「野里町歩紀 ~思いつくままに~」

野里町歩紀 ~摂河泉をゆく~ に次ぐ第二歩です

神戸9区を歩く~おわりに

2023-01-10 05:56:26 | 日記
 令和3年11月の「兵庫区編」から始まり令和5年3月の「有馬温泉」まで1年ちょっと。16回に分けて神戸市全9区を歩きました。六甲山地北側の広大な「北区」「西区」を除けば、ほぼ市街地を隅から隅まで歩いてきたと思います。この約1年間を「没」になった写真を中心に振り返ってみたいと思います。


 「神戸市」と聞いて最初に思い浮かべるのは「異人館」「港町」「中華街」など異国情緒あふれる風景ではないでしょうか。






 それらは「国際都市」「国際観光都市」としての神戸を代表するものであり、国内はもとより海外からも多くの観光客が訪れます。


 遠方からの観光であれば、これらを見学した後、京都や大阪などに流れてしまうのかも知れませんが、じっくりと歩けばいろんなものにめぐり合える素晴らしい町だと思います。




 「歴史の町」といえば京都・奈良が有名ですが、神戸もなかなか歴史のある町です。4~5世紀に築かれたという「五色塚古墳」は、明石海峡を通り抜け、難波・大和へ向かったと思われる大陸からの使者に威容を示したことでしょう。


 そのほかにもいくつかの巨大古墳が残されています。






 また、平清盛が開いた「兵庫津」を国内外の貿易拠点とし、平安時代から江戸時代にかけて経済的な発展を遂げ、現在の神戸市の基盤が築かれました。




 そして神戸が歴史の舞台となった最も大きな出来事が「源平合戦」ではないでしょうか。


 壇ノ浦の戦いでの滅亡に向かう平氏とそれを追う源氏との間で繰り広げられた一ノ谷の戦い。


 市内には源平合戦にまつわる歴史の足跡が多く残されています。幸い信長の焼き討ちや幕末の戦乱にも巻き込まれませんでした。






 港町として栄えた神戸には異人館のほかにも多くの洋館が残っています。




 登録有形文化財に登録された建造物は、全国では大阪に次いで多いそうです。
















 異国情緒あふれる神戸にはたくさんのキリスト教会があります。


 また、ムスリムモスク。戦災・震災を乗り越えた立派なイスラム教会です。かつては「回教寺院」などと呼ばれていたそうです(兵頭さんも歩いていました)。




 そして結構歴史ある神社や寺院も残っています。




 どの区も歩紀の早い段階で安全祈願をすることができました。


 海に浮かぶ人工島にさえ神社がありましたよ。


 山から海へ続く町は自然も豊かです。


 市の西部では身近に海が感じられました。


漁港もあります。


 現在、日本には20の政令指定都市があるそうですが、特別区と呼ばれる東京23区のほか横浜市、名古屋市、京都市、大阪市、神戸市が「日本5大都市」と呼ばれる元々の政令指定都市だそうです。そして5大都市で唯一、海水浴場があるのが神戸市です。




 「島」も歩きました。


 私が歩いた3つの埋め立て地も神戸市のホームページでは島として書かれています。


 最後は六甲全山縦走路です。神戸市の背骨を4回に分けて歩きました。無理のない計画だったと思います。


 ハイキング+軽登山という感じですが、ところどころ険しい道もありました。




 山頂を極めた六甲山は5大都市の最高峰でもあります。


 縦走路沿いには、私がお参りしている「摂津國八十八ケ所」のお寺が3つもありラッキーでした。






 そして三宮周辺を中心とした町は「神戸マダム」と呼ばれるご婦人方がショッピングを楽しむお洒落な町でもあります。


 ただ昭和の匂いを残す街角も方々に見られました。


 庶民の生活を支える商店街。活気があふれています。








 ただ人口の減少や商店の大型化などによりシャッター街化しているところもありました。




 歩紀の途中での楽しみは昼食です。「洋食ランチ」。


 豊かな海の恵み「海鮮」。


 下町の味「そばめし」。色んなものを食べたな。私はグルメレポーターではありませんので「芳醇な中にもあっさりとした、しっとりとした、ねっちゃりとした、もっちゃりとした、がっかりした・・・」食レポはしません。


