「野里町歩紀 ~思いつくままに~」

野里町歩紀 ~摂河泉をゆく~ に次ぐ第二歩です

譲り合い

2024-08-31 07:12:02 | 日記
 私のように時差出勤していると、ほぼ座席は埋まり数人立っているという混み具合の時があります。

 そして座っている人が降りるため席を立ち、そこに空席ができたのですが前に立っている人は座る気がなく、そのまま空席の前に立っているという状況が時々見られます。

 そこに座りたいのですが、わざわざ「ちょっとすみません」と言って人をかき分けるのも気が引けます。車内が混雑していないのであれば、できればどちらか左右に移動し「座る意思がない」ということを示していただければ助かるのですが。そこまでを含めて「譲り合い」というような気がします。

 よろしくお願いします。気が弱いもので……。
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整列乗車

2024-08-27 17:25:42 | 日記
 写真のような表示がある場合、あなたならどのように並びますか?私なら表示のやや右か左に並びます。間違っているという意見の方がおられればコメントください。


 ところがです。時々「俺は先頭なんだ。右でも左で空席がある方に行くよ」とでも言いたげに最前列の真ん中で仁王立ちされている方がおられます。中年男性が多いですね。


 また5~6列目位までは2列で並んでいるのに、途中から真ん中に立っている人もいます。コンビニじゃあるまいし「フォーク型整列」ですか。

 1列目で空いている片方に新たな列の先頭として立てば割込みでしょうか?途中で真ん中に立っている人。あなたの右か左に立っても良いですか?列車が到着しドアが開けば、後ろできちんと2列に並んでいる人の順が乱れトラブルの原因になります。2列で整列乗車したいのですが。

 「整列乗車にご協力お願いしま~す」
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80年代の韓国歩紀~秘苑

2024-08-22 10:35:58 | 日記
 秘苑(ピウォン)は昌徳宮の後園として造成された韓国式庭園です。


 何やら民族衣装を着た人がたくさん行き交っていました。歴史的遺産の雰囲気を盛り上げるためのエキストラなのでしょうか。


 この日も暑かったです。みんな木陰で休んでいました。


 歴史ドラマの撮影をしていたようです。先ほどの人たちは移動中の俳優さんたちだったんですね。

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岡山県瀬戸内市~墓参りと亡母の初盆のため帰省しました~

2024-08-17 23:48:01 | 日記
訪問日:令和6年8月16日(金)

 私の郷里は岡山県です。郷里と言ってもルーツがあるだけで、私自身は大阪生まれの大阪育ち。ただ小さい頃から墓参りと夏休みになれば「田舎に帰る」と言って帰省していましたので故郷には違いありません。
 そして昨年亡くなった母の墓参りと初盆のため菩提寺に行ってきました。実家があるのですが廃墟寸前ですので泊まることはできません。日帰りです。この時期よく見られるベタな記事ですがお許しください。


 私の郷里は岡山県瀬戸内市邑久町。平成の大合併までは「邑久郡邑久町」でした。地図を見ていただければわかりますが、岡山市の手前というか兵庫県を越えてすぐですので結構大阪からは近いです。とは言え私が子どもの頃は大阪から鉄道では国鉄山陽本線から赤穂線を経由して約3時間。車ではひたすら国道2号線を走り6時間ほどかかりました。
 今は自宅近くの「箕面とどろきインター」から新名神、山陽道を経由し「備前インター」へ。5分ほど県道を走った後「ブルーライン」という自動車専用道を利用。ほぼ地道を走ることなく2時間ほどで行くことができます。

 午前8時前に自宅を出発。渋滞もなく順調に走り備前インターからほぼ車が通らない県道を経て「ブルーライン」に入ります。午前9時50分、道の駅「黒井山グリーンパーク」で休憩です。というのは実家のトイレは使用不可なのです。ブルーラインは元有料道路でしたが資金返済が終了し無料化されました。そのため今でも地道とはインターチェンジ形式で交わり、2つあったサービスエリア的な休憩所は「道の駅」になっています。


 その後「邑久インター」で下り5分ほどで実家に到着。裏山にあるお墓にお参りしました。一番右のお墓は明治時代に入って分筆された当家の始祖の墓です。日露戦争で戦死し、菊の紋章と墓誌が刻まれた立派なお墓です。靖国神社にも神としてお祀りされています。そう私のご先祖様は「ロシア」という国に殺されているのです。


 お墓掃除は一昨日にも帰省し済ませていますのでお参り自体は短時間で終わりました。亡母の初盆は午後4時30分からです。時間があるので昼食にします。今日は法要ですが4時間ほどあるので「肉」を食べます。JR邑久駅前の県道を1~2分北に走った「焼肉ふくざき」。ここの焼肉はおいしくてボリュームも満点です。危うく写真を撮る前に食べ終わるところでした。


