「野里町歩紀 ~思いつくままに~」

野里町歩紀 ~摂河泉をゆく~ に次ぐ第二歩です

阪急宝塚線各駅停車「駅前」歩紀

2019-01-27 01:05:19 | 日記
訪問日:平成31年1月26日(土)
出 発:阪急電車「梅田駅」
到 着:阪急電車「池田駅」

 大阪梅田から宝塚を結ぶ阪急「宝塚線」。大阪で一番「高級感」溢れる沿線といわれる。以前、「巡礼街道」で兵庫県下を歩いたが、今日は「梅田駅」から「池田駅」までの大阪府下を歩いてみよう。確かに猪名川を越えた兵庫県の「雲雀丘花屋敷駅」や終点「宝塚駅」周辺。大阪府豊中市・箕面市・池田市の山手に行けば高級住宅街が開けるが、大阪府下の各駅前には結構、庶民的でちょっとレトロな雰囲気も残る。「駅前」に特化したので移動のための「線路沿い」を除いては「駅周辺」にも立ち寄らない。給水・トイレには、まったく困らない。


 阪急「梅田駅」。「神戸線」「宝塚線」「京都線」3線の出発点。午前9時45分、4番線に到着。今日は、この時間をもってスタートとする。さすが関西一の私鉄ターミナル。1~9番線を擁する大きな駅だ。


 ホーム南端の改札口を出てエスカレーターを下り、ターミナルの南東角にあたるJRガード手前に出る。ここには「阪急イングス」や飲食店ビルが並ぶ。


 駅は「阪急17番街」や「阪急三番街」が入る阪急ターミナビル内にあるが「阪急百貨店」とは、JRのガードをはさんで隔てられている。


 そのガード下は「新梅田食道街」となっている。「食堂」ではなく「食道」だ。


 私の「行きつけの店」もある。


 ガード下だが2階建てである。


 駅西隣りには「関西空港」行きの空港バス乗り場。


 その隣には「新阪急ホテル」が建つ。


 「芝田交差」をはさんで「ヨドバシカメラ」。


 阪急「梅田駅」ビルの2階から地下2階までは、「阪急三番街」と呼ばれるショッピングモールになっており、それぞれ北館・南館の8ブロックに分かれ、ファッション街、飲食店街などになっている。


 特に地下2階には川が流れ、昭和44年のオープン以来「川が流れる三番街」として有名だ。


 1階には「紀伊國屋書店」。大阪で最も有名な書店で、待ち合わせ場所としても良く利用される。ただし出入り口は、2階コンコースに向かうエスカレーターをはさんで2ヶ所に分かれるので、すれ違いに注意しよう(特に恋人同士は)。


 「紀伊國屋書店」に向かって左側には「地蔵横丁」と呼ばれる小さな飲食店街。


 入口には、通り名の由来となる「北向地蔵尊」。線香の香りが漂う。


 「飲み屋」ではなく「飲食店」が数店並ぶ。


 「地蔵横丁」を抜ければ右に「阪急高速バスターミナル」。


 梅田地区には、「阪急」の他「JR」「近鉄」「バスツアー会社」の高速バスターミナルがある。


 西日本を中心に北陸や信州・関東・TDLなど各地への夜行バス・長距離バスの発着地となっている。


 待合所には、ちょっとした「旅情」が感じられる。


 バスターミナルから北に進むとここにも「阪急三番街」。


 1階を抜けると「かっぱ横丁」という飲食街に出る。


 さらに進みガード下に出て右に曲がれば、ビルの谷間にお社が。


 「綱敷(つなしき)天神社御旅所」。本宮は、700mほど南東の堂山町にある。お参りできるので、今日一日の安全を祈願する。こんな都会の真ん中に神社が。神社密度の高さに驚きと感謝。


 まだ奥には街が続くが「駅前」と呼ぶには、この辺りが北限だろう。「梅田駅」を後に北へ進む。この辺りは「茶屋町」と呼ばれ「ロフト」や「ちゃやまちアプローズ」などのレジャービルが並ぶ。


 「ホテル新阪急インターナショナル」を過ぎれば、阪急ガード下に「済生会病院前」交差。


 左を見れば、建て替えられたが石造りの「済生会中津病院」が立つ。


 少し進めば「中津陸橋」で「大阪市最後の一等地」と呼ばれる「梅田貨物駅跡」へと続く「JR梅田貨物線」を跨ぐ。視界を遮るものがないので、目の前に「梅田スカイビル」がそびえる。


 右には、「神戸」「宝塚」「京都」各線の鉄橋が走る。


 すぐに次の駅である「中津駅」への階段が現れるので下りて行こう。


 「駅前」というよりは「ガード下」といった雰囲気の改札前に居酒屋などの店舗が数軒。


 この駅の高架下は、かつて貸倉庫や貸工場があり、ちょっと「DEEP」な世界が広がっていたのだが閉鎖されたようだ。
  

 いずれこうなることは分かっていたが、またひとつ「昭和」が消えてしまったんだな。


 以前、「大阪24区を歩く」で歩いていて良かった。「北区」編を参照してください。


 階段があったので「地上(正確には高架上)」へ戻ろう。


 そこは「中津浜」交差。「国道176号線」をさらに進めば「十三小橋」で「旧中津運河」を渡る。


 そして「十三大橋」で大阪の母なる川「淀川」を渡る。


 すぐ上流には、阪急電車各線の鉄橋が3つ並ぶ。


 600mを越える橋を渡れば「地蔵尊」が祀られている。


 その横には「十三大橋」の由緒が書かれた石碑。


 淀川堤防からゆっくりと坂を下り「新北野」交差で「淀川通り」を越えれば右に「十三駅前西商店街」。飲食店や風俗店が並ぶ。もうここは、次の駅「十三(じゅうそう)」の駅前だ。


