「野里町歩紀 ~思いつくままに~」

野里町歩紀 ~摂河泉をゆく~ に次ぐ第二歩です

80年代の韓国歩紀~五六島

2025-01-15 20:43:54 | 日記
 「龍頭山公園」からビル越しに「五六島(オリュックト)」が見えました。ちょっと写真では見えにくいですが、漢字で「釜山」ハングルで「ホテル」と書かれているビルの左側に見える小さな島です。「五六島」とは釜山の沖にある小さな岩礁で、見る角度によって5つに見えたり6つに見えたりすることから「五六島」と呼ばれています。


 「趙容弼(チョ・ヨンピル)」という有名な歌手が歌った「釜山港へ帰れ」の日本語歌詞には出てきませんが韓国語の歌詞に出てくる島です。韓国語を学び始めて1年半ほどですが、観光先でたまたま見つけた「五六島」を見逃しませんでした。
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服部天神と新年会

2025-01-12 04:53:04 | 日記
 1月11日(土)は、梅田にいくつかある「がんこ」でかつての同僚たちと新年会でした。毎年恒例だったのですが新型コロナのため中断し、昨年から再開されました。

 その前に途中下車をして豊中市の服部天神宮に参拝します。


 結構な人出ですね。


 ここは「天神さん」なのですが戎社もあり「豊中えびす」として親しまれています。


 えべっさんは「十日戎」ともいわれ1月10日を挟んだ3日間行われます。今日は最終日の「残り福」。


 私は商売人ではないのですが、世の中の景気が良くなることはいいことですね。


 そしてここは「足の神様」としても知られています。私は毎年ここでお守りを授かりモンベルのリュックにぶら下げているのです。


 ちゃんとお神酒もいただきました。


 参拝を終え阪急「服部天神駅」を出発。15分ほど前に梅田のがんこに到着。開宴は午後5時です。


 1年ぶりの再会です。10歳ほどの年齢差があるのですが、みんな定年退職した「爺」集団です。話題はもっぱら「病気」「薬」「年金」「健康」「介護」「孫」です。
 今回の総会(宴会)で、来年からは「昼呑み」になりました。みんな夜に梅田から家に帰るのがしんどいのです。そして時間を持て余している「老人」ですから。

 
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寒いですね

2025-01-11 10:31:17 | 日記
 毎日寒いですね。私が住む大阪府豊能郡豊能町も寒いですよ。今日(1月10日)の最低気温(午前3時)は氷点下6度。私が朝出勤した午前6時30分で氷点下5.5度。その後私は大阪市内でぬくぬくとしていましたが、豊能町は午後2時現在で0度。その後氷点下になりますので結局氷は融けません。氷は水面だけでなく底まで凍りますよ。


 帰宅後、久しぶりに雪かきをしました。玄関先の雪はとりあえず無くなったのですが、明日の朝はまたアイスバーン状態でしょうね。


 塀に上にはまだ7~8cmの雪が残っています。2~30年ほど前は2~30cmほど積もったこともありました。一度積もれば1週間ほど雪に閉ざされます。それに比べれば最近は本当に雪は積もらなくなりました。少々積もっても午前10時頃には融けます。しかしこの低気温は異常ですね。外に置いているビールはキンキン。野菜などの食材も玄関に置いておけば腐りません。だいたい玄関は2度くらいです。朝起きてヒーターのスイッチを入れるのですが、その時に表示される室内温度は3度くらいです。そんな中で寝ています。


 北海道、東北、日本海側の皆さんは災害級の寒波に見舞われ大変だと思います。それに比べればまだまだましですが、ここは大阪府です。こんな日は酒でも呑んで温まりましょう。明日からは三連休。
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参拝方法

2025-01-10 06:49:17 | 日記
 いつ頃からでしょうか?神社で参拝するのに賽銭箱前に整列するようになったのは。

 私は結構昔から神社に参拝していますが、賽銭箱の前では整列することなく空いている場所からお参りしていました。ところが以前「東京大神宮」に行ったとき、さほど境内は混んでいなかったのですが、皆さん行儀よく行列を作っておられました。まあ行列というよりもアベックの「イチャイチャタイム」ですが。

 そして私が横から参拝すると「てめー、なに割り込んで俺の神様を横取りしてんだよ~」というような目で睨まれました。違うんですよ。神社は空いてるところからお参りすれば良いんですよ。

 これは「行列好き」の東京人から広まったのでしょうか。関西人はあまり整列しませんから。

 初詣のように混雑していて雑踏事故が起こりそうな時に警備員さんが規制しているのであれば別ですが、神社は空いているところからお参りすれば良いんですよ。

 先日、島根県の「出雲大社」にお参りした時、警備員さんでしょうか衛士さんでしょうか。拡声器を持って「列を作らずに空いている場所からお参りください」とアナウンスしていました。それで良いんです。神様は窓口で受付しているわけではないのですから。
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琵琶湖一周歩紀9~水郷と近江商人の町を訪ね「湖(うみ)」を渡る~

2025-01-06 03:04:19 | 日記
訪問日:令和7年1月5日(日)
出 発:JR「近江八幡駅」
到 着:JR「堅田駅」

 新年あけましておめでとうございます。

 琵琶湖一周歩紀もいよいよ終盤となりました。令和7年「初歩紀」は、今も堀を舟が行き交う水郷の町、そして近江商人発祥の地として多くの商家が並ぶ「近江八幡」の町歩紀を楽しんだ後、湖岸をひたすら歩き「琵琶湖大橋」で湖(うみ)を渡ります。途中、自販機やトイレはありますが、店は近江八幡を出るとコンビニが1軒あるくらいです。


 今日のスタートは前回バス乗り継ぎのため下車したJR「近江八幡駅」。大阪駅から約1時間20分(1520円)です。今日も最寄り駅の始発でやって来ました。駅1階に観光案内所がありますが営業は午前9時から。しかし前回「安土駅」の観光案内所で近江八幡のマップとパンフをもらっているので午前7時45分、今日も元気に出発です。ここは滋賀県近江八幡市。今日は寒いです。近江八幡地方の最低気温は-1.5度。ただ私が自宅を出発した午前5時の豊能町は-4.0度でした。ここはまだ暖かいよ。


 表玄関である北口はホテルや飲食店などが並ぶ賑やかな「駅前」です。裏に当たる南口も「イオン」ができてから結構賑わっているようです。


 駅の真ん前には「近江商人発祥の地」碑。近江商人とは近江で商売をしている人たちではなく、近江を拠点(本家・本店)として京・大坂、江戸は元より遠く北海道や安南(ベトナム)、シャム(タイ)など海外まで手を広げて商売をしていた人たちのことを言うそうですよ。すごいですね。


 碑のすぐ後ろにある横断歩道を渡って「県道502号線」を遠くに見える山を目指して北に進みます。近江八幡市の市街地は駅の北側に広がるのですが、ちょうど東西に走る「県道2号線」で二分され、南半分は駅前から続く商店や飲食店、ホテル、住宅などが並びます。結構大きな町です。


 和菓子の老舗である「たねや」のビルを過ぎれば官庁街。セブン・イレブン前を過ぎてさらに進めば市街地を二分する県道2号線と交わる「中村町交差点」に出るので、信号を渡り左に曲がって「ガスト」前を通り過ぎ二つ目の辻を右に入ります。


 7~80mほどで「八幡神社」。今日一日の安全を祈願します。歩紀の早い段階で神社参拝をするのが私の流儀です。それほど日本は神社密度が高いのです。(午前8時4分)


 神社裏を右に曲がり県道502号線に戻りますが、このあたりからは「小幡町通り」と呼ばれます。県道2号線を越えると徐々に良い雰囲気の街並みへと変わって行きます。


 「小幡上筋交差点」を左に曲がりましょう。すぐ左には「近江八幡市立八幡小学校」。


 同校のホームページによると歴史的には明治6年4月開校の古い小学校で、大正6年10月、ここに移転新築されたそうです。白い木造瓦葺の校舎が美しいですね。


 小学校を過ぎ二つ目の辻にお堂があるので右に曲がります。


 この道は「池田町通り」。1km四方ほどの近江八幡旧市街地は概ね碁盤の目状に形成されており、南北の通りにはそれぞれ名前が付けられています。50mほど進めば何やら左に煉瓦塀が見えてきました。


