訪問日:令和2年10月25日(日)
出 発:阪急電車「甲東園駅」
到 着:阪急電車「甲陽園駅」
北摂の大阪府池田市や箕面市、豊中市の高台あるいは阪急宝塚線の車窓から西の方角を眺めれば、六甲山系東端の丘陵地帯に「お椀を伏せたような山」が見える。大阪府側から見れば背景の「六甲山」に溶け込んでしまっているので、お気づきでない方も多いかもしれないが、その山が「甲山(かぶとやま)」である。「六甲山」から「六」の文字を取っただけの名前なのだが、地質学的には約1200万年前に噴火した旧火山で、六甲山とは形成過程がまったく異なるそうだ。その名のとおり「かぶと」を伏せたような堂々たる単独峰は、地元兵庫県西宮市だけでなく宝塚市や伊丹市からも全容が望める。東麓に広がる「甲山森林公園」を散策した後、標高309mの山頂を目指し、その後、麓の「甲山大師」に参拝する。公園には、トイレや自動販売機が設置されているので、登山前に給水・トイレを済ませておけば問題ないだろう。軽登山なのでそれなりの準備で歩こう。
別の日に大阪府池田市の五月山から撮影した「甲山」。標高300mちょっとの低山のため、背景の六甲山系に溶け込んでいる。写真でもわかり難いな。
今日のスタートは、阪急今津線「甲東園駅」西口。甲山周辺には、「甲」のつく地名が多い。この駅もそうだ。「大阪梅田駅」から「西宮北口駅」で乗り換えて約25分(270円)。駅前には「スーパーKOHYO(8時30分から営業)」やコンビニがある。この先は住宅街のため店はないので、必要なものがあれば駅前で購入しておこう。ここは、兵庫県西宮市。午前9時55分出発。ここからしばらくは「町歩紀」。
駅西口前の「三井住友銀行」の角を右折し、コンビニを見ながら「学園花通り」という道を西に進んで行く。
すぐにちょっと複雑な交差点に出るが「学園花通り」は「やくじんさん筋」という通りを越えてまっすぐ進む。角には「甲東園延命地蔵尊」。今日一日の安全を祈願してお参りする。ちなみに「やくじんさん」とは「門戸厄神」のことである。
「穎川(えがわ)美術館」(休館中)という建物を過ぎる。
右に階段が見えるので「学園花通り」からはずれて曲がってみよう。この階段は「上甲
東園石畳階段」と言うらしい。
階段を登り切り、さらに住宅街を進む。
突き当りを左折すれば、すぐ目の前の四つ角が「学園花通り」なので合流し、右へ曲がろう。県立西宮高等学校を左に見ながら「学園花通り」を進み、次の突き当りを左に曲がる。
右の建物は「日本キリスト教団関西学院教会(付属幼稚園)」だったんだな。
「学園花通り」を西に進んで行けば、正面には、この後登る「甲山」が見えてくる。
そして「学園花通り」の突き当りには「関西学院大学」。「かんさい」ではなく「かんせい」と読む。前回の「吹田市歩紀」で訪れた「関西大学(関大)」と区別するため「関学」と呼ばれている。プロテスタント系の関西でも有数の私立大学であり、明治22(1889)年、アメリカの牧師パルモアが設立した読書館「パルモア学院」を前身とするそうだ。
「甲山」を借景とした時計台(旧図書館)は国の登録有形文化財。
この「上ヶ原キャンパス」は近代化産業遺産群に指定されているそうだ。
「関学」を左に見ながら100mちょっと進むと右にカーブするが、正面に道があるのでカーブに沿わず正面の道をまっすぐ進む。
2~3分で「仁川(にがわ)」に突き当たるので左に曲がる。「仁川」は、六甲山系を水源とし、3kmほど流れて「武庫川」に合流する小さな支流だが、付近の地名や阪急の駅名、私立学園名に冠されるなど「存在感」のある川だ。
右岸を上流に向かって進み、2つの橋を過ぎ3つ目の橋が人道橋なので、その橋で「仁川」を渡り左折、左岸を進む。
途中「この先車行止まり」の看板のとおり、道は車止めに突き当たるが、そこにも小さな橋があるので、その橋で再度「仁川」を渡る。
正面には急な斜面が。