 100mほどの商店街を抜ければ右に「十三駅西口」。


 その前は「十三トミータウン」という商店街になっており、酒饅頭で有名な「喜八洲総本舗」などが並ぶ。


 三菱UFJ銀行の前に小さな「小便小僧」。「見返りトミー君」と名付けられている。「トミー」は「十三」のあて読み。なぜ「小便小僧」なのか?


 「駅西口」前の小さな南北路地には一杯飲み屋が並ぶ。この一角は「ションベン横丁」と呼ばれるが、平成26年3月7日早朝の大火により町並みが一変した。


 かつての「闇市」跡に開けた飲み屋街にトイレがなかったことから酔客は立ち小便をし、付近には小便の臭いが立ち込めたことから「ションベン横丁」と呼ばれたという。


 横丁北端の路地でUターンし、今は建てられている公衆トイレ前から横丁を南へ戻る。


 随分と雰囲気が変わったな。


 「駅西口」に戻り、向かって右側の「身長180cm以上」の人は通れない?ガードをくぐろう。


 4~50mの長いガードをくぐれば「駅東口」。左には「十三東駅前商店街」。正面の「十三駅前通り商店街」に進む。


 アーケードが終われば左側に「神津神社」が現れる。


 「応神天皇」らをご祭神とするが、「えべっさん」も祀られ、毎年1月に行われる「戎祭り」は、「十三戎」と書いて「とみえびす」と呼ばれる。


 神社西の「十三東公園」を通り抜け、「十三東二仲町商店街」へ。「十三戎小路」や「十三東小路」などの飲み屋街が広がる。「十三駅」周辺は、大阪でも有数の歓楽街だ。


 北に進んでいき「英真学園」南館の前を通り過ぎる。かつて「淀女」と呼ばれた「淀川女子高校」が平成12年の男女共学化に伴い名称変更された。


 阪急の各線は、「十三駅」で扇を広げるように分岐する。踏切で阪急「京都線」を渡る。踏切の名前は「女子職踏切」。「淀女」の前身は、昭和2年に創立された「大阪高等女子職業学校」。その名残りだろう。