 ここは「池田町洋風住宅街」。この後、何度も出てくるのですが「ヴォーリズ」というアメリカ人建築家により建築された洋館の住宅街です。4棟ほど残っていますが現在も住居として使用されているので外観だけの見学です。(午前8時15分)


 そのうちのひとつ「ウォーターハウス記念館」は期間指定で見学ができるそうですよ。


 その先を左折すれば角に大きなお寺が。「本願寺八幡別院」。徳川家康の宿泊所やすぐ北側を「朝鮮人街道」が走ることから朝鮮通信使の食事場所などとしても使用されたそうです。


 旧家をリノベーションしたフランス料理店の先を右に曲がりましょう。


 この道が朝鮮人街道です。古い家が続きます。


 この立派な旧家は「中村四郎兵衛邸」。


 「小幡交差点」で「小幡町通り」を渡れば右に市営駐車場。観光客用のトイレがあります。その前には「朝鮮人街道」碑。(午前8時25分)


 朝鮮人街道沿いの角にある立派な屋敷は「旧伴家住宅」。江戸時代の豪商、伴庄右衛門の本家です。


 明治以降は役場や先ほど訪れた八幡小学校の前身である「八幡尋常高等小学校」として使用されました。


 その向かいの洋館は「市立資料館」。


 そしてこの通りは最も近江商人の町並みが残る「新町通り」です。左に曲がりましょう。


 すぐ右に「森五郎兵衛邸」。江戸時代の商家です。


 その向かいは「旧西川家住宅」。国の重要文化財に指定されています。
 

 これらの旧家は各館共通入場券800円で見学できますが開場は午前9時から。ただ私の目的は「町歩紀」なので大丈夫です。まだ観光客のいない静かな街並みをゆっくりと散歩しています。


 次の四つ辻を右へ。「魚屋町通り」の左角には「ヴォーリズと少女の像」。ヴォーリズは滋賀県立商業学校(現八幡商業高校)の英語教師として明治38年、24歳でアメリカから来日。琵琶湖一周歩紀第3回で「今津」を訪れた時にもお話ししましたが、建築家としても有名で全国に多くのレトロ建造物が残っています。


 フルネームは「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ」。留学先のアメリカから帰国した「一柳満喜子」と結婚し、その後帰化して日本名を「一柳米来留(ひとつやなぎ・めれる)」と名乗りました。昭和39年83歳で生涯を閉じるまで近江八幡で暮らし、建築のほか医療や教育などの分野でも大きな貢献をしたそうです。明治時代から戦前・戦後を日本で過ごしたのですね。


 その向かいには「近江兄弟社メンタム資料館」。日本に「メンソレータム」を輸入したのもヴォーリズです。


 さらに進めば左に「八幡堀石畳の小路」。いくつかお店がありますがまだ開店前です。ちょっと覗いて先に進みます。


 その先には右に美しい洋館が。「白雲館」という観光案内所です。(午前8時34分)


 元は近江商人の寄付により明治10年に建てられた「八幡東小学校」です。


 すぐ前に鳥居がありますが、後ほど参拝することとしましょう。その先の「仲屋町通り」を右に曲がります。四つ辻をひとつ過ぎれば左に「旧八幡郵便局」。ヴォーリズの建築です。


 次の四つ辻を右へ入れば右に「アンドリュース記念館」。旧ハーバード・アンドリュース邸でヴォーリズ建築の第一号だそうです。


 その向かいには「旧近江兄弟社地塩寮」。近江兄弟社はヴォーリズが英語教師の職を解かれた後、キリスト教伝道師としての糧を得るため商業学校卒業生らとともに設立した企業です。現在は日本基督教団の牧師館として使用されています。


 次の「為心町通り」を左に曲がります。次の酒屋さんのある四つ辻を左折。その先に「左 永原町通り」という石標があるので左折し「永原町通り」を歩きましょう。


 ここも良い雰囲気ですね。日本の原風景「電柱」がありますが。


 真っ直ぐ進み「尾賀商店」という旧家がある四つ辻を右に曲がります。


 この通りは「東畳屋町」といい畳職人が集まり住んだところだそうです。大工とともに工匠を保護するため年貢が免除されていたそうですよ。増税しか能のない某政権とは違いますね。おっと口が滑ってしまいました。


 「博労町通り」を越え、次の「慈恩寺町通り」の角をちょっと右に入れば「一柳記念館(ヴォーリズ記念館)」。ヴォーリズ夫妻の旧住居で日本建築様式が取り入れられています。見学は予約制だそうです。(午前8時55分)


 さっきの辻に戻り右に入れば「ハイド記念館」。ヴォーリズがアメリカで近代教育を学んだ妻満喜子とともに設立した幼稚園の園舎です。近江八幡を見学していて感じたのですが、多くの施設が開業時間前や内部非公開でも敷地の門は開かれ外観は見学できるようになっているところが多いように思います。素晴らしい町ですね。


 ヴォーリズの妻「一柳満喜子」胸像が立ちます。


 慈恩寺町通りを北に進み次の辻を右へ。すぐ右の立派な校舎が立ちます。「近江兄弟社中・高等学校」。ヴォーリズ学園が運営する私立学校です。前回「長命寺」までのバスで満員だったのはここの女子たちでした。


 学校の正門を背にして路地を北に入ります。少し進めば左に「近江兄弟社幼稚園」。「一柳満喜子記念館」になっているようです。


 突き当りを左に曲がりその先の「薬師橋」で堀を渡ります。


 そのまま町中を抜ければ「かわらミュージアム」の前に出ます。近江八幡は瓦の産地でもあるのです。


 その奥には「八幡堀めぐり」の待合所。(午前9時14分)

 
 石段を下りれば良い感じの堀脇に出ました。


 近江八幡らしい眺めですね。いろいろな映画やドラマのロケ地にもなっています。


 「八幡堀」という運河で小舟が行き来します。その他「西の湖」のヨシ原や水田を行き来する遊覧船もあるそうですよ。


 かわらミュージアム前に戻り左へ。先ほど堀沿いにあったお店の表玄関前の落ち着いた小路を進みます。


 その先には「たねや」。明治8年創業。和菓子の老舗です。左に曲がりましょう。


 そこには「CLUB HARIE(クラブハリエ)」。クラブハリエは「たねや」の次男さんが昭和26年に創業した洋菓子店で高級バームクーヘンが有名です。


 左に曲がれば先ほど白雲館前にあった鳥居に出るので一旦鳥居まで戻り一揖して鳥居をくぐります。「日牟礼(ひむれ)八幡宮」の一の鳥居です。


 鳥居をくぐり改めて「白雲橋」から堀を望みます。元は豊臣秀吉の養子「豊臣秀次」が、この後訪れる「八幡山城」の築城に際し、堀として西の湖から引き入れた水を運河として活用したのが始まりだそうです。


 そのまま進み駐車場を抜ければ「日牟礼八幡宮」。1800年以上の歴史を有する古社です。(午前9時25分)