斜面に向かって左の階段を登れば右に「慰霊碑」。ここは、平成7年1月17日の「阪神・淡路大震災」で大規模な地すべりが発生。多くの住宅が飲み込まれ34名の方が亡くなったという。「合掌」
そして、その隣には「仁川百合野町地区地すべり資料館」。震災から2年後に県が設置(午前10時から午後4時、入館無料)。
悲惨な災害を後世に伝え風化させないため、当時の状況などが展示されている(見学所要時間5~15分)。
見学を終え、資料館前の車止めを抜けて階段を登る。
地すべりを起こした、およそ100m四方のこの斜面には「シバザクラ」が植えられ、毎年4月から5月にかけて一面ピンク色に染まるという。
階段を下りず、まっすぐ進むと右にこの石段が現れるので上る。
ショートカットして「上ケ原浄水場」に突き当たるので右折。「関西学院」のグランド前には「大師本堂へ九丁」の町石。前方に見える山への道へ入って行こう。
少し歩けば「甲山森林公園」の「東・西・南・北・正面」の5つある入口のひとつ「東入口」。入口と言っても公園自体は自然の地形を利用したもので、24時間無料で開放されている。ここまで「地すべり資料館」での見学時間を含め約1時間。
「東入口」を入ればすぐ前を「軽登山道」が横切るので左に曲がる。そう、もう「軽登山」は始まっているのだ。「甲山森林公園」の園内マップに「軽登山道」と書かれていたので、今日の「甲山」登山をあえて「軽登山」とした。
今から歩く公園の南東部分は「仏性ヶ原(ぶっしょうがはら)」といい、大坂城築城の際、石垣の採石場として開かれたそうで「徳川大坂城東六甲採石場」の案内板が立つ。
橋を渡って3分ほど進めば「石材採取跡」の案内板。40mほど道をそれてみよう。
右に楔を打ち込まれた石が転がる。
階段が下りれば、たくさんの巨石が転がり「大坂城石垣石丁場跡・東六甲石丁場跡」という国指定史跡になっている。
そして、丹念に探せば「矢穴」という楔が打ち込まれた巨石が残る。ただし、階段から下は、ハイキングコースとして整備されていないので、道に迷わないように注意しよう。
元の「軽登山道」まで戻り、さらに進む。
3~4分で展望台に出る。「甲山」が目の前に見える。中腹には、この後訪れる「神呪寺(甲山大師)」が。結構、高いところにあるんだな。
展望台まで行ってしまうと行止まりになるので、手前まで戻り「軽登山道」を進む。この辺りに案内板が欲しいな。
「軽登山道」脇にも「矢穴」が打ち込まれた巨石が見られる。切り取られた石は、船で大坂城まで運ばれたそうだが、海までの石曳道の痕跡は残されていないという。
途中、景色が広がる。
また、この辺りは鎌倉時代に修験場として開かれ、当時は100を超える僧坊が造営されたという。
ほぼ階段の山道を歩く。
この橋でせせらぎを渡れば急な上りの階段になる。
途中、楔が打ち込まれた石がベンチとして置かれていた。小休止しよう。
「軽登山道」は、巨石の間を進む。
コースに戻れば案内板は整備されている。
展望台から20分ほどで、この二又に出るので左の「管理事務所」方向に進む。
奥には「公園管理事務所」。
靴を脱いで上がることになるが、ウォシュレット付きの清潔なトイレや自動販売機がある。公園マップももらえるが、私はインターネットでプリントアウトしてきた。これ以降、発着時間を入れた。あくまでも私の「歩速」ですので参考としてください。(午前11時35分発)
先ほどの二又まで戻り「みくるま池」へ。水面には「逆さ甲山」が。かつて「淳和天皇」がこの地を訪れた際、あまりの絶景に御車を降りられたとの逸話から名付けられたという。(午前11時37分)
ここにもトイレと休憩所がある。
舗装された道を進んで行くと左に石段が見えてくるので上ってみよう。
「七丁」の町石。
舗装道に戻り、さら進めば突き当たるので「関学方面」へ右折。
そのまま進んで行くと先ほどの「東入口」に戻る。今度は左(北)、つまり「仏性ヶ原」と逆の方向に進む。(午前11時43分)
角には「八丁」の町石。
