訪問日:令和6年5月25日(土)
出 発:JR「近江高島駅」
到 着:JR「マキノ駅」
前回は「さざなみ」が打ち寄せる湖岸を歩きながら琵琶湖の大きさを肌で感じました。今回は湖国一の大河「安曇川」の広大な三角州を前半は古い町並みや清らかな湧き水を訪ねながら、後半は「風車街道」と呼ばれる湖畔の道を晩春の心地よい風を受けながら歩こうと思います。県道に沿って歩くので給水・トイレには困りません。
前回のゴールである「近江高島駅」。今日は列車ダイヤの都合により午前8時20分ちょっと早めの出発です。トイレは改札内です。「出る前に出しましょう」。改札外に観光案内所(レンタサイクル)があります。営業時間は午前9時から午後4時までですがパンフレット等は自由に取れます。「大阪駅」から約1時間40分(1520円)。ここは滋賀県高島市。
駅前には「ガリバー像」と「時計台」が立ちます。これは高島市の山間部にある「ガリバー青少年旅行村」のシンボルとして建てられたものです。アウトドア系のテーマパークで私も子どもが小さいころ一度訪れました。フィールドアスレチックや雨でも遊べる全天候グランドなどがありましたよ。今はどうなっているのでしょうか。
これからこの小さな城下町を散策します。観光案内とグーグルマップを参考に「手作りマップ」を作りました。
駅の真ん前にある「高島市民病院」の駐車場を抜ければ小さな神社の裏に出ますが、フェンスで囲まれているので左に曲がり「近江高島駅口交差点」から右に曲がり進んで行きます。そこには「分部神社」の社号標。
ちょっと寂びれた小さな神社ですが、この地を治めた大溝藩主「分部光信(わけべみつのぶ)」をお祀りする神社です。今日一日の安全を祈願します。
隣にある老人介護保養施設の入口に今は石碑が残るだけですが「大溝城三の丸跡」。その向こうには「大溝城跡」への案内表示が。入って行きましょう。
老人介護保養施設裏の草っぱらが「大溝城跡」です。駅前の復元図を見ると天守台がある本丸は南側を除いて内堀で囲まれていたようです。その埋められた内堀が草っぱらになっているんですね。総門や分部神社との位置関係も良くわかりますね。
草っぱらを左に見ながら内堀の外側であったと思われるコンクリート舗道を進んで行きます。
かつて内堀であった草っぱらの真ん中に天守台のある石垣が残ります。織田信長の時代に築城され、江戸時代に入り外様大名として分部光信が入城。明治時代まで250年にわたって分部家が治めたそうです。アメリカ合衆国は建国248年でしたっけ。そんな長い間にもかかわらず大きな変化がなかったところに日本文化の深さがあるんでしょうね。
三の丸跡碑まで戻り右へ。橋の手前から右を覗き込めば何やら背の高い蔵が見えます。城下町の山手にある「日吉神社」の春季例祭として5月3、4日に行われる「大溝祭」では、「巴」「龍」「勇」「湊」「寶」という5基の「曳山」が旧城下町を巡行するそうです。
これは「湊」組の曳山蔵です。
橋の手前を左に進めば「大溝漁港」。(午前8時37分)
漁港はここから琵琶湖に出るのですが、手前の水路は前回訪れた「乙女ヶ池」へと続きます。つまり乙女ヶ池は、ここから琵琶湖に通じているため軍事上の要衝として大溝城の「外堀」的な役割を果たしていました。
港を右に見ながら進みます。港の奥には「大御舟の万葉歌碑」が建ちます。天皇のお気持ちを「大御心」というように「大御舟」天皇の舟ですね。大津宮から舟遊びに来た天智天皇の一行が詠んだものです。
元の道に戻ってさらに進めば「長刀町」と刻まれた石碑。これは藩主分部光信が、荒廃した城下町を整備した際に区分けした「町名」を留めるために建てられたものだそうです。特に文化遺産と言いうわけではありませんが町内にいくつか建てられています
そのまま進み「近江高島駅口交差点」を経て、一旦近江高島駅まで戻りましょう。ローソン前で湖西線のガードをくぐり駐輪場の手前を右に曲がります。湖西線に沿って歩き、突き当りを左に曲がります。少し歩けば左に何やら赤レンガの工作物があり上のパイプからは水が注がれています。(午前8時45分)
これも分部光信が整備した古代の水道施設で「タチアガリ」と呼ばれるものです。山の湧き水を竹筒で引き込み、この施設で各戸に上水道として配水したそうです。すごいですね。今でも利用されているそうですよ。
そのまま真っ直ぐ進み、突き当りを右に曲がり、ひとつ目の辻を右へ。つまりUターンするような形でひとつ北側の筋に入ります。100mほどで左にはトタン葺きになっていますが朽ちた茅葺きの建物がありました。
「笠井家武家屋敷」。元和5(1619)年、分部光信が伊勢国から入封した際、このあたりに武家屋敷が並びました。これは当時の姿をとどめる数少ない建物の一つだそうです。
目の前に見えるガードで湖西線をくぐり突き当りを左へ。さらに突き当りを右に曲がれば道の真ん中を水路が流れます。ここは後で訪れますのでさらに進みましょう。何やら良い雰囲気の一角に出ました。
旧家の向かいには「総門」と書かれた古い建物がありました。分部光信入封当時の姿を残す唯一の建造物です。(午前8時53分)
江戸時代の姿に改修され「大溝まち並み案内処」という観光案内所になっているそうですがまだ営業時間前のようです。奥に公衆トイレがあります。
先ほどの水路まで戻ります。この一画は「大溝城下町水辺の景観」として保存されており、道の真ん中を水路が流れます。大溝城は戦国時代「織田信長」により築城され、天正6(1578)年、織田信澄が初代城主となりました。その後、江戸の時代に入ってから分部光信が城主となり様々な町づくりが行われたようです。これもその一つです。
水路に沿って歩きますが、結構家も建て替わっていますね。