 神戸と言えば「灘の生一本」と言われる酒どころ。これについては「呑み歩紀2~灘五郷~」で歩いていますので、そちらをご覧ください。




そして神戸は坂の多い町でもあります。ただ長崎や横浜のような坂ではなく、ほぼ山です。






 各区の高台からは海が見えました。毎回「海が見えるぞ」と叫びました。神戸の町を歩いているとラジオ関西という神戸にある民放局のイメージソングとして大阪府出身のチューインガムという姉妹が歌っていた「海の見える放送局」という歌を思い出します。
  「♪ 波のように繰り返す コールサインは若いメロディー 聞こえるかしら潮風が マイクを通して
      ひとつの歌は海の響き ひとつの歌は貝殻のささやき ここは海の見える(見える)放送局 ランララララララ…♪」
50年以上流れる曲です。この曲を聴くと青春(少年)時代を思い出します。当時彼女たちは小中学生だったんですね。


 そのような地形のため降った雨はすぐ海へ流れ、市南部では川の中流というものがなく、水田を見かけることはありません。


 そのため飲み水を確保するのも一苦労。六甲の山には多くの貯水ダムが築かれました。




 100年の年月を経て文化遺産となったそれらの施設は、今でも150万市民の生活を支えています。






 しかし、そんな昔から神戸では水道が引かれていたんですね。私は中学2年まで井戸水で育ちました。


 打って変わり六甲山地の北側に広がる「西区」「北区」の2区は、盆地や河岸段丘に田畑が広がり「日本の原風景」が見られます。




 これが川の中流というものです。




 子午線も通っています。


 日本人の主食「米」。パンやパスタではありません。


 里山のある政令指定都市。何かほっとしました。


 新しい町である海上都市を造るための土取り現場。そこにもさらに新しい町が造られています。


 歩紀ニストとして三角点のほか多くの「道路元標」も訪れました。




 まるで「元標マニア」になったみたいです。






 歩紀の最終を飾ったのは「有馬温泉」。日本書紀にも出てくる日本最古の温泉です。


 太閤秀吉も愛したという名湯で1年間の疲れを癒しました。


 しかし、全国の主要都市がそうであったように、先の大戦では神戸市も米軍の空襲を受け焼き尽くされました。市内にはいくつかの戦争遺産も見られます。


 戦災による死者の霊を慰める碑も方々で見ることができます。





 
 そして何よりも忘れてはならないのが、平成7(1995)年1月17日午前5時46分、明石海峡付近を震源として神戸の町を襲った阪神淡路大震災ではないでしょうか。30年近く経た現在でもいたるところに当時の傷跡が残されています。








 神戸市では4571名(神戸市統計)の方々が震災により尊い命を失いました。被害が大きかった区では慰霊碑も各自治会ごとに建立されています。










 神戸は日本有数の都市、国際的な観光地であるとともに、あの悲惨な日を後世に伝える町でもあるのです。「合掌」


 さあ、次はどこを歩こうか。道がある限り「野里町歩紀」のネタが尽きることはありません。
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神戸9区を歩く~六甲全山縦走6「記念碑台から最高峰を経て有馬の湯まで」

2023-01-09 22:01:32 | 日記
訪問日:令和5年3月4日(土)
出 発:六甲ケーブル「六甲山上駅」
到 着:阪急バス「有馬温泉バス停」

 今年の冬は寒かったですね。私は基本的に冬山や雪山には登りませんのでちょっと冬眠をしていました。
 今日は終日晴天で小春日和の天候だそうです。さあ、最後の神戸歩紀です。前回の逆ルートで六甲ケーブル「六甲山上駅」まで行き、前回のゴール「記念碑台」から「六甲山頂」まで歩きます。その後、六甲全縦は西宮市を経て宝塚市まで抜けるのですが、神戸市を外れてしまうので魚屋道というハイキングコースで名湯「有馬温泉」へ向かいます。ドライブウェイ沿いのほぼ平坦なコースで、有馬温泉までは山道を一気に下ります。給水・トイレの心配はないでしょう。今日は六甲山上でも手袋がいらないくらいの暖かい日でした。


 六甲ケーブル「六甲ケーブル下駅」から午前9時発のケーブルに乗車します。


 昭和7年3月に開通した古いケーブルカーで、全長約1.7km、高低差約500mをおよそ10分で結びます(600円)。


 前回のゴール。開業当初からあるレトロな「六甲山上駅」に到着しました。準備運動をして今日も元気に出発です。(午前9時15分)


