訪問日:令和6年10月6日(日)
出 発:JR「長浜駅」
到 着:JR「彦根駅」
まだまだ暑い日は続きますが、朝夕はめっきり秋めいてきましたね。琵琶湖一周歩紀も折り返しです。クマとの遭遇と殺人的な猛暑を避けるため3カ月パスしましたが、今回は「羽柴(豊臣)秀吉」ゆかりの地「長浜」から琵琶湖東岸のさざなみ街道を「彦根」までつまり「湖北」から「湖東」へと歩きます。単調な湖岸を直線的に歩きますがコンビニや道の駅もあり、緑地公園も多いので給水・トイレには困りません。
前回「ドライブ歩紀」のゴール「長浜駅」。大阪駅から約2時間(1980円)。前回は西口に到着しましたが、今日は表玄関である東口に降り立ちました。ちょっとお洒落な駅ですね。朝4時に起きて最寄りの始発に乗り、午前8時23分、今日もニコニコ出発です。ここは滋賀県長浜市。そしてこの駅は「北陸本線」。
駅の東口から出て北方向へ進みます。「長浜駅前交差点」の角というか駅前広場の端というか。駅のすぐ前には「秀吉公と石田三成公 出逢いの像」が立ちます。長浜城主となった「羽柴(豊臣)秀吉」が鷹狩の途中に立ち寄った「法華寺」で小姓をしていた後の石田三成と出会い、三成が三杯の茶を献上したという話に因み立てられたそうです。
そのまま駅前交差を渡りアンダーパスへの道を左に見ながら真っ直ぐ進めば右に「長濱の地名起源歌碑」。案内文によると秀吉が長浜城を築城する際、当時「今浜」と呼ばれた当地を「長浜」と改めたそうです。横には「長浜城家臣団屋敷跡」碑が立ちます。そして沖縄料理店の駐車場看板も。
その先には「豊国(ほうこく)神社」。大阪城内にもありますが秀吉を祀る神社です。(午前8時28分)
秀吉に因み「出世」のご利益がありますが、私にとって出世はもう関係ありません。今日一日の安全を祈願します。
また境内には「加藤清正公像」。
正面から撮影すると「電気いす」状態になりますよ。
東側の鳥居をくぐりすぐ右の交差点を左に曲がります。次の交差点角には「長浜城大手門跡」碑が立ちます。そしてこの前の道は「外堀くすのき通り」と呼ばれ、ここに長浜城の外堀があったようです。
長浜城は後ほど訪れます。信号を渡りましょう。良い雰囲気になってきました。正面には商店街のアーケードが見えます。
アーケードの手前には「黒壁スクエア」というレトロな建物。ガラス工房になっています。そしてこの前を南北に走る道が「北国街道」です。左に曲がりましょう。(午前8時34分)
観光地として街並みが整備されていますが、当時の建物が並び良い雰囲気ですね。
まだ朝早いので人も少ないですね。街並みを楽しむにはその方が良いです。
次の四つ辻には「旧中魚屋町通り」の碑がありました。真っ直ぐ進みます。
このあたりは「武者隠れ道」と呼ばれ、各屋敷が不規則に出たり入ったりしており、戦の際はその陰に武者が身を隠したそうです。攻撃側の足を止めますね。
右に「真宗大谷派願養寺」を見ながら進みます。
次の四つ辻を左折します。ここにも古い屋敷がありました。「今重屋敷能舞館」というそうです。
というか付近にはたくさんの旧家が残されています。
再度「外堀くすのき通り」を渡ります。少し進めば「従是東長濱領」碑が立ちます。
そして二つ目の四つ辻から右を覗き込めば「本願寺長浜別院」の山門が見えます。山門を背に左へ曲がりましょう。
次の四つ辻で右に裁判所や検察庁が見えれば左折し、再び「外堀くすのき通り」を渡ります。角には背の高い蔵が。長浜では毎年4月9日から17日まで「長浜曳山祭り」が行われ町内を曳山が巡ります。そのひとつ「鳳凰山曳山蔵」です。(午前8時44分)
真っ直ぐ進み先ほど「旧中魚屋町通り」の碑が立っていた四つ辻を直進。正面にアーケードが見えてきます。「ゆう壱番街祝い町通り」というようです。入って行きましょう。
交差する筋も趣きがありますね。
アーケードを抜けて真っ直ぐ進めば左に「諌皷山曳山蔵」。
川を越えそのまま進み左に赤十字病院がある交差点に出れば右折。消防団庫の前を過ぎれば左に「長濱八幡宮一の鳥居」。お参りしましょう。右に見えるのは「高砂山曳山蔵」。