 近くのスーパー「ゆめタウン」で時間をつぶしましたが、まだ余裕があるので牛窓の「オリーブ園」まで足を延ばしました。展望台からの眺めです。台風接近で大変な関東地方の皆さんには申し訳ありませんが瀬戸内海は快晴です。手前の島は「前島」。奥の大きな島は映画「二十四の瞳」で有名な「小豆島」です。


 前島は牛窓港からフェリーが通っており、一度「瀬戸内の地魚料理」を楽しむため民宿に一泊したことがあります。岸壁もないのにフェリーはどこに着くのかなと思っていると、直接陸地に乗り揚げ上陸用舟艇のように前の扉がパカーンと開きました。


 前島の西の沖合に「黒島」という小さな島があり、その先端にも「中ノ小島」「端ノ小島」という小さな無人島が並びます。


 そして干潮になると3つの島は洲で結ばれ歩いて渡ることができ「ヴィーナスロード」と呼ばれています。薄っすらと「ヴィーナスロード」が見えていますね。なお黒島には定期船はありません。


 海の反対側にはかつて「錦海湾」という湾を埋めたた広大な「塩田」が広がっていました。今はソーラー発電所になっているようです。


 さて今日は旅行ではありません。午後4時過ぎに菩提寺である「安楽院」に着きました。私の実家のすぐ近くに明治・大正・昭和に活躍した「竹久夢二」という美人画で有名な画家の生家があるのですが、「安楽院」は竹久夢二の菩提寺でもあるそうです。初盆は10ほどの家族との合同法要でしたが、ひとり「竹久」という姓の方がおられました。夢二の子孫でしょうか。


 その後、すぐ近くの「静円寺」というお寺に移動します。天平2(730)年、行基により開基されたと伝わる古いお寺です。かつては33坊あったと言われる塔頭も現在では3坊となり、その一つが「安楽院」なのです。


 多宝塔もある立派な伽藍が残っているのですが、今は無人で「安楽院」と「光明院」「地蔵院」の残された3坊の塔頭で維持されているそうです。


 3院合同の法要でした。100人以上いたでしょうか。高野山真言宗なので銅鑼が鳴らされたり、全員で般若心経を唱えます。


 午後6時前に法要が終わり大阪に向けて出発です。なお牛窓の蔵元「高祖酒造」で地酒「千寿」を購入しています。相変わらずですね……。
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80年代の韓国歩紀~昌徳宮

2024-08-15 11:56:31 | 日記
 昌徳宮(チャンドックン)は1405年、景福宮の離宮として建立されました。正門である「敦化門(トンファムン)」です。門の前では自転車に乗った子どもたちが遊んだり、おばさん(アジュンマ)が座って休憩しています。


 景福宮焼失後、正宮として使用されたそうです。これは儀式が行われた正殿の「仁政殿(インジョンジョン)」。国宝ですが今は昌徳宮全体が世界文化遺産に登録されているそうですね。


 こちらは国王が執務した「宣政殿(ソンジョンジョン)」です。韓国ドラマでも有名になりましたが王室の台所である「水刺間(スラッカン)」なども再建されています。

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ずぼら歩紀~「真言律宗」二つの本山と「生駒山」~

2024-08-10 05:29:16 | 日記
訪問日:令和6年8月9日(金)
出 発:近鉄「大和西大寺駅」
到 着:近鉄「生駒駅」

 今日も「熱中症警戒アラート」が発令されています。こんな中「フル歩紀」をすれば命の保障はありません。ということで今回も交通機関に頼る「ずぼら歩紀」です。この時期、町は山での遭難と同じくらい危険ですから。趣味ごときで人に迷惑をかけるわけにはいきません。ただ「ずぼら」と称していますが、熱中症対策のため歩行距離を短めに設定したいわゆる「ハーフ」です。決して適当に歩いているわけではないので誤解のないように。今後7、8月は「ずぼら歩紀」になると思います。

 今日は大阪府と奈良県の間に横たわる「生駒山地」。その奈良県側にある「真言律宗」の総本山「西大寺」と大本山「宝山寺」を訪ねます。その後「生駒ケーブル」で一気に生駒山頂まで上り山頂を散策した後、ケーブルで戻ってきます。そんなに歩きません。生駒山頂は関西でも有数の遊園地。給水・トイレの心配はありません。今日は平日ですが、私は18連休の夏休み中です。


 今日の心強い「旅の友」を紹介します。「奈良・斑鳩1dayチケット」。近鉄電車と奈良交通が関西の私鉄各社と「大阪メトロ(旧大阪市営地下鉄・バス)」「京都市営地下鉄」と連携した観光チケットです。これ1枚で私の自宅から「能勢電車」「阪急電車」「大阪メトロ」「近鉄電車」「生駒ケーブル」を利用して2750円で往復できるのです。途中下車もOK。いつもの私であれば極力交通機関を利用せずひたすら歩くのですが、こんな時はとてもお得です。途中下車を繰り返すので本来であれば4000円ちょっとかかります。私鉄各沿線からのチケットが用意されていますよ。これだけでも十分ですが、お得な優待割引も。