 前回下った道を上っていきます。


 「記念碑台」に到着しました。歩数計はリセットしませんが午前9時35分再スタートです。ここは神戸市灘区。


 今日歩くコースです(菊水山頂に設置された案内図を拡大したものです)。若干のアップダウンはありますが、大きな高低差はありません。


 ドライブウェイに沿って進めばすぐ右に六甲全縦の案内表示が見えてくるので曲がります。


 すぐに右側に「神戸市立六甲山小学校」が見えてきます。神戸市で最も高い所にある小学校で毎年「ストーブの火入れ式」などがニュース番組で放映されます。


 途中二又に分かれますが案内表示に従って右に進み、ゴルフ場の間を通り抜けます。


 結局ゴルフとは縁のない人生だったな。


 クマザサの間を進みます。


 途中車道と合流。車道はカーブしますが真っ直ぐ「みよし観音」方向に進みます。


 すぐにみよし観音が右に。昭和39年2月、大阪空港で発生した航空機事故で乗客を助けるため二十歳で殉職したスチュワーデス(客室乗務員)の霊を慰めるため建立されたそうです。「合掌」(午前10時)


 「石切道」との分岐をまっすぐ進みます。


 駐車場の横で車道と交わりますので右に曲がります。


 道なりに進めば現在休業中のロープウェイをくぐります。


 お洒落なお店が見えてくれば「六甲ガーデンテラス」です。(午前10時8分)


 レストハウスなどのほか展望デッキなどもあります。


 また清潔なトイレもありますよ。


 六甲ガーデンテラスを通り抜け、大きなアンテナの前から六甲全縦に入ります。


 展望台でなくても景色は抜群です。ちょっと霞んでいますが。


 あのアンテナ辺りが六甲山頂でしょうか。


 途中左にドライブウェイが見えますが、気にせず山道を進めばすぐ先でドライブウェイと合流。そこには「極楽茶屋跡」。自販機があります。(午前10時23分)


 極楽茶屋跡の横を真っ直ぐ進めば「紅葉谷道」というハイキングコースが有馬温泉まで続くのですが、六甲全縦は右に曲がりドライブウェイに沿って歩きます。


 すぐに左に山道が見えてくるので入りましょう。なお、ここからドライブウェイを縫うように六甲全縦が進むのですが、六甲全縦大会ではドライブウェイとハイキングコースのどちらを歩いても良いそうです。


 山道を進めばドライブウェイと合流するのですが、すぐに左のハイキングコースに入ります。


 山道を進めば再度ドライブウェイと合流します。案内表示ではドライブウェイを左折するようになっているのですが、横断して山道に進みます。


 ここは「灘区」と「北区」の区境のようです。(午前10時34分)


 すぐに先ほどのドライブウェイと合流するのですが、ちょうどアベックのハイカーが出てきたところが六甲全縦への入口です。


 少し進めば舗装道と合流するので左折。ドライブウェイの手前に六甲全縦の案内表示があります。


 今度はドライブウェイを横断します。


 再度横断します。このようにドライブウェイを縫いながら六甲全縦は走ります。


 もう一度ドライブウェイを横断します。ここまで案内表示があるので間違うことはありません。ここは「北区」と「東灘区」との区境のようです。そしてここから六甲山頂まで500mと表示されています。(午前10時51分)


 雪が霜柱の様に残っていました。


 ドライブウェイと合流しますが左の山道に入ります。ドライブウェイを歩いているハイカーとはこの先で合流しましたので時間的には変わらないのでしょうね。


 六甲山地の北側が見えてきました。


 最後の階段です。


 階段を登り切れば舗装道と合流するので左折します。


 東屋と大きなアンテナが見えてきました。


 そのアンテナの前をまっすぐ進めば六甲山頂なのですが、左に道が見えてきたので入りましょう。


 すぐにちょっとした広場に出ます。その左側に標高931.13mの「旧六甲山頂」。実は六甲山には山頂が2つあるそうです。その1つがこの旧六甲山頂。戦前の六甲山頂には旧陸軍の高射砲陣地があり、戦後米軍に接収されたことから民間人の立ち入りが禁止されたためここに山頂を設けたそうです。後ろのアンテナも自衛隊の施設らしいですよ。


 その後、平成に入り山頂が返還されたことからアンテナの横に今の山頂ができたそうです。平成の時代まで戦後は続いていたんですね。真っ直ぐ進めば神戸市の最高峰(931.3m)に登頂です。(午前11時)