 近江商人たちの守り神として厚く崇拝されてきました。八幡宮なので「応神天皇」をお祀りします。私は氏神様である「八幡さん」で初詣を済ませています。


 神々しい神社ですね。


 さあ参拝を終え、すぐ隣にある「公園前駅」からロープウエイに乗ります。駅舎に「八幡山山頂ガイド」のパンフがあるので忘れないようにもらっておきましょう。


 近江鉄道グループが運行する「八幡山ロープウェイ」です。25人乗りのゴンドラが15分間隔で往復します。料金は往復950円。午前9時45分発の便に乗ります。


 営業距離543mを約4分で結び「山頂駅」に到着しました。駅のすぐ前にある案内図に従って「お願い地蔵尊」方向に進みます。


 地蔵尊の先に案内標識があります。およそ30分の散策コースです。右が参拝順路ですが、まずは城址見学です。左の「西の丸跡」「出丸跡」方向に進みましょう。


 標識では5分でしたが3分ほどで「西の丸跡」に着きました。だいたい私は通常の+30%ほどの歩速で歩いています。


 西の丸跡は展望台になっていました。今日初めての琵琶湖です。素晴らしい眺めですね。


 標識に従って「出丸跡」に行きましょう。階段を下りればすぐです。岬のように出っ張っています。そこからは270度の絶景。左には近江八幡市街の全景です。


 右はこの後歩くさざなみ街道方面。


 西の丸まで戻り標識に従って「北の丸跡」に向かいましょう。立派な石垣が右に見えます。これは本丸の石垣です。


 「八幡山」の三角点がありました。標高271.9mの山頂付近に天正13(1585)年、豊臣秀次が「八幡山城」を築城しました。


 ここも素晴らしい眺めで「西の湖」方面が見えます。


 先ほどの分岐点まで戻り「瑞龍寺」方向に進みます。しばらくすれば「北の丸跡」からの道と交わりました。北の丸跡から直接来れたようですね。まあいいや。左に曲がれば「村雲御所瑞龍寺門跡」の碑が立ちます。この山門で志納金100円を納めます。


 山門をくぐれば本堂。秀吉の姉「とも」の長男として生まれ秀吉の養子となり「八幡山城」を築きました。


 秀次は近江商人の礎となる商業都市を築きましたが、秀吉に秀頼が生まれたことから謀反の罪を着せられ自害させられた不遇の将です。文禄5(1596)年、京都村雲に創建された秀次の菩提寺である日蓮宗「瑞龍寺」が昭和の時代に入り「本丸跡」に移築されました。秀次の魂が城に帰ってきたのですね。撮影禁止ではなかったので撮影させていただきました。


 本堂の前にある宝篋印塔は「開山塔」の立て札が。


 本堂の右隣には「六角堂」。


 その奥には稲荷社が祀られています。


 境内からの眺めも最高です。遠くに見える円錐形の山は「近江富士」とも呼ばれる「三上山(432m)」です。


 参拝を終え山頂駅方向に戻りましょう。案内標識に従って進めばトイレ横の「二の丸址」と表示された場所には「展望館」が立ちます。


 一階はちょっとしたホールになっています。八幡山城の地形図が掲示されていました。先ほど歩いた位置関係がわかると思います。


 二階と展望館前が展望台になっていますが、先ほどの西の丸跡や出丸跡、北の丸跡の方が景色が良いでしょうね。そしてここは「恋人の聖地」になっているらしく展望台脇には「LOVE」のモニュメントが。


 さあ午前10時45分発のロープウェイで下山します。ゴンドラからは近江八幡の町が一望できます。八幡山ロープウェイは瑞龍寺が移築されたのを機に昭和37年11月に運行が開始されました。地元の人たちは秀次のことを忘れていなかったのですね。


 日牟礼神社の鳥居前まで戻りましょう。そして後しばらく八幡堀の景観を楽しみましょう。たいていの観光地は景観保護や事故防止と称して立入禁止地区を設けているところが多いのですが、近江八幡は堀の際々まで下りれます。良い所ですね。ただ堀に入るような輩が出てくると規制されるのでしょうね。


 ちょうど八幡堀めぐりの舟がやって来ました。


 良い風景です。


 この先の階段で堀沿いから街中に戻ります。


 そして本町通りの延長線上にある「本町橋」で八幡堀を渡り近江八幡の町ともお別れです。正面の市立図書館前を左に曲がりましょう。(午前11時5分)


 集落を抜け「船木町交差点」に出れば右折。200mほどで稲荷神社が見えれば右へ。そこには「西願寺」。浄土宗の寺院です。


 境内は自由に入れます。そして本堂は何と「ヨシ葺き」でした。


 元の道に戻り次の四つ辻を左へ。水路に出るのその手前を右に曲がります。遠くには「比良連山」。


 そしてふと右を見れば先ほど訪ねた八幡山の頂に石垣が見えます。山城って格好いいですね。


 何の目印もない田園地帯を先に見える「さざなみ街道(車がたくさん走っているのでわかります)」目指してひたすら歩きます。風をまともに受けながら。やっと「湖岸白鳥川交差点」でさざなみ街道と合流しました。ここからはひたすらゴールを目指して歩きます。(午前11時39分)


 道端に設置された電光掲示板には「ただ今の温度7℃」の表示。


 「牧町船着場」という小さな船溜まりを過ぎます。
 

 しばらく歩けば「湖岸緑地岡山園地」。時間は。トイレや東屋があったので食事としましょう。


 今日の昼食は近江八幡の旧市街地に入る前にあったセブン・イレブンで買った「おにぎりランチ」(税込399円)です。


 「颪(おろし)受け 湖国の浜で 飯を食う」

 
 午後0時10分、食事を終え出発です。公園の前でさざなみ街道は小さな峠道になります。と言っても数分で越えてしまいますが。


 左は「岡山」という小さな山。かつて「水茎岡山城」という中世の山城があったようです。そして右の「頭山」の麓に「史跡水茎岡山城址」の碑と真新しい五輪塔。横の碑文を読むとこの五輪塔は「足利軍」の供養塔だそうです。


 しばらくすれば右に松林が見えてきます。「日野川」の三角州右岸に広がる「佐波江浜」の松林です。


 日野川を渡ります。日野川は結構大きな川ですよ。遠くには前回渡った「沖島」が。(午後0時32分)


 日野川の左岸にも佐波江浜が広がります。ちょっと浜に出てみました。まるで砂丘のようですね。


 松林も砂地ですので結構広い砂浜です。


 さざなみ街道をどんどん進みます。


 「野洲(やす)市」に入ったようです。(午後0時51分)


 さらに湖岸を進み「家棟(やのむね)川」という川を渡ります。この川も結構大きいですね。


 ふたつほど水門を越えれば「紫式部歌碑」の案内表示があったので浜に入ってみました。「童べの浦」という歌だそうです。


 さざなみ街道を挟んだ向かいには「ローソン」。貴重な給水ポイントです。横断禁止ではありませんが横断歩道がないので気をつけて渡りましょう。温かい缶コーヒーで一息入れました。(午後1時4分)


 ローソンを過ぎれば右に「ビワコマイアミランド」。


 その先には「マイアミ浜オートキャンプ場」。この辺りは「マイアミ」という浜なのですが、いずれも有料のプライベートビーチなのかフェンスで囲まれています。


 そのまま進めば「湖岸緑地吉川公園」。東屋と駐車場脇に簡易トイレがあります。


 ここは浜に出られるようですが、急に深くなっているので遊泳は禁止のようです。


 ビワイチサイクリングロードをひたすら歩きます。結構な距離を歩きますよ。


 しばらくすれば左に大きな施設が見えてきました。「かねふくめんたいパークびわ湖」。明太子の老舗が経営するテーマパークです。入場は無料でフードコートなどがあるようです。(午後1時47分)


 5~600mで「守山市」に入ったようです。ちょっと逆光で看板が見えずらいですね。


 守山市に入ったのですが、すぐ先で「野洲川」を渡ります。「野洲川」は鈴鹿山系を源流とする琵琶湖最長の大河です。遠くに「三上山」。三上山は名神高速を走るとすぐ東側を通るのですが、こちらから見るのは初めてです。