 ここにも「英真学園」が。


 さらに「英真学園」北館脇を抜け、「市立十三中学校」前の信号を渡る。


 路地を抜ければ「野中福祉会館」。そこに「野々宮稲荷大神」が祭られている。


 前に見える複雑な五叉路の左側(一方通行路)を進む。


 広い道に出れば左に曲がろう。前方には「山陽新幹線」の高い高架線。


 踏切手前右には「宮原操車場」。新幹線高架の下を「JR北方貨物線」が走る。


 踏切を渡り、分岐した阪急「宝塚線」に沿って北上する。


 「三国本町2」交差を越え、さらに進む。


 7~8分ほどで左に「三国駅」。駅東側はロータリーになっており、市バス乗り場や交番がある。


 駅ビルと高架下は「ヴュール阪急三国」という商業施設やクリニックビルになっている。


 駅西側には高層マンションが並ぶ。


 時間は正午。今日は三国駅前にあった喫茶店「アシスト」に入ろう。


 日替わり定食(カツとじ)を注文(650円)。


 食事を終え駅北側に。「サンティフルみくに」という商店街があり、結構賑やかな商店街だが「駅前」から離れるので今日は歩かない。


 次の路地を左に入り「三国橋」で「神崎川」を越える。かつては「渡し船」が通っていたんだな。


 橋を渡れば、この道が市境なのだろう。右は「大阪市」、左は「豊中市」になっている。「豊中市」に入ったということだな。この道は「能勢街道」らしい。


 アーケードではないが「三国橋商店街」という道を抜けて行く。


 しばらく歩けば「道田(どうでん)橋」交差。車道のみ立体になった、ちょっと変わった交差点だ。歩行者は、下を抜けていく。


 「道田橋」交差を渡れば川の堤防沿いに出る。豊中市内を南北に流れて「神崎川」に注ぐ「天竺川」という川だ。


 天井川になっているので堤防はかなり高い。だから「道田橋」交差は、立体になっているんだな。


 「砂畑橋」という橋を過ぎて、川の向こうに墓地が見えてくれば、左の一方通行路に曲がろう。かなり高度差があるんだな。おばちゃんは、自転車を押していた。


 郵便局を過ぎれば「庄内東町5」交差で「国道176号線」と合流する。すぐ北側に交番と並んで古い木造の建物が建つ。「売り」に出ているようだ。


 「庄内東町5」交差に戻って「ヤマダ電機」の前で国道を渡り路地に入って行けば、そこは「駅前東ストリート」。「庄内駅」東側の駅前商店街だ。


 かつては「アルサロ(アルバイトサロン~死語!)」などもあった歓楽街だ。


 商店街を抜けて「庄内駅」の出入口に出る。


 手前の踏切を渡り、駅の西側に出れば正面に「庄内ウェスト」というアーケード商店街が見えるが、中には入らず左折する。


 そして次に「西本町商店街」というアーケードが見えるので入って行こう。


 1つ目の辻を右に曲がり道なりに進んでいくと、先ほどやり過ごした「庄内ウェスト」と交差するので、アーケードを横切って真っ直ぐ進む。


 グルメシティを左に見ながら100mほどで「庄内西口商店街」を右に曲がる。一杯飲み屋などが並ぶ。


 商店街を過ぎると阪急の線路に突き当たるので右へ。何だか東淀川区の「淡路駅」に似ているな。


 先ほどの踏切に出るので渡って左へ。駅前東から国道までの短い通りは「庄内駅前商店街」。


 駅舎の右、線路沿いに走る「庄内銀座」という路地に入る。


 おそらく「庄内駅前」が沿線で最も庶民的な「駅前」ではないだろうか。「庄内駅」と次の「服部天神駅」が、高架駅に改築されず平屋のままであることから「昭和」の雰囲気を保っているのだろう。


 そして「庄内」と言えば「豊南(ほうなん)市場」。


 北大阪でも有名な市場で生鮮品や年末には正月用の食材を求めて多くの人が訪れる。


 結構広いな。


 「豊南市場」を抜ければ「国道176号線」に出るので左へ。


 次の信号で「さくら広場」という公園のある「庄内東町」交差を左折する。私は身長168cm。ギリギリだな。「宝塚線」のガードをくぐろう。


 正面は「オペラ通り」。「庄内」には「大阪音楽大学」という大学があるのだ。右に曲がり北に進む。


 「名神高速」と「府道」の高架道をくぐれば突き当たるので右に曲がり、次の路地を左に入る。何でもない路地だが、色んな店が並ぶな。




 しばらく歩き、突き当たりを右に行けば、左に「神社」が見えてくる。「服部天神宮」だ。


 昔、菅原道真が太宰府に流される道中、足を痛めたため平癒祈願したところ、たちまち治ったことから「足の神様」とも言われる。


 「歩紀ニスト」として参拝しておこう。そして御守を授かってモンベルのリュックに。


 正面の鳥居に戻り左へ。「服部天神駅前」の「服部元町商店街」だ。「男の隠れ家」になりそうな雰囲気の良い店が多いな。


 北へ入れば、駅から国道までの広い通りが「服部駅前商店街」。何か地方都市の駅前商店街という感じが良いな。


 そして左を見れば「服部天神駅」。木造平屋の駅舎が良い。昔、日本語を習っていた外国の人に「服部」と書いてなぜ「はっとり」と読むのと聞かれたことがある。確かにそうだな。
 

 この駅の特徴は、梅田方面行きホームのど真ん中に「クスノキ」がそびえ、ご神木として祀られていることだ。かつては、駅の敷地まで神社の境内だったという。


 踏切を渡れば、ここにも一杯飲み屋。右(北)へ進む。


 「宝塚線」に沿って歩いて行くと左に「豊中ローズ球場」というナイター設備のある立派な球場が見えてくる。ここは「豊島公園」。市政が施行されるまでこの辺りは「豊島(てしま)郡」と呼ばれた。この付近には「豊島○○」という地名や施設が多くある。


 そして「宝塚線」は、この辺りからまた高架になるので高架をくぐり左へ。「曽根東町6」交差で府道を渡る。目の前には「アクア文化ホール」という立派な建物が見える。


 その向かいには「ヴァイキングビル」。飲食店やボーリング場のあるレジャービルだが、壁に描かれた大きな絵が列車内からも目を引く。ここは「曽根駅前」だ。


 「曽根駅」は、東側にダイエーなどが並び「駅前」として整備されている。


 「JR福知山線」と競合することから、サービス向上のため、この後訪れる「岡町」「豊中」とともに高架化された。高架下は「ティオ阪急曽根」という商業施設となっているようだ。


 線路の東側を北に進む。


 右には「萩の寺公園」。本来であれば道路から「曹洞宗東光院」が見えるのだが、何やら工事をしているようだ。壁面に「東光院」の絵が描かれている。


 工事現場横から公園に入る。「延命橋」から、ちょこっと「東光院」の屋根が見える。


 橋の横の階段から上がれば「東光院」の山門。毎年9月には「萩まつり」が開催されることから「萩の寺」と呼ばれる。


 線路沿いに戻り北へ。600mほどで左に「岡町駅」。この駅の特徴は、駅東側の真ん前に「原田神社」という古い神社があることだ。


 神社を囲むように商店街が形成されている。「昭和チック」な商店街だな。


 「岡町商店街」。参拝客を相手に発展した商店街なのだろうか。


 「岡町商店街」に入る。


 やはり古いお店が多い。


 良い雰囲気だな。


 ここは、何と店の中に大木が。御神木なのだろう。


 歴史があるんだろうな。


 その向かいにはお好み焼き屋さん。ここで「桜塚商店街」と交差するので右に曲がる。


 少し進めば「原田神社」の入口。今歩いた「桜塚商店街」は「能勢街道」だ。

 
 「駅前」神社に参拝しておこう。4~5世紀創建という古い神社で「須佐之男命」を祀る。


神社の左脇から抜ければ、大きな茅葺きのお屋敷。阪急の車内からも良く見える。


 境内に戻り「岡町商店街」を抜け「駅前」へ。この駅も高架化に伴い、高架下の駅構内は「ティオ阪急岡町」という商業施設となっている。


 駅西側は、小さな公園として整備され交番などが立つ。「十三駅」を出発して次の「豊中駅」までの「三国駅」「庄内駅」「服部天神駅」「曽根駅」「岡町駅」の5駅は、普通列車しか停車しないので、自宅や勤め先、行きつけの店でもない限り、あまり馴染みはないかもしれない。


