けてくれたのでしょう?

僕たちが一生涯記憶するような、また記憶に止めようと欲するような感情で結びつけたのは、それはイリューシャ君をおいて他にないのです。 本当に同君は善良な少年でした。 愛すべき少年でした。 僕たちにとって永久に尊い少年でした。 僕たちは決して彼を忘れてはなりません。 願わくば、今後永遠に、彼に対する良き記憶が我々の胸に存続せんことを。 」

「そうです。 そうです。 永遠に、永遠に。 」と、少年達はいずれも感動の色を満面に湛えて、声高らかに叫んだ。 

「あの顔も着物も、みじめな靴も、小さい棺も、あの罪深い不幸な父親も、また、彼が父のために勇敢にもただ1人で全級に反抗したことも覚えていましょう。 」

「覚えていましょう。 」

「覚えていましょう。 覚えていましょう。 」と、少年達が口々に叫んだ。 「彼は実に勇敢だった。 彼は実に善良だった。 」

「ああ。 どんなに僕は彼を愛したろう。 」とコーリャが叫んだ。 

「ああ皆さん。 ああ、親愛なる友達。 決して人生を恐れてはなりません。 何でも良い事、正しい事をした時、人生がどんなに美しいものに思われるでしょう。 」

「そうです。 そうです。 」と少年たちは感激のあまり繰り返した。 

「カラマーゾフさん。 僕たちはあなたを愛します。 」と誰かが、堪えきれなくなって叫んだ。 どうやらカルタショフの声らしかった。 

「僕たちはあなたを愛します。 僕たちはあなたを愛します。 」と、一同が相槌を打った。 多くのものの眼には涙が光っていた。 

「カラマーゾフ万歳。 」とコーリャが狂奔して叫んだ。 

「願わくば、かの亡き少年の記憶の永遠に存続せんことを。 」アリョーシャは感動の余り再び付け加えた。 

「永遠に。 」と少年たちが再び調子を合わせた。 

「カラマーゾフさん」とコーリャが叫んだ。 「我々はみんな、再び死から蘇って、またお互いが、誰にでもイリューシャにでも、会うことができると宗教では教えていますが。 あれは本当でしょうか。 」

「きっと甦ります。 そしてきっと再び相会って、喜び楽しみながら、得てきたことを互いに語り合うのです。 」と、アリョーシャは、半ば笑いながら、半ば感激して答えた。 
「ああ、そうなったらどんなに素敵でしょう。 」とコーリャが口走った。 

「では、これで話はよして、これからお食事に参りましょう。 プリンだって、心配せずに食べればいいんです。 あれは古い古い昔からの習慣で、その中には美しい点もあるのです。 」と、アリョーシャは笑って、「さ、行きましょうよ。 さあ、手を繋いで行きましょう。」

「そして永久にそうしましょう。 一生の間、手に手を取っていきましょう。 カラマーゾフ万歳! 」
コーリャが歓喜のあまり再び叫ぶと、少年たちももう一度その声に調子を合わせた。 



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