 野洲川を渡れば右に「しあわせの丘」。小さな丘ですが琵琶湖の眺めが素晴らしいですね。この辺りまで来ると湖西や雪を抱いた比良山系が近くに見えますね。


 その先でちょっと湖岸に下りてみましょう。この辺りは砂浜ではなくコンクリート壁と護岸ブロックです。地道は足の裏が楽ですね。私は丸一日歩いても足腰や膝の痛み、疲労感などは感じないのですが、一番最初に「足の裏」に来ます。特に左足親指付け根の裏に水ぶくれができるのです。靴もその部分から破れてきます。おそらくそういう歩き癖なのでしょうね。ただその理由はわかっています。また機会があればお話ししましょう。


 浜が川で遮られるので一旦さざなみ街道に戻り進んで行くと右の公園に「BIWAKOモニュメント」がありました。(午後2時19分)


 ここは「サイクリストの聖地」でもあるようです。東屋やトイレ、自動販売機があります。


 湖岸からは沖島と雪に埋もれた「伊吹山」が見えました。


 大きなホテル前を通過します。


 水門前でさざなみ街道に戻り、ここで右の狭い道に入りましょう。


 ここは「ハマヒルガオ」の養生地のようです。ハマヒルガオは海浜植物らしいのですが、かつて琵琶湖が海と繋がっていた時の名残だそうです。ググってみると「ウルトラライトプレーン」というそうですが、空にはフロートとエンジンが付いたカイトのようなものが飛んでいます。ただ私が小さい頃は琵琶湖には普通に遊覧用の水上飛行機が飛んでいましたよ。


 去年の10月には海上自衛隊のUS-2という救難飛行艇が琵琶湖に着水したそうですね。「海なし県に海上自衛隊」。ただ以前通過した陸上自衛隊の大津駐屯地は、元海軍の水上機基地だったそうですね。

                       (出典:海上自衛隊ホームページ)

 左側は「ピエリ」という大きな商業施設になっています。いろんな店やアスレチッククラブ、日帰り湯などが入っています。(午後2時44分)


 専用の埠頭もあるようですね。


 琵琶湖大橋も見えてきました。実はかなり前にチラっと琵琶湖大橋が見え、その時は「今日中にあそこまでたどり着くかな」と思いましたが、余裕で着きました。


 ピエリの駐車場横に歩行者用通路があったのでピエリの中を通過します。


 駐車場を抜ければさざなみ街道に合流します。


 しばらく歩けば「ローソン」が見えてきました。間もなくゴールです。ただ付近に駅はありません。(午後2時53分)


 大丈夫です琵琶湖を渡りましょう。ローソン前の「琵琶湖大橋東詰交差点」を右に曲がります。途中右のピエリ駐車場脇に「お満燈籠」が見えます。昔、湖西に住む力士に恋をした湖東の娘「お満」がたらい船に乗って力士のもとに通い、99日目に暴風で湖底に沈んだという話に基づき、お満の霊を慰めるため建てられたそうです。以前、バラエティー番組でこの話に因み若手芸人がたらい船で琵琶湖を横断させられ死にかけていましたが、つまらないことをしますね。


 燈籠を過ぎれば「琵琶湖大橋」の料金所です。歩行者と自転車は無料で渡れます。多くの人が徒歩や自転車で渡っていますよ。


 全長約1400m。昭和39年9月に開通しました。その後、平成の時代に入って拡張されています。そして琵琶湖大橋を渡るのは「国道477号線」。別名「花折街道」として私の自宅近くを走る国道です。道は繋がっているんですね。


 湖東側から渡れば前半は平坦な道が続き、後半で急な上り坂になります。


 そしてその頂上付近に展望台。これまで歩いた「北湖」を望むため橋の北側歩道を歩きました。北湖は大きいですね。水平線が見えます。


 琵琶湖歩紀第2回で訪れた「道の駅びわ湖大橋米プラザ」が右に見えれば「湖西」に到着です。


 真っ直ぐ進み「琵琶湖大橋西詰交差点」を過ぎ、次の「琵琶湖大橋交差点」に出れば左折しましょう。(午後3時23分)


 県道に沿って市街地を抜けます。


 「堅田駅前交差点」を右に曲がればJR「堅田駅」。琵琶湖歩紀第1回のゴールであり第2回のスタート地点です。午後3時34分に到着。当初午後4時38分発の快速に乗る予定でしたが1時間近く早く着きました。駅の時刻表を見ると午後3時39分発の網干行き快速があります。急がなくっちゃ。


 ギリギリセーフ。列車に乗りながら歩数計を撮影しました。本日の歩紀「42100歩」(28.62km)。いよいよ次回は琵琶湖一周歩紀の最終回です。


 今日のひとり打ち上げ。「ハイボール」(税込550円)で「かんぱ~い」。その後は「オムライスセットC」(税込1400円)で夕食です。


 そして今日の地酒。八幡山ロープウェイ公園前駅構内の売店で買った湖南市の蔵元「北島酒造」さんの「御代栄一番酒(300㎖)」(税込699円)です。アルコール度数はちょっと高めの19度。おせち料理の残りを肴に温まろ~っと。私は7日(火)まで冬休みです。
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箱根駅伝

2025-01-03 16:00:06 | 日記
 今年も新年恒例の箱根駅伝が行なわれました。実は私の姉の息子(つまり甥っ子)は、神奈川県警で白バイに乗っています(写真と本人とは関係ありません)。


 これまでも何回か伴走をしていましたが、今年は先導白バイを務めました。中継でも紹介されました。箱根駅伝は選手にとっては檜舞台ですが、先導白バイの隊員にとっても同じです。凛々しい白バイ隊員姿で寒い中、正月から頑張っている甥っ子の姿を見ていると何か涙が出てしまいました。
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新年あけましておめでとうございます~令和7年「吉川八幡神社」での初詣~

2025-01-01 10:49:59 | 日記
訪問日:令和7年1月1日(水)

 新年あけましておめでとうございます。
 先ほど氏神様での初詣から帰ってきました。「令和」の時代ももう7年になるんですね。わが家の氏神様は「大阪府豊能郡豊能町吉川」にある「吉川八幡神社」です。いつもは以前「朝の散歩道」という記事で紹介した「妙見街道」からお参りするのですが、今日は「花折街道」からお参りします。といってもこの道もこれまで何回も歩いていますが……。


 午前7時55分自宅を出発。5分ほど歩けば「国道477号線」に出ます。左を見れば「セブンイレブン」。国道477号線は池田市から琵琶湖大橋を渡って三重県四日市まで続くのですが、能勢街道である国道173号線の「一の鳥居交差点」で分岐し、能勢の妙見山までの間は「花折街道」と呼ばれています。特に買い物はありませんのでセブンイレブンを背にして右に曲がります。


 信号を越え坂を下って行けば分岐点。左は旧街道、右はバイパス。旧街道は「吉川」の集落を貫きますが、バイパスは集落の東側を抜けこの先の大阪府と兵庫県の府県境手前で合流します。


 左の鬱蒼とした森の中には「能勢の妙見さん」にお参りする「講」が寄進した「南無妙法蓮華経」の題目石塔。


 右には随分前からある廃屋。


 その向かいには能勢名物「銀寄席」と呼ばれる大粒の栗の「観光栗園」。そうここは観光地なのです。


 その先で水田越しに吉川の集落と里山風景が開けます。「日本の原風景」ですね。「のせ電」がトコトコ走ります。


 ちょっと木々で見えにくいですが初谷川沿いの道と合流すれば右に常夜灯が立ちます。裏にはいろいろな石碑や祠が。


 初谷川を渡り浄土真宗「西方寺」前の三叉路。ここで右から来た「妙見街道」と合流します。


 「城之下橋」を過ぎれば能勢電車「妙見口駅」。大阪府最北端の駅です。改札の外にトイレがあります。(午前8時16分)


 駅前には2軒の飲食店があります(営業日・時間は要確認)。


 この常夜灯はかつて先ほど通った西方寺前の三叉路にあったそうです。


 ゆっくりとした上り坂を歩いて行きます。


 府県境の手前に吉川八幡神社への分岐点。花折街道と分かれ左に曲がります。


 据置型ですが燈籠が増えましたね。


 田んぼの間を上れば「阪急電車」と「能勢電車」の車両が見えてきました。


 お馴染みの鳥居をくぐり石段を上ります。(午前8時31分)