三叉路の先の小さな地蔵尊から先は道が狭くなり水路も暗渠になっています。
三叉路角には電柱に隠れるように「伊勢町」と刻まれた石柱が建っていました。光信の故郷に因んで命名された町なのでしょうか。この三叉路を右に曲がります。
突き当りにも水路がありました。一旦、左に曲がります。
こちら側には結構旧家も残っていますね。
そして突き当りのように道が狭くなる手前には「総本家喜多品老舗」という古い建物が。江戸時代から続く「鮒ずし」のお店だそうです。振り返って撮影しています。(午前9時)
ここで折り返し、先ほどの突き当りに戻れば左に「龍」組の曳山蔵。そのまま南に進みます。
突き当りには「浄土真宗本願寺派勝安寺」の山門。良い雰囲気ですね。ただ結構接近して撮影しています。なぜなら寺院前の橋が市のゴミステーションになっており大きなゴミ箱があるからです。このポールも「無粋」ですね。せっかく「水辺の景観」に指定されているのに……。
左に曲がれば水路が続きます。
左側には「小野組総本家跡」。高島市教育委員会の説明文によれば、明治に入り三井財閥と共に活躍した近江商人の屋敷跡だそうです。
道は突き当るので左へ。すぐ右の「びれっじ」という幕が掛かった旧家の隣には「巴」組の曳山蔵。(午前9時5分)
この道は「県道300号線」ですが、古い町並みが残ります。
この旧家は「福井弥平商店」。私の大好きな「造り酒屋」です。
その隣にはやはり造り酒屋の「萩の露」。
振り返って山を背景にした方が良い雰囲気ですね。
その先にある町家風のバス待合所の隣には「寶」組の曳山蔵。地図で見ていただければわかると思いますが、京都丹波高原を水源とする「安曇(あど)川」は広大な扇状地・三角州を形成しています。この辺りから右に入れば「萩の浜」を経て、扇状の三角州に沿って「風車街道」という湖岸の道路が整備されているのですがまだ湖には出ません。真っ直ぐ進みます。
稲荷社の隣には「勇」組の曳山蔵。これですべての曳山蔵を回りました。この先で「和田打川」を渡れば大溝の城下町ともお別れです。分部光信は大溝の町作りに大きく貢献したのですね。一番最初に分部神社にお参りして正解でした。(午前9時11分)
広大な水田が開けます。滋賀県は「米どころ」でもあるのです。だから前回立ち寄った道の駅は「米プラザ」だったんですね。
街道らしい風景はしばらく続きます。
道路中央には融雪用の散水施設。そう琵琶湖は豪雪地帯でもあるのです。
結構長い距離を歩きます。先ほども渡りましたが、多くの安曇川支流が流れます。そのひとつ「鴨川」を渡ります。結構大きな川ですね。堤防上には「金毘羅燈籠」と藤樹神社への道標がありました。
結構長い時間歩きます。三角州の広大さが体感できますよ。
鴨川を越えれば10分ほどでコンビニやスーパーが並ぶ一画に。ここは「安曇川駅前」。給水・トイレポイントです。(午前9時44分)
さらに20分ほどで「安曇川」を渡ります。2連の鉄橋が並ぶ「安曇川大橋」。さすが湖国一の大河ですね。
海に注ぐ川と変わらないですね。
ここで県道は大きく左にカーブします。司馬遼太郎はここから安曇川に沿って上流に向かい「朽木村」を訪ねました。ただ話は日本人のルーツから織田信長に代わります。
私は右の小さな堤防沿いの道を下流に進みます。ここで「湖西のみち」ともお別れです。(午前10時6分)
途中で道が二手に分かれるので左へ進みます。そして国道161号線バイパスのアンダーパスが見えれば、その手前を左に曲がりましょう。その先の二又を左へ。センターラインのない狭い道を北へ歩きます。
何だか商店街っぽい街灯が現れましたが商店はありません。先に見える四つ辻を右折します。
こんな狭い道でも融雪装置があるんですね。生活道路なのでしょう。
新旭南小学校の角に出れば左折します。田んぼの間を進みましょう。
本当に広い平野ですね。内陸部にこんなに広い三角州があるんですね。
ドジョウでもいるのでしょうか。たくさんの白鷺が。
鳥居が二つ並ぶ小さな神社を過ぎれば間もなく次の目的地です。
神社を過ぎて二つ目の四つ辻。正面には「酒蔵見学」の看板。右に曲がりましょう。すぐ左に立派な蔵が。「川島酒造」です。(午前10時35分)
向かいの駐車場にはきれいな水が湧き出ています。米どころであり水どころ。実は私の郷里は「造り酒屋」でした。村内で消費するだけの少量の酒を造っていたそうですが、良い米が獲れたものの水が悪かったため廃業しました。酒にとって水は「命」です。
亡父から聞いた話ですが、酒蔵にはヘビ(アオダイショウ)が棲みつくそうですね。酒米を狙う「家ネズミ」を捕食するためです。そしてヘビは古代より「酒の神様」。またネズミを食べてくれることから決して駆除してはならなかったそうです。食卓の下をヘビが這っていたり朝起きれば蚊帳の上でヘビがとぐろを巻いていたこともあったそうですよ。
先ほどの四つ辻に戻り右へ。横には清らかな水が流れています。その向かいには「生水の郷・釘江」の案内板。
良い雰囲気の街並みになってきました。
そして複雑な四つ辻に出れば正面には鳥居。
清流を渡って、まずは「日吉神社」にお参りです。(午前10時46分)
神社の前には清らかな流れ。
ここが「生水の郷・釘江」です。
橋の横にある駐車場には湧き水。安曇川流域の伏流水でしょうか。この水で酒が造られているんですね。
その先にある「針江公民館」。隣には水車を復元した公園がありました。
公民館前の「明光橋」を渡り流れに沿って進みます。
この燈籠が見えれば左に曲がり清流とはお別れです。
すぐに国道161号線バイパスに突き当たるので左折。しばらくは左に広大な水田を見ながらバイパスに沿って歩きます。