 標柱の右後ろに見える小さな石が一等三角点です。


 そして、神戸市のてっぺんから「空が見えるぞ」


 山頂で行動食のソーセージを食べたました。そして先ほどの東屋を過ぎ舗装道をまっすぐ下って行けばドライブウェイと合流します。その隣に「最高峰トイレ」。


 空調設備が完備した清潔な公衆トイレです。


 さて六甲全縦はこの先「近畿自然歩道」として西宮市を経て宝塚市まで続くのですが、神戸市から外れてしまいますのでここで六甲全縦とはお別れです。トイレの奥にある分岐点から「魚屋道」というハイキングコースに入ります。(午前11時17分)


 台風の被害が結構ひどかったみたいですね。


 仕方ありませんね。しかし、この先で魚屋道と合流するので大丈夫ですよ。この階段はたぶんお相撲さんは通れません。


 下り坂では勢いがついた身体を支えるため娘たちから誕生日プレゼントでもらった2WAYグリップが大活躍です。


 雪解け水でしょうかぬかるみや浮石、木の根がある下り坂なので足元に気を付けて歩きましょう。


 私の地図の見方が間違っていなければ、あの山が「射場(いば)山」でしょう。もうすぐ分岐だな。


 そして5分ほどで「筆屋道」との分岐に出ましたが、まっすぐ「魚屋道」を進みましょう。


 その先には「トンネル跡」。良い時間だな。小さなベンチがあったので昼ごはんにします。


 今日の昼ごはんはいつものようにコンビニで買ったおにぎりです。


 食事を終えて午前11時58分出発。ここには今は埋まっていますが、明治7年にできたトンネルがあったそうです。


 3分ほどで左に休憩所が。ここはかつての「峠の茶屋跡」。なんだここで昼食にすれば良かったな。でも地図に載ってなかったもんな。


 休憩所の案内板によれば、この道は江戸時代、神戸から有馬まで魚を運ぶために使われたことから「魚屋(ととや)道」と呼ばれたそうです。


 休憩所前の案内表示に従って「有馬温泉」方向に進みます。


 射場山の稜線に沿って歩いていくと分岐に出るので「炭屋道」方向に左折します。(午後0時6分)


 急な下り坂を進みます。足元注意。


 何でもない物ですが絶縁テープ。これは重宝します。以前、町歩紀をしていたとき靴の先っちょが剥がれ「パカパカ状態」になったのですが、テープで補修すると帰宅するまで何ら支障なく歩くことができました。


 川のせせらぎが聞こえてくれば右に炭焼窯跡。


 そして少し進めば午前中「極楽茶屋跡」前で分かれた「紅葉谷道」と合流するので右(写真は振り返って撮影しているので左)に進みます。(午後0時17分)


 左に「射場山堰堤」という砂防ダムを見ながら進んで行きます。


 次の「鼓ケ滝堰堤」の上にはロープウェイ。先ほどくぐった休業中のロープウェイは六甲山頂から有馬温泉までは運行されているのです。


 すぐにロープウェイ「有馬温泉駅」が左に現れます。(午後0時27分)


 駅の手前に「滝」への入口があるので入って行きましょう。


 3分ほどで茶屋があります。周辺は「鼓ケ滝公園」といい、きれいなトイレがあります。


 その前に「鼓ケ滝」。高さ8mほどの小さな滝ですが、滝を見ていると癒やされますね。


 先ほどのロープウェイ駅まで戻り、駅前の駐車場を左に見ながら進んで行きます。


 右に何やら鳥居と祠が見えてきました。ここは温泉特有の有毒ガスと炭酸水が噴出していたことから地獄谷(虫地獄、鳥地獄、炭酸地獄)と呼ばれていたそうです。今は石碑が残るだけです。(午後0時50分)


 温泉街を抜けて行きます。奥深い温泉地ですが、ここは神戸市北区です。


 右に稲荷神社の赤い鳥居が見えてくれば、その向かいに「炭酸泉源公園」への分かれ道があるので左に曲がります。


 坂を下れば「炭酸泉源公園」。ここにもきれいなトイレがあります。(午後0時55分)


 屋根に覆われた井戸がありますが、今は使われていません。


 その横に飲用できる蛇口がありました。ちょうどペットボトルが空になったので飲んでみました。炭酸特有のプクプク感もなく、錆びっぽい味で決して美味しいとはいえませんが、この水で日本初のサイダーが作られたそうです。


