「野里町歩紀 ~思いつくままに~」

野里町歩紀 ~摂河泉をゆく~ に次ぐ第二歩です

歩紀残し「摂津市」パート2

2018-05-06 14:09:12 | 日記
訪問日:平成30年5月6日(日)
出 発:JR「千里丘駅」
到 着:大阪モノレール「摂津駅」

 ゴールデンウィーク初日の4月28日に「摂津市」を歩いたが、時間の関係で踏破できなかった。前回のゴールである大阪モノレール「摂津駅」からJR「千里丘駅」の間には、「日本書紀」にも記された「三宅」という古い「集落」が広がる。ゴールデンウィークの最終日、歩き残した「三宅」地区を歩く。前回に引き続き、文中で「村」とか「集落」と表現していますが、あくまでも「古い町」という意味で「田舎」ではありません「摂津市」は。


 前回は西口からスタートしたが、今回は東口からスタート。「千里丘駅」は、東口にロータリーや駅ビルがあり「駅前」を形成している。午前9時50分出発。駅のすぐ南を「府道142号線」が走るが、「府道」はアンダーパスで「JR」をくぐるので、駅前から続く「陸橋」で「府道」を渡ろう。
 

 「陸橋」を下りると、すぐに狭い路地があるので、そのまま「千里丘東3丁目」に入って行く。
 

 路地を進んでいく。
 

 所々に古い家が残る。
 

 堤防に突き当たれば「小坪井橋」で「境川」という川を渡る。「境川」は、水田の区画である「条里制」の「境界」という意味らしい。川を渡れば左へ。この道は「彩りの道」と呼ばれる。
 

 次の「坪井橋」を渡り、左岸を進んでいくと小さな公園の片隅に「流れの馬場跡碑」が立つ。本願寺と織田信長が戦った「石山合戦」ゆかりの古戦場跡だという。
 

 公園から堤防を下り北方向の路地に進めば、長屋門のある立派なお屋敷が。
 

 この北側を一周する。
 

 立派な「お屋敷」が残る。
 

 ぐるっと回れば「勝久寺保育園」。
 

 園庭を過ぎると「浄土真宗本願寺派勝久寺」。織田信長と戦った本願寺の末寺らしい。鐘楼を背景に、天正8(1580)年5月28日未明、「石山合戦」の折り、織田の軍勢が来襲した場所を記す石碑が立つ。
 

 「勝久寺」のすぐ前は、先ほど「陸橋」で渡った「府道142号線」だ。信号で「府道」を渡れば「みしま幼稚園」がある。
 

 その前の「お屋敷」もすごいな。
 

 お屋敷の前を右に進み、1つ目の路地を左折してお屋敷の北側に進む。
 

 そのまま真っ直ぐ北へ進む。
 

 「府道143号線」を越えて、さらに集落を抜ける。
 

 駐車場に突き当たり右へ曲がれば「市立子育て総合支援センター」。その正面右側に「防風庵跡」の説明板が。後で述べるが、付近にはかつて「三宅城」という城があり、天文22(1553)年、当時の三宅城主「三宅國村」の時代に城が「香西元也」に攻められ「三宅國村」の長女が出家し「康阿比丘尼」と名を改めて結んだ「草庵跡」だという。
 

 すぐ先の四つ辻は、「茨木市」との市境。看板の「蔵垣内」は、茨木市の地名である。
 

 次の四つ辻を右に曲がり集落を進んでいくと「旧家」が残る。
 

 ここは「乙ノ辻」という集落のようだ。「旧三宅村」は、現在の「茨木市」にある「蔵垣内」「丑寅」「宇野辺」と、現在の「摂津市」である「乙ノ辻」「太中」「小坪井」「鶴野」の集落から構成されていたそうだ。
 

 さらに「旧家」脇を抜ける。
 

 集落を抜ければ、先ほどの「府道143号線」に出るので左へ。「府道」端には、塀に囲まれた小さな「墓地」が。ここには、先ほど述べた「三宅城」の初代城主「三宅國政」の墓があると伝わる。この立派な「墓石」がそうだろうか。
 

 「府道」に沿って進み、次の辻を左に入る。今は使われていない駐車場に出れば「茨木市」との市境である。右に曲がって先に見える草道に進む。
 

 グーグルマップでは、ここに「三宅城跡碑」があるはずなんだが、ただの草むらじゃないか。やられたな。ちなみに戦国の世、永正元(1504)年、この辺りに「三宅出羽之守國政」という武将が「三宅城」という城を築いたという。付近一帯が城郭だったのだろう「茨木市」側の「蔵垣内公園」内にも「碑」が立つ。
 
 
 すぐ目の前を「阪急京都線」が走るので右折し、線路沿いに進めば踏切に出るので渡り、すぐに右折して線路沿いに南へ歩く。
 
 
 次の踏切で線路と別れ、さらに南へ進む。この道は、かつて水路が流れ、近くにあったお寺の名前から「伽藍堂水路」と呼ばれていたそうだ。
 

 今は、人工の水路が流れている。
 

 すぐ右に広場が。長屋門風のトイレなどが設けられている。
 

 この水路沿いの道は「伽藍堂遊歩道」と言うんだな。
 

 さらに水路沿いに進む。
 

 下水処理水だろうか、ちょっと「塩酸臭い」がきれいな水が流れる。
 

 「市民文化ホール」の裏を過ぎれば、「香露園交差」に出る道とアンダーパスでくぐる道に分かれるので左のアンダーパスに進もう。
 

 すぐに「境川」と「大正川」が合流した三角地帯上にある「柳田公園」に出る。
 

 人工の水路や・・
 

 東屋、鐘楼風の時計台などが整備されている。春には桜が美しい。
 

 河川敷は、親水公園になっているようだ。
 

 そして「大正川」の上を「鯉のぼり」が泳ぐ。そうか、昨日は「こどもの日」だったんだ。
 

 昨年までは、1000を越える「鯉のぼり」が泳いでいたそうだが、ワイヤーが切れ見物客に当たるという事故があったらしく、今年は半分になったそうだ。
 

 そういえば、前回「コカコーラウェスト」という会社の前を通り過ぎたな。町が一体となって「鯉のぼり」を掲げているんだな。
 

 「ガランド歩道橋」を渡る。
 

 左に曲がり、堤防上を南に歩く。
 

 バイパス橋をくぐり「防領橋」という橋で「大正川」を渡る。 
 

 大阪モノレールの橋脚をくぐれば、本日のゴールである大阪モノレール「摂津駅」。午前10時50分到着。ちょうど1時間か。本日の歩紀「8573歩」(5.82km)だが、今日は歩数計をリセットするのを忘れていたので、これは自宅を出てからのトータルだ。大阪モノレールは、「郊外」から「郊外」を結ぶ通勤・通学用の交通機関として計画された。そのため始発・終点の「大阪空港駅」「門真市駅」と乗換駅の「蛍池駅」「千里中央駅」「山田駅」「南茨木駅」以外は「駅前」を形成しない。「大日駅」も地下鉄と連絡するが「高架」と「地下」なので「駅前」はない。ここもマンションの1階にコンビニが1軒あるくらいだ。「梅田駅」まで阪急京都線「南茨木駅」を経由して約30分(520円)。
 
コメント (6)
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