写真ではわかりにくいですが、トラクターが土を耕した後の虫を狙っているのでしょうか、トラクターの後ろを白鷺がついて回ります。
バイパスの出入口を過ぎます。この手前で地図を見ながら歩いていたため危うく7~80cmのアオダイショウを踏みかけました。アオダイショウってあまり人を怖がりませんね。悠然と私の前を横切って行きました。「びっくりしたなぁ」
バイパス出入口を過ぎこのアンダーパスに出ればくぐりましょう。
地道を歩きますがすぐに右の車道と合流します。
その先のきれいに整備された道路が「風車街道」です。歩行者用信号や横断歩道はありませんが、車道用の信号がありますので信号が青になり左右の安全が確認できれば渡りましょう。目の前には琵琶湖。今日初めての琵琶湖です。(午前11時20分)
北に向かって歩きましょう。青いペイントは「ビワイチサイクリングロード」です。ビワイチは左側通行の自転車が湖岸寄りを走るようにと反時計回りになっています。私は歩行者なので時計周りです。
途中「水鳥観察小屋」という看板が立っていたので入って見ましたが水鳥たちはいませんでした。隣に「ポットン式」ですが公衆トイレがあります。
木々に遮られていますが琵琶湖を眺めながら進みましょう。
湖面には小さな「えり」がありました。矢印のような形がよくわかりますね。
その先にはログハウス風の「新旭水鳥観察センター」(入館料200円)。季節によれば琵琶湖を訪れる水鳥が見られるそうです。入口の右側に「協力金20円」の有料トイレがあります。そしてこの辺りが三角州の北端です。(午前11時33分)
そのまま進み小さな川を越えれば右に曲がります。そこはサイクリングロード。右にはポットン式公衆トイレがあります。煙突が立っているのでわかります。
そして砂浜にせり出した石垣の上には何やら建物が。
「木津港跡常夜灯」。かつてここには「木津港」という港があり、米や酒が京・大坂に向かって出荷されたそうです。灯台の役目をしていたのでしょうね。夜には点燈されるそうですよ。(午前11時40分)
そのすぐ後ろには「木津港跡」碑と教育委員会の案内板が立ちます。「木(古)津」と「今津」は「新・旧」の関係だそうです。
すぐ先には「小浜藩御蔵屋敷跡」の案内板。若狭の「小浜藩」にとって、ここは京・大坂への玄関だったんですね。琵琶湖は重要な水運路でもあります。
ちょっと歩けば「木津桟橋跡」碑。後ろは多分水平線ですね。緩やかな弧を描いています。地形にもよりますが水平線って4~5kmで見えるらしいですね。
その先には「竹生島遥拝所跡」碑。竹生島については後ほど説明します。今日は快晴。琵琶湖は本当にきれいですね。
結構強い北風が吹いています。湖面には白波が立ち岸にぶつかるたび「バシャ~ン」という波音が聞こえます。海のようですが「潮騒」ではありません。
「波爾布神社御旅所址」碑が見えれば後ろの風車街道に上がりましょう。
そこは風車街道と県道333号線、県道558号線が交わる「木津交差点」。角には「ちゃんぽん亭総本家今津店」。
今回ネット情報でこの店を昼食場所と決めていましたが時間もばっちりですね。私の「脳」と「足」と「腹」は一体化しています。ただ行列ができており「30分待ち」でした。
「近江ちゃんぽん(野菜量中、麺大盛)」(税込1000円)を注文しました。美味しかったですよ。
食事を終え午後0時45分出発です。風車街道を進めば右に「二ツ石大明神遥拝所」。100mほど沖合に二つの巨石があり渇水期のみ姿を現すそうです。
「高島浄化センター」という施設を過ぎれば右に入り風車街道と分かれます。今日は晴天で日差しも結構強いですが、天気予報どおり午後になってもさほど気温が上がらず、北風も吹いていることから汗もすーっと引き、本当に爽快な「歩紀日和」です。
「日枝神社」前を過ぎます。
小さな川を越えれば右に「竹生島クルーズ」の船乗り場。(午後0時56分)
竹生島は島全体が「都久夫須麻神社」と「宝厳寺」の境内になっている信仰の島です。琵琶湖に浮かぶ孤島なので景色も抜群です。いくつかの航路があり、ここ「今津港」からだと25分くらいで着くそうですが、残念ながら今回は訪れません。いつか訪れたいと思います(おそらく訪れることになると思います)。
桟橋横のテラスには「琵琶湖周航の歌記念碑」。
♪ 浪のまにまに 漂えば 赤い泊火 なつかしみ 行方定めぬ
浪枕 今日は今津か 長浜か ♪(3番)
左端に見える竹生島から白い定期船がこちらに向かって来ます。
船乗り場の西側は「近江今津駅」前です。西に進み「高島警察署前交差点」で右に曲がりましょう。セブンイレブンや飲食店があります。
しばらく歩けば「高島市民会館」前に「今津東コミュニティセンター」という建物がありました。ここに「琵琶湖周航の歌資料館」(無料)があります。入りましょう。トイレがあります。(午後1時2分)
「琵琶湖周航の歌」は、旧第三高等学校水上部(現京都大学ボート部)の部員であった小口太郎が、ここ今津で合宿した際に作詞し、当時の流行歌「ひつじぐさ」に合わせて歌ったのが始まりだそうです(高島市ホームページより)。
見学を終え資料館北側の路地を右に入ります。突き当りの旧家前には「今津桟橋跡地」碑。その奥には現在「今津漁港」があります。
先に進めば右に古い木造の建物が。「丁子屋旅館」といい川魚料理や鴨鍋などが楽しめるそうです。
今津は港町であるとともに宿場町でもあります。当時の雰囲気が残っていますね。
そしてやはり「住吉神社」がありました。住吉神社は「海神」を祀る神社です。
さらに進めばここにも古い旅館が。「福田屋」といい140年ほどの歴史がある旅館で、インバウンドの影響もあり私などでは到底泊まれない高級料理旅館のようです。