 今日のスタートは近鉄奈良線「大和西大寺駅」。大阪メトロ経由で「梅田駅」から50分で到着しました。ちょっとゆっくり目の午前10時40分、今日も元気に出発です。久しぶりに近鉄電車に乗りましたが、乗客のほとんどが外国人(中国人)なんですね。ここは奈良県奈良市。

 
 駅南口はバス・タクシー乗り場を囲んだ大きなロータリーになっており、駅から出てバス乗り場通路の屋根を右に進みます。屋根が途切れる手前で右を覗き込めばお寺の建物が見えるので曲がりましょう。


 突き当りのすぐ右には門が。これはこれから訪れる「西大寺」の「東門」で入口はここだけです。


 おや。東門の正面に小さな神社がありました。これからお寺にお参りするのですが、仏教は災いから救ってくれる宗教。それに対して神道は災いに遭わないよう祓い護ってくれる宗教。お参りしましょう。


 ところが鳥居は竹の棒で閉ざされており境内への立ち入りは禁止されているようです。この小さな社は「石落(しゃくらく)神社」。西大寺を再興した叡尊上人が仁治3(1242)年、少彦名命を勧請して建立した漢方薬の神様です。そしてここは西大寺の境内。道路から今日一日の安全を祈願します。今から800年近い昔からあるんですね。800年ってすごいですね。世界を牛耳っているのは建国200年そこらの国ですから。


 さあ東門をくぐります。(午前10時40分)


 東門をくぐればすぐ左に「清浄院」。昭和59年に火災により焼失しましたが翌年再建されました。本尊は焼失を免れた不動明王坐像です。


 清浄院前には境内の案内図が立ちます。弘法大師空海が開いた真言宗は「古義真言宗」「新義真言宗」「真言律宗」に分かれ、明治28年6月、真言宗から独立を認可さた真言律宗は、西大寺を「総本山」として全国90を越える末寺を統括する新たな宗派となりました。その後、古義真言宗と新義真言宗は16の宗派に分かれます。しかし対立しているわけではありません。


 案内板のすぐ後ろは「法寿院」。明暦2年(1656)5月に再建されたものです。阿弥陀如来が安置されています。


 その先には「四王堂」。この四王堂と「本堂」「愛染堂」のみが公開されており拝観料が必要です。


 個別の料金設定はなく三堂共通のチケットで800円。1dayチケットがあれば団体料金(700円)で拝観できます。


 堂内での写真撮影は禁止されていますが、鎌倉時代に十一面観音立像が安置されてからは「観音堂」とも呼ばれ、邪鬼を踏みつけた四天王像が奈良時代創建当時の姿を伝えています。いずれも国の重要文化財に指定されています。


 四王堂に向かって左側に2本のソメイヨシノが植えられています。これは「西大寺幼稚園」に通っていたKinKi Kidsの堂本剛さんが奈良市観光特別大使に委嘱されたのを記念して植えたもので「剛桜」と呼ばれているそうです。後ろに幼稚園が見えています。


 四王堂前の小さな池の畔には「百萬古柳」の案内板と「田中哲菖歌碑」。


 ここを過ぎれば何だか時代劇に出てきそうな雰囲気ですね。西大寺の起源は神護元(765)年ころまでさかのぼり、奈良の都では「東大寺」と並ぶ大寺院でしたが、その後、衰退・焼失と中興・再興を繰り返し、江戸時代に入ってほぼ現在の伽藍となりました。


 左には「華蔵院」。このような支院のことを「塔頭(たっちゅう)」といい、それぞれに本尊が祀られています。文亀2年の火災の後、永禄年中(1558~69)再建されました。本尊は不動明王です。


 その隣には「増長院」。本尊は不動明王坐像ですが、現在は境内にある寺院の収蔵庫「聚宝館」に安置されているそうです。これら塔頭は一般公開されていないので、似たような山門だけの写真になってしまいましたね。


 向かいにはその「聚宝館」。春・秋・冬それぞれ1カ月期間限定で公開(300円)されているため見学はできませんでした。


 聚宝館の隣には「護摩堂」。寛永年間の末年頃(1643)に建立され、不動明王を祀ることから「不動堂」とも呼ばれます。ここはお参りできます。


 そしてその奥には「本堂」。江戸中期の寛政年間に建立された西大寺の中心的な堂舎です。拝観しましょう。


 ご本尊様である「釈迦如来立像」や「文殊菩薩騎獅像及び四従者像」「弥勒菩薩坐像」などが安置されています。いずれも国の重要文化財です。どの仏様もとても立派でしたよ。暑さを感じませんでした。


 本堂の前には「東塔跡」。西大寺は建立当初、東西に八角五重塔があったそうですが、いずれも落雷によって焼失。東塔は再建されたものの再び焼失し、その後は再建されることなくこの礎石が残るのみです。