 拝殿です。昔は古い建物だったのですが、若い宮司さんが来てから随分変わりましたね。奥に小さな本殿があります。今年も良い一年でありますように。


 境内には新しい「のせ電」が。


 同じ道を歩くのも能がないので、帰りは「朝の散歩道(妙見街道)」を歩きました。


 午前9時11分帰宅。「7340歩」(4.99km)の歩紀でした。今日も娘たち夫婦が孫を連れてお年始に来ます。近所に引っ越してきた二女の旦那さんは大の日本酒党。「さあ呑むぞ」


 本年もよろしくお願い申し上げます。
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1年間ありがとうございました〜驚異の15連休〜

2024-12-31 23:07:24 | 日記
 今日は令和6年12月31日(火)。そう大晦日です。「野里町歩紀」を訪問、コメント、リアクションして下さった皆様ありがとうございました。

 洗車やちょこっと大掃除も終わり神棚の飾り付けも昨日終わっています。使いやすいので毎年、保険屋さんが送ってくれる卓上カレンダー(吊るすため2穴パンチで穴を開けています)。それなりに新しい年を迎える準備はできました。


 ところでこの年末年始は「奇跡の9連休」と言われているそうですね。暦を見れは来年も「9連休」です。ただ小学校で勤務している私は実は15連休なのです。終業式の12月23日(月)に出勤し、次の出勤は3学期の始業式である来年1月8日(水)です。終業式前の21日22日は土日だったので「飛び石」では18連休になります。まあこれも担任や事務分掌を持たない「非正規公務員」だからなせる業であり、私もこの職に就くまでは知らなかったのですが、現役の先生方は夏休みも春休みも普通に出勤されています。私でさえ夏休みは夏季休暇が3日しか付与されていないので、週休と土日に合わせて年休を取得して10日ほど休み、あとは出勤して図書館開放やチャレンジ学習(夏休みの宿題をするための自主登校)のお手伝いや事件事故・非行防止のための校区内パトロールなどをしています。春休みは卒業式、入学式を挟んで学校が一番忙しい時期であるうえ、私のような会計年度任用職員の場合、身分関係の手続きがあるので普通に出勤しています。ただ冬休みは学校と言うところは年末年始を挟んだ行事がないからか比較的休みやすい環境にあるため毎年長期休暇を頂いております。それ以外は年休を取ることもありません。まあ65歳を越えているので私の元同僚では「365連休」や「週休6日制」の人もいますが……。

 しかし振り返って見ると、確かに現役中は長い休みが羨ましかったですが、いざリタイヤすると年の瀬で忙しいのはいわゆる「仕事納め」と言われる12月28日以降であり、ゆっくりできるのも「正月三が日」。あまり長い休みは必要ありませんね。「働きすぎ」日本人の悪弊でしょうか。それよりも日々の仕事をストレスなく送れる方が大切なのでしょうね。

 ということで間もなく「除夜の鐘」が鳴ります。今年も1年間ありがとうございました。
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お花畑

2024-12-29 08:48:23 | 日記
 長女の家は築浅の中古物件ですがちょっとした庭があります。ただガーデニングも家庭菜園も興味のない長女の言葉を借りれば「河川敷」状態の庭は草刈りのためにあるようなもの。そして草を刈った後の柔らかい土は「野良ネコ」のトイレと化します(ネコちゃんに罪はありませんがわが家も迷惑しています)。そこで長女は一念発起し庭に花を植えることにしました。ネットで検索したところ「スーパーアリッサムスノープリンセス」という花が育てやすく多年草のため、日々の水やりや定期的な施肥をすれば2~3年は雑草や野良ネコの「フン害」が免れるそうです。


 以前ブログでも紹介しましたが、草刈りの処理は娘からヘルプを受けたじいじの仕事です。そして100株ほどの苗は誰が植えるのでしょうか。娘の旦那さんは典型的な「インドア派」。これは「アウトドア派」であるじいじの仕事なのでしょうね。

 作業服にゴム長靴の野良姿に変身し、シャベルで2~30cmほど土を掘り起こして雑草の根や小石を取り除いた後、腐葉土を撒いて土作り。スズランテープを張って等間隔に苗を植え水やり。あれから3カ月が経ちましたが苗も無事に定植し、河川敷は見事な「お花畑」に生まれ変わりました。


 これは孫や娘の旦那さんのためにやったのではありません。娘はまもなく40ですが、いくつになっても男親と言うものは娘が可愛いですね。本当に目に入れても痛くありません。

 今年もあと3日です。
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次女がわが町に帰って来ました

2024-12-27 13:18:24 | 日記
 私が豊能町に住むようになり35年が過ぎました。ローンも終え定年退職した私にとっては「終えの棲家」です。そして物心がついてからこの町で暮らすようになり、高校・大学進学、就職、結婚を経て、わが町を出たふたりの娘たちにとっては故郷そのものです。


 長女家族は宝塚の賃貸マンションから隣町のニュータウンに中古物件を購入して数年前に引っ越してきました。車で15分くらいのところです。15分と言ってもニュータウンとニュータウンを結ぶ田舎道なので、運転の苦手な長女でもしょっちゅう「タント」で孫を連れてポコポコやってきます。


 そして先月、次女夫婦がやはり中古物件を購入してわが町に引っ越して来たのです。私の家から歩いて10分もかからないところです。次女は仕事持ちなので引っ越しに伴い保育園をさがしているところですが、私の勤め先である小学校が冬休みになってからは、私が歩いて次女宅に通い孫の面倒を見ています。しばらくは3人(+α)の孫の世話でこき使われるでしょう。しかし私たち夫婦が病床に伏すか施設に入る頃になれば、みんなで面倒見てくれるのかな?
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個人情報

2024-12-24 09:26:09 | 日記
 先日、今加入している生命保険会社から「保険の見直し」について連絡がありました。つまりはちょっと大きめの保険に切り替えてということでしょう。まあよくあることなのでその内容についてはどうでも良いのですが、以前「新聞購読」でもお話ししたように、このような業務は委託を受けた別会社が請け負っているんですね。いわゆる「代行業」というのでしょうか。

 つまりは新聞でも保険でも最初に契約した会社や店舗には当然「個人情報」を提供しているのですが、その情報がいとも簡単に第三者の別企業に移転しているということですね。まああの小さな文字の「約款」にはそれに同意する旨が記載さているのでしょうが……。
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コロナワクチン接種を受けてきました

2024-12-20 06:54:56 | 日記
 先日、近所の内科医院で6回目になる新型コロナウィルスワクチン接種を受けてきました。薬品名はファイザーです。私は65歳以上なので定期接種対象者です。


 コロナワクチンの評価については賛否が分かれますが、「厚生労働省と製薬会社が結託している」というようなネット情報を鵜吞みにしたと思われるものや国・行政・政権を批判するものなどちょっと観点がずれているようなものが多いように感じます。そのため以前インフルエンザ予防接種を受けた時の記事でも書きましたが、医事組織で勤務する私の友人に尋ねて見ました。その結果、医療従事者の間でもコロナワクチン接種に対する評価はきれいに二分され、医師の約半数はワクチン接種を受けていないとのことでした。つまり医療従事者の間でも「打とうが打つまいがどちらでも良い」という評価です。ただ感情論ではなく医師としての客観的な評価だと思います。

 私はこれまで新型コロナには一度も感染したことはありません。近い身内では亡母、姉夫婦、義母、義兄夫婦、長女家族、二女の夫が感染しています。つまり感染していないのは私たち夫婦と二女だけです。これは私の体質的なものなのか、たまたま私の生活様式が感染しにくい環境だったのか、実は感染していて無症状のまま完治したのか。また亡母は90という高齢のうえ末期の肺・大腸ガンだったにもかかわらず重症化せず、介護のため同居していた姉夫婦も発熱と喉の痛みだけで終わりました。そういうことで私自身「わざわざ打たなくても良いか」という判断をしていました。ところが「やっぱり打っておこう」と思うような出来事があったのです。