 炭酸泉源にちなんで名付けられた「タンサン坂」を下って行きます。


 案内表示に従って「銀の湯」方向に曲がります。かなり昔、有馬温泉を訪ねたときに入湯した日帰り湯ですが、ここは無色透明のラジウム(炭酸)泉です。(午後1時)


 その先に「極楽泉源」。太閤秀吉が作らせた湯殿に引かれていたといわれ泉温は98.1度です。浴びると死にます。地中深くのマントル対流で熱せられた海水が数百万年かけて断層の亀裂を上昇して湧き出していることから、火山地帯でもない有馬に高温の温泉が湧いているそうです。

 
 さらに進めば「極楽寺」の隣に「神戸市立太閤の湯殿館」。(午後1時4分)


 有馬温泉は慶長年間の1600年頃、あまりにも高温で入れなかった湯を豊臣秀吉が整備したことから「太閤の湯」とも呼ばれています。ここは太閤も愛した有馬温泉の歴史を紹介する施設です。入館料200円ですが見学する価値はあると思いますよ。


 秀吉が作らせたと伝わる安土桃山時代の「湯山御殿跡」が展示されています。これは平成7年1月に発生した阪神淡路大震災で倒壊した極楽寺の庫裏下から発見されたそうです。


 蒸し風呂。今でいうサウナの遺構も再現されています。天下をとった秀吉は、ここでストレスを解消していたのでしょうね。


 「湯殿館」の隣には「温泉寺」。神亀元(724)年、行基が建立したと伝わる古刹です。災害で荒廃していたところ秀吉の正室である北政所(ねね殿)が再建したそうです。


 その隣には「温泉神社」。有馬温泉の氏神様で大己貴命(=大国主命)らを御祭神とします。


 さらに進んで行くと「御所泉源」。昭和26年に採掘された比較的新しい泉源で、泉質は鉄分を含んだ褐色の温泉で泉温は97度もあるそうです。


 その奥は有馬本街道(湯本坂)。有馬温泉のメインストリートです。行列のできる店や外国人観光客の姿もあり、徐々にコロナ前に戻ってきましたね。(午後1時25分)


 レトロな温泉情緒溢れる通りです。


 湯本坂の奥には「うわなり泉源」。泉温は100.6度。沸騰しているじゃないか。


 湯本坂を下って行きます。


 そこには「太閤の足湯」。無料の足湯で褐色の金泉が引かれています。多くの観光客が疲れを癒やしていました。


 さあ、私もひと風呂浴びて神戸歩紀の疲れを癒しましょう。すぐ隣の「金の湯」に入ります。含鉄ナトリウム塩化物強塩高温泉で鉄分が多いため空気に触れると酸化し、茶褐色になる湯です。入湯料は650円。「登別」「草津」「熱海」「白浜」「別府」など日本にはたくさんの温泉がありますが、有馬温泉は正史である日本書紀に「631年9月19日、舒明天皇が有馬温泉に行幸した」旨の記述があることから日本最古の温泉と言われています。(午後1時34分)


 2WAYグリップは傘立てに。忘れないように。


 「♪ ババン バ バンバン バ~ン ♨」(写真はありません。詳しくはホームページ等で)

 ゆっくりと温まり、湯冷めしないようしっかりと休憩して午後3時5分出発。金の湯の横には「有馬町道路元標」。


 金の湯から歩いて3~4分で「太閤橋」。有馬温泉の中心部で親水公園などがあります。


 そしてそのすぐ先が今日のゴール阪急バス「有馬温泉バス停」。「北区編」のゴールでもあります。時間は午後3時12分。本日の歩紀「20605歩」(14.01km)。宝塚駅行(580円)のバスは15時に出てしまいましたので、15時15分発の三宮駅行(710円)バスで有馬温泉を後にします。近くの神戸電鉄「有馬温泉駅」からは神戸市営地下鉄、阪急電車を経由して大阪梅田駅まで約1時間(1090円)。便利な方でどうぞ。4回の六甲全山縦走で「西区」を除く8区、そして14の山頂を制覇しました。最後は温泉「あ~良い湯だった」。


 途中「服部天神駅」で下車し、健脚祈願をした服部天神宮でお礼参りをしました。


 「ありがとうございました。六甲全山縦走、無事終了しました」


 服部天神宮のすぐ北側。国道176号線「服部天神駅前交差点」の角にある「赤春園」。さあ、今日はこの町中華で打ち上げです。


 大阪で2番目に美味しいぎょうざとビールで「乾杯~」。
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神戸9区を歩く~六甲全山縦走5「市ヶ原から記念碑台まで」