 境内の一番奥には「愛染堂」。明和4(1767)年に京都の近衛家から邸宅の御殿が寄進され移築建立したそうです。ご本尊様である重要文化財の「愛染明王坐像」のほか西大寺を中興し入滅後、亀山法皇、後伏見天皇から「興正菩薩」の称号を賜った「叡尊上人」の「興正菩薩寿像」がお祀りされています。これは「国宝」です。


 愛染堂の奥では「蓮苑」が公開されていました。




 時期的には最終段階でほとんどが「種」になっていました。しかしこれも良いですね。仏教徒としては。


 そんな中に「西塔跡」碑が立ちます。


 愛染堂の前にある「大黒堂」という小さなお堂は、かつてあった「三光院」という塔頭の本堂だったそうです。


 愛染堂を後にし本堂の前まで戻ります。本堂の西隣にある大きな建物は元は「西室」という書院だったそうですが、今では真言律宗の「総本山本坊」「宗務所」になっています。


本堂の裏には塔頭である「一ノ室院」。今は土蔵風の庫裡だけが残っています。


 東塔跡前まで戻りましょう。右前には「鐘楼」。以前、何回か能勢電車の沿線にある「多田神社」に行きましたが、多田神社の前身は廃仏毀釈で廃寺となった「多田院」。多田院はかつて西大寺の末寺であったことから幕末から明治の初めにかけて多田院の鐘楼がここに移建されたそうです。


 鐘楼の後ろには「大師堂」。


 その向かいには不動明王を本尊とする塔頭「護国院」。かつて西大寺には13の塔頭があったそうですが、現在では今日訪ねた6つの塔頭と少し離れたところにある「躰性院」の7院のみが残っているそうです。


 そして護国院と鐘楼の間を南に下れば「南門」。西大寺の南の出入口ですが現在は閉門されています。


 振り返れば東塔跡越しに本堂が望めます。


 これで約1万坪の境内を一巡しました。午前11時40分、護国院裏の駐車場から境内を後にします。1時間ほどの見学でした。駐車場の隅には参拝者用のトイレがあります。


 駐車場の出入口は東門のすぐ南側にありますので、同じルートで大和西大寺駅まで戻りましょう。午前11時51分発の「大阪難波駅」行き急行に乗車します。クーラーの効いた車内でクールダウンしましょう。


 生駒山地と奈良盆地の間にある「矢田丘陵」という小さな山地をトンネルで抜けると奈良県生駒市に入ります。約10分で「生駒駅」に着きました。生駒駅は奈良線と大阪メトロ中央線が乗り入れる「けいはんな線」。ここを起点とする「生駒線」。そしてこの後に乗る「生駒ケーブル」との乗り換えができる大きな駅です。正午、再出発です。


 駅の南口から出るのですが、そこは「グリーンヒルいこま」というショッピングモール。いい時間なので腹ごしらえをしましょう。


 今日の昼食はショッピングモール内にある「いづつや」です。


 暑いので「ざるそば定食」(930円)を注文しました。


 昼食を終え、午後0時25分、再々出発です。そして目の前にはショッピングモールと陸橋で結ばれている生駒ケーブルの「鳥居前駅」。ここからケーブルに乗り、次の「宝山寺駅」で降りれば宝山寺はすぐ近くです。しかしそれではあまりにも「ずぼら」過ぎるので駅に向かって左側の階段を下ります。


 ひとつ目の三叉路には「生駒駅前南商店街」の看板。「参道筋」と書かれています。右に曲がりましょう。昔ここに「一の鳥居」がありました。だから「鳥居前駅」なんですね。


 アーケード等はありませんが、昔ながらのお餅屋さんや飲み屋さんなどが並ぶ坂道を上って行きます。




 途中で街並みが住宅に変わります。結構きつい坂道ですね。


 さらに上って行けば「参詣本道」と刻まれた真新しい石標が立ちます。(午後0時34分)


 ここからは階段になります。生駒山地の大阪府側は標高数十mから一気に600m以上の山頂まで屏風のようにそびえますが、奈良県側は盆地からゆっくりと高度を上げるので大阪府側ほど急な坂道はありません。


 坂の右と左の端には古い石段があります。参道は倍ほど拡張されたのでしょうか。


 「熊鷹神社」の前を通ります。この手前に「六丁石」がありました。あと650mほどですね。


 やがて前方に大きな石鳥居が見えてきました。これは「二の鳥居」です。


 鳥居を過ぎても階段は続きます。この辺りはサクラの並木道になっているようです。


 さらに階段を上って行きます。すると旅館街に出ました。


 こちらの旅館はもう廃業しているのでしょうか。


 その先には「観光生駒」と書かれたゲート。「聖天通り」というようです。(午後0時51分)