石段の「軽登山道」をどんどん登って行く。
左に「甲山」を見ながら進んで行く。
右「展望台」方向へ。
「健康運動広場」を通過する。(午前11時50分)
「県民の森」前で先ほどの分岐と合流するので右へ。
少し進めば左に「レストハウス」が現れる。休憩所と自動販売機はあるが食事はできない。トイレは、さらに100mほど進んだ「記念広場」にある。
「レストハウス」を過ぎて「展望台」「大坂城再構築用石材採取跡」方向へ右折。
巨石を右に見ながら進んで行く。
前方に「展望台」が現れる。時間は、午前11時57分。今日も腹時計は正確だ。
大阪平野が見渡せる絶景だ。
円形展望台からの眺めも素晴らしい。
日差しが強かったので円形展望台の下へ移り、日陰で食事としよう。今日の昼ごはんは、「甲東園駅」前のKOHYOで買った「揚げ物ゼロべっぴん弁当(398円)」。KOHYOは、弁当が充実している。この弁当を選んだ理由は、おかずとご飯が二段になっており、リュックサックの底にスッキリと収まったからだ。
食事と休憩を終え、午後0時20分「展望台」を出発。ここも「徳川大坂城東六甲採石場」になっており、円形展望台と案内板の間から採石場跡へ入る。
楔を打ち込まれた石や巨石が残る。
案内図では「レストハウス」方面に抜けられるのだが案内板がない。このベンチ横の階段を下りてみよう。
幸い道は間違っていなかったが、案内表示が欲しいな。左へ曲がる。
「レストハウス」から「甲山」を望むと、まっすぐと道が伸びている。
「レストハウス」右の道から下へ。先ほどの道を「甲山」に向かって歩く。
この道は「彫刻の道」という。
著名な彫刻家13名により大理石で掘られた彫刻が並ぶ。
そして「シンボルゾーン」に到着。「笠形噴水」から「甲山」を望む。
さらに奥へ進み「愛の像・霧噴水」越しに「甲山」を望む。絶好のビューポイントだ。(午後0時39分)
「愛の像」に向かって右奥に「お手洗」の案内板があるので進んで行くと、すぐにトイレが現れる。
トイレの裏に「西宮市立甲山自然の家」方向への道があるので進んで行こう。
車道を渡れば「西宮市立甲山自然の家」。
営業していればトイレと自動販売機がある。下山まで最後の給水・トイレポイントだ。
建物に向かって左に「甲山登山口」。ここから一気に山頂を目指すぞ。(午後0時48分)
スズメバチが出るんだな。
道は二手に分かれるが、歩き易そうな右へ進もう。
左は、谷のようにえぐられ一昨日の雨で水たまりができている。右で正解だったな。
「甲山」は、その山容から溶岩が塊状に固まった「トロイデ式」火山と言われてきたが、近年の研究でそれは誤りであることが判明し、詳細は現在でもよくわからないそうだ。誰も知らない太古から続く古い山なのだろう。
当然「山頂」方向に進む。
結構、急な上り坂だ。
右には「頼朝之塚」と刻まれた五輪塔。源頼朝は、かつて荒廃していた「神呪寺」を復興したそうだ。
途中、数グループのハイカーを追い抜き、休憩なしでどんどん登る。
前方が開けた。頂上だな。
「甲山山頂」に到着。山頂は、芝生の広場になっているが、周囲を木々に囲まれているため展望は効かない。広い芝生では、多くの人たちが弁当を広げたり、ボーイスカウトがゲームに興じていた。
広場の中央に標高309.21mの二等三角点。午後1時5分に登頂。
山名の由来には、いくつか説があるらしい。明治時代には、当時のドイツ帝国オットー・フォン・ビスマルク首相が被っていた三角帽と山容が似ていたことから、神戸を訪れた欧米人らは「ビスマルク山」と呼んでいたらしい。空が広いな。
芝生広場の一角に何やら生垣で囲まれた碑が建つ。
横には、平和を祈る象徴として昭和31年に「平和塔」が建立されたことと、昭和45年、ここで弥生時代の「銅戈(どうか)」が出土した旨の案内板が立っている。
休憩を終え、さあ下山しよう。登頂した登山口の反対側に大きな木が一本植わっている。その前に「北山貯水池」方面への下山口がある。午後1時10分出発。