駐車場を左に見ながら進めば手水舎があるので、その先の鳥居をくぐります。延久元(1069)年、京都の石清水八幡宮から勧請されたそうです。(午前8時59分)
神社横の街並み。良い雰囲気ですね。
参拝を終え一の鳥居前を真っ直ぐ進み「金屋町」の石碑が立つ小さな公園に出れば左へ。
すぐにアーケードがあるので入りましょう。このアーケードは先ほど黒壁スクエアから見えたアーケードで「長浜大手門大通り商店街」といいます。すぐに川が流れておりそこには「大手橋」。何かイベントが行われるようです。あちこちで出店の準備をしていました。
アーケードの下ですが良い雰囲気ですね。
次の四つ辻を右に曲がればすぐ右に「曳山博物館」。(午前9時7分)
左隣に建つ旧家は「旧四居家住宅」。中は「湖北観光情報センター」という観光案内所になっています。キッチンカーなども出ていましたよ。
曳山博物館は午前9時開館のようです。入館料600円。
JAF会員割引だと480円です。
曳山祭りは先ほどお参りした「長濱天満宮」の祭礼として、天正年間(1570年ころ)城主秀吉により始められたそうですよ。
13基の曳山が巡行するそうですが、ここには4基の曳山が展示されています。昭和54年、国の重要無形民俗文化財に指定され、その後平成28年には「ユネスコ無形文化遺産」に登録されたそうです。
「無形」ということはこの曳山ではなくお祭り自体が登録されたんですね。すごいですね。
見学を終え「長浜大手門通り商店街」を越えて真っ直ぐ進みます。その先の「元浜町交差点」の信号も渡りまっすぐ進みます。角には「開知学校跡」碑。(午前9時20分)
そしてその先、川沿いには「孔雀山曳山蔵」。
「堅ボーロ」って何。木の看板には「陸軍御用達」って書かれてますよ。日露戦争時に軍医薬品として開発された「征露丸」が今では「正露丸」と表記されているように「ボーロ」というお菓子も戦場での非常食として使用され「亡露」と表記されたこともあるそうです。あの国と仲良くなるにはもう少し時間がかかりそうですね。
さらに進んで行けば右に「萬歳楼曳山蔵」。
二つ目の四つ辻を右に曲がれば「月宮殿曳山蔵」と曳山蔵が続きます。
この曳山蔵前の路地を入れば「従是北西長濱領」碑。これについては後でお話しします。
狭い道を進んで行けば橋の手前に何やら蔵が。
「長濱浪漫ビール」の蒸留所のようです。前回はお世話になりました。中はビアレストランになっているようです。そして石柱は背面なので見えませんが「長浜城外堀跡」と刻まれています。
「朝日橋」で外堀跡を渡り北陸本線の踏切の手前に古い酒屋さん。酒屋には「造る酒屋」「売る酒屋」「飲ませる酒屋」がありますが、私は全部好きです。ここは「売る酒屋」です。
踏切を渡れば右に「長浜鉄道スクエア」。(午前9時32分)
建物は「旧長浜駅舎」。明治15年に完成した現存する日本最古の駅舎だそうですよ。
鉄道ファンでなくとも一見の価値ありです。特に私のような「レトロ」ファンにとっては。
奥には実物の蒸気機関車(D51)と電気機関車が展示されています。10分ほど見学して出発です。入場料は300円(JAF割引240円)です。
その真ん前には「慶雲館」。明治天皇ご夫妻が京都行幸啓の際、大津港から長浜港まで船に乗り琵琶湖をご視察。長浜駅での乗り換えの際にご休憩場所がないということで、地元の実業家である浅見又蔵が私財を投じて3カ月の突貫工事で完成させたそうです。立派な迎賓館と日本庭園があります。明治天皇ご夫妻は45分間の滞在で列車に乗り名古屋へ向かわれたそうです。先ほど通った「開知学校」も浅見又蔵が設立したそうですよ。立派な方ですね。私は以前、職場の慰安旅行で「鴨鍋」を食べに来た時、毎年ここで開催される「長浜盆梅展」を見に来たことがありますので今日は先に進みます。
慶雲館の端っこには「旧長浜港跡」碑。
その先で大きな通り(さざなみ街道)に出るので歩道橋を渡ってから右折しましょう。道なりに進めば左には「豊公園」。これより「長浜城跡」を歩きます。(午前9時46分)