 高架の西側をさらに進む。この辺りは、高架を走る列車内から見ても立派な邸宅が多い。


 7~800mで前方に「豊中駅」が見えてくる。人口約40万人を擁する「豊中市」の玄関口にふさわしい立派な駅だ。


 駅をはさんで多くのビルや銀行、商店、ホテルなど並ぶ。




 特に、駅の東側に古い駅前商店街が残っているようだ。昔「ジャズ喫茶」があったのだが。


 ここも駅構内は「ティオ阪急豊中」という商業施設で、「エトレとよなか」というショッピングモールとも繋がっている。


 ただ、急に発展・開発されたためか、駅前は狭く、一方通行や右折禁止などで複雑だ。


 駅前交番前を高架線に沿って北へ。右の歩道を歩こう。


 「千里川」を渡る。道は軽い登り坂になる。


 しばらく歩くと左に踏切が。高架線が終わったようだ。そして、この踏切は、この1軒のお屋敷だけのためにある踏切で、テレビ番組でも取り上げられたことがある沿線ではちょっと有名な踏切だ。


 右の土手を上がれば「箕輪池」。


 池の北側には「曹洞宗圓満寺」。


 長寿・延命の「福禄寿尊」がまつられている。


 境内を抜け石段を下れば、小さなロータリーに出て「国道176号線」に戻る。大阪モノレールが走る。


 そのまま進み、次の踏切を過ぎれば「蛍池駅」。駅自体は平屋であるが、3階を走る「大阪モノレール」と合同駅舎になっているので切符売り場や改札口は2階にある。


 駅入り口を過ぎれば小さな「駅前ロータリー」。交番やちょっとした飲み屋がある。


 この駅は「大阪空港」への最寄駅ということで空港バスも停車する。


 駅東側の国道沿いに店が並ぶ。


 駅入り口に戻り2階へ。「宝塚線」と「大阪モノレール」の連絡口となっている。


 そして連絡口は、駅西側の「ルシオーレ」という商業施設と繋がっている。


 階下に下り、駅の西口からモノレールの高架線と「宝塚線」に沿って北へ進む。


 モノレールが右へと流れれば「池田市」。「豊中市」は広かったな。


 前の「中国自動車道」「大阪中央環状線」をくぐり、「市立石橋南小学校」を過ぎて少し歩けば踏切が。この踏切を渡る細い道は「西国街道」。


 踏切を渡ったところには「西国街道」の石標と小さな石の「道標」。そして、ここには昔「高札場」があったらしく「道標」の奥に復元されている。


 踏切を元に戻り、そのまま北に進む。色んな店が現れ始める。




 「国道171号線」の高架をくぐれば正面に「ショッピングストリートいしばし」。ここから「石橋駅前」だ。


 以前「大阪24区を歩く」で鶴見区を訪れたが、「北摂人」様からコメントを頂いた和菓子屋の「三松」。イチゴ大福を買いがてら店の方に尋ねたところ「放出駅前」のお店については、その存在も知らず全く無関係のようだ。


 すぐに「石橋駅西口」が右に。何か午前中に訪れた「十三駅西口」に似ているなあ。


 そういえば線路との間の細い路地も「ションベン横丁」のようだな。「石橋駅」も「高架化」されなかったことから「昭和」な雰囲気が残っているのだろう。しかし「平成」ももう少しで終わるんだな…。


 リトル?「ションベン横丁」を抜けると「地蔵尊」。


 「地蔵尊」前を左に曲がって「ショッピングストリートいしばし」に戻る。古い昔ながらの商店街だ。パチンコ屋を過ぎて右に曲がりガードをくぐって駅の東側に向かう。


 「石橋駅前」は、焼き肉店や韓国ラウンジ、韓国料理店なども多く、ちょっとした「コリアタウン」としての顔を持つ町だ。










 また、なぜか焼き鳥屋や鶏鍋などの「鶏料理店」も多い。












 すぐ近くには「大阪大学」があり、阪大生たちにとっては「学生街」でもある。確かに居酒屋やコンビニのアルバイトには、阪大生や留学生と思われる外国人が多い(写真と文とは関係ありません)。