 それは独り暮らしをしていた義母が昨年9月新型コロナに感染し、重症化しなかったものの独り暮らしであったため2週間ほど入院したのです。幸い軽症で済み退院したのですが、この2ヶ月ほどの間であっという間に認知症になり介護施設に入所することになってしまいました。最初は気丈に独り暮らしをしていたところ入院したことで緊張の糸がほぐれてしまったのが原因と思っていました。おそらくそれもあるでしょう。よく聞く話です。しかし新型コロナの後遺症に「認知機能の低下」つまり高齢者の場合、認知症になるおそれがあるということを知ったのです。本当に進行が早かったです。普通に独り暮らしをしていたのが一日一日会うたびに症状が酷くなって行くのを目の当たりにしました。

 もう余程のことでない限り新型コロナで死亡したり重症化することはないのかもしれません。そして私がこれまで感染しなかった理由は実際のところわかりません。ただひとつ言えることは、これまで国の方針に従い定期的にワクチン接種をしてきたことです。「呆ける」のは嫌です。ということで今回ワクチン接種を受ける決断をしたのです。定期接種対象者のため3000円で接種できたことや、これまで5回の接種で一度も副反応がなかったということも背中を押してくれました。

 接種を受けて2日目の朝を迎えましたが、微熱、頭痛、腕の痛み・腫れもなく元気に過ごしています。
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琵琶湖一周歩紀8~島でのひと時「湖上に浮かぶ有人島」~

2024-12-16 03:14:36 | 日記
訪問日:令和6年12月15日(日)
出 発:近江鉄道バス「長命寺バス停」
到 着:JR「安土駅」

 寒い季節になりましたね。特に内陸部である「琵琶湖」は極寒の地でもあります。積雪の世界記録は昭和2年2月14日「伊吹山」で観測された11m82cmだそうですね。厳しい冬に入る前に「琵琶湖歩紀」8回目です。ただ今回は日本で唯一湖上に浮かぶ有人島「沖島」に渡ろうと思うのですが、連絡船の時刻の関係でどうしても時間配分ができず、前回ゴールのJR「安土駅」のひとつ大阪寄りである「近江八幡駅」から近江鉄道バスに乗り、最初に西国31番札所「長命寺」にお参りをします。その後、いわゆる「逆打ち」のような形で「安土駅」を目指します。給水・トイレには困りませんがオフシーズンです。飲食店はネット情報で。


 朝4時に起きて最寄り駅の始発に乗り午前7時38分、JR「近江八幡駅」に到着。大阪駅から約1時間20分(1520円)です。川西能勢口駅で乗り換えた阪急電車が「トム&ジェリー」のラッピング車両でした。朝からラッキー!


 近江八幡駅北口の近江鉄道バス「6番のりば」から午前7時45分発「長命寺」行きバスに乗車します。途中にある私立高校の女子たちで満員でした。


 約20分(500円)で「長命寺バス停」に到着。「ICOCA」が使えました。午前8時7分、今日もニコニコ出発です。ここは滋賀県近江八幡市。


 決して「怪しい者」ではありません。今日の「野里町歩紀」です。


 バスロータリーのすぐ後ろは「長命寺港」です。漁港のほか竹生島クルーズ船も発着する観光港です。東屋や公衆トイレがあります。


 その名のとおり「長命寺」への入口です。案内表示に従って進めば正面に車で上れる林道の入口がありますが、私は「歩紀ニスト」などで入りません。林道は結構狭いらしいですよ。


 林道入口の右には「日吉神社」。これからお寺にお参りするのですが、いつものように神社で今日一日の安全を祈願します。


 神社の右に「是よりくわんおん(観音)六丁」と刻まれた石標が立ちます。その奥に長命寺への石段がありました。入って行きましょう。六丁=約660mです。


 標高333mの中腹(250mくらい)にある長命寺まで続く808段の石段です。


 ゆっくりと石段を上って行きます。この石段を上ると寺名どおり長生きするそうです。


 階段なのでほぼ直線的に上って行きます。


 100歳まで生きてやるぞ。


 「聖徳太子礼拝石」と刻まれた石碑を過ぎればまもなく到着です。車で来ればここからスタートです。駐車場の端に公衆トイレ(水洗)があります。


 100段ほどで山門にあたる「冠木門」に到着しました。(午前8時29分)


 石段を上れば正面には「三重塔」。


 三重塔の左には「護摩堂」。いずれも国の重要文化財に指定されています。


 元に戻り境内に進めば左に「琵琶湖周航の歌」歌碑がありました。


 これで1番から6番までのすべての歌碑を訪れました。
     ♪ 西国十番 長命寺 汚れの現世 遠く去りて 黄金の波に
          いざ漕がん 語れ我が友 熱き心 ♪(6番)


 右には本尊である「千手十一面聖観世音菩薩」を安置する「本堂」。重要文化財です。長命寺は天台宗寺院で戦国時代の兵火により焼失・再建を経ていますが、推古天皇の時代に聖徳太子により開基されたと伝わる古刹であり西国31番札所です。琵琶湖周航の歌では「十番」になっていますが、気になる方はネットで調べてくださいね。


 本堂の左には「三仏堂」。天正年間(16世紀後半)に建てられたと伝わり、「釈迦如来」「阿弥陀如来」「薬師如来」の三尊を安置します。


 その奥には「鐘楼」。慶長13(1608)年の建立です。これらも重要文化財です。


 鐘楼の右には「修多羅(すたら)岩」。


 そして境内からは琵琶湖が一望できます。


 参拝を終え上って来た石段を下って行きます。つまずかない様に。特に高齢者は。


 今回は歩紀の最初なのでまだまだ疲れはありませんが、娘たちからもらったモンベルの2WAYグリップを持ってきました。上りでは足への負担がかなり軽減できますし、下りではしっかりと体重を支えてくれます。


 無事に808段の石段を下ることができました。右に曲がり「長命寺温泉天葉の湯」という日帰り温泉の前を進みます。(午前9時8分)


 ここは「松ヶ崎」という岬です。


 少し進めば左に米田雄郎という地元出身の歌人の歌碑がありました。


 対岸に見える比良山系は中腹まで雪化粧です。滋賀県は近畿地方の天気予報では「近畿中部」に属しますが、冬期のみ滋賀県北部は「近畿北部」になるそうです。


 雪化粧をした比良山系を眺めながら湖岸を進みます。


 湖岸沿いの県道なのですが、途中「鬱そう感」が漂う道もあります。


 しばらくすれば沖にはこの後訪れる「沖島」が見えてきます。何だか「ひょっこりひょうたん島」みたいですね。大小二つの島のように見えますが、山と山の間に小さな平野があり、そことそれに続く湖岸沿いの途中まで集落が続きます。それ以外はすべて山地です。


 さらに歩けば右に「休暇村近江八幡」。ホテルやレストラン、キャンプ場などがあります。(午前10時11分)


 その先の標識に左へ入れば「水泳場」と書かれていたので、ちょっと浜に出てみましょう。「宮ケ浜水泳場」です。今の時期は冷たい波が打ち寄せていますが広い砂浜です。向かいには沖島。その奥には比良山系が望めます。


 しばらく歩けば「小田ケ浜園地」の駐車場。山手に芝生公園があるようです。


 休暇村を過ぎれば「堀切港」に着きました。ここから「沖島」までの連絡船が発着します。(午前10時43分)


 午前11時台には船がないので出港まで時間があります。ここで1時間ちょっと時間をつぶさなければなりません。


 とりあえず歩いて7~8分ほど先にある「ファミリーマート」に行きましょう。お土産屋さんや来島者専用駐車場を左に見ながら進んで行きます。


 こんな時間です。沖島にはいくつか飲食店があるのですが予約制のようです。私は今日来られる確約がなかったので予約はできませんでした。ちょっと早いですがここでダラダラと買い物をした後、昼食としましょう。