長浜城は秀吉が浅井長政を破った功績により織田信長から領地を与えられ「小谷城」の城主に。しかし小谷城が山間の厳寒地であったことから湖岸の長浜城を築城。秀吉が初の城主となったお城です。
階段を上れば広場になっており、その片隅に「旧長浜領境界碑」が立ちます。長浜は秀吉により年貢が免除されたことから、その境界を明らかにするため30数本が建てられました。今では10本余りとなり元の場所にあるのは数本だけだそうです。これも別の場所から移されたものです。ここに来るまでもいくつか復元された「境界碑」がありましたね。
広場の真ん中にある2つの石の横には「長浜城石垣根石」と刻まれた石柱。
広場の奥に天守閣が建ちます。といっても模擬天守です。しかし全国で現存天守は12カ所のみ。それ以外はすべて再建。同じ場所や古図を元に再建されているものもあれば、単に想像図で造られた天守閣風の建物もあります。ここも元の天守台は少し西側の林の中にあるそうです。
この天守閣は市民の熱望により昭和58年に再建されました。全国各地に多数の天守閣が再建されているということは、地元の人たちにとってお城は「誇り」なのでしょうね。
「長浜城歴史博物館」という博物館になっています。長浜城自体は廃城となり資材の大半は彦根城の築城に使用されました。入館料は410円(JAF割引330円)です。
2階では明治・大正の文人画家「富岡鉄斎」の没後100年を記念して特別展が開催されていました。3階は湖北地方の歴史や文化、秀吉の活躍などを紹介する展示室になっていますが何れも写真撮影は禁止です。そして最上階は展望台になっています。長浜市内が一望できます。
西側には琵琶湖が広がります。
東側には山上は雲が被っていますが「伊吹山」。その右遠方に「関ケ原」があります。城主と同じ目線で城下を眺められる。このような博物館や展望施設は他の国にはないんじゃないでしょうか。
見学を終え、先ほどの石段を下りてトイレ前を過ぎれば「長浜城本丸跡」の碑。今でも会社で「本丸が落とされた」といえば「本社」がやられたという意味です。それほど重要な意味を持ちます。そしてそれまでの城は「軍司令部」的な存在でしたが、秀吉にとっては「行政府」的な存在だったのでしょうね。その頃から秀吉の頭には「天下統一」があったのでしょうか。
本丸跡を背に真っ直ぐ進んで行きます。「豊公園」はサクラの名所でもあります。
円形の噴水池に出れば左へ。長浜城を後に駐車場方向に進みます。(午前10時8分)
駐車場を抜ければ左に鳥居が見えてきますが神社ではありません。
「明治山旌忠(せいちゅう)塔」という戦没者の慰霊碑だそうです。彼岸花がきれいでした。「合掌」
明治山旌忠塔の向かいの道を入れば「長浜港」。ヨットハーバーや竹生島への定期便。「花見」「雪見」クルーズなどがある結構大きな港です。
元の道に戻りその先の「港町交差点」でさざなみ街道と合流するので右折します。
琵琶湖を右に「彦根」に向かって歩きます。この道は「ビワイチサイクリングロード」でもあります。
かなり前から目に入っていたのですが左には大きな仏様。阿弥陀如来で「長浜びわこ大仏」と呼ばれています。新しい大仏かなと思っていましたが戦前からある仏様で2代目だそうです。後ろ姿だけを拝んで失礼します。(午前10時29分)
山が迫っていた湖西と異なり湖東は広い平野が広がります。伊吹山の頂上も顔を現したようです。
川を越えてしばらく進むと左に「セブンイレブン長浜バイオ大学前店」。(午前10時49分)
途中何カ所か湖岸緑地がありましたが、この店の前にも駐車スペースがあり湖岸に下りることができます。
眺めも素晴らしいですよ。このあたりが琵琶湖の東西では最も広いところではないでしょうか。
さっきから気になっていたのですが「長浜ドーム」というようです。
ドームを過ぎたあたりから「米原市」に入ります。
彼岸花がきれいですね。