急な下り坂のうえ、石や木の根、落ち葉が積もっているので滑らないよう足元に気を付けて歩こう。
「北山貯水池」「甲山自然観察池」方向に直進する。(午後1時20分)
次の分岐点。どちらに行っても「北山貯水池」に行けるが、「北山貯水池・甲山山頂」方向に直進しよう。
稜線伝いのフラットなコースを歩く。
さらに分岐。「北山貯水池」方向へ進む。
ここからは、直線的に一気に下ることになる。
あっという間に「甲山自然観察池」。東屋なども組まれ野鳥の観察ができる。(午後1時26分)
「甲山大師道」という車を挟んで向かいには「北山貯水池」。
「甲山大師道」を左へ。道沿いにはトイレがある。
そのまま「甲山大師道」を進んで行くと左に「神呪寺」。ただ、一旦やり過ごし次の「好の家」という食事処がある辻を右に曲がる。その理由は「仁王門」から参拝するためだ。文化元(1804)年に建立され、西宮市指定重要有形文化財に指定されている。(午後1時39分)
「仁王門」をくぐり、先ほど通り過ぎた「甲山大師道」を渡る。正面には、弘法大師(空海)の御宝号である「遍照金剛」の石柱が。真言宗御室派別格本山であり「かんのうじ」と読むが「じんしゅじ」「しんじゅじ」と呼ばれた時代もあるという。
「甲山」を背景に広がる境内へと進む。
本堂は、戦国時代の兵火で焼失し、江戸時代に建て替えられたが、天長4(827)年、第53代淳和天皇の第四妃が開いたといわれ、その後、弘法大師(空海)が「如意輪観音像」を刻み、本尊として天長8(831)年落慶した。ただ、実際には「空海」の時代ではなく、10~11世紀の作といわれ国の重要文化財に指定されている。
御本尊様のほか「木造聖観音立像」「木造不動明王坐像」「木造弘法大師坐像」も国の重要文化財に指定されている。
「大師堂」には、弘法大師像が祀られることから「甲山大師」とも呼ばれる。
「新西国三十三ケ所第21番札所」「摂津国八十八ケ所第75番札所」として信仰を集め、「厄除け・家業繁栄・商売繁盛」にご利益があるとされる。
本殿の裏手には多宝塔と稲荷社が祀られている。
ここは、「甲山」への登山口でもある。
境内「展望台」からの眺めも素晴らしい。大阪キタの高層ビル群を越えて、大阪と奈良の府県境に横たわる生駒山地まで見渡せる。
参拝を終え、午後2時3分「仁王門」を出発。「甲山大師道」を下って行けばゴールの「甲陽園駅」に至るのだが、単調なバス道なので「仁王門」前から住宅街を抜ける。
道の左右に「甲山四国八十八か所巡り」という参道が現れる。
ちょっと入ってみよう。
「八十八か所巡り」ができるようだが、さすがに全部は巡れないので元の道に戻ることにする。
舗装された道を進む。
道沿いにも石仏が。
住宅街に出てマンションに突き当たるが、その左後ろの角に「是ヨリ大師道」の石標。(午後2時13分)
右に曲がり、すぐに左に折れて「1番坂」という道を海に向かって下って行く。
高級住宅街を進む。
途中、左に景色が開ける。夜景がきれいだろうな。
次の交差点角にも「右 大師道」の石標。「甲陽園駅」方向に進む。
左に古い配水所。なんだか西洋の古城のようだな。
配水所から4~5分で「西山公園」という緑地に出るので、左に曲がり坂を下る。
ここで「甲山大師道」と合流するので右へ曲がろう。(午後2時35分)
1~2分で左のビル1階に「ケーキハウス、ツマガリ甲陽園本店」。北摂でも有名なケーキ屋さんだ。行列ができていた。
そして1分も歩けば、左に本日のゴール「甲陽園駅」。阪急電車の支線「甲陽線」の終着駅である。午後2時37分着。本日の歩紀「18731歩」(12.73km)。「甲山」は、自然豊かな場所だが、大阪・神戸からも近く、住宅街に囲まれていることから他の北摂山系とは違い「クマ」と遭遇することはないだろう(イノシシはいるかも知れない)。ここから「大阪梅田駅」まで「夙川(しゅくがわ)駅」で乗り換えて約25分(280円)。久しぶりの「山歩紀」だったな。