 この旅館は趣がありますね。


 電柱に「宝山寺駅」の案内がある通り、ここを右に入ればすぐに生駒ケーブルの「宝山寺駅」です。ゲートの右にも旅館が建つ階段が見えますが、もう廃業しているのでしょうか。そして電柱の足元に頭をのぞかせている「参詣本道」と掘られた石標の「指」が示すように宝山寺はこのゲートをくぐって聖天通りを進みます。


 ゲートの先にも旅館街が続きます。


 この旅館も良い雰囲気ですね。


 その先にも旅館が見える分かれ道に出ました。宝山寺は階段方向です。


 そして左に見える狭い下り坂が旧参道だそうです。遠くには生駒の町が。


 階段を進みましょう。こちらにも旅館が。「みんな泊まり掛けで来るほど賑わっているんだ…」いえいえ違います。この雰囲気や先ほどのゲートを見て、もうお気づきの方もおられるでしょう。そうここは「旧遊郭」なのです。私は寄り道をせず宝山寺に向かいます。「旧」なのか「現」なのか私は行っていないのでわかりません。ただ最近では旧旅館をリノベーションして「一般」観光客向けに営業しているところもあるようです。


 階段を進めば左右に灯篭が並びます。間もなく境内ですね。


 その先には「一の鳥居」。なぜ二の鳥居の後にあるのでしょう。実は先ほど通った鳥居前駅の横にあったものが駅前開発のため撤去されここに移設されたそうです。鳥居がありますが神社ではなく仏教寺院です。私の歩紀では別に珍しいことではありません。「神仏習合」当然の風景です。(午後1時)


 振り返れば「生駒の町」。


 鳥居をくぐれば右に駐車場とトイレ・自動販売機があります。これより境内を歩きます。なお宝山寺は駐車場を含め無料で拝観できます。


 境内への入口である「惣門」をくぐりましょう。


 本堂へ向かう石段の左には「地蔵堂」。観音様も祀られているようです。


 手水舎で身を清めた後、本堂へ向かう前に右へ進みましょう。


 突き当りには「獅子閣」。明治17年に迎賓館として建築されました。国の重要文化財に指定されています。洋風建築に見えますが宮大工により建てられた疑洋風建築だそうです。ただ期日指定で無料公開されますが8月は日曜日のみのようです。「残念」


 手水舎まで戻り先へ。寺務所の前には「本堂」。ご本尊である不動明王像が祀られています。宝山寺は真言律宗の「大本山」。西大寺は「総本山」。私にはよくわかりませんが、いわゆる「寺格」のようなもので大本山や本山はその宗派の末寺を統括し、総本山は寺院はもちろんその宗派全体を統括するような感じでしょうか。


 本殿の隣には「聖天堂拝殿」。この奥にある「大聖歓喜天」いわゆる「聖天」をお祀りする「聖天堂」を拝みます。そのため宝山寺は「生駒聖天」とも呼ばれています。だから「聖天通り」だったんですね。聖天さんは商売にご利益があるそうです。


 香炉前の巾着の形をしたお賽銭箱。これを撫でながら一周したり、財布で縁を撫でるとお金には困らないそうです。「お金」これは「俗」ではありません。結構大切なことですよ。特に今の「政権」では。今回の歩紀でも事前リサーチと実際の現地訪問ではいろんなものが1~3割ほど値上げしていました。唯一、値下げしていたのは私の「お賽銭」です。


 そして本堂や聖天堂の後ろにそびえる「崖」は「般若嶽」といい弥勒菩薩像やお堂などが並びます。西大寺は市中の大寺院という風格でしたが、ここは「修験の場」というような厳しさが感じられますね。


 この後、多くの諸堂が並びます。階段を上れば「文殊堂」。


 如意輪観世音菩薩坐像などをお祀りする「常楽堂」の奥には、室町時代に作られたという十一面観世音菩薩立像をお祀りする「観音堂」。天保15(1844)年に再建されたと伝わります。


 建物の陰になりちょっとわかりにくいですが、観音堂の左を抜ければ「烏枢沙摩明王」。不浄を清めるということから、いわゆる「トイレの神様」でもあります。


 その隣には「水神」。「延命水」という清水が湧きます。飲めば健康長寿が得られるそうです。


 さらに石段を上れば「多宝塔」。愛染明王が祀られています。愛染明王とは「国の護持」や人と人の縁を結ぶ仏様だそうです。


 さあ。ここからは石仏が並ぶ木漏れ陽の中「奥の院」に向かって進んで行きます。ただ奥の院と言っても5分ほどの道のりですよ。


 途中、左に「大師堂」が建ちます。「南無大師遍照金剛」


 その向かいには「子安地蔵」。4人目の元気な孫誕生をお祈りしました。


 さらに石仏の中を進んで行きます。


 階段を上って行けば「奥の院本堂」です。宝山寺は諸説ありますが、斉明天皇元(655)年、役行者により開かれ、その後、弘法大師空海を始め多くの僧が修行をしたと伝わります。(午後1時30分)