「土川」を越えれば「道の駅近江母の郷」。「サービスエリア」は車でないと行けませんが「道の駅」は歩紀ニストにとって楽しみのひとつ。そして重要な「オアシス」です。
小さな噴水のようなものがありました。何か錆びているようですね。これについては後でお話しします。
時間は。ちょっと早いですが、今日は朝が早かったので昼食にしましょう。
「皿そば泉希」に入ります。この店は伊吹そばが有名だそうです。ただ営業時間が午前11時から午後2時までなのでご注意を。
名物の「皿そばセット小盛釜揚げしらす飯」(税込1460円)を注文しました。以前食べた「出石そば」のように小さな皿に盛られたそばが5皿とミニしらす丼が出てきます。それぞれ薬味を使い分けて5つの味を楽しめるのですが、私は「とろろ」がアレルギーのため食べられないので、とろろのみキャンセルしました。しらす飯も美味しかったですよ。
昼食を終え午前11時45分出発。琵琶湖を右に見ながら歩きます。
すぐに左に集落が現れます。「世継(よつぎ)」という集落のようです。湖岸への階段がある三叉路を左に入りましょう。
ひとつ目の四つ辻角に何やら湧き水が。
これは「かなぼう」といい、水が湧き出ているところや洗い場という意味だそうです。伊吹山系を水源とする湧き水で温泉成分が含まれているそうですよ。道の駅にあった噴水のようなものは「かなぼう」と同じ水源の湧き水だそうです。
よく中高年のカメラマンやハイカーのマナー違反が指摘されていますが、地元の人と会えばニッコリ笑って「こんにちは」と挨拶をしましょう。挨拶それは魔法の言葉です。
この四つ辻を右に曲がり少し進めばそこにも「かなぼう」。水温は年中を通して18度だそうです。そのため温泉ではなく「冷鉱泉」に分類されます。
この横の路地を入って行き左に折れるとそこにもありました。鉄分でしょうか樋が茶色に変色しています。
元の道に戻りさらに進んで行きます。左には「春日神社」。さらに道なりに狭い道を進んで行きます。
突き当りを右に曲がり次の四つ辻を左折すれば「真宗大谷派浄念寺」。湖東地方には広い田園地帯の中に無数の小さな集落があります。そしてそれらは浄土真宗のお寺を中心に構成されており「中世湖東の寺院集落」と呼ばれるそうです。この「世継」もそうです。
お寺の先の小さな路地を左に曲がり突き当りを右へ。ここにも「かなぼう」がありました。
そのまま真っ直ぐ進み小さな四つ辻を左に折れれば、ここにも小さな神社が。
その先にも鳥居があったのでくぐると「蛭子神社」でした。私のブログに何度も出てきますが「蛭子」は「海」「航海」の神様です。そして「恵比須様」「戎様」「えべっさん」へと続きます。湖国にも蛭子が祀られているのですね。
鳥居をくぐれば世継集落のマップがありました。アップで撮影しておきますね。
そして鳥居を左に見て真っ直ぐ進みます。県道を渡って3~40mほど進めば田んぼの中にも「かなぼう」がありました。温泉成分がありますが飲用には向かないそうです。村の人たちは野菜の洗浄などに使っているそうです。決して足湯はしないでください。遠くには伊吹山。
県道に戻り左に進めばさざなみ街道に突き当たるので左に進みましょう。(午後0時17分)
曲がればすぐに「天野川」を渡ります。結構大きな川ですね。
橋を渡って少し歩けば右に「朝妻湊跡」の碑。このあたりは奈良時代から江戸時代にかけて港町として栄えました(案内文より)。
さざなみ街道を進みます。湖岸側の歩道は「ビワイチサイクリングロード」になっているようなので、次の押しボタン式信号で反対側の歩道に渡ります。
入江橋という橋の手前をちょっと左に曲がりましょう。「琵琶湖干拓資料館」という看板。向こうに見える建物がそうです。
このあたりは「入江内湖」を干拓して開かれたそうです。
橋を渡れば「米原排水機場」。
元のさざなみ街道に戻り「筑摩神社」の前を過ぎます。神社を過ぎれば横断歩道があるので湖岸側に渡りましょう。
遠くに「沖島」。淡水湖に浮かぶ日本唯一の有人島です。