出 発:阪急電車「甲東園駅」
到 着:阪急電車「甲陽園駅」
北摂の大阪府池田市や箕面市、豊中市の高台あるいは阪急宝塚線の車窓から西の方角を眺めれば、六甲山系東端の丘陵地帯に「お椀を伏せたような山」が見える。大阪府側から見れば背景の「六甲山」に溶け込んでしまっているので、お気づきでない方も多いかもしれないが、その山が「甲山(かぶとやま)」である。「六甲山」から「六」の文字を取っただけの名前なのだが、地質学的には約1200万年前に噴火した旧火山で、六甲山とは形成過程がまったく異なるそうだ。その名のとおり「かぶと」を伏せたような堂々たる単独峰は、地元兵庫県西宮市だけでなく宝塚市や伊丹市からも全容が望める。東麓に広がる「甲山森林公園」を散策した後、標高309mの山頂を目指し、その後、麓の「甲山大師」に参拝する。公園には、トイレや自動販売機が設置されているので、登山前に給水・トイレを済ませておけば問題ないだろう。軽登山なのでそれなりの準備で歩こう。
別の日に大阪府池田市の五月山から撮影した「甲山」。標高300mちょっとの低山のため、背景の六甲山系に溶け込んでいる。写真でもわかり難いな。
今日のスタートは、阪急今津線「甲東園駅」西口。甲山周辺には、「甲」のつく地名が多い。この駅もそうだ。「大阪梅田駅」から「西宮北口駅」で乗り換えて約25分(270円)。駅前には「スーパーKOHYO(8時30分から営業)」やコンビニがある。この先は住宅街のため店はないので、必要なものがあれば駅前で購入しておこう。ここは、兵庫県西宮市。午前9時55分出発。ここからしばらくは「町歩紀」。
駅西口前の「三井住友銀行」の角を右折し、コンビニを見ながら「学園花通り」という道を西に進んで行く。
すぐにちょっと複雑な交差点に出るが「学園花通り」は「やくじんさん筋」という通りを越えてまっすぐ進む。角には「甲東園延命地蔵尊」。今日一日の安全を祈願してお参りする。ちなみに「やくじんさん」とは「門戸厄神」のことである。
「穎川(えがわ)美術館」(休館中)という建物を過ぎる。
右に階段が見えるので「学園花通り」からはずれて曲がってみよう。この階段は「上甲
東園石畳階段」と言うらしい。
階段を登り切り、さらに住宅街を進む。
突き当りを左折すれば、すぐ目の前の四つ角が「学園花通り」なので合流し、右へ曲がろう。県立西宮高等学校を左に見ながら「学園花通り」を進み、次の突き当りを左に曲がる。
右の建物は「日本キリスト教団関西学院教会(付属幼稚園)」だったんだな。
「学園花通り」を西に進んで行けば、正面には、この後登る「甲山」が見えてくる。
そして「学園花通り」の突き当りには「関西学院大学」。「かんさい」ではなく「かんせい」と読む。前回の「吹田市歩紀」で訪れた「関西大学(関大)」と区別するため「関学」と呼ばれている。プロテスタント系の関西でも有数の私立大学であり、明治22(1889)年、アメリカの牧師パルモアが設立した読書館「パルモア学院」を前身とするそうだ。
「甲山」を借景とした時計台(旧図書館)は国の登録有形文化財。
この「上ヶ原キャンパス」は近代化産業遺産群に指定されているそうだ。
「関学」を左に見ながら100mちょっと進むと右にカーブするが、正面に道があるのでカーブに沿わず正面の道をまっすぐ進む。
2~3分で「仁川(にがわ)」に突き当たるので左に曲がる。「仁川」は、六甲山系を水源とし、3kmほど流れて「武庫川」に合流する小さな支流だが、付近の地名や阪急の駅名、私立学園名に冠されるなど「存在感」のある川だ。
右岸を上流に向かって進み、2つの橋を過ぎ3つ目の橋が人道橋なので、その橋で「仁川」を渡り左折、左岸を進む。
途中「この先車行止まり」の看板のとおり、道は車止めに突き当たるが、そこにも小さな橋があるので、その橋で再度「仁川」を渡る。
正面には急な斜面が。