 「駅東口」に出る。「石橋駅」は「箕面の滝」や「箕面のサル」で有名な「箕面」への乗換駅でもある。


 駅の構造上「駅西口」に戻る地下道や陸橋はない。元の道を通ってガードをくぐり商店街に戻る。右へ曲がればここにも「三松」。こちらが本店で、先ほどの店は出店らしい。


 この店も良い味が出てるな。
 

 すぐ隣には「平和温泉」。こんなところにお風呂屋さんがあるんだ。


 「平和温泉」を過ぎるとアーケードは終わる。赤い橋で「箕面川」を渡る。


 橋を渡って振り返れば。この商店街は「能勢街道」だったんだな。


 突き当たりを右に曲がり「宝塚線」の高架に突き当たるので左に曲がる。そう「石橋駅」から先は、また「高架化」されているのだ。


 阪急車内からもよく見える立派な旧家。


 途中、歩道橋で「国道171号線バイパス」を渡り、ここからは、ひたすら高架に沿って歩くことになる。高架の東側を歩こう。


 あっ!ガード下に本当に「隠れ家」があった。


 阪急車内から見える大きな「長屋門」が残るお屋敷。春は、桜がきれいだ。


 「八王子」交差を越え、車内から見えるこのお屋敷も立派だ。


 奥には「池田泉州銀行」の本店ビル。


 右に「菅原町地蔵尊」が現れると、前方に本日のゴール「池田駅」が見えてくる。


 ガードをくぐり駅の西側に出る。有名なラーメン屋。


 駅前西口には「ダイエー」や「ファミレス」。


 「ファミレス」の隣には、こんな飲み屋街もある。


 飲み屋街を抜ければ、沿線ではちょっと有名な「牡蠣」専門の料亭。


 駅前まで戻ろう。「サンシティ」というショッピングストアーと駅は繋がっている。


 駅前に人工の川が流れる。この駅も高架駅で、高架下は「ブランマルシェ」というショッピングモールになっている。


 「ブランマルシェ」に入り、南へ戻りながら歩いて見よう。


 「ブランマルシェ」を抜けて「駅東口」に出る。ちょうど「チキンラーメン」仕様の阪急バスが入ってきた。池田市は「チキンラーメン」発祥の地。そう言えば、今やってるNHKの朝ドラ「まんぷく」は、チキンラーメンの発明者「安藤百福」のお話だな。


 池田は、かつての酒所。今も「呉春」や「緑一」などの酒を醸す。


 駅前には、市役所や警察署・郵便局・税務署・保健所・裁判所などがあり「公務員」相手の店も多いようだ。


 「国道176号線」沿いには、沿線ではちょっと有名なお好み焼き屋さん。


 駅前に戻る。「駅東口」は、催し物広場や阪急バスのターミナル、タクシー乗り場になっている。午後4時50分到着。本日の歩紀「34828歩」(23.68km)。快速急行で走ればたった20分の距離。時間的にほとんどの店は開店前だったが、各駅前には「男の隠れ家」になりそうな店も多く、それぞれ良い「顔」を持つ。

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暗越奈良街道3~「砂茶屋」から「奈良縣里程元標」を目指す、そして「古都奈良」

2019-01-20 21:39:32 | 日記
訪問日:令和元年11月3日(日)
出 発:奈良交通「砂茶屋バス停」
到 着:近鉄電車「近鉄奈良駅」

 大坂から奈良を結んだ「暗越奈良街道」。最終回は、前回のゴール「砂茶屋交差」から世界遺産「奈良公園」の南端に立つ「奈良縣里程元標」をめざす。今日のコースは「酷道」ではなく、距離的にも短いので給水・トイレには困らない。


 近鉄奈良線「富雄駅」。大阪の中心「難波」から約30分(450円)。駅南側のバス乗り場から午前9時35分発「若草台」行きの奈良交通バスに乗車。


 約10分(280円)で前回(と言っても約1年前だが)のゴール「砂茶屋バス停」へ。下りのバス停は「砂茶屋交差」の90mほど手前にある。午前9時50分スタート。


 進行方向に進み「砂茶屋交差」へ。角には「スーパーオークワ」があり、午前9時から営業しているので給水・トイレが可能だ。左(東)に曲がる。


 前回訪れた60mほど手前の「間男地蔵尊」前の案内表示によると「奈良公園」まで約8kmだ。昼前にはゴールできるな。


 途中からセンターラインのない道になる。


 ずっと、この案内表示があるので迷わないだろう。


 3階建ての立派な蔵の横を通り過ぎる。


 右に「赤膚焼窯元大塩昭山」。「赤膚焼」とは、19世紀初期に開窯したと伝わる焼き物だ。


 その隣には、「赤膚焼窯元大塩玉泉」。「赤膚焼」の窯元は、奈良市・大和郡山市に6つあるそうだが、この2つの窯元は親族らしい。


 街道らしい道が続く。


 池を左に見ながら進む。


 しばらくすると「第二阪奈自動車道」をくぐる。かつて大阪・奈良間は、「国道308号線」が「国道170号線(大阪外環状線)」に突き当たった後、「阪奈道路」で「生駒山地」を山越えするのが一般的なルートであったが、平成9年4月、「阪奈トンネル」開通と同時に「阪神高速東大阪線」がこの「第二阪奈自動車道」に乗り入れ、大阪市内から奈良までを高速道路で結んだ。