 今日はファミマのイートインで昼食です。「おむすび2個セット」(税込280円)「どん兵衛きつねうどん」(税込274円)。私の歩紀は「グルメ旅行」ではないのでこれで十分です。どん兵衛「温かかった」です。


 食事を終え、午後0時15分発の船に乗るので港に戻ります。待合室の横に自販機はありましたが、見た感じトイレはありませんでした。そしてファミマではこんなものも売っていました。「おきしまえびせんべい」(税込770円)。沖島の天然スジエビを使っているそうです。


 連絡船が来ました。運賃は片道500円。乗船券は船内の自販機で購入します。小銭と1000円札(新札OK)のみ使えますが、島内で宿泊しないのであれば1000円で往復分買えば良いと思いますよ(往復券ではなく片道券が2枚出ます)。


 定員50人に25人ほどの乗客が乗っていました。私のような観光客と島民が半々くらいでしょうか。船が出港すればおじさんがチケットを回収にきます。往路で1枚渡し復路でもう一枚渡します。なお船内のトイレは故障のため使用不可でした。


 およそ10分の船旅です。沖島に到着しました。結構大きな港ですね。そしてまず最初に行くところがあります。(午後0時25分)


 それは港西側の高台にある「奥津島神社」。


 島の神様に参拝です。祭神は宗像三女神の「奥津島比売命」。やっぱり「海」なんですね。


 境内からは沖島の集落が一望できます。良い眺めですね。沖島は日本で唯一、湖上に浮かぶ有人島です。面積は約1.53㎢ですがほぼこの一角に密集しています。約250人の人が住んでいるそうですが、元は無人島で源氏の落ち武者がたどり着き「島の祖」となったそうです。つまり先祖は漁民ではなく武士なんですね。


 さあ島を探索しましょう。一応グーグルマップをプリントアウトしてきましたが、細い道が複雑に交わっているので全然役に立ちませんでした。ただ狭い集落ですので、どの路地に入ってもどこかに行きます。


 参拝を終え集落に入れば「沖島郵便局」。おそらく日本で唯一湖上に浮かぶ郵便局でしょう。ちゃんとATMもあります。


 すぐ先に公民館(沖島コミュニティセンター)がありました。集落の中心でしょうか。手前に自販機がありましたが、それ以外自販機は見ませんでしたので給水は先ほどのファミマか堀切港でしておきましょう。


 その前には何やら歌碑がありました。


 民家の角に「蓮如上人御旧跡」の石碑とお地蔵様。


 その横の路地を入って行けば浄土真宗「西福寺」。さっきこの路地を入って行った住職さんは若い女性でした。


 見学というよりもさ迷っている感じです。


 島民の方たちの足はもっぱら「三輪自転車」のようです。そして何故かサドルには空き缶が被せられています。


 路地を抜ければ「沖側?」に出ます。湖岸には小さな桟橋がありました。こちらからは「湖西」方向が望めます。比良山からの風(おろし)で結構湖(うみ)は荒れていました。対岸は近江舞子あたりでしょうか。


 カフェなどもあるようです。


 「陸側?」に戻ります。路地を入れば浄土真宗「願證寺」。島には先ほどの西福寺と合わせて2つの寺院があるそうです。


 港に戻り湖岸に沿って歩きます。


 桟橋には私たちを運んでくれた「おきしま」が停泊しています。


 港の端にこんなものがありました。沖島に車はありません。消防車の代わりに消防艇が。初めて見る光景です。ただ消防団ではなく東近江市消防本部の立派な消防艇が係留されていました。救急艇もあるそうです。沖島は近江八幡市ですが消防は東近江市が管轄しているのでしょうか。


 湖岸を進みます。自転車の路駐です。


 湖岸を歩いて行けば「沖島資料館」。沖島の生活様式などを展示した「手作り感」満載の施設ですが12月1日から翌3月31日までは要予約です。「残念」


 その先には「汀(みず)の精」。フナや小アユ、ビワマスなど「湖の幸」を味わえるちょっとお洒落なお店です。


 湖岸に沿って歩きます。


 少し歩けば桟橋があり小さな港になっていました。(午後0時57分)


 その向かいには「近江八幡市立沖島小学校」。「山の学校」「島の学校」ならぬ「湖の学校」。当然、日本唯一湖上に浮かぶ学校です。


 同校のホームページによると明治8年、先ほど訪れた西福寺というお寺のいわゆる寺小屋から始まった古い小学校のようです。


 ピーク時(昭和35年)には129人の児童がいたそうですが、今は何人の児童がいるのでしょうか…。幼稚園もあるようです。


 ここの体育館にあるトイレが観光客用に開放されています。きれいに使用しましょう。


 この先で集落は終わりますが道は続きます。


 「杉谷浜」という10mほどのとても小さな砂浜に出ました。


 航空写真で見ると沖島小学校には小さなプールがあるようですが、夏になれば子どもたちはこの浜で泳ぐようです。そうですよね「湖の子」ですから。


 そしてついに道は終わりました。そこには鳥居が。(午後1時17分)


 向かいにある山手の結構きつい階段を上ります。しかし毎日3階建ての校舎を行ったり来たりしている私にとって何てことはありません。そこは「厳島神社」別名「弁才天社」。弁才天は神仏習合では「市杵嶋姫命」。つまり最初にお参りした奥津島神社の「奥津比売命」と同神。「安芸の宮島」と同じです。何度も言いますが、やっぱり「海」なんですね。


 同じ道を戻ります。沖島小学校を過ぎ突き当りを右に曲がって山に沿って歩けば右に「おきしま展望台」と書かれた石段が。上ってみましょう。


 展望台だけあって素晴らしい眺めです。そして案内板によるとここは先ほど訪れた沖島小学校の跡地だそうです。昔は山の上にあったんですね。本州の真ん中から本州を眺める。何か不思議な感覚ですね。


 集落を抜けます。


 ぐるっと回って港に戻ってきました。真ん前には「沖島漁業会館」。漁業協同組合の建物です。


 「湖島婦貴(ことぶき)」という漁協のお母さんたちが経営する食堂。予約すれば食事を準備してくれるようです。


 会館右に公衆トイレがあります。島内のトイレはここと先ほどの小学校体育館だけです。その裏には沖島に流れ着いた流木で作られた「RYUBOKU HUT」というオブジェ。


 会館の左には「漁村の碑」と「魚介類供養塔」。連絡船の出港10分前です。約1時間30分の滞在でした。夏の時期にいくつかある飲食店や山のハイキングコースなどを訪ねながら一日かけてゆっくり過ごしたいところですね。午後2時発の船に乗ります。


 沖島よ「さようなら」


 堀切港に到着しました。「本土」に上陸します。


 先ほど昼食をしたファミマまで戻り、ファミマ前でカーブする県道に沿って右へ曲がります。この道は「さざなみ街道」です。


 途中「だいなか愛菜館」という農産物直販所がありました。干拓地ではお米のほかイチゴやスイカなども栽培されているようですね。(午後2時24分)


 田んぼの中の一本道を進みます。


 干拓地は新しく開発された農地であるため道路は「碁盤の目」状に走っています。


 私は旧「大中の湖」の西端を歩いています。


 「白王町東交差点」を過ぎて真っ直ぐ進みます。(午後2時47分)


 小さな丘沿いに進み「湖周白王交差点」の信号を過ぎると左に曲がる小径があるので入ります。真っ直ぐ進めば水路に突き当たるので右に見える「白王橋」で対岸に渡りましょう。


 この水路は琵琶湖と琵琶湖最大の内湖「西の湖(うみ)」を結ぶ「長命寺川」です。


 橋を渡れば左へ。長命寺川に沿って歩きます。前方には西の湖が見えてきました。


 やがて小さな集落に入ります。(午後3時2分)