斜面に向かって左の階段を登れば右に「慰霊碑」。ここは、平成7年1月17日の「阪神・淡路大震災」で大規模な地すべりが発生。多くの住宅が飲み込まれ34名の方が亡くなったという。「合掌」
そして、その隣には「仁川百合野町地区地すべり資料館」。震災から2年後に県が設置(午前10時から午後4時、入館無料)。
悲惨な災害を後世に伝え風化させないため、当時の状況などが展示されている(見学所要時間5~15分)。
見学を終え、資料館前の車止めを抜けて階段を登る。
地すべりを起こした、およそ100m四方のこの斜面には「シバザクラ」が植えられ、毎年4月から5月にかけて一面ピンク色に染まるという。
階段を下りず、まっすぐ進むと右にこの石段が現れるので上る。
ショートカットして「上ケ原浄水場」に突き当たるので右折。「関西学院」のグランド前には「大師本堂へ九丁」の町石。前方に見える山への道へ入って行こう。
少し歩けば「甲山森林公園」の「東・西・南・北・正面」の5つある入口のひとつ「東入口」。入口と言っても公園自体は自然の地形を利用したもので、24時間無料で開放されている。ここまで「地すべり資料館」での見学時間を含め約1時間。
「東入口」を入ればすぐ前を「軽登山道」が横切るので左に曲がる。そう、もう「軽登山」は始まっているのだ。「甲山森林公園」の園内マップに「軽登山道」と書かれていたので、今日の「甲山」登山をあえて「軽登山」とした。
今から歩く公園の南東部分は「仏性ヶ原(ぶっしょうがはら)」といい、大坂城築城の際、石垣の採石場として開かれたそうで「徳川大坂城東六甲採石場」の案内板が立つ。
橋を渡って3分ほど進めば「石材採取跡」の案内板。40mほど道をそれてみよう。
右に楔を打ち込まれた石が転がる。
階段が下りれば、たくさんの巨石が転がり「大坂城石垣石丁場跡・東六甲石丁場跡」という国指定史跡になっている。
そして、丹念に探せば「矢穴」という楔が打ち込まれた巨石が残る。ただし、階段から下は、ハイキングコースとして整備されていないので、道に迷わないように注意しよう。
元の「軽登山道」まで戻り、さらに進む。
3~4分で展望台に出る。「甲山」が目の前に見える。中腹には、この後訪れる「神呪寺(甲山大師)」が。結構、高いところにあるんだな。
展望台まで行ってしまうと行止まりになるので、手前まで戻り「軽登山道」を進む。この辺りに案内板が欲しいな。
「軽登山道」脇にも「矢穴」が打ち込まれた巨石が見られる。切り取られた石は、船で大坂城まで運ばれたそうだが、海までの石曳道の痕跡は残されていないという。
途中、景色が広がる。
また、この辺りは鎌倉時代に修験場として開かれ、当時は100を超える僧坊が造営されたという。
ほぼ階段の山道を歩く。
この橋でせせらぎを渡れば急な上りの階段になる。
途中、楔が打ち込まれた石がベンチとして置かれていた。小休止しよう。
「軽登山道」は、巨石の間を進む。
コースに戻れば案内板は整備されている。
展望台から20分ほどで、この二又に出るので左の「管理事務所」方向に進む。
奥には「公園管理事務所」。
靴を脱いで上がることになるが、ウォシュレット付きの清潔なトイレや自動販売機がある。公園マップももらえるが、私はインターネットでプリントアウトしてきた。これ以降、発着時間を入れた。あくまでも私の「歩速」ですので参考としてください。(午前11時35分発)
先ほどの二又まで戻り「みくるま池」へ。水面には「逆さ甲山」が。かつて「淳和天皇」がこの地を訪れた際、あまりの絶景に御車を降りられたとの逸話から名付けられたという。(午前11時37分)
ここにもトイレと休憩所がある。
舗装された道を進んで行くと左に石段が見えてくるので上ってみよう。
「七丁」の町石。
舗装道に戻り、さら進めば突き当たるので「関学方面」へ右折。
そのまま進んで行くと先ほどの「東入口」に戻る。今度は左(北)、つまり「仏性ヶ原」と逆の方向に進む。(午前11時43分)
角には「八丁」の町石。
石段の「軽登山道」をどんどん登って行く。