2023-01-08 23:54:57 | 日記
訪問日:令和4年1月8日(日)
出 発:六甲布引ロープウェイ「風の丘中間駅」
到 着:六甲ケーブル「六甲山上駅」

 第3回目は「市ヶ原」から「記念碑台」までを歩きます。スタート早々きつい坂を上りますが、摩耶山に登頂した後は緩やかなアップダウンを繰り返しながらドライブウェイに沿ってゴールに向かいます。摩耶山まで給水・トイレポイントはありませんが、スタート時に済ませておけば大丈夫でしょう。山の上がゴールなのでケーブルで下山します。さあ六甲全縦も後半です。


 前回はゴールの「市ヶ原」から「布引の滝」を楽しみながら下山しましたが、コースの重複を避けるため今回は何と途中までロープウェイを利用します。神戸市営地下鉄「新神戸駅」のすぐ近くに神戸布引ロープウェイ「ハーブ園山麓駅」があります。ちょっと遅めですが午前9時30分の始発に乗ります。


 あまり混雑していなかったためかゴンドラはグループ・家族ごとに案内され、ひとり歩紀の私は6人乗りのゴンドラにひとりで乗車しました。「ラッキー」。神戸の町が見下ろせます。今日は天気は良いのですが、気温が高いためちょっと霞がかかっているようです。


 前回歩いた布引渓谷を下に見ながらゴンドラは進みます。


 野里町歩紀初の「空中歩紀」です。


 布引ダムの空撮です。


 高低差330mを約10分で結びますが、私は途中の「風の丘中間駅」で降りました(930円)。準備体操をして午前9時45分、今日もニコニコ元気に出発です。ここは神戸市中央区。


 駅を出て左へ。ロープウェイのゲートを出れば右へ。ウォーミングアップをしながら舗装道を歩きましょう。


 「紅葉の茶屋」を過ぎ15分ほどで前回のゴール市ヶ原の「櫻茶屋」に着きました。歩数計はリセットしませんが、午前10時再スタートです。


 すぐに公衆トイレと自動販売機があります。次の目的地である摩耶山まで給水・トイレポイントはないので、ここで済ませておきましょう。


 今日歩くコースです(菊水山頂に設置された案内図を拡大したもの)。前半頑張りましょう。
 

 7~8分歩けば「天狗道」への分岐に出ます。ここで太もも(大腿四頭筋)と膝の裏側(ハムストリングス)をよく伸ばしておきましょう。(午前10時3分)


 最初は丸太の階段ですがどんどん登っていきます。


 案内表示に従い右へ曲がります。


 この坂は六甲全縦の難所の1つ「稲妻坂」です。


 ずっと急な上り坂が続きます。ゆっくり登りましょう。岩場や手をつきながら登るところもあるので手袋が必要です。というかもう寒いので手袋がなければ歩けませんよ。


 前方には大きな山塊が。あそこを登るんだろうな。


 「学校林道」との分岐に着きました。ここは標高555mです。一息入れましょう。ここで自宅から持ってきた「うなぎパイ」を食べました。(午前10時42分)


 摩耶山は標高約700mですので、まだ150mほど高度を上げなければなりません。


 分岐を過ぎるとやや勾配が緩くなります。


 ただこんなところもあります。ほぼ垂直です。


 もうすぐ摩耶山のようです。


 ここから先は「コロコロ坂」というようです。(午前11時18分)


 なるほど。


 やがでNHKなど放送局の施設が現れました。アンテナがあるということは頂上ということですね。


 しばらく歩くと「摩耶山頂」への分岐点です。右へ曲がりましょう。


 階段を上っていくと鳥居が。中には何やら巨石が祀られています。


 こういうことらしいです。


 天狗岩の後ろに摩耶山頂がありました。標高698.6mです。


 その前に三等三角点があります。(午前11時38分)


 なお地図を見るとここのちょっと西側。700mの等高線に囲まれた真ん中に標高702mの表示があります。身長168cmの私の目線辺りが700mですので、あの小高い部分が山頂でしょうか。特に表示等はなかったのでよくわかりません。