その先には「磯の東屋」。夕陽がきれいだそうですよ。そうか湖東は「サンセット」が見られるんですね。(午後0時48分)
そして東屋の先から砂浜が続きます。
先は突き当りになっているようなので元の道に戻り、さざなみ街道と分かれてビワイチサイクリングロードのペイントに沿って歩きます。
そのまま進んで行くと「磯橋」という橋の右側は小さな船溜まりになっており、奥の堤防上には古い石垣がありました。
その先左側には古い消防団庫。これまでもお話ししてきましたが私は「消防団庫」が大好きです。「俺たちの村は俺たちの手で守る」という日本の原風景だからです。
右側には新しい消防団庫。隣は磯崎神社の御旅所のようです。(午後0時59分)
琵琶湖を右に見ながら進みます。
左の集落も「正行寺」「上妙寺」「喜光寺」というお寺を中心にした寺院集落のようです。
ちょっと湖岸に下りてみましょう。さざなみが打ち寄せています。「海」でしょ。
しばらく歩けばさざなみ街道と合流。その先には先ほどの御旅所の本宮である「磯崎神社」が。
その向かいには ♪…烏帽子岩が 近くに見える…♪
彦根市に入ったようです。
烏帽子岩を過ぎ航空写真で見ればここは埋立地なのでしょうか。リゾート施設や海外大学の分校がある一画を進みます。
そして松原湖橋で「矢倉川」を渡れば右に砂浜が見えてくるので入って行きましょう。(午後1時23分)
この1kmほどの砂浜は「松原水泳場」。公衆トイレがあります。
「潮風?」を浴びながら砂浜を歩きましょう。しかし先ほどから「潮の香り」がします。前回もお話ししましたが、私たちが「潮」と思っている香りは、実は膨大な量の「エイチ・ツー・オー(水)」と水草(海草)の臭いではないのでしょうか。
「ウィンドサーフィン?」でしょうか。私はマリンレジャーについてはあまり詳しくありません。
沖には「多景島」。竹生島のように全島が寺院の境内である多景島は島の中央に仏塔が立ち、それがマストのようで明治時代の軍艦のように見えます。
ホテルに突き当たれば左に折れ、ビワイチサイクリングロードに戻ります。左には何やらこんもりとした森が。ここは「松原城(磯崎城とも)」と呼ばれる城跡で江戸時代には旧彦根藩松原下屋敷(お浜御殿)として使用され当時の建物や庭園などが残るそうです。春と秋だけ無料で一般公開されますが、秋は11月に公開されるそうです。
さらに進んで行けば右に「彦根港」への入口。角に公衆トイレがあります。入って行きましょう。
ここは「竹生島」を訪ねた時に観光船に乗った「オーミマリン」の船着場です。
その先にある緑地の中には「琵琶湖周航の歌」歌碑。(午後1時40分)
♪ 矢の根は深く 埋もれて 夏草茂き 堀のあと 古城にひとり
佇めば 比良も伊吹も 夢のごと ♪(5番)
結構大きな船も停泊しています。
「多景島」への観光船も発着します。実は私が小学生のころ両親に連れられて多景島に行ったことがあります。無人島ですが竹生島のように「見塔寺」というお寺の境内になっています。これはその当時の写真です。昭和45年ころでしょうか。
兵頭さんの「今昔さんぽ」のように同じ場所から写真を撮ってみました。「はいチーズ」「カシャ」
さあ。ここからは以前と同じルートで彦根市街に向かいます。今回は「松原交差点」を渡り右側を歩きましょう。
水路の向こうには滋賀大学や市営のグランドがあります。
ふたつの艇庫が並びます。「滋大」「東高」。滋賀大学と彦根東高校の漕艇部艇庫です。
現在も工事中のスポーツ公園へと続く橋(歩道橋)がありましたが、まだ渡れないようです。歩道もここで行止まりです。「もう。それなら看板立ててよ(怒)」。仕方ありません松原交差点まで戻り横断歩道を渡ります。10分近く時間をロスしました。
そして道路向かいの階段は上ることができました。「何でやねん(怒)」。この水路は彦根城の外堀かと思っていましたが、この辺りはかつて「松原内湖」という内湖だったんですね。彦根城の外堀というよりも琵琶湖そのものだったようです。
サッカー場やテニスコートを右に見ながら水路に沿って進みます。