 虫籠窓の旧家。


 東へ進んでいくと、再度、左に池が現れる。ここで「国道」は左に大きくカーブする。正面には「奈良県総合医療センター」。


 この後、「国道」より広い「県道」が北から合流してくるが狭い方の「国道」へ進む。「暗越奈良街道」は、とにかく東へ東へと歩くのだ。


 秋らしい風景。


 しばらく歩くと左にお地蔵様が。前の石標には「歯痛地蔵菩薩」と刻まれていた。


 お地蔵さまから5分ほどで左にこんもりとした「森」が見えてくる。「垂仁天皇陵飛地い号」と書かれていた。いわゆる陪塚だな。


 そして「奈良宝来郵便局」を過ぎると、このような石標が。


 石標に従って右へ曲がるとすぐに大きな古墳に突き当たる。第11代「垂仁(すいにん)天皇陵」だ。「景行天皇」の父にあたる。ということは「日本武尊」のおじいちゃんか。


 墳丘長227mの大きな前方後円墳だが、ここは「後円部」。拝所は、反対側の「前方部」にある。日を改めて訪れることにしよう。「国道」に戻り東へ進む。


 100mほどで右に近鉄橿原線「尼ヶ辻駅」。「唐招提寺」「薬師寺」への入口であるが、真っ直ぐ東へ進む。


 すぐに左から大きな道が合流してくる。この道は、先ほど説明した「阪奈道路」から分岐してきた道である。「阪奈道路」は、昭和33年12月に開通。当初は有料道路であったが、昭和56年12月以降は無料となり、今でも大阪・奈良間を結ぶ道路として利用されている。その三角州状の一角にお堂が建つ。案内表示を見ると、東大寺大仏建立に縁がある阿弥陀様とお地蔵様を祀っているようだ。


 「都橋」で「秋篠川」を渡る。「奈良の都」に入るということだな。


 少し歩くと右に地蔵堂。「石造地蔵菩薩立像」といい、文永2(1265)年に造られたそうだ。


  「三条大路5」交差を越える。奈良市街というより「平城京」に入ったようだ。


 右に「スーパーオークワ」を過ぎ、角に「セブンイレブン」がある「三条大路4丁目」交差。この辺りに「平城京」のメインストリート「朱雀大路」が南北に走っていた。遠くに復元された「朱雀門」が見える。まだまだ東へと進む。


 立派な旧家の横に「出屋敷地蔵尊」。安産にご利益があるそうだ。


 「三条大路⒉」交差。ここで「国道24号線」と交わり「国道308号線」は終点となる。しかし、まだまだ東へと進む。ここからは「県道1号線」を歩く。


 「佐保川」を渡る。


 「奈良大宮郵便局」を過ぎると「三条栄町」交差で「県道1号線」は右へと流れていくが、そのまま真っ直ぐ進もう。とにかく東へ進むのだ。


 ディリーカナートイズミヤを過ぎると右に「奈良女子高」。明治26(1893)年、天理市に「正気書院」として開校し、今に続く古い私立学校だ。


 300mほどで右に「ホテル日航奈良」。奈良市は世界的な観光地であるにもかかわらず、ほかの観光地に比べてホテル・旅館が極端に少ないと言われる。その中では最大級のホテルだろう。


 「ホテル日航奈良」を過ぎれば、すぐにJRの高架をくぐる。すぐ右に「JR奈良駅」。JR「関西本線」の駅で「大和路線」ともいい、大阪・天王寺まで約40分。


 寺院風の2代目駅舎は、昭和9年の建築で「奈良市総合観光案内所」として利用されている。何やらバザーをしているようだ。


 JR奈良駅を過ぎると観光地らしい雰囲気の通りになる。「三条通り」だ。


 「三条通り」を進んでいく。




 そして間もなくゴール。その手前に「南都(なんと)銀行本店」。奈良県を中心に展開する大手の地方銀行だ。


 この社屋は大正15年建築の重厚な建物。国の登録有形文化財に登録されている。私の勤め先では、この銀行を給料の振込口座に指定すると給料明細書には、何と「ナント***,***円」と印字される。


 「南都銀行」隣の「東向商店街」アーケードを過ぎれば左に「奈良縣里程元標」。3日間に分けて歩いた「暗越奈良街道」のゴールだ。午前11時50分着。ここまでの歩紀「10454歩」(7.1km)。大坂「高麗橋」の「里程元標」から、途中、最寄り交通機関までの往復を含めてだが「57718歩」(39.23km)の道のりだった。よく歩いたな。


 元の「奈良縣里程元標」は、明治21(1888)年7月、ここから西へ約20m離れた先ほど通った商店街との辻に設置されたが、木製のため朽ちてしまったそうだ。そこで「平城遷都1300年」を記念して残されていた石の台座をここへ移し、当時の資料を元に平成22(2010)年5月、観光のシンボルとしてここに復元された。その際、大正9年に設置された「奈良市道路元標」(右の小さな石標)と後ろの「御高札場」もあわせて移設されたそうだ。


 「暗越奈良街道」は、無理すれば2日で踏破できたと思うが、「古の都」「世界遺産」の「奈良」を目の前にしてとんぼ返りはもったいないと思い、この後、半日かけて「奈良の都」を散策するために時間配分をした。今日は「3連休」の真ん中。これから訪れる「ならまち」での昼食は、どこも満員で厳しいだろう。少し早いが「奈良縣里程元標」の真ん前にあった「お好み焼き・鉄板焼かめや」で食事にしよう。