「福田屋」前の小さな広場には「北浜会館」という町家風の建物があり、その角には「九里半街道起点」の看板がありました。ここ今津から日本海の「小浜」までを結ぶ街道が「九里半(約38km)」であったことからそう呼ばれ、ここが起点だったそうです。この三叉路を左に進みます。(午後1時14分)
「真宗大谷派法慶寺」前を通ります。
信号で風車街道を渡れば「ヴォーリズ通り」。すぐ右に何やらレトロな洋館が。「今津ヴォーリズ資料館」です。ヴォーリズとは米国人の著名な建築家で、この建物は彼の設計により大正12(1923)年「第百三十三銀行今津支店」として建てられたそうです。
町立図書館などを経て現在はカフェを併設する資料館になっており見学もできます。銀行のようにカウンターがありますね。とても寒いからでしょう。大きな暖炉跡も見られます。
その先には「日本基督教団今津教会」。この建物もヴォーリズの設計により昭和9年に建てられました。
さらに先には「旧今津郵便局」。これもヴォーリズ設計により昭和11年に建てられました。だから「ヴォーリズ通り」なんですね。これら3つの建物は国の登録有形文化財に登録されています。
かつてここでは電話交換業務も行われていたそうで、建物の前には「逓信省」「電話」と読める古い石柱が立っていました。「逓信」っていう言葉わかります?今でも役所では「逓送」や「逓伝」という言葉が残っていますよ。韓国語では郵便局のことを「郵逓局(ウチェグッ)」って言います。
ヴォーリズ通りを風車街道まで戻り左へ。平和堂というスーパーマーケットやセブンイレブンが並ぶ給水・トイレポイントです。(午後1時29分)
サイクリングロードを進みましょう。写真には写っていませんが結構サイクリストも走っていましたよ。今日は追い風なので走り易かったでしょうね。
しばらく歩けば左に「浜分沼」という小さな内湖があります。
その向かいには「今津浜水泳場」。波が沖からではなく風が吹く方向から寄せているのがわかります。(午後1時51分)
公衆トイレ(水洗)がありました。
この辺りは「桂浜」というようです。
結構たくさんの川が流れ込み、そのたびに浜は分断されます。川に突き当たればサイクリングロードに戻らなければならないのですが琵琶湖は淡水湖。特に浜辺を整地していなければ波打ち際まで草が生い茂ります。そして基本的に「池」なのでヘビもいます。ということでしばらくサイクリングロードを歩きます。
平成の大合併により今では「高島市」になっていますが、かつてこの辺りは「マキノ町」という自治体でした。ここが町境だったんでしょうね。
しばらく歩くとは松林の中に何やら石碑がありました。ここは「湖西の松林」。日本の白砂青松百選に選ばれているそうです。「白砂青松」って普通は「海」ですよね。(午後2時19分)
ずっと先まで浜辺が見渡せたのでちょっと歩いてみましょう。
こんな小さな川であれば歩いて渡れますね。
琵琶湖は湖側と山側では本当に違った顔を見せますね。
前回琵琶湖を歩いた時は黄砂の影響でしょうか、視界が悪くあたかも水平線のような光景が広がっていました。今日は空気が澄んでおり対岸まではっきり見えます。かえって琵琶湖の広大さを目で感じることができますね。
歩いては渡れない川に突き当たったので一旦サイクリングロードに戻ります。(午後2時34分)
「真宗大谷派光傳寺」というお寺の前を通ります。ずっと融雪装置があります。どれだけの雪が降るのでしょうか。
お寺を過ぎ2つの川を渡れば右へ曲がります。突き当りには「知内漁港」。手前の空き地には何と「ダットラ」の消防自動車(廃車)が放置されていました。
あの消防自動車が主であったと思われる知内漁港手前の消防車庫前を左に曲がりましょう。
松林の向こうにキャンプ場が見えてきました。
キャンプ場を右に見ながらサイクリングロードを進み、右に「白鷺橋」という吊り橋が見えれば橋で「知内川」を渡りましょう。結構大きな川ですよ。
橋を渡れば美しい砂浜に出ます。ここからは砂浜を歩きましょう。間もなくゴールです。(午後2時47分)
ここからは「マキノサニービーチ」と呼ばれ、浜も水もきれいですよ。
湖岸にはキャンプ場やホテルが並びます。夏のリゾート地です。
景色も抜群ですね。
そして浜の突き当りには「マキノサニービーチ湖のテラス」。(午後2時56分)
方角的に日の出が素晴らしそうです。宿泊客を対象として作られたのでしょうね。
テラスを背に「アクアパレス通り」という道を進んで行きます。
そして突き当りが本日のゴール「マキノ駅」。午後3時10分到着です。午後3時47分発の電車に乗ります。なおトイレは駅構内ではなく駅舎の向かって右側にあるので「入る前に出しましょう」。広大な三角州には古い町並みあり。酒蔵あり。レトロ建築物あり。そして美しい琵琶湖。素晴らしいコースでした。
本日の歩紀「37005歩」(25.16km)。今日も随分歩きましたね。ここから「大阪駅」まで約1時間40分(1980円)。これで「湖西」ともお別れです。次回は「奥琵琶湖」を歩きます。
今日も途中立ち寄った「川島酒造」で地酒ワンカップを買いました。高槻駅まで約1時間30分の旅ですので途中のコンビニで買ったスルメをアテに純米酒「ぴんぴんころり101歳」(税込310円)でチビチビやりながら帰ります。「松の花原酒」(税込390円)は帰ってからのお楽しみです。
健康に良かれと思って続けている「歩紀」ですが、結構足腰に負担をかけているのでしょうね。しかしぴんぴんころりのこんな言葉に励まされて頑張ろうと思います。
電車内で一杯ひっかけましたが今日もキンキンの生中で乾杯~。この後「お造り天ぷらセット」(税込1200円)で夕食です。冷たいビールが美味しい季節になりましたね。