 先ほどの六甲全縦に戻り、先に進むと突き当りにバス停。


 右に曲がればすぐに摩耶ロープウェイ「星の駅」。そう摩耶山はバスやロープウェイで楽々登山ができるのです。


 ロープウェイ駅の前は「掬星台(きくせいだい)」という展望公園。トイレや自販機があります。


 標高は690m。ハイカーは別としてロープウェイで来られた方にとっては、ここが摩耶山頂でしょうね。


 素晴らしい眺めですが、ちょっと霞がかかっています。


 「1千万ドルの夜景」といわれる夜はもっとすごいらしいですよ。


 いつもどおりいい時間です。昼ごはんにしましょう。


 今日の昼食は、新神戸駅前のファミマで買ったおにぎり2個とゆで卵です。


 食事を終え午後0時20分出発。ここからちょっとややこしいです。というのは私が見た限り掬星台に六甲全縦の案内表示はありません。地図を見ながら先ほどのバス停前まで戻ります。そこにある「摩耶山天上寺(山門)」への案内表示に従って車道を進みます。


 カーブを曲がると公衆トイレがありますので左へ。


 その先に案内標識がありますので「摩耶山天上寺(屏重門)」方向へ右折します。


 狭い道を進んで行くと案内表示がありますので「アゴニー坂」方向に右折しましょう。


 しばらく歩けば「摩耶の石舞台」への案内石碑があります。そこに「六甲全山縦走路」と書かれていました。六甲全縦に合流です。案内表示が欲しいですね。


 「摩耶の石舞台」に立ち寄ってみましょう。「石舞台」と言いますが歴史的な遺跡ではなく展望台です。本来であれば金剛山から和泉山地まで見えるのですが霞で見えませんね。「摂河泉が見えないぞ」(午後0時30分)


 先ほどの分岐に戻り右へ。ちょっと進めば立派な建物が見えます。「オテル・ド・摩耶」。元国民宿舎摩耶ロッジですが、昨年の3月末をもって閉館したそうです。


 ホテル前の道を下っていきます。


 ドライブウェイと合流すれば右へ進みましょう。


 右に立派なお寺が現れます。摩耶山真言宗「?利天上寺」の西山門です。(午後0時39分)


 門をくぐり階段を上って行けば右に「軍艦摩耶之碑」。摩耶山に因んで命名され昭和19年10月23日、レイテ沖海戦で470名の将兵とともに沈没した重巡洋艦「摩耶」の慰霊碑だそうです。「合掌」


 艦名はイージス艦「まや」に引き継がれています(出典:海上自衛隊ホームページ)。


 階段の突き当りには「参拝者用」のトイレがあります。

 
 大化2(646)年、インドの高僧法道仙人により開基されたと伝わる古いお寺です。


 石庭の奥には「摩耶夫人堂」。摩耶夫人(まやぶにん)とはお釈迦様の生母のことだそうです。マリア様のようなものですね。変わった名前だなと思っていましたが、摩耶山は仏教に因んだ山なんですね。


境内には美しい石庭が。「摩耶天空之庭」というそうです。


 その前に本堂である金堂。御本尊様は「十一面観世音菩薩」。摂津國八十八ヶ所の第80番札所でお参りをしましょう。立派な建物ですが真新しいですね。


 実は、天上寺は元々摩耶山の南側中腹にあったそうですが、昭和51年火災により大部分が焼失。その後、ここに再建されたのです。元の境内は摩耶山史跡公園として整備され、当時の仁王門などが残るそうです。


 「天空の大舞台」と呼ばれる展望台からの眺めも素晴らしいですよ。


 参拝を終え御朱印を授かり午後1時8分、境内を後にし元の道をオテル・ド・摩耶跡まで戻って駐車場方向に進みます。


 いくつかの案内表示を見ながら進んで行くとこんな案内表示が。ちょっと「水道局摩耶接合井」方向に曲がりましょう。


 地図では「摩耶別山(717m)」という山があるようなんですが、そこには水道局の施設があるだけでした。そしてその横に手作りの標識がありました。おそらく山頂に水道局の施設があるのでしょうね。


 そのまま真っ直ぐ進めば六甲全縦に合流しました。回り道をしたようですね。左に曲がりましょう。


 ここから「アゴニー坂」を下ります。


 アゴニー(agony)とは英語で「激しい苦痛」という意味だそうです。


 坂を抜ければドライブウェイと合流するので右に曲がります。


 しばらくは車道を歩くことになります。


 間もなく右に山小屋風のトイレが見えてきました。「杣谷峠」です。「そまたに」と読みます。ここは以前「灘区編」で訪れた「杣谷堰堤」まで続く登山コースとの分岐点です。(午後1時37分)