 ミックスモダン(880円)を注文。


 さて、これから「ならまち」を散策しよう。「奈良縣里程元標」向かいの「餅飯殿(もちいどの)商店街」に入る。


 近鉄「奈良駅」前の「東向商店街」から続く、奈良市でも最も賑やかな商店街である。


 「餅飯殿商店街」のアーケードを抜け、次の信号を越えた辺りから「ならまち」。旧奈良市街の一部であり、戦災を免れたことから江戸時代の風情が残っている。


 雰囲気の良い旅館。


 古い建物が残る。




 こんな風景、大阪市の谷町界隈にも見られたな。


 インターネットでプリンアウトした案内地図を頼りにぐるっと回る。「御霊神社」。


 その北側には、この後、訪れる「元興寺」の「塔址」。幕末まで、ここに高さ70mを越える五重塔がそびえていたそうだ。


 今は住宅街の真ん中にあり、寂れた雰囲気が漂う。


 「吉田蚊帳」。古い木造家屋とレトロな洋風建築が繋がった建物で、今は「のれん」などを扱っている。観光客向けの商品も扱っているようだ。この角を右に曲がる。


 少し歩いて左に曲がれば「元興寺」。蘇我入鹿が創建したと伝わり、奈良・平安時代には「官寺」として勢力を誇り、「ならまち」も「元興寺」を中心に栄えた(拝観料500円)。


 国宝の「極楽堂」。しかし「藤原氏」の時代に入ると、奈良の中心は「興福寺」に移り、次第に衰退していったという。


 石仏の間を通り抜け、振り返れば「極楽堂」と繋がる「禅室」の様子がよくわかる。これも国宝だ。


 そして、この瓦は飛鳥時代に焼かれた日本最古の瓦屋根だそうだ。


 「元興寺」から出て右に曲がり、先ほどの道を左へ。信号手前には「清酒春鹿醸造元」。前には、観光用の人力車が。


 ここでは、試飲用のグラス(500円)を買えば、5種類のお酒が試飲できる。


 呑兵衛の私。早速、試飲してみた。間に、和らぎ水の「仕込水」、最後に「奈良漬」が付く。


 どのお酒も美味しかったが、一番最初に飲んだ「春鹿超辛口純米酒(300ml)」(616円)を買って蔵を後にする。


 目の前の信号を左折すれば、すぐに「名勝旧大乗院庭園」(入園料200円)。


 寛治元(1087)年に創建された「興福寺」門跡である「大乗院」の庭園である。「門跡」とは、寺院の支院の中でも大きな勢力を誇ったものをいうそうだ。


 庭園の北側には「奈良ホテル」。明治の「廃仏毀釈」により売却された「大乗院」跡地の一部に明治42年に開業された。奈良を訪れる貴賓の迎賓館にふさわしい重厚な構えである。


 「大乗院庭園」から「奈良ホテル」を眺める。


 「奈良ホテル」の駐車場を抜ければ、再度「ならまち」へ続く。「奈良町情報館」が立つ四辻を北に進む。


 すぐに「猿沢池」。周囲360mほどの小さな池だが「興福寺五重塔」を写す風景は「奈良八景」にも選ばれている。


 さあこれから「五十二段」と呼ばれる石段で「興福寺」に向かうぞ。本当に52段あった。


 「興福寺」とは、天智8(669)年、藤原鎌足の病気平癒を祈願して造立された「山階寺」を前身とし、「平城遷都」に際して「平城京」に移され「興福寺」の号を授かったという。


 すぐ左には「南大門跡」。「興福寺」は、これまで幾度かの火災により多くの建造物が焼失・再建を繰り返してきた。しかし、「南大門」は、享保2(1717)年1月の大火による焼失以来、再建されることはなかった。現在、東西30mに及ぶ基壇が復元されており、その大きさから平城京の「朱雀門」に匹敵する大きさだったと想像される。


 ここから「時計回り」に参拝する。西側には「南円堂」。寛政元(1789)年に再建された国の重要文化財で、国宝「不空羂索観音菩薩座像」「法相六祖座像」「四天王像」が安置されている。


 前の石段を下り、西側に回れば「三重塔」。鎌倉時代に再建された「興福寺」最古の建造物で国宝に指定されている。ただ、境内の端にあるためか、周辺はひっそりとしている。


 北に進めば、突き当りに「北円堂」。「南円堂」と同じ八角形の建造物で「南円堂」よりやや小ぶりであるが、承元4(1210)年再建の国宝で、安置されている「弥勒如来座像」「無著像」「世親像」は運慶作といわれ、延暦10(791)年造立の墨書がある「四天王像」とともに国宝に指定されている「国宝の固まり」だ。


 すぐ前に見える「中金堂」をぐるっと回って東側のチケット売り場へ。中に入れば、昨年(平成30年)再建され、10月7日から11日まで落慶法要が執り行われた「中金堂」が目の前に。享保2(1717)年1月の焼失以来、300年ぶりに天平の偉容がよみがえったのだ(拝観料500円)。


 東西37m、南北23m、高さ21m。「興福寺」最大の「中金堂」は、奈良時代の基壇・礎石をそのまま利用し、創建当時の姿を忠実に再現したという。堂内には「木造釈迦如来坐像」。


 「中金堂」のすぐ北には「仮講堂」。


 そして境内北東隅に「国宝館」。明治7年に取り壊された「食堂」跡に、宝物収蔵庫として昭和34年に建てられ「乾漆八部衆像」「乾漆十大弟子像」「千手観音菩薩像」「金剛力士像」「板彫十二神将像」「天燈鬼像」「龍燈鬼像」「銅造仏頭」などの国宝級仏像が多数安置されている(拝観料700円~東金堂共通券900円)。