出 発:JR「近江高島駅」
到 着:JR「マキノ駅」
前回は「さざなみ」が打ち寄せる湖岸を歩きながら琵琶湖の大きさを肌で感じました。今回は湖国一の大河「安曇川」の広大な三角州を前半は古い町並みや清らかな湧き水を訪ねながら、後半は「風車街道」と呼ばれる湖畔の道を晩春の心地よい風を受けながら歩こうと思います。県道に沿って歩くので給水・トイレには困りません。
前回のゴールである「近江高島駅」。今日は列車ダイヤの都合により午前8時20分ちょっと早めの出発です。トイレは改札内です。「出る前に出しましょう」。改札外に観光案内所(レンタサイクル)があります。営業時間は午前9時から午後4時までですがパンフレット等は自由に取れます。「大阪駅」から約1時間40分(1520円)。ここは滋賀県高島市。
駅前には「ガリバー像」と「時計台」が立ちます。これは高島市の山間部にある「ガリバー青少年旅行村」のシンボルとして建てられたものです。アウトドア系のテーマパークで私も子どもが小さいころ一度訪れました。フィールドアスレチックや雨でも遊べる全天候グランドなどがありましたよ。今はどうなっているのでしょうか。
これからこの小さな城下町を散策します。観光案内とグーグルマップを参考に「手作りマップ」を作りました。
駅の真ん前にある「高島市民病院」の駐車場を抜ければ小さな神社の裏に出ますが、フェンスで囲まれているので左に曲がり「近江高島駅口交差点」から右に曲がり進んで行きます。そこには「分部神社」の社号標。
ちょっと寂びれた小さな神社ですが、この地を治めた大溝藩主「分部光信(わけべみつのぶ)」をお祀りする神社です。今日一日の安全を祈願します。
隣にある老人介護保養施設の入口に今は石碑が残るだけですが「大溝城三の丸跡」。その向こうには「大溝城跡」への案内表示が。入って行きましょう。
老人介護保養施設裏の草っぱらが「大溝城跡」です。駅前の復元図を見ると天守台がある本丸は南側を除いて内堀で囲まれていたようです。その埋められた内堀が草っぱらになっているんですね。総門や分部神社との位置関係も良くわかりますね。
草っぱらを左に見ながら内堀の外側であったと思われるコンクリート舗道を進んで行きます。
かつて内堀であった草っぱらの真ん中に天守台のある石垣が残ります。織田信長の時代に築城され、江戸時代に入り外様大名として分部光信が入城。明治時代まで250年にわたって分部家が治めたそうです。アメリカ合衆国は建国248年でしたっけ。そんな長い間にもかかわらず大きな変化がなかったところに日本文化の深さがあるんでしょうね。
三の丸跡碑まで戻り右へ。橋の手前から右を覗き込めば何やら背の高い蔵が見えます。城下町の山手にある「日吉神社」の春季例祭として5月3、4日に行われる「大溝祭」では、「巴」「龍」「勇」「湊」「寶」という5基の「曳山」が旧城下町を巡行するそうです。
これは「湊」組の曳山蔵です。
橋の手前を左に進めば「大溝漁港」。(午前8時37分)
漁港はここから琵琶湖に出るのですが、手前の水路は前回訪れた「乙女ヶ池」へと続きます。つまり乙女ヶ池は、ここから琵琶湖に通じているため軍事上の要衝として大溝城の「外堀」的な役割を果たしていました。
港を右に見ながら進みます。港の奥には「大御舟の万葉歌碑」が建ちます。天皇のお気持ちを「大御心」というように「大御舟」天皇の舟ですね。大津宮から舟遊びに来た天智天皇の一行が詠んだものです。
元の道に戻ってさらに進めば「長刀町」と刻まれた石碑。これは藩主分部光信が、荒廃した城下町を整備した際に区分けした「町名」を留めるために建てられたものだそうです。特に文化遺産と言いうわけではありませんが町内にいくつか建てられています
そのまま進み「近江高島駅口交差点」を経て、一旦近江高島駅まで戻りましょう。ローソン前で湖西線のガードをくぐり駐輪場の手前を右に曲がります。湖西線に沿って歩き、突き当りを左に曲がります。少し歩けば左に何やら赤レンガの工作物があり上のパイプからは水が注がれています。(午前8時45分)
これも分部光信が整備した古代の水道施設で「タチアガリ」と呼ばれるものです。山の湧き水を竹筒で引き込み、この施設で各戸に上水道として配水したそうです。すごいですね。今でも利用されているそうですよ。
そのまま真っ直ぐ進み、突き当りを右に曲がり、ひとつ目の辻を右へ。つまりUターンするような形でひとつ北側の筋に入ります。100mほどで左にはトタン葺きになっていますが朽ちた茅葺きの建物がありました。
「笠井家武家屋敷」。元和5(1619)年、分部光信が伊勢国から入封した際、このあたりに武家屋敷が並びました。これは当時の姿をとどめる数少ない建物の一つだそうです。
目の前に見えるガードで湖西線をくぐり突き当りを左へ。さらに突き当りを右に曲がれば道の真ん中を水路が流れます。ここは後で訪れますのでさらに進みましょう。何やら良い雰囲気の一角に出ました。
旧家の向かいには「総門」と書かれた古い建物がありました。分部光信入封当時の姿を残す唯一の建造物です。(午前8時53分)
江戸時代の姿に改修され「大溝まち並み案内処」という観光案内所になっているそうですがまだ営業時間前のようです。奥に公衆トイレがあります。
先ほどの水路まで戻ります。この一画は「大溝城下町水辺の景観」として保存されており、道の真ん中を水路が流れます。大溝城は戦国時代「織田信長」により築城され、天正6(1578)年、織田信澄が初代城主となりました。その後、江戸の時代に入ってから分部光信が城主となり様々な町づくりが行われたようです。これもその一つです。
水路に沿って歩きますが、結構家も建て替わっていますね。
