「野里町歩紀 ~思いつくままに~」

野里町歩紀 ~摂河泉をゆく~ に次ぐ第二歩です

氏神様にお参りしよう

2021-01-15 22:45:01 | 日記
 令和3年1月14日、首都圏に続き大阪府など主要都市にも緊急事態宣言が発令されました。ということで1月の「歩紀」も休足です。
 皆さん、コロナ禍の新年、どちらに「初詣」されましたか?「初詣」自体を取りやめた方、国や多くの寺社の方針に従い「分散参拝」された方など様々かと思います。
 さてさて、ほとんどの日本国民が新年に行う「初詣」。これは神社に参るという「宗教的行事」というよりも、ほぼ「年中行事」「観光」「娯楽」「デート」化し、宗教行事とはほど遠いものとなっています。
 というか「神社神道」って本当に不思議な宗教ですよね。というよりもそもそも「宗教」なのでしょうか?

 大陸から「仏教」という異質の宗教が伝来した際も「排斥」するどころか「習合」してしまう。


 「仏教」でも「キリスト教」でも「イスラム教」でもお酒は「禁」ですが、日本の神様はお酒が大好き。「御神酒」として神前にお酒を捧げ、その後「祭りだ、祭りだ」と皆でドンチャン騒ぎ。それを見て神様は「みんな楽しそうだな」と一安心。結婚式では「三三九度」で固めの杯。


 立ち小便禁止の場所に「鳥居」。こんなところに「十字架」や「コーラン」「仏像」を書きますか?




 普段の生活でも教義や教祖様のお言葉に左右されません。そもそも「教義経典」もなく「教祖」もいないのです。みんな自由に神様を信じ、拝んでいるのです。とはいえ、やはり私たち日本人にとっては大切な「信仰」です。おそらく世界中への「布教」を目指す他の宗教とは異なり、未開の地で粛々と行われているのと同じくらい大切な「土着」の「信仰」なのでしょう。とても合理的かつ近代国家にふさわしい宗教だと思います。
 ということで新年には「初詣」をしましょう。「伊勢神宮」ここは別格です。「天照大神様」が「国と国民全体」をお守りしてくださっています。一生に一度はお参りしましょう。そして毎年の「初詣」は、大きな神社、有名な神社にお参りする必要はありません。「氏神様」が本来お参りする神社なのです。「氏神様」は、天界で「天照大神様」はもちろん、八百万の神々とつながっています。「氏子」のために、どんな願い事でもかなえてくださいます。


 「氏神」。その名のとおり、最初は「一族」「先祖」を祀る神様のようでしたが、その後「産土神(うぶすながみ)」と結びつき、今ではあなたが住んでる「土地」を守ってくださっている神様が「氏神様」なのです。


 田舎に行けばよく見かける山への入口のような「鳥居」。


 都会や住宅街にあってひっそりと佇む「お宮さん」。




 社務所もなく神主さんもいない廃れたような神社。


 それが「氏神様」です。「本籍地」でも「出生地」でもありません。今あなたが住んでいる「住所地」の神様です。役所や警察署のように住所で管轄が決まっています。もしわからなければ、各都道府県の「神社庁」に電話をかけ住所を伝えればその場で教えてくれます。ネットでも検索できます。家のすぐ近くにあります。そこに「密」はありません。お正月にはみんなで「氏神様」にお参りしましょう。そこで手を合わせれば、完璧な「初詣」です。
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私の歩き方

2021-01-05 16:41:58 | 日記
令和3年 新年明けましておめでとうございます。「野里町歩紀」を訪問してくださった方、コメントを送ってくださった方。ありがとうございました。本年もよろしくお願い申し上げます。

 新型コロナウィルスの第3波が押し寄せ、首都圏では「緊急事態宣言」が発令されるようです。大阪府は令和2年12月4日から15日までの知事名による「外出自粛要請」が令和3年1月11日まで延長されました。ということで12月の「歩紀」は休足。
 平成21年12月1日、野里町歩紀~摂河泉をゆく~「紅葉の里山と能勢妙見」で第一歩を踏み出し丸11年が過ぎました。「10年一昔」「10年選手」という言葉があるように、それなりに一つの形を形成したと思います。「休足」を利用して、この10年を振り返り、私の「歩き方」について紹介させて頂きたいと思います。


 まず、私の歩く目的は「野里町歩紀~摂河泉をゆく~」の「ご挨拶」でも述べたとおり、「健康」や「観光」「グルメ」などではなく単なる「徒歩」です。そして後から「テーマ」が引っ付いて、いろいろな所を訪れているのです。つまり「テーマ」は歩く「目的」ではなく「手段」。乱暴な言い方をすれば、歩けるのならどこでも良いのです。振り返って見ると、私が個人的に興味がある「歴史」や「日本の原風景」「古い町並み」「レトロな建物」「寺社」「城」などが多かったと思いますが、「大阪24区を歩く」や「鉄道沿線」ものなど、やはり歩くことが目的のコースもたくさんあります。

1 目的地の決定
  私は、普段の生活で「ここはいいな」「これって何なのだろう」「これはすごいな」などと思うと「行ってみたいな」という感情に変わります。 そして、単にピンポイントで見学するのではなく、その周辺を「歩き回ってやろう」という気持ちになるのです。これで「目的地」が決まります。 ただ、時間的・距離的な制約から、私が住む大阪府近郊ということになります。