 奥の院本堂の左奥には「開山堂」。「湛海律師」という修験僧が「大和葛城山麓」での「千日行」の際、行を完結するにふさわしい場所として「生駒山」に入山。延宝6年(1678)年、仮堂を建てて行を果たした後、宝山寺として開山したそうです。


 奥の院の先には「大黒堂」。


 信者さんが一生懸命お掃除をされていたので大黒堂の写真撮影は控えました。そして振り返れば奈良方面の景色が広がります。真ん中にある山地が「矢田丘陵」です。そしてその奥が「奈良の都」。


 午後1時39分、参拝を終え奥の院を後にします。


 同じ道を戻りますが往路で大師堂と子安地蔵の先に生駒ケーブル「梅屋敷駅」への抜け道があることを確認していました。


 しっかりした道です。おそらく資材運搬用の車道なのでしょう。


 その車道を横断し「岩谷の滝」方向に進みます。山道というほどではありません。


 2~3分で小さな踏切に出ます。生駒ケーブルの踏切です。ケーブルカーの踏切は真ん中に「鋼索(ケーブル)」が走っているので足元に注意しましょう。踏切を渡って振り返って撮影しています。坂道の踏切なんてケーブルらしいですね。


 そしてすぐ右には生駒ケーブルの「梅屋敷駅」。(午後1時45分)


 これは「山上線」。昭和4年の生駒山上遊園地の開園とともに開業しました。「宝山寺駅」から「生駒山上駅」までの距離1.1km、高低差322mを約7分で結びます。


 午後1時51分発の「生駒山上駅」行きに乗ります。かわいらしいケーブルがやってきました。「ドレミ号」というそうです。


 途中「霞ヶ丘駅」という駅もありました。山の中の駅ですが誰が利用するのでしょうか。


 午後1時56分、「生駒山上駅」に到着です。旅行番組やユーチューブなどでは「生駒やま」と紹介されることもありますが、私たち東大阪市民は「山」の音読みと親しみを込めて「生駒さん」と呼んでいました。「生駒やま」と呼ぶ人は、はっきり言って「もぐり」です。


 生駒山上は「生駒山上遊園地」という古くからある遊園地になっています。反時計回りに歩いてみましょう。


 すぐ左の芝生公園やアスレチックなどがある「PLAY PEAK ITADAKI」という有料エリアには、かつて宇宙科学館という施設がありプラネタリウムがあったんじゃないでしょうか。小学校の遠足で来たような気がします。


 その向かいの広場からは奈良方面の景色が望めます。


 入園は無料で各アトラクションに乗る際、別個に料金(回数券・パスポートあり)を支払うシステムです。家族連れには優しいですね。


 遊具の間を進んで行きます。平日とはいえ夏休み。結構お客さんはいますが、ほとんどが中国人です。


 下には大きな駐車場があります。そう生駒山には車でも来ることができるのです。駐車料金は1日1500円。また駐車場から遊園地までは高低差があるのでお年寄りや小さなお子さんは「DONDONどんぐリス」というモノレール式カート(2歳以上500円)を利用することになると思います。健脚者や経費節減のためパパさんは横の階段で上ることもできますよ。階段は歩いても100mちょっと。5分もかかりません。


 その「DONDONどんぐリス」を上ったところには大阪府側を望める「星の広場展望デッキ」。ちょっと霞んでいますが「うめだ」の高層ビル群やアベノハルカスの向こうには六甲山地や大阪湾、淡路島が見えます。特に夜景は「百万ドルの夜景」といわれるほど素晴らしいです。神戸の夜景は手に取るほどに近くに見えますが、ここは神戸から大阪、泉南まで大阪湾に沿って弓状に続く広大な夜景です。


 サイクルモノレールを過ぎれば右に「いこま山ビューレストラン」。昔この辺りには回転式展望台がありました。UFOみたいな形の建物でベルトコンベアー式になっており、立ったままゆっくりと360度の展望が楽しめたように記憶しています。


 左に遊具を見ながら進んで行けば「飛行塔」。この飛行塔は600mを越える山頂からさらに30mの高さがあります。そして何と現存する飛行塔では日本最古のものです。


 昭和4年の開業当初からあるということなのでかれこれ95年。戦時中、海軍の防空監視所として使用されたことから金属供出も免れたそうです。すごいですね。あと5年もすれば「百周年」ですよ。


 遊園地入口にも説明の案内板がありましたよ。


 私が幼稚園の遠足で訪れた時の写真です。どこかに当時の私と母が写っているのですが、60年ほど昔の写真ですのであえてモザイクはかけません。後ろにちょっこと見える空飛ぶ円盤のような建物が回転式展望台です。


 兵頭さんの「今昔さんぽ」のように同じ場所から写真を撮ってみました。


 飛行塔を後にし、その先には「SL列車」。そしてここは特別な場所です。


 SLが一周する線路の真ん中に642mの一等三角点。つまり生駒山頂があるのです。私が子どもの頃ここは芝生広場で三角点の横には白い旗が立っていました。今はフェンス内にあるので入れません。この前の道が府県境なので山頂は奈良県側にあります。そして遊園地全体は近鉄の所有地です。