三叉路の先の小さな地蔵尊から先は道が狭くなり水路も暗渠になっています。
三叉路角には電柱に隠れるように「伊勢町」と刻まれた石柱が建っていました。光信の故郷に因んで命名された町なのでしょうか。この三叉路を右に曲がります。
突き当りにも水路がありました。一旦、左に曲がります。
こちら側には結構旧家も残っていますね。
そして突き当りのように道が狭くなる手前には「総本家喜多品老舗」という古い建物が。江戸時代から続く「鮒ずし」のお店だそうです。振り返って撮影しています。(午前9時)
ここで折り返し、先ほどの突き当りに戻れば左に「龍」組の曳山蔵。そのまま南に進みます。
突き当りには「浄土真宗本願寺派勝安寺」の山門。良い雰囲気ですね。ただ結構接近して撮影しています。なぜなら寺院前の橋が市のゴミステーションになっており大きなゴミ箱があるからです。このポールも「無粋」ですね。せっかく「水辺の景観」に指定されているのに……。
左に曲がれば水路が続きます。
左側には「小野組総本家跡」。高島市教育委員会の説明文によれば、明治に入り三井財閥と共に活躍した近江商人の屋敷跡だそうです。
道は突き当るので左へ。すぐ右の「びれっじ」という幕が掛かった旧家の隣には「巴」組の曳山蔵。(午前9時5分)
この道は「県道300号線」ですが、古い町並みが残ります。
この旧家は「福井弥平商店」。私の大好きな「造り酒屋」です。
その隣にはやはり造り酒屋の「萩の露」。
振り返って山を背景にした方が良い雰囲気ですね。
その先にある町家風のバス待合所の隣には「寶」組の曳山蔵。地図で見ていただければわかると思いますが、京都丹波高原を水源とする「安曇(あど)川」は広大な扇状地・三角州を形成しています。この辺りから右に入れば「萩の浜」を経て、扇状の三角州に沿って「風車街道」という湖岸の道路が整備されているのですがまだ湖には出ません。真っ直ぐ進みます。
稲荷社の隣には「勇」組の曳山蔵。これですべての曳山蔵を回りました。この先で「和田打川」を渡れば大溝の城下町ともお別れです。分部光信は大溝の町作りに大きく貢献したのですね。一番最初に分部神社にお参りして正解でした。(午前9時11分)
広大な水田が開けます。滋賀県は「米どころ」でもあるのです。だから前回立ち寄った道の駅は「米プラザ」だったんですね。
街道らしい風景はしばらく続きます。
道路中央には融雪用の散水施設。そう琵琶湖は豪雪地帯でもあるのです。
結構長い距離を歩きます。先ほども渡りましたが、多くの安曇川支流が流れます。そのひとつ「鴨川」を渡ります。結構大きな川ですね。堤防上には「金毘羅燈籠」と藤樹神社への道標がありました。
結構長い時間歩きます。三角州の広大さが体感できますよ。
鴨川を越えれば10分ほどでコンビニやスーパーが並ぶ一画に。ここは「安曇川駅前」。給水・トイレポイントです。(午前9時44分)
さらに20分ほどで「安曇川」を渡ります。2連の鉄橋が並ぶ「安曇川大橋」。さすが湖国一の大河ですね。
海に注ぐ川と変わらないですね。
ここで県道は大きく左にカーブします。司馬遼太郎はここから安曇川に沿って上流に向かい「朽木村」を訪ねました。ただ話は日本人のルーツから織田信長に代わります。
私は右の小さな堤防沿いの道を下流に進みます。ここで「湖西のみち」ともお別れです。(午前10時6分)
途中で道が二手に分かれるので左へ進みます。そして国道161号線バイパスのアンダーパスが見えれば、その手前を左に曲がりましょう。その先の二又を左へ。センターラインのない狭い道を北へ歩きます。
何だか商店街っぽい街灯が現れましたが商店はありません。先に見える四つ辻を右折します。
こんな狭い道でも融雪装置があるんですね。生活道路なのでしょう。
新旭南小学校の角に出れば左折します。田んぼの間を進みましょう。
本当に広い平野ですね。内陸部にこんなに広い三角州があるんですね。
ドジョウでもいるのでしょうか。たくさんの白鷺が。
鳥居が二つ並ぶ小さな神社を過ぎれば間もなく次の目的地です。
神社を過ぎて二つ目の四つ辻。正面には「酒蔵見学」の看板。右に曲がりましょう。すぐ左に立派な蔵が。「川島酒造」です。(午前10時35分)
向かいの駐車場にはきれいな水が湧き出ています。米どころであり水どころ。実は私の郷里は「造り酒屋」でした。村内で消費するだけの少量の酒を造っていたそうですが、良い米が獲れたものの水が悪かったため廃業しました。酒にとって水は「命」です。
亡父から聞いた話ですが、酒蔵にはヘビ(アオダイショウ)が棲みつくそうですね。酒米を狙う「家ネズミ」を捕食するためです。そしてヘビは古代より「酒の神様」。またネズミを食べてくれることから決して駆除してはならなかったそうです。食卓の下をヘビが這っていたり朝起きれば蚊帳の上でヘビがとぐろを巻いていたこともあったそうですよ。
先ほどの四つ辻に戻り右へ。横には清らかな水が流れています。その向かいには「生水の郷・釘江」の案内板。
良い雰囲気の街並みになってきました。
そして複雑な四つ辻に出れば正面には鳥居。
清流を渡って、まずは「日吉神社」にお参りです。(午前10時46分)
神社の前には清らかな流れ。
ここが「生水の郷・釘江」です。
橋の横にある駐車場には湧き水。安曇川流域の伏流水でしょうか。この水で酒が造られているんですね。
その先にある「針江公民館」。隣には水車を復元した公園がありました。
公民館前の「明光橋」を渡り流れに沿って進みます。
この燈籠が見えれば左に曲がり清流とはお別れです。
すぐに国道161号線バイパスに突き当たるので左折。しばらくは左に広大な水田を見ながらバイパスに沿って歩きます。