左に「甲山」を見ながら進んで行く。
右「展望台」方向へ。
「健康運動広場」を通過する。(午前11時50分)
「県民の森」前で先ほどの分岐と合流するので右へ。
少し進めば左に「レストハウス」が現れる。休憩所と自動販売機はあるが食事はできない。トイレは、さらに100mほど進んだ「記念広場」にある。
「レストハウス」を過ぎて「展望台」「大坂城再構築用石材採取跡」方向へ右折。
巨石を右に見ながら進んで行く。
前方に「展望台」が現れる。時間は、午前11時57分。今日も腹時計は正確だ。
大阪平野が見渡せる絶景だ。
円形展望台からの眺めも素晴らしい。
日差しが強かったので円形展望台の下へ移り、日陰で食事としよう。今日の昼ごはんは、「甲東園駅」前のKOHYOで買った「揚げ物ゼロべっぴん弁当(398円)」。KOHYOは、弁当が充実している。この弁当を選んだ理由は、おかずとご飯が二段になっており、リュックサックの底にスッキリと収まったからだ。
食事と休憩を終え、午後0時20分「展望台」を出発。ここも「徳川大坂城東六甲採石場」になっており、円形展望台と案内板の間から採石場跡へ入る。
楔を打ち込まれた石や巨石が残る。
案内図では「レストハウス」方面に抜けられるのだが案内板がない。このベンチ横の階段を下りてみよう。
幸い道は間違っていなかったが、案内表示が欲しいな。左へ曲がる。
「レストハウス」から「甲山」を望むと、まっすぐと道が伸びている。
「レストハウス」右の道から下へ。先ほどの道を「甲山」に向かって歩く。
この道は「彫刻の道」という。
著名な彫刻家13名により大理石で掘られた彫刻が並ぶ。
そして「シンボルゾーン」に到着。「笠形噴水」から「甲山」を望む。
さらに奥へ進み「愛の像・霧噴水」越しに「甲山」を望む。絶好のビューポイントだ。(午後0時39分)
「愛の像」に向かって右奥に「お手洗」の案内板があるので進んで行くと、すぐにトイレが現れる。
トイレの裏に「西宮市立甲山自然の家」方向への道があるので進んで行こう。
車道を渡れば「西宮市立甲山自然の家」。
営業していればトイレと自動販売機がある。下山まで最後の給水・トイレポイントだ。
建物に向かって左に「甲山登山口」。ここから一気に山頂を目指すぞ。(午後0時48分)
スズメバチが出るんだな。
道は二手に分かれるが、歩き易そうな右へ進もう。
左は、谷のようにえぐられ一昨日の雨で水たまりができている。右で正解だったな。
「甲山」は、その山容から溶岩が塊状に固まった「トロイデ式」火山と言われてきたが、近年の研究でそれは誤りであることが判明し、詳細は現在でもよくわからないそうだ。誰も知らない太古から続く古い山なのだろう。
当然「山頂」方向に進む。
結構、急な上り坂だ。
右には「頼朝之塚」と刻まれた五輪塔。源頼朝は、かつて荒廃していた「神呪寺」を復興したそうだ。
途中、数グループのハイカーを追い抜き、休憩なしでどんどん登る。
前方が開けた。頂上だな。
「甲山山頂」に到着。山頂は、芝生の広場になっているが、周囲を木々に囲まれているため展望は効かない。広い芝生では、多くの人たちが弁当を広げたり、ボーイスカウトがゲームに興じていた。
広場の中央に標高309.21mの二等三角点。午後1時5分に登頂。
山名の由来には、いくつか説があるらしい。明治時代には、当時のドイツ帝国オットー・フォン・ビスマルク首相が被っていた三角帽と山容が似ていたことから、神戸を訪れた欧米人らは「ビスマルク山」と呼んでいたらしい。空が広いな。
芝生広場の一角に何やら生垣で囲まれた碑が建つ。
横には、平和を祈る象徴として昭和31年に「平和塔」が建立されたことと、昭和45年、ここで弥生時代の「銅戈(どうか)」が出土した旨の案内板が立っている。
休憩を終え、さあ下山しよう。登頂した登山口の反対側に大きな木が一本植わっている。その前に「北山貯水池」方面への下山口がある。午後1時10分出発。