 もうしばらく車道を歩きましょう。「市立自然の家」とバス停を通り過ぎれば右に六甲全縦の案内表示があり階段があるので入って行きます。


アゴニー坂でだいぶ高度を下げたので、ここからしばらくは上りになります。


 こんな感じです。


 山道を抜ければもう一度ドライブウェイと合流します。角には休憩所があります。ちょっと休憩しましょう。(午後2時)


 午後の行動食は菓子パン。行動食はカロリーとか栄養成分を考えなければいけないのでしょうか?そんなことはないと思いますよ。食べたいものを食べたいときに食べればいいと思います。楽しく歩きましょう。それが嫌な人は、さして美味しくもないバランス栄養食品か無味無臭のサプリでも食べながら歩けばいいと思います(あくまでも私個人の意見ですが)。


 道路を横断し六甲全縦に進みます。


 ダイヤモンドポイントとの分岐点を右に曲がります。お気づきですか。角の石の上に望遠レンズが付いた一眼レフデジカメが。忘れ物でしょうか。とりあえず拾得します。


 別荘でしょうか建物がありました。案内表示に従い左へ。


 そしてこの案内表示に従い右へ入ります。


 舗装道路に突き当たれば右へ。この辺りは標高800mくらいです。


 別荘の間を進んで行きます。


 坂を下れば「表六甲ドライブウェイ」と合流します。ここは「丁字ケ辻」。「辻」と書かれていますが大きな交差点です。左へ曲がります。(午後2時22分)


 ここからはほぼ平坦な車道を歩きます。付近にはホテルのほか会社の保養所やセミナーハウス、別荘などが並びます。間もなくゴールです。


 右には「ホテル神戸六甲迎賓館」。部屋からは素晴らしい景色(夜景)が望めるそうです。ペットも宿泊できるそうですよ。


 その先には「藤原商店」。必要なものは何でもあります。


 もう少し進めば左に「旧六甲ホテル本館」。昭和4年、宝塚ホテルの別館として開業し、その後独立したそうです。

 
 レトロな建物は近代産業化遺産に認定されたそうですが、老朽化のため平成27年閉館。2年後、カフェレストランとしてリニューアルオープンしたそうです。神戸は本当にどこまでいってもお洒落な町ですね。


 もう少し歩けば右に「六甲山郵便局」。ロビーはパノラマテラスとして開放され、トイレもあるようです。


 左に交番と消防団車庫があります。事前調査でここに交番があることがわかっていましたので、先ほど拾得したカメラを届けます。(午後2時30分)


 手続きのため20分ほどかかりましたが交番を出発。すぐに本日のゴール「記念碑台」に着きました。時間は午後2時57分。次回はここからスタートです。


 ここは駐車場を囲んで公園になっており、公衆トイレやガイドハウス、ビジターセンターなどがあります。


 六甲山は幕末の開国期から明治にかけて活躍したイギリス人実業家アーサー・ヘルケス・グレーム氏らの苦労と努力により保養地・観光地として開かれ、それを顕彰して記念碑が建てられたそうです。


 記念碑に向き合うように「グレーム像」が建ちます。


 グレーム像横の芝生が何やら掘り起こされていますが、これはイノシシの仕業らしいですよ。


 そしてここは標高796mの山の上。案内表示に従って「記念碑台交差点」を下って行きます。目指すは六甲ケーブル「六甲山上駅」。


 途中、道は分かれますが案内表示があるので大丈夫です。


 本日のゴールである六甲ケーブル「六甲山上駅」に到着しました。駅舎のすぐ手前に「天覧台」という展望台。昭和天皇が行幸されたことから天覧台と呼ばれるそうです。


 すぐ隣の駅舎は昭和7年3月の開通当初からあるレトロな建物です。時間は午後3時25分。本日の歩紀「21404歩」(14.55km)。長らく車両不具合のため運休していましたが昨年末に復旧したようです。


 ケーブルの出発まで少し時間がありましたので、レトロな駅舎内を撮影しました。




 午後3時40分発のケーブルに乗車します。ここから麓の「六甲ケーブル下駅」で神戸市営バスに乗り換え、阪急電車「六甲駅」を経て「大阪梅田駅」まで約1時間30分(1130円)です。次回が神戸9区の最終章です。

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