写真ではわかりにくいですが、トラクターが土を耕した後の虫を狙っているのでしょうか、トラクターの後ろを白鷺がついて回ります。
バイパスの出入口を過ぎます。この手前で地図を見ながら歩いていたため危うく7~80cmのアオダイショウを踏みかけました。アオダイショウってあまり人を怖がりませんね。悠然と私の前を横切って行きました。「びっくりしたなぁ」
バイパス出入口を過ぎこのアンダーパスに出ればくぐりましょう。
地道を歩きますがすぐに右の車道と合流します。
その先のきれいに整備された道路が「風車街道」です。歩行者用信号や横断歩道はありませんが、車道用の信号がありますので信号が青になり左右の安全が確認できれば渡りましょう。目の前には琵琶湖。今日初めての琵琶湖です。(午前11時20分)
北に向かって歩きましょう。青いペイントは「ビワイチサイクリングロード」です。ビワイチは左側通行の自転車が湖岸寄りを走るようにと反時計回りになっています。私は歩行者なので時計周りです。
途中「水鳥観察小屋」という看板が立っていたので入って見ましたが水鳥たちはいませんでした。隣に「ポットン式」ですが公衆トイレがあります。
木々に遮られていますが琵琶湖を眺めながら進みましょう。
湖面には小さな「えり」がありました。矢印のような形がよくわかりますね。
その先にはログハウス風の「新旭水鳥観察センター」(入館料200円)。季節によれば琵琶湖を訪れる水鳥が見られるそうです。入口の右側に「協力金20円」の有料トイレがあります。そしてこの辺りが三角州の北端です。(午前11時33分)
そのまま進み小さな川を越えれば右に曲がります。そこはサイクリングロード。右にはポットン式公衆トイレがあります。煙突が立っているのでわかります。
そして砂浜にせり出した石垣の上には何やら建物が。
「木津港跡常夜灯」。かつてここには「木津港」という港があり、米や酒が京・大坂に向かって出荷されたそうです。灯台の役目をしていたのでしょうね。夜には点燈されるそうですよ。(午前11時40分)
そのすぐ後ろには「木津港跡」碑と教育委員会の案内板が立ちます。「木(古)津」と「今津」は「新・旧」の関係だそうです。
すぐ先には「小浜藩御蔵屋敷跡」の案内板。若狭の「小浜藩」にとって、ここは京・大坂への玄関だったんですね。琵琶湖は重要な水運路でもあります。
ちょっと歩けば「木津桟橋跡」碑。後ろは多分水平線ですね。緩やかな弧を描いています。地形にもよりますが水平線って4~5kmで見えるらしいですね。
その先には「竹生島遥拝所跡」碑。竹生島については後ほど説明します。今日は快晴。琵琶湖は本当にきれいですね。
結構強い北風が吹いています。湖面には白波が立ち岸にぶつかるたび「バシャ~ン」という波音が聞こえます。海のようですが「潮騒」ではありません。
「波爾布神社御旅所址」碑が見えれば後ろの風車街道に上がりましょう。
そこは風車街道と県道333号線、県道558号線が交わる「木津交差点」。角には「ちゃんぽん亭総本家今津店」。
今回ネット情報でこの店を昼食場所と決めていましたが時間もばっちりですね。私の「脳」と「足」と「腹」は一体化しています。ただ行列ができており「30分待ち」でした。
「近江ちゃんぽん(野菜量中、麺大盛)」(税込1000円)を注文しました。美味しかったですよ。
食事を終え午後0時45分出発です。風車街道を進めば右に「二ツ石大明神遥拝所」。100mほど沖合に二つの巨石があり渇水期のみ姿を現すそうです。
「高島浄化センター」という施設を過ぎれば右に入り風車街道と分かれます。今日は晴天で日差しも結構強いですが、天気予報どおり午後になってもさほど気温が上がらず、北風も吹いていることから汗もすーっと引き、本当に爽快な「歩紀日和」です。
「日枝神社」前を過ぎます。
小さな川を越えれば右に「竹生島クルーズ」の船乗り場。(午後0時56分)
竹生島は島全体が「都久夫須麻神社」と「宝厳寺」の境内になっている信仰の島です。琵琶湖に浮かぶ孤島なので景色も抜群です。いくつかの航路があり、ここ「今津港」からだと25分くらいで着くそうですが、残念ながら今回は訪れません。いつか訪れたいと思います(おそらく訪れることになると思います)。
桟橋横のテラスには「琵琶湖周航の歌記念碑」。
♪ 浪のまにまに 漂えば 赤い泊火 なつかしみ 行方定めぬ
浪枕 今日は今津か 長浜か ♪(3番)
左端に見える竹生島から白い定期船がこちらに向かって来ます。
船乗り場の西側は「近江今津駅」前です。西に進み「高島警察署前交差点」で右に曲がりましょう。セブンイレブンや飲食店があります。
しばらく歩けば「高島市民会館」前に「今津東コミュニティセンター」という建物がありました。ここに「琵琶湖周航の歌資料館」(無料)があります。入りましょう。トイレがあります。(午後1時2分)
「琵琶湖周航の歌」は、旧第三高等学校水上部(現京都大学ボート部)の部員であった小口太郎が、ここ今津で合宿した際に作詞し、当時の流行歌「ひつじぐさ」に合わせて歌ったのが始まりだそうです(高島市ホームページより)。
見学を終え資料館北側の路地を右に入ります。突き当りの旧家前には「今津桟橋跡地」碑。その奥には現在「今津漁港」があります。
先に進めば右に古い木造の建物が。「丁子屋旅館」といい川魚料理や鴨鍋などが楽しめるそうです。
今津は港町であるとともに宿場町でもあります。当時の雰囲気が残っていますね。
そしてやはり「住吉神社」がありました。住吉神社は「海神」を祀る神社です。
さらに進めばここにも古い旅館が。「福田屋」といい140年ほどの歴史がある旅館で、インバウンドの影響もあり私などでは到底泊まれない高級料理旅館のようです。