 SL列車の前に「八大龍王」と刻まれた石標がありました。下りてみましょう。


 そこには「龍光寺」。境内は写真撮影禁止ですが、弘法大師にまつわる古いお寺のようです。


 SL列車まで戻り先へ。「ゲームコーナー」を過ぎます


 怖そうな「お化け屋敷」ですね。「昭和感」があふれます。


 生駒山上にはたくさんの電波塔が並びます。おそらくNHKを含む在阪各民放局すべての電波塔があるのではないでしょうか。


 私が小さい頃は中に小さなブラウン管のモニターが並んでおり、1台ずつその前に人が座ってじっと画面を見ている姿を窓ガラス越しに見ることができました。それはそれで当時の最先端技術です。今はもちろん完全自動化です。人はいません。


 そのまま進んで行けば鉄扉のゲートがあり遊園地の敷地から出ます。そしてその先には「摂河泉ハイキングコース」の登山口。枚岡公園まで1時間ほどで下山することができます。この他大阪府側からであれば駐車場横に「辻子谷コース」の登山口があります。こちらは石切神社から直線的に登るコースで、いくつものお地蔵さんが並ぶ「信仰の道」です。頂上直前に「興法寺」という古い真言寺院があります。


 左に進めば以前訪ねた「暗峠」の石畳。そう「酷道308号線」に出ます。東大阪市で育ち地元のスポーツ少年団に入っていた私は、この3つのコースを何回も歩いています。これまでの私であれば帰路はいづれかのコースで山を下り大阪府側をゴールとしていたでしょうね。


 しかし私は「もう山を卒業しました」というほど本格的な登山経験はありませんが、1000m級までの低山はたくさん登っています。そのためこれまでも低山は「野歩紀」の延長として何回か山に入りました。「ソロ登山」はひとつのジャンルですので否定はしませんが、私のような「独り歩紀」では低山であっても転倒や熱中症で動けなくなれば多くの人に迷惑をかけます。そして「クマ」「イノシシ」「スズメバチ」。もう年です。山には入りません。Uターンしましょう。


 先ほどの鉄扉まで戻り右へ曲がります。


 木々の間から奈良方面の景色が望めます。


 アスファルト道を進めば右に「鶴林寺」の鳥居。山道を下れば小さな祠や石仏が残るようですが、お寺自体は別の場所に移されたそうです。


 さらに進めばここにも「八大龍王」と書かれた「龍岳寺」の鳥居。


 その隣には「光龍院」の建物。観光・史跡的な公開はされていません。大阪府側には枚岡神社や石切神社もあり、生駒山は遊園地がなければ完全に「信仰の山」ですね。しかし私にとっては遊園地のある山です。


 次の三叉路を素直にまっすぐ進めばケーブルの駅前に戻りました。1時間ほどで山上を一周したようです。(午後2時55分)


 午後3時9分発のケーブルカーに乗ります。「スイート号」という車両のようです。


 7分で「宝山寺駅」に着きました。宝山寺駅から鳥居前駅までの「宝山寺線」は別の路線ですので、ここで乗り換えることになります。


 隣のホームには「すずらん号」。昭和28年に製造された現役で運行されている日本最古のケーブル車両だそうです。


 次に乗るのは午後3時20分発の「ミケ号」。かわいらしい車両ですね。


 宝山寺線は大正7年8月開業の日本で最初の営業用ケーブルカーだそうです。開業当初は複線でしたが、現在はそれぞれ別の線路として単線運行しており距離900m、高低差146mを約5分で結びます。


 沿線は宅地開発されていることから通勤路線でもあるようです。


 「ブル号」と離合します。通勤ラッシュのあるケーブル。毎日こんなメルヘンチックな車両で職場へ通うんですね。手前の踏切は車も横断します。


 午後3時25分「鳥居前駅」に着きました。無事下山です。なお生駒ケーブルは往復で料金1000円です。ここにも「すずらん号」とともに日本最古の現役車両として運行されている「白樺号」が停まっていました。


 改札前には記念撮影用の「ミケ号」と「ブル号」。


 そして午後3時32分、本日のゴール「生駒駅」に到着。ここからは「けいはんな線」を経由して大阪メトロの「東梅田駅」まで「谷町四丁目駅」で乗り換え約35分。「なんば」であれば奈良線で20分で着きます。生駒市は奈良県ですが、大阪からすぐ近くですね。私が住む大阪府豊能町よりも近いです。


 本日のずぼら歩紀「13149歩」(8.94km)。近鉄奈良沿線で育ったにもかかわらず恥ずかしながら「西大寺」と「宝山寺」は初めての訪問でした。そして何度も訪れた「生駒山上遊園地」。幼稚園・小学校の遠足から家族との観光。スポーツ少年団や友人たちとの山登り。彼女(妻ではありません)とのデート。結婚(今の妻)後、子どもたちを連れてドライブ。そして孫を連れて…。幼少期から青年期そして現在までの思い出がいっぱい詰まった懐かしい歩紀でした。ちょっと「グッ」ときています。年ですね。