 「乾漆八部衆像」のひとつが、あの有名な「阿修羅像」である。ただ、館内は写真撮影禁止である。


 その南側には「東金堂」と「五重塔」が並ぶ。


 「東金堂」は、応永22(1415)年再建の国宝。「維摩居士像」「文殊菩薩像」「木造四天王像」「木造十二神将像」などの国宝のほか多くの重要文化財が安置されている。ここも堂内は写真撮影禁止だ(拝観料300円~国宝館共通券900円)。


 「東金堂」の南隣に「五重塔」。応永33(1426)年再建の国宝で、高さ50.1mの大塔は、夜間ライトアップされるそうだ。


 「五重塔」南から「興福寺」境内を後にする。「三条通り」に出て左(東)に進めば、250mほどで「春日大社一之鳥居」。


 これより春日大社に向かう。この辺りは「飛火野」という。神様のお使いといわれる鹿たちが、鹿せんべいをねだったり、のんびりと休んでいる。




 「萬葉植物園」への分かれ道を右に進めば「二之鳥居」。


 「鳥居」をくぐれば、社務所前にある「伏鹿手水所」で身を清め、「回廊」と呼ばれる「御本殿」のある方向へと向かう。ゆるい階段を上ると「南門」。春日大社の正面玄関にあたり、国の重要文化財に指定されている。


 高さ12m。春日大社最大の門だ。ここから内側が、東西南北の「回廊」に囲まれた春日大社の主要部分で、すべてが重要文化財に指定されている(特別参拝料500円)。


 目の前に「御本殿」が見えるが、順路に従い一度「回廊」の外に。春日大社には、3000を超える燈籠があり「万燈籠」と呼ばれる。


 ぐるっと回り「回廊」内に戻れば「中門」。朱色が美しい。「中門」を「御本殿」と間違える方が多いそうだが、「御本殿」は「中門」の内側にある。春日大社は、藤原家の「祖神」として、神護景雲2(768)年、常陸国鹿島(茨城県)から「武甕槌命(たけみかづちのみこと)」、下総国香取(千葉県)から「経津主命(ふつぬしのみこと)」、河内国枚岡(大阪府)から「天児屋根命(あめのこやねのみこと)」「比売神(ひめがみ)」の四神を招いて創建されたと伝わる。それぞれの神を祭る4つの「御本殿」は国宝である。写真撮影は禁止されている。


 参拝を終え、境内を出る前にもう一度振り返って「中門」を望む。


 さあ、日も陰ってきた。東大寺に向かう。ほとんどの施設は、午後5時に門を閉めるので急ごう。まだ、多くの観光客が歩いている。


 正面に「南大門」。「東大寺」への入口だ。創建当時の門は、平安時代に倒壊。現在の門は、鎌倉時代の正治元年(1199)年に再建されたもので国宝に指定されている。高さ25.5m。18本の大円柱で支えられているという。でかいな。


 左右には「木造金剛力士立像」。これも国宝だ。




 「南大門」をくぐれば正面に「大仏殿」の屋根が見えてくる。


 「大仏殿」への入口である「中門」。享保元(1716)年ごろの再建で国の重要文化財に指定されている。左に回れば入り口になっている(拝観料600円)。


 そして中へ。目の前には「大仏殿」。正式には「金堂」と呼ぶ。とにかく「でかい!」。間口57.5m。高さ49.1m。さすが「世界最大級の木造建造物」だ。


 2度の火災に遭い、現在の「大仏殿」は、江戸時代の宝永6(1709)年に落慶したそうだ。創建当時の間口は86mあったという。


 そして「大仏殿」正面に何気なく立つ「金銅八角燈籠」。たびたび修理されているそうだが、基本的には奈良時代創建時のもので国宝である。すごいな。


 さあ堂内へ。ご本尊である「大仏様」。正式には「盧舎那仏」と言うのだそうだが、一般的には「奈良の大仏さん」として親しまれている。高さは14.7m。もちろん国宝である。


 そして、何と。「大仏様」は、三脚を使わなければ写真撮影OKなのだ。この後、「二月堂」や「正倉院」も回りたかったのだが時間がない。そういえば、今は「正倉院展」が開催されている。また、いつか来よう。


 「登大路」と呼ばれる大通りを西へ進む。左には「奈良国立博物館新館」。「日本書紀」など多くの国宝等を所蔵する(拝観料520円)。


 その隣には「奈良国立博物館本館」。明治28年「帝国奈良博物館」として開設。国の重要文化財に指定され、現在は「なら仏像館」として使用されている。


 10分ほどで本日のゴール近鉄奈良線「近鉄奈良駅」。午後4時45分着。ここから「大阪難波駅」まで約40分(560円)。本日の歩紀トータルは「29208歩」(19.86km)。撮影禁止のため写真では紹介できなかったが、教科書などで見た「国宝」をこんなにたくさん目の前で見ると人生観が変わるな。何か、涙が出そうになるよ。大阪から1時間もかからないところにこれだけたくさんの「国宝」が。京都も近いし、大阪って本当に良いところですね。

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