 集落の沖合には石垣で囲まれた大きな「島」が。これは「権座」と呼ばれる湖に浮かぶ水田で、舟に乗って通い米作りをしているそうですよ。琵琶湖って本当にいろいろなものがありますね。この隣にはもうひとつ「南権座」があります。


 集落の手前を左に入り西の湖に沿って歩きます。轍(わだち)はありますが道は地道になりました。湖面では「よし」が群生しています。


内湖に沿って進んで行くうち左にサイクリング道が見えてきました。水辺に沿って進むこの道は「びわ湖よし笛ロード」というサイクリング道です。


 途中、水路にかかる小さな橋を渡って進めば景色の良い場所に出ました。「西の湖ポケットパーク」。(午後3時32分)


 目の前に景色が広がりました。西の湖は前回歩いた「大中の湖」が干拓された残りの水域でおよそ3k㎡あるそうです。ということは大中の湖はかなり大きかったんですね。水鳥の生息地として重要な湿地を保護するための「ラムサール条約」により登録されているそうです。


 しばらく歩けば右から合流してきた農道に下りることができるので下りましょう。広大な農地の中の一本道を進みます。


 ここも農道は碁盤の目状に走っています。4つ目の四つ辻を左に曲がり、大きなJA(農協)施設を目指します。


 振り返れば何やら森が。「新開(しがい)の森」といい、心霊スポットとしていわれがあるそうです。私は近江平野によく見られる鎮守の森だと思うのですが。興味がある人は自分で調べてください。


 川を渡りJAの施設前を右へ。100mちょっとでセブンイレブンがある「常楽寺交差点」に出るので信号を渡りましょう。ここから「安土」の町歩紀が始まります。(午後3時53分)


 水路を渡れば右へ入ります。ここは「常浜水辺公園」。昔ここに港があったそうです。地図を見るとわかるのですが、ここから西の湖を経て琵琶湖につながります。だから港があったんですね。


 春にはサクラがきれいだそうですよ。


 ここは「船溜まり」だったのでしょうか。


 公園奥の橋に案内板が。かつてこの辺りに「木村城(常楽寺城)」というお城があったようです。


 この石垣や水路もその名残でしょうか。


 水路に沿って歩きます。


 前回「伊庭水郷」を歩いた時の「カワト」のようなものでしょうか。


 そのまま水路を進んで行くと料亭の前に出ます。


 突き当りのお地蔵様の下から湧き水が。「音堂川湧水」です。安土は湧き水でも有名な町です。地元の方々によりきれいに清掃されています。静かに見学しましょう。(午後4時10分)


 料亭の前の道に戻り右へ。次の四つ辻をちょっと右に入って見ましょう。もう枯れていますが、ここにも小さな湧き水跡がありました。


 「梅の川」と言うそうです。


 四つ辻に戻り右へ。次の四つ辻を左に曲がれば良い雰囲気の街並みに出ました。


 この道は常楽寺交差点からの延長線上です。左には立派な蔵と漆塗りの白壁。


 その向かいには篆刻文字で彫られていますが浄土真宗「西性寺」。


 小さな金毘羅宮を過ぎます。


 ガソリンスタンドがある三叉路に小さな欄干がかかります。この水路は先ほどの常浜水辺公園に続きます。間もなくゴールです。


 案内板によると江戸時代から昭和初期まで船着場があったそうです。


 その向かいにある50mほど水路に沿って歩いてみましょう。


 その先に地蔵堂が立ちます。(午後4時18分)


 このお地蔵さんは「円満地蔵尊」といい、お地蔵さんの下から湧く霊水に足をひたせば「家族円満・夫婦円満」のご利益が得られるということから「足涌(あしゆ)」と呼ばれているそうです。


 ここは「北川湧水」。


 きれいな水ですね。


 道なりに進み消防器具格納庫の先で左に道が曲がります。このような案内表示がたくさんあるので助かります。


 その先の突き当りを右に曲がって県道を横断。「惣構え土手跡(推定地)」という案内板が立つ「安土コミュニティーセンター」を右に見ながら進みます。


 その先のキリスト教会がある四つ辻の角には何やら石碑が。(午後4時25分)


 「朝鮮人街道」と刻まれています。右に曲がりましょう。この道は中山道「高宮宿」から彦根を結んだことから「彦根道」というそうですが、中山道の脇街道で「朝鮮王朝」からの使節団である「朝鮮通信」の通行が許されたことから「朝鮮人街道」とも呼ばれるそうです。


 ただ結構宅地化が進んでいるようですね。


 200mほどで右に神社が。歩紀最後にお参りしましょう。


 「上豊浦八幡神社」です。由緒の詳細は不詳ですが八幡社なので「誉田別尊(応神天皇)」をお祀りするのでしょう。


 その向かいには「天台宗平等寺」という立派なお寺が。


 その突き当りを右に曲がり駐在所前を過ぎれば本日のゴールJR「安土駅」。午後4時35分到着。前回は南口でしたが今日は北口です。午後4時51分の電車に乗ります。


 1階には観光案内所。営業時間は午前9時から午後5時までです。まだ時間がありますね。次回の「近江八幡町歩紀」に備えてパンフやマップをもらいましょう。


 駅前ロータリーでは「織田信長公像」がお見送りです。


 本日の歩紀「39451歩」(26.82km)。古刹参拝と島歩紀、町歩紀。良い歩紀でした。これからどんどん寒くなります。雪が降らなければいいのですが。滋賀県は豪雪地帯でもあります。


 今日は「ハイボール」(税込550円)と「にぎり鍋やきうどん」(税込1400円)でひとり打ち上げです。「かんぱ~い」。


 そして昼食のため立ち寄ったファミマには何と「地酒コーナー」がありました。


 ということで今回の地酒です。ワンカップではありませんが、地元東近江市の蔵元「増本藤兵衛酒造場」さんの純米酒「薄桜(300ml)」(税込503円)。「おきしまえびせんべい」を肴にいただきま~す。
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新聞斜め読み〜高校ラグビー〜

2024-12-12 05:08:45 | 日記
 年末年始恒例「全国高校ラグビー」の組み合わせが決まったようです。私は自分がするのは別として、スポーツの観戦にはあまり興味はありません。特に野球には全く興味がないので新聞のスポーツ面もほとんど見ません。

 ただ高校ラグビーにはちょっと興味があります。私が卒業した小中学校の校区内に「高校ラグビーの甲子園」と言われる「花園ラグビー場」があり、そのためか中学校としては珍しくラグビー部があったからかもしれません。また試合開催中しか使われない広い駐車場は、私たちにとって恰好の遊び場でした。


 出場校を見ると伝統の強豪校よりもやはり高校野球同様スポーツ専攻コースのある私学や体育会系大学の附属校が多いですね。選手も全国各地から集まり都道府県色もあまり感じられません。そんな中で大阪府は主催団体の一員だからでしょうか3校が出場します。その中のひとつ「常翔学園」は校名が変わりましたが旧「大工大附属」。42回出場の強豪校です。応援していますよ。
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健さん

2024-12-09 00:44:13 | 日記
 新聞を再読するようになって1ヶ月が過ぎました。平日は出勤前に15分程の斜め読みですが、休日は2〜3時間あるいは1日かけてじっくりと読みます。今日のコラム記事は「健さん」こと高倉健さんでした。亡くなってからもう10年が過ぎるんですね。


 俳優として色々な役を演じました。「侠客」「刑事」「軍人」「市井の人」などなど。そして共通するのは記事にも書かれているように「昭和の男」そして「孤独」「不器用」。

 そんな中で私が一番大好きなのが、二・二六事件を描いた「動乱」と言う映画で上官から反乱軍への関与を疑われた際の「自分は軍人であります。政治に興味はありません」というセリフです。私は群れない派閥を作らない健さんの大ファンでした。健さんが最も似合わない役は「政治家」でしょうね。
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