急な下り坂のうえ、石や木の根、落ち葉が積もっているので滑らないよう足元に気を付けて歩こう。
「北山貯水池」「甲山自然観察池」方向に直進する。(午後1時20分)
次の分岐点。どちらに行っても「北山貯水池」に行けるが、「北山貯水池・甲山山頂」方向に直進しよう。
稜線伝いのフラットなコースを歩く。
さらに分岐。「北山貯水池」方向へ進む。
ここからは、直線的に一気に下ることになる。
あっという間に「甲山自然観察池」。東屋なども組まれ野鳥の観察ができる。(午後1時26分)
「甲山大師道」という車を挟んで向かいには「北山貯水池」。
「甲山大師道」を左へ。道沿いにはトイレがある。
そのまま「甲山大師道」を進んで行くと左に「神呪寺」。ただ、一旦やり過ごし次の「好の家」という食事処がある辻を右に曲がる。その理由は「仁王門」から参拝するためだ。文化元(1804)年に建立され、西宮市指定重要有形文化財に指定されている。(午後1時39分)
「仁王門」をくぐり、先ほど通り過ぎた「甲山大師道」を渡る。正面には、弘法大師(空海)の御宝号である「遍照金剛」の石柱が。真言宗御室派別格本山であり「かんのうじ」と読むが「じんしゅじ」「しんじゅじ」と呼ばれた時代もあるという。
「甲山」を背景に広がる境内へと進む。
本堂は、戦国時代の兵火で焼失し、江戸時代に建て替えられたが、天長4(827)年、第53代淳和天皇の第四妃が開いたといわれ、その後、弘法大師(空海)が「如意輪観音像」を刻み、本尊として天長8(831)年落慶した。ただ、実際には「空海」の時代ではなく、10~11世紀の作といわれ国の重要文化財に指定されている。
御本尊様のほか「木造聖観音立像」「木造不動明王坐像」「木造弘法大師坐像」も国の重要文化財に指定されている。
「大師堂」には、弘法大師像が祀られることから「甲山大師」とも呼ばれる。
「新西国三十三ケ所第21番札所」「摂津国八十八ケ所第75番札所」として信仰を集め、「厄除け・家業繁栄・商売繁盛」にご利益があるとされる。
本殿の裏手には多宝塔と稲荷社が祀られている。
ここは、「甲山」への登山口でもある。
境内「展望台」からの眺めも素晴らしい。大阪キタの高層ビル群を越えて、大阪と奈良の府県境に横たわる生駒山地まで見渡せる。
参拝を終え、午後2時3分「仁王門」を出発。「甲山大師道」を下って行けばゴールの「甲陽園駅」に至るのだが、単調なバス道なので「仁王門」前から住宅街を抜ける。
道の左右に「甲山四国八十八か所巡り」という参道が現れる。
ちょっと入ってみよう。
「八十八か所巡り」ができるようだが、さすがに全部は巡れないので元の道に戻ることにする。
舗装された道を進む。
道沿いにも石仏が。
住宅街に出てマンションに突き当たるが、その左後ろの角に「是ヨリ大師道」の石標。(午後2時13分)
右に曲がり、すぐに左に折れて「1番坂」という道を海に向かって下って行く。
高級住宅街を進む。
途中、左に景色が開ける。夜景がきれいだろうな。
次の交差点角にも「右 大師道」の石標。「甲陽園駅」方向に進む。
左に古い配水所。なんだか西洋の古城のようだな。
配水所から4~5分で「西山公園」という緑地に出るので、左に曲がり坂を下る。
ここで「甲山大師道」と合流するので右へ曲がろう。(午後2時35分)
1~2分で左のビル1階に「ケーキハウス、ツマガリ甲陽園本店」。北摂でも有名なケーキ屋さんだ。行列ができていた。
そして1分も歩けば、左に本日のゴール「甲陽園駅」。阪急電車の支線「甲陽線」の終着駅である。午後2時37分着。本日の歩紀「18731歩」(12.73km)。「甲山」は、自然豊かな場所だが、大阪・神戸からも近く、住宅街に囲まれていることから他の北摂山系とは違い「クマ」と遭遇することはないだろう(イノシシはいるかも知れない)。ここから「大阪梅田駅」まで「夙川(しゅくがわ)駅」で乗り換えて約25分(280円)。久しぶりの「山歩紀」だったな。