この道も行止まりになりますが、市立図書館前を抜ければ「旧彦根港」に出ることができます。
彦根城は前回訪れました。お城の南側には江戸時代の町並みを再現した「夢京橋キャッスルロード」やいくつかの屋敷も残るようです。次回「第7回」で歩きましょう。と言うことで今日は前回スルーした彦根城から彦根駅までのちょっと裏道を歩きます。「船町交差点」を渡りましょう。正面には「石川千代松像」。琵琶湖の「小鮎」はアユの別種ではないということを実証した人です。そのため川に放流すれば立派に成長することから全国で放流されているアユのほとんどは琵琶湖生まれの小鮎だそうですよ。
彦根市は前回もお話ししたように結構市街地化が進んでいます。街並みというほどではありませんが所々古い建物が残ります。石川千代松像の右にある路地に入り、ひとつ目の四つ辻を右折。最初の四つ辻角に「絹屋半兵衛屋敷」。
伊万里から職人を呼び寄せ「湖東焼」という窯を創始したそうです。虫籠窓や土蔵が残る立派な旧家です。
この四つ辻を左へ。ここにも虫籠窓やうだつが残る旧家が。
その先に「酒舗まえたに」。この店も良い感じですね。入りましょう。ところが日曜日は定休日でした。「残念」
さらに進めば駐車場に突き当たる三叉路に出ます。右の一方通行路に入りましょう。
虫籠窓やうだつが残る旧家を見ながら200mほど進めば右に「中村商家保存館」。間もなくゴールです。
今の時期、内部が公開されているようです。彦根城が完成したころに建てられた商家で国の登録有形文化財に登録されています。ところが「臨時休館」でした。仕方ありませんね。
その先の大きな通りは前回歩いた「駅前お城通り」。左に見える「旭町西交差点」で渡ります。「佐和町商店街」と言うようです。いくつか酒屋さんがありましたが全て閉まっていました。最初の四つ辻を右に曲がります。100mほど歩けば左に「大村家」という旧彦根藩の武家屋敷跡。今は別の方が住まわれているようです。
さあゴールに向かいましょう。佐和町商店街の一つ手前の路地を左に曲がります。そこには「真言宗大師寺」。日本唯一の「寝弘法さん」だそうです。
お堂の中では「お大師様」が横になっていました。「南無大師遍照金剛」
さあ「駅前お城通り」まで戻り右へ。午後2時32分、本日のゴール「彦根駅」に到着しました。「井伊直政公」がお出迎えです。久しぶりの「フル歩紀」。結構な距離を歩いたので「足腰に来るかな」と危惧していましたが、気候が良いせいでしょうか全然疲れませんでした。足腰も大丈夫です。ここから大阪駅まで約1時間20分(1980円)。午後2時55分発の新快速に乗ります。
ちょっと見辛いですが本日の歩紀「30919歩」(21.02km)。実はこれまで愛用していたキャノンのデジカメが不動状態に。まあ10年以上経ちますし、特に夏場は炎天下にさらしていましたから仕方ないですね。ということで今回はすべてスマホで撮影しました。ただスマホだとすべてスマホ上でモザイクやトリミング処理ができますし、撮影時間なども人差し指ひとつで確認できます。自分のブログにログインすればそのまま画像取込も。結構便利ですね。
駅構内に入れば隣に近江鉄道車庫。ホームに立っていると一匹のスズメバチが列車待ちの男性を威嚇していました。私が「お兄さん、ハチ危ないですよ」と声をかけると、男性は逃げましたがスズメバチはずっと後を追います。オーデコロンかヘアトニックに反応しているのでしょうか。
今日のひとり打ち上げ。朝が早かったのでブログ編集中に寝てしまいそうです。生ビール小(税込500円)で我慢して「かんぱ~い」。その後は「生姜焼きセット」(税込1300円)で夕食です。
ちゃっかり長浜鉄道スクエア手前の酒屋さんで地酒を買っています。今日の地酒は、滋賀県東近江市の蔵元「喜多酒造」さんの上撰酒「喜楽長」(税込300円)です。日本全国いろんな名産品がありますが、酒呑みにとって一番の名産品は地酒ですね。地域がはっきりしているしハズレがありません。チビチビやりながらブログの編集です。