 さあ気持ちを切り替えてひとり打ち上げです。きょうは琵琶湖一周歩紀ではないので「かめたに」ではありません。西大寺の鐘楼が多田院から移築されたということ知り、敬意を表して?能勢電車「多田駅」で途中下車。駅前である国道176号線沿いの「珉王多田店」へ。


 「チャンポン麺」(税抜830円)。そしてこの店には何と「大ジョッキ」(税抜880円)があるのです。「かんぱ~い」。


 暑い中、地酒もゲットしています。宝山寺の惣門をくぐってすぐ右にあったお土産屋さん「和光」で生駒の地酒「上田酒造」さんの「嬉長(きちょう)」(265円税込)。ヘロヘロでブログ更新中で~す。
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アシナガバチとの戦い2

2024-08-08 09:46:03 | 日記
 さっき庭で座布団を日干ししていると1匹のアシナガバチが飛んできました。どこに巣を作っているんだ。

 そして今回は「軍備増強」してスズメバチ用殺虫剤を準備しています。すぐにスプレーを噴射。一発撃墜です。さすがスズメバチ用はゴキ用と違って効果絶大です。


 すると何と雨戸の戸袋から3匹ほど出てきました。「噴射」。一撃で3匹が撃墜されました。そしてこんなところに巣を作っていました。これじゃわからないな。


 無事に駆除は終わりました。
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朝のお勤め

2024-08-06 21:17:06 | 日記
 私が毎朝利用するバス車内での光景です。

 私が乗るバスの始発から乗られる男性(なぜ始発かといえば私は始発から2つ目のバス停で乗るからです)。私が乗った時点で、お決まりの席に座りタオルハンカチで顔、額、耳の後ろ、首の順で丹念におみつくろい。次に腕時計を外し手首をきれいに。その後時計をゴシゴシ。斜めにして光線で確認しながら丹念に。そして次はスマホを出してメールチェックでしょうか、何回か指でピッピッとした後、スマホをせっせとお掃除。タオルハンカチをきれいに四つ折りにした後は、キーホルダーを出して4本の鍵をきれいに揃えてバッグへ。まるでニャンコの「ペロペロ、ゴシゴシ」のようです。

 そして最後に手櫛で髪型を整えた後は終点のバス停まで目をつむりピクリとも動きません。宗教儀式のようです。

 朝のお勤めお疲れ様でした。朝のルーティン。大切ですよね。横にいるものとしては結構「せわしい」ですが。

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80年代の韓国歩紀~徳寿宮

2024-08-03 00:12:06 | 日記
 徳寿宮(トクスグン)はソウル市庁近くのビジネス街にあり、かつては王族の邸宅として使用されていたようです。最近になって正門である「大漢門」では観光用に当時の装束で衛兵の交代式が行われているようですが、当時は史跡とういうよりもオフィス街のオアシスというような感じでした。そんな中に当時の正殿である「中和殿」が復元されていました。


 昼下がり、ベンチで本を読んでいる男性に「アンジャドテヨ(座ってもいい)」と声をかけると「アンジュセヨ(座りなさい)」。韓国語では「~してください」や「~していいですよ」という語尾は「~しなさい」という命令形で表現されます。デパートの案内嬢からは「真っ直ぐ行きなさい」「エレベーターに乗りなさい」。その他「食べなさい」「寝なさい」などなど。いつも命令されています。

 公園内には「世宗大王像」がありました。世宗は李朝4代目の国王ですが何よりも韓国の文字「ハングル」を創始した人物として有名です。日本が漢字から「ひらがな」「カタカナ」を作ったように韓国ではこの世宗大王が発音する際の口や歯、舌などの形を記号化しハングルを作ったと言われています。よく「ハングル講座」などのようにハングルと韓国語を同義語のように扱っている場面が見られますが、厳密には「ハングル」とは「偉大な文字」という意味で「ひらがな」「カタカナ」などのように文字自体のことを指します。「ハングル語」と言ってしまうと中国語を「漢字語」、英語を「アルファベット語」と言っているようなものです。日本語なら「ひらがな・カタカナ・漢字・ローマ字混成語」でしょうか。韓国文字のことを「ハングル文字」とも言いますが、「韓国文字文字」になってしまいます。なんか「もじもじ」してしまいます。基本的には10の母音と14の子音から構成されますが、文字としてのほか発音記号的な性格もありますので、漢字も英語もすべてハングルで表示することができます。韓国に入国し街角にあふれるハングルを見て酔いそうになることを「ハングル酔い」と言いますが、勉強しているうちにその中から「漢字」「固有語」「英語・外来語」が区別できるようになります。
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