「福田屋」前の小さな広場には「北浜会館」という町家風の建物があり、その角には「九里半街道起点」の看板がありました。ここ今津から日本海の「小浜」までを結ぶ街道が「九里半(約38km)」であったことからそう呼ばれ、ここが起点だったそうです。この三叉路を左に進みます。(午後1時14分)
「真宗大谷派法慶寺」前を通ります。
信号で風車街道を渡れば「ヴォーリズ通り」。すぐ右に何やらレトロな洋館が。「今津ヴォーリズ資料館」です。ヴォーリズとは米国人の著名な建築家で、この建物は彼の設計により大正12(1923)年「第百三十三銀行今津支店」として建てられたそうです。
町立図書館などを経て現在はカフェを併設する資料館になっており見学もできます。銀行のようにカウンターがありますね。とても寒いからでしょう。大きな暖炉跡も見られます。
その先には「日本基督教団今津教会」。この建物もヴォーリズの設計により昭和9年に建てられました。
さらに先には「旧今津郵便局」。これもヴォーリズ設計により昭和11年に建てられました。だから「ヴォーリズ通り」なんですね。これら3つの建物は国の登録有形文化財に登録されています。
かつてここでは電話交換業務も行われていたそうで、建物の前には「逓信省」「電話」と読める古い石柱が立っていました。「逓信」っていう言葉わかります?今でも役所では「逓送」や「逓伝」という言葉が残っていますよ。韓国語では郵便局のことを「郵逓局(ウチェグッ)」って言います。
ヴォーリズ通りを風車街道まで戻り左へ。平和堂というスーパーマーケットやセブンイレブンが並ぶ給水・トイレポイントです。(午後1時29分)
サイクリングロードを進みましょう。写真には写っていませんが結構サイクリストも走っていましたよ。今日は追い風なので走り易かったでしょうね。
しばらく歩けば左に「浜分沼」という小さな内湖があります。
その向かいには「今津浜水泳場」。波が沖からではなく風が吹く方向から寄せているのがわかります。(午後1時51分)
公衆トイレ(水洗)がありました。
この辺りは「桂浜」というようです。
結構たくさんの川が流れ込み、そのたびに浜は分断されます。川に突き当たればサイクリングロードに戻らなければならないのですが琵琶湖は淡水湖。特に浜辺を整地していなければ波打ち際まで草が生い茂ります。そして基本的に「池」なのでヘビもいます。ということでしばらくサイクリングロードを歩きます。
平成の大合併により今では「高島市」になっていますが、かつてこの辺りは「マキノ町」という自治体でした。ここが町境だったんでしょうね。
しばらく歩くとは松林の中に何やら石碑がありました。ここは「湖西の松林」。日本の白砂青松百選に選ばれているそうです。「白砂青松」って普通は「海」ですよね。(午後2時19分)
ずっと先まで浜辺が見渡せたのでちょっと歩いてみましょう。
こんな小さな川であれば歩いて渡れますね。
琵琶湖は湖側と山側では本当に違った顔を見せますね。
前回琵琶湖を歩いた時は黄砂の影響でしょうか、視界が悪くあたかも水平線のような光景が広がっていました。今日は空気が澄んでおり対岸まではっきり見えます。かえって琵琶湖の広大さを目で感じることができますね。
歩いては渡れない川に突き当たったので一旦サイクリングロードに戻ります。(午後2時34分)
「真宗大谷派光傳寺」というお寺の前を通ります。ずっと融雪装置があります。どれだけの雪が降るのでしょうか。
お寺を過ぎ2つの川を渡れば右へ曲がります。突き当りには「知内漁港」。手前の空き地には何と「ダットラ」の消防自動車(廃車)が放置されていました。
あの消防自動車が主であったと思われる知内漁港手前の消防車庫前を左に曲がりましょう。
松林の向こうにキャンプ場が見えてきました。
キャンプ場を右に見ながらサイクリングロードを進み、右に「白鷺橋」という吊り橋が見えれば橋で「知内川」を渡りましょう。結構大きな川ですよ。
橋を渡れば美しい砂浜に出ます。ここからは砂浜を歩きましょう。間もなくゴールです。(午後2時47分)
ここからは「マキノサニービーチ」と呼ばれ、浜も水もきれいですよ。
湖岸にはキャンプ場やホテルが並びます。夏のリゾート地です。
景色も抜群ですね。
そして浜の突き当りには「マキノサニービーチ湖のテラス」。(午後2時56分)
方角的に日の出が素晴らしそうです。宿泊客を対象として作られたのでしょうね。
テラスを背に「アクアパレス通り」という道を進んで行きます。
そして突き当りが本日のゴール「マキノ駅」。午後3時10分到着です。午後3時47分発の電車に乗ります。なおトイレは駅構内ではなく駅舎の向かって右側にあるので「入る前に出しましょう」。広大な三角州には古い町並みあり。酒蔵あり。レトロ建築物あり。そして美しい琵琶湖。素晴らしいコースでした。
本日の歩紀「37005歩」(25.16km)。今日も随分歩きましたね。ここから「大阪駅」まで約1時間40分(1980円)。これで「湖西」ともお別れです。次回は「奥琵琶湖」を歩きます。
今日も途中立ち寄った「川島酒造」で地酒ワンカップを買いました。高槻駅まで約1時間30分の旅ですので途中のコンビニで買ったスルメをアテに純米酒「ぴんぴんころり101歳」(税込310円)でチビチビやりながら帰ります。「松の花原酒」(税込390円)は帰ってからのお楽しみです。
健康に良かれと思って続けている「歩紀」ですが、結構足腰に負担をかけているのでしょうね。しかしぴんぴんころりのこんな言葉に励まされて頑張ろうと思います。
電車内で一杯ひっかけましたが今日もキンキンの生中で乾杯~。この後「お造り天ぷらセット」(税込1200円)で夕食です。冷たいビールが美味しい季節になりましたね。