2 コースの選定
  「目的地」が決定すれば次に地図を開き、まず「目的地」を中心にスタート・ゴールとなる公共交通機関の「駅・バス停」を探します。そして、その周辺で訪ねてみたい所をピックアップし、その「点」から「点」を概ね午前9時ころから午後4時ころまでで歩けるように結び、これで「コース」ができあがります。長年「歩紀」をしているとだいたい1日で歩ける道筋は分かります。

3 情報収集
  コースが決まれば歩くための情報収集です。最近のことですので、主な方法はインターネットです。場所によっては、周辺の観光ガイドブックを購入したり、地元観光協会のパンフレットを取り寄せたりもしますが、とくに「点」だけではなく、コース途上にある道標や石仏、小さな寺社なども徹底的に調べます。

4 テーマ
  情報収集が終わると、ほぼコースの「全体像」が見えてきますので、コースを一言二言で言い表すテーマを考えます。ただ、やはり「歩紀」 が目的ですので、あまりテーマにはこだわりません。

5 紀行文の作成
  ほとんどの方は、歩いた後、いわゆる「取材内容」や写真を元に紀行文を書いていると思っておられるでしょう。しかし、実は出発する前に既に紀行文はできあがっているのです。
  私は、小さいころから地図を見るのが好きでした。地球儀、世界地図クラスのおおざっぱなものから住宅詳細地図まで、暇さえあればずっと地図を眺めている少年でした。先日、タレントの「マツコ・デラックス」さんがある番組で「私は、昔から地図を見るのが好きでした。変な奴でしょ」と言っていましたが、その気持ち私もよく分かります。
 ここからはちょっと自慢話になりますが、私は地図を見るとだいたい地形はわかります。そして地図に載っている情報だけで、おおまかな町並みや見所、そのための移動距離や見学時間なども分かります。こんなことがありました。結婚して間もないころ、妻と妻の両親を連れて2、3泊のドライブ旅行に行った際、まだ、カーナビがなかった時代に私が道にも迷わず、それぞれの観光地に時間通りに着くので義父が
   「あんた、前にもここに来たことあるの?」
と尋ねました。そして私が
   「いいえ、地図がありますんで」
と答えると驚いていました。ひとつの特技だと思います。
  そして今では、ドライブならカーナビ、電車・バスなら駅すぱあと、そして「歩紀」ならグーグルマップやストリートビューがありますので、出発前からすでに現地を歩いているのです。そして「だいたい、ここはこんな風景だろうな」「ここで写真を撮るだろうな」ということがわかるので、撮るべきであろう写真を元にその写真の説明文やコメントを考え、先に紀行文を作ってしまうのです。「歩紀」をしていて、この時間が一番楽しい時間でもあります。
  そして出発。もちろん地図やガイドブック、資料なども持って行きますが、ほぼ、この紀行文に沿って歩いているのです。写真は後付けです。

6 歩く道具
  歩く道具は特にありません。「足」だけです。これまでにも述べていますが、グッズはだいたいモンベルで揃えています。


  ただ、靴だけは消耗品と考えていますので、安価な靴を何足も履き潰しています。「弘法、筆を選ばず」「歩人、靴を選ばず」

  
7 写真撮影
  歩くことが目的ですが、写真撮影も同じくらいの楽しみです。ただ、私は芸術的な写真というよりも記録としての写真撮影です。私とカメラの出合いは、一番最初は亡兄からもらったこの「コニカ」でした。


  そして、どうしても一眼レフが欲しくなり、高校時代に新聞配達をして手に入れたのが、この「アサヒペンタックスKX」です。当時としては1ランク下の型落ちでしたが、結局、私の青春時代や二人の娘の成長記録は、このカメラにより刻まれました。このカメラは頑丈で今でも普通に作動します。

 
  もちろん「歩紀」ではデジカメを使用しています。何台もカメラを取り替えましたが、今使っているのはこの「キャノン」です。


8 体力
 もう60歳を過ぎましたが「歩紀」を続けるにはグッズやカメラよりも体力と健康な体です。私は「歩紀」と平素のウォーキング以外には特にトレーニングやスポーツはしていません。中学生のころから柔道を始め(一応、講道館3段です)、「脚力」よりも「腕力」の方に自信があるのかもしれません。ただ、若いころの一時期「隊」と名の付くところで過ごしましたが、そこでの訓練は非常に厳しく現在の私の「体力」「気力」の源泉は、そこにあると思っています。

9 紀行文の校正とブログの更新 
 こうして「歩紀」から戻るとブログの編集にかかります。ほとんど事前に作成した紀行文のとおりに進むのですが、とは言えやはり現地でしか分からないことや、思った写真が撮れなかったこと、逆に新しい発見もあります。2~3時間で紀行文を校正し、写真画像をアップロードして紀行文に貼り付けて行きます。だいたい1日の「歩紀」で紀行文はA4で9~10ページ。写真は120~150枚程度です。ただ、私のブログ機能では1日あたり100枚しか写真画像がアップロードできません。そのためいつも午後11時30分ころに100枚をアップロードし、日付が変わってから残りの2~50枚をアップロード。そしてブログを更新・投稿して「野里町歩紀」が世に出るのです。

 長々とお付き合いありがとうございました。コロナが収まればまた歩きます。今後ともよろしくお願いいたします。

    